第169話 領主グントラム

(……これは一体どういう状況だ?)


 修介は内心の動揺を隠せなかった。

 突然、領主の使者を名乗る男が現れ、どういった理由なのかの説明もないまま半ば強制的に馬車に乗せられ屋敷まで連れてこられたのだ。

 いつものお茶会であれば門の前でメリッサが出迎えてくれるのだが、当然彼女はおらず、両脇を衛兵に挟まれ使者の後ろを歩かされている。

 修介は心細さから腰に手を伸ばしたが、アレサは門のところで取り上げられていた。

 お茶会の時はアレサを携帯したままでも許されていたが、よくよく考えてみればその対応の方がおかしいのだということに今更ながらに気付く。


 使者は屋敷の前を素通りすると、よく手入れされた庭園を抜けて屋敷から少し離れた場所に建てられた円形の建物に修介を案内した。


「えっと……?」


「ここは修練の間にございます」


「修練の間……」


 たしかに石造りの頑丈そうな建物は貴族が生活する為の家にはとても見えない。もっとも、修介が知りたいのはこの建物の名称ではなく、なぜ自分がここに呼び出されたのかということなのだが、使者はその説明をするつもりはないようだった。

 建物の中はその名にふさわしく、壁際に所狭しとあらゆる武器が並べられており、中央には模擬戦を行う為の場が設けられていた。

 今、そこにはひとりの男が立っていた。

 使者がその男に恭しく声を掛ける。


「閣下、冒険者シュウスケ様をお連れしました」


(カッカ……?)


 そう呼ばれた男を修介は見る。

 上半身が裸の汗だくの男だった。おそらく剣の稽古をしていたのだろう。手には訓練用の剣が握られている。

 その体は修介より一回りは大きく、無駄なぜい肉など一切ない筋肉の鎧に包まれており、立派な髭が蓄えられた顔は威厳に満ちていた。

 修介はこの男を一度だけ見たことがあった。宴の席で遠目から見ただけだったが、その姿を忘れるはずがなかった。


(りょ、領主グントラム……ッ!?)


 修介は電撃に打たれたかのように固まった。

 修介にとってグントラムは領主というより『シンシアのパパ』としての側面が強い。

 グントラムは娘のシンシアを溺愛していることで有名であり、そのシンシアと個人的に親しくしている修介が平静でいられるはずがなかった。

 かつてアレサに『小娘の好感度を上げるのは結構ですが、それに伴うリスクも考えてからやってください』と言われたことがあったが、そのリスクとやらがついにこうして目の前に現れたのである。


 グントラムは手拭いで汗を拭いながら近づいてくる。


「貴様がシュウスケか」


 見た目の印象通り、力強い声だった。


「は、はいっ」


 膝を折った方がいいのか修介は一瞬迷ったが、頭の位置を低くしたらそのまま首を刎ねられそうな気がして、恐ろしくて身体を動かすことができなかった。それほどまでにグントラムの双眸は鋭く、威圧感があった。これが長年領主としての重責を背負い、妖魔と戦い続けてきた男の姿なのかと、畏怖の念を覚える。

 グントラムの年齢は四十代半ばで生前の修介と同世代だったが、修介とグントラムではあまりにも男としての格が違い過ぎた。


「こうして直接会うのは初めてだな」


「はっ」


「そういえばいつぞやの戦勝会はすっぽかされたのだったな。よもや俺の誘いを断る者がいようとは、あの時は随分と驚かされたものだ」


「あ、あの時は、その、申し訳ございませんでしたっ」


 修介はしどろもどろになりながら深々と頭を下げる。口の中がカラカラでいつものように喋ることすらできなかった。


「冗談だ。そう固くなるな。俺は堅苦しいのが苦手でな」


 そう言われて「はいわかりました」と言えるはずもなく、修介は直立不動を貫く。


「俺はこのグラスター領の領主グントラムだ。知ってるとは思うがな」


「も、もちろんでございます」


「そして貴様は冒険者シュウスケ。賞金首ジュードを討ち取り、魔獣ヴァルラダンとの戦いで我が騎士団を救い、先の輸送部隊の一件でも上位妖魔グイ・レンダーの討伐に大いに貢献した若き英雄……」


 そんな大層なものではありません、と言おうとして修介は思い留まる。ヴァルラダンやグイ・レンダーとの戦いでは多くの兵士や冒険者が亡くなっている。彼らを下げるような発言はすべきではないと思ったのだ。


「……多くの兵士や冒険者の方々の奮戦があったればこそです。私の活躍はその延長線上にすぎません」


「なるほどな……」


 グントラムは値踏みするような目で修介を見る。


「今日は急に呼び出したりしてすまなかったな。こう見えて色々と忙しくてな。明日には建国祭の式典に出席する為に王都に向かわねばならんせいで、今日のこの時間しか空いてなかったのだ」


「は、はぁ……」


 どう返していいのかわからず、修介は中途半端な相槌を打つ。

 その反応を見てグントラムの口の端が上がる。さながら獲物を見つけた猛獣のようだと修介は思った。


「なぜ連れてこられたのかわからない、といった顔だな」


 修介は黙ったまま神妙に頷く。


「噂の若き英雄の顔が見たかったからだ。それとは別に貴様には一度礼を言わねばならんと思っていたこともあるしな」


「さ、先ほども申し上げましたが、私ひとりの手柄ではありませんので……」


「そのことではない」


「は?」


 きょとんとする修介を無視して、グントラムは背後に控えていた使者と衛兵に向かって手を振った。彼らは一礼すると音もなく出て行った。

 衛兵があっさりと下がったことに修介は驚く。いくら丸腰とはいえ君主とふたりきりにするなど普通ならあり得ないだろう。

 信用されているのか、それとも取るに足らない雑魚と認識されているのか。できれば前者であってもらいたいと修介は思ったが、いずれにせよ領主グントラムが噂に違わぬ豪放な人物であることは間違いなさそうだった。


 グントラムは呆然とする修介に一歩近づくと、その肩に手を置いて静かに告げた。


「……貴様には二度、娘の命を救ってもらったそうだな。領主としてではなく、あの娘の父親として礼を言わせてくれ」


 修介は慌てて手を振る。


「え、いや、あの……と、当然のことをしたまでですから」


 領主に礼を言われたことよりも、別の事で修介は混乱していた。

 グントラムは「二度」と言った。修介はたしかにシンシアの危機を二度救っていた。一度目はこの世界に転移してきた日。そして二度目は輸送部隊での一件である。

 問題は一度目の件をグントラムが知っていることだった。あの件はセオドニーによって口止めされていたはずである。

 それを知っているということは、グントラムは修介と会う前にきっちりと下調べをしていたということだった。おそらく修介が訓練場にいたことも、そうなった経緯も聞き及んでいるに違いなかった。


(待て……)


 修介の背筋を冷たい汗が流れる。

 それはつまり、修介とシンシアの宴の時の様子や市井での噂話も当然耳にしている可能性が高いということだった。

 ここに来て修介は自分が割とやばい状況に追い込まれているのではないかということに気付く。

 グントラムの表情は、その予測が正しいことを正確に告げていた。


「……で、だ。貴様は娘とどういう関係なのだ? ん?」


「え……?」


「聞くところによると、なにやら娘は貴様にいたくご執心のようではないか」


 ひくひくと動くグントラムのこめかみを見て修介は焦る。


「そ、そのようなことは……」


「俺が何も知らないとでも思っているのか? 俺が留守の時に娘が何度か貴様を屋敷に招待していたようではないか」


「お、お茶をご馳走になっただけです」


「本当にそれだけか?」グントラムの眼光が鋭さを増す。


「もももちろんです! シンシアお嬢様には、とてもよくしていただいておりますが、閣下がご心配になるような関係ではございません!」


「娘には手を出していない、と?」


「当然でございます!」


「その言葉に嘘偽りなかろうな?」


 修介は必死に首を縦に振った。

 だが、それを見たグントラムのまなじりが上がる。


「……つまり何か? 貴様は俺の娘では不服だと言いたいのか!?」


 肩を掴むグントラムの手に力が込められた。

 肩当てがみしみしと嫌な音を立てる。


「けっ、決してそのようなことは!」


 どないせいっちゅーねん、とツッコミを入れそうになるのを修介は全力で堪える。

 とはいえ、もし本当にシンシアに手を出していたとしたら間違いなくその嘘は見抜かれていただろう。疚しさがゼロではないだけに生きた心地がしなかった。


 グントラムは我に返ったのか、修介の肩から手を離すと大きく息を吐きだした。


「……娘も年頃だ。そろそろ色恋のひとつも覚える頃合いだろう。俺は娘を誰よりも愛しているし、その幸せを願っている。だから娘が真に結ばれたいと願う相手が現れたのなら、それが誰であろうと認める覚悟はある」


 その言葉とは裏腹にグントラムの顔は苦渋に満ちていた。理性と感情が激しくぶつかり合っているのがよくわかる顔だった。修介は独身で子を持ったことはなかったが、シンシアのような愛らしい娘がいれば、それはもう溺愛すること請け合いである。故に、グントラムの苦悩もなんとなくわかるつもりだった。


「――だがな、いざその相手が目の前に現れれば、怒りのひとつも覚えようというものではないか。そうは思わんか?!」


「そ、そうですね」


 その当事者に向かって聞かれても困るだけなのだが、修介はとりあえず同調しておく。


「娘の夫になる者は強い戦士でなくてはならん。いや、ただ強いだけでは駄目だ。曲がりなりにも辺境伯の娘の相手ともなればそれなりの格というものも必要だろう。少なくとも一介の冒険者に大切な娘はやれん」


「……」


 なにやら話が変な方向に進んでいた。

 これではまるで交際相手の父親に結婚を反対されている男のようではないか。自分は結婚の許しを得にきたわけではなく、単に呼び出されただけなのだ。修介は心の中でそう叫ぶ。

 だが、次にグントラムが放った一言は修介の思考の斜め上を行った。


「――冒険者シュウスケよ、俺に仕える気はないか?」

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