第171話 強くなれ

「やああああぁッ!」


 一気に間合いを詰め、上段から剣を振り下ろす。体重の乗った重い一撃は、間違いなく今の修介にできる最高の一撃だった。

 だが、その一撃はグントラムのすくい上げるような剣にあっさりと弾き返された。身体が浮いたような感覚を覚え、たたらを踏む。受け流されることはあっても弾き返されるとは思ってもいなかった修介は、次の動作に移るのが完全に遅れた。

 気が付いた時にはグントラムの剣先が喉元に突き付けられていた。

 修介は愕然とする。なんの見せ場もなく一瞬で終わってしまったのだ。悔しさと情けなさで視界が真っ暗になる。

 きっと呆れられたに違いない、そう思って修介はおそるおそるグントラムを見る。

 ところが、グントラムは何も言わずに元の位置に戻ると再び剣を構えた。

 まだ手合わせは終わりではないということだった。

 その事実に修介は高揚感を覚え、慌てて元の位置に戻る。


「うおおおおっ!」


 今度は胴体を狙って剣を薙ぎ払うも、先ほどの剛剣から一転、流れるような動作であっさりと受け流される。バランスを崩したところに蹴りが入り、修介は無様に床を転がった。


「次だ」


 グントラムの冷徹な声が飛んでくる。

 そこから手合わせは二十回以上に及んだ。

 修介は思いつく限りの戦法を試し、覚えている剣技の全てを駆使してグントラムに挑んだが、そのすべてを弾き返された。

 グントラムは見た目の印象から力押しの剣術を使うとばかり思い込んでいたが、多彩な剣技を身に付けた一流の剣士だった。その変幻自在な動きに付いていけず、修介は幾度となく剣の平で打たれ、床に転がされた。

 少しは通用するかも、というかすかな期待は見事に打ち砕かれていた。ここまで何も通用しないと、いっそ清々しいくらいだった。

 それでも修介は勝利を求めて剣を振るい続ける。

 その甲斐あってか、手合わせを重ねていくうちに徐々にグントラムの動きに対応できるようになり、剣を打ちあう回数も増えていた。

 修介は全身が痣だらけになりながらも、グントラムがやめようとしないのをいいことに納得がいくまで挑み続けた。体のあちこちが悲鳴をあげていたが、そんなことがどうでもよくなるくらい、グントラムとの立ち合いが楽しくてたまらなかったのだ。




 結局、修介は最後まで一本も取ることはできなかった。惜しい場面は何度かあったのだが、そのわずかな差を自分の物に出来ることこそが強者の証なのだろう。

 力尽きた修介は領主の前で失礼だとは思いながらも床に大の字になった。


「使え」


 荒い呼吸を吐きながらグントラムが真新しい手拭いを修介に放った。


「あ、ありがとうございます……」


 修介は手拭いで顔の汗を拭う。手を動かす度に全身に鈍い痛みが走るが、それ以上の充実感と心地よい疲労感が全身を満たしていた。


「……冒険者か。俺も若い頃は貴様ら冒険者のように自由に世界を見て回りたいと思ったことがないわけではない。無論、思うだけで実行したことはないがな」


 突然話しかけられ、修介は汗を拭う手を止めて慌てて上半身を起こした。

 だが、グントラムは修介の方を見てはいなかった。


「このグラスター領を治めるライセット家の男には、生まれながらにこの地に住まう民を守る責務がある。先代も、先々代も、それ以前の領主も、ずっとこの地を守る為に妖魔と戦い続けてきた。領主という地位は貴様が思っているよりもはるかに重い。だが、俺はそのことに疑問を抱いたことも、重責から逃げたいと思ったことも一度もない。なぜだかわかるか?」


「……いえ」


「俺がこのグラスターの地とそこに住まう民を愛しているからだ。妖魔の脅威に晒されながらもこの地に留まり、街を作り、畑を耕し、子を産み、育て、共に歩み、共に戦ってくれる民を守りたいと心から願っているからだ」


 グントラムはそこでようやく修介の顔を見た。


「できれば、貴様には俺と同じ志を抱いて共に戦ってほしかったが、まぁ無理強いはすまい……。貴様の剣が我が民にではなく妖魔に向けられている限りは、俺と貴様は同士だ。今はそれで満足するとしよう」


 グントラムは生まれながらの領主だった。

 大貴族という恵まれた生まれに胡坐をかくことなく、常にその立場に相応しくあろうと若い頃から己を鍛え、命懸けで民の為に戦い続けてきたのだ。


 人間としての器の大きさが違う――そう修介は思った。その事実はショックだったが、人間にはそれぞれ分というものがあることもよく知っていた。

 大事なのは、その分を自分なりに受け止めてどう生きていくかだった。


「――冒険者シュウスケよ」


 威厳に満ちた声だった。


「はっ!」


「強くなれ。この地では強くなければ大切なものを守ることはできん」


「――はい」


 それは修介が身をもって理解した真実だった。失うことへの恐怖が修介を死の恐怖に立ち向かわせている原動力だった。

 グントラムという偉大な領主が治めるこのグラスターの地で、冒険者として大切なものを守る為に戦う。そしてこの地から妖魔の脅威を取り払った後に、ゆっくりとこの世界を見て回る旅に出る。それが修介の今の望みだった。


「……それにな、今の貴様ではとてもではないが大事な娘は任せられん。この俺から一本も取れんようでは話にならん」


「で、ですから、私はそのようなつもりは――」


 修介が慌てて抗弁しようとしたその時だった。

 入口の扉が、ばんっ、と大きな音を立てて勢いよく開かれた。

 修介とグントラムの視線が同時に入口へと向けられる。

 入ってきたのはシンシアだった。背後にはメリッサの姿もある。


「シ、シンシア!?」「シンシアお嬢様!?」


 ふたりの声が見事に重なった。

 シンシアはぼろぼろになった修介の姿を見て小さく悲鳴をあげると、一目散に駆け寄り、跪いて修介の顔に手を伸ばした。


「シュウスケ様っ! 大丈夫ですか!? お怪我は――っ!?」


 痣だらけの修介を見てシンシアは絶句する。


「酷い……」


「た、たいした怪我ではありませんから、どうかご心配なさらず」


 修介はそう言って宥めようとしたが、シンシアの顔は怒りでみるみる赤く染まっていく。その怒りの矛先は当然のごとくグントラムへと向けられた。


「――お父様がシュウスケ様を修練の間に呼び出されたと聞いて慌てて来てみれば、これは一体どういうことですか!? どうしてシュウスケ様がこんな酷い目に遭わされているのですか!?」


「シンシアお嬢様、これは違うのです――」


「シュウスケ様、ご安心ください。シュウスケ様はわたくしがお守りしますから」


 そう言うや否やシンシアは修介の頭を庇うように抱え込んだ。

 それを見たグントラムのこめかみに血管が浮かび上がる。


「そやつに剣の稽古をつけていただけだ。別に痛めつける意図はない。それよりもちょっと近すぎるのではないか?」


「いくら剣の稽古でも、ここまですることはないではありませんか!?」


「た、たしかに興が乗ってやりすぎてしまったことは認めるが……そんなことよりもそろそろ離れたほうがよいのではないか?」


「シュウスケ様はわたくしの大切な友人であり、この領地にとっての恩人でもありましょう。そのお方に対してこのような仕打ちはあんまりではありませんか!」


「だから、その礼を言う為に呼び出したのだ。それよりも早く離れぬか!」


「お礼を言うのにどうして痛めつける必要があるのですか!?」


「ええい、いいからその男から離れろ!」


 台詞の後半部分を露骨に無視され続けたグントラムの苛々が臨界点を超えた。

 だが、シンシアは父親の怒号に動じることなく言い返す。


「離れません!」


「なんだとう!?」


「わたくしが傍を離れたら、シュウスケ様はまた酷い目に遭わされてしまいます。だから絶対に離れません!」


 シンシアはより一層力を入れて修介の頭を抱きしめた。

 顔に当たる柔らかい感触に修介の頬が思わず緩む。グントラムの憤怒に歪む顔を見て慌てて真顔に戻すも、すでに手遅れだった。


「そこをどけシンシアッ!」


「どきません!」


「そこまでして庇うとは……やはりそなたはすでにその男と……」


「そ、そのような勘繰りはおやめください!」


 強い語気とは裏腹に、シンシアの頬は恥じらいで少し赤らんでいた。

 初めて見る愛娘の表情にグントラムは激しく動揺する。だが、その動揺は一瞬にして怒りに変換され、諸悪の根源へと向けられた。


「おのれシュウスケェッ!」


「いいっ!?」


 修介は慌てて逃げようとしたが、シンシアにがっちりと顔をキープされていてはそれも叶わない。助けを求めるようにメリッサに視線を向けてみるも、彼女は例によって超然と佇んだまま関与する気はまったくなさそうだった。


「お父様のばかっ! 大っ嫌い!」


「ち、父親に向かって馬鹿とは何事かっ!」


 こうしてグントラムとシンシアとの間で壮絶な口喧嘩が勃発し、修介はその様子を強制的に見させられる羽目になったのである。

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