第167話 魔剣の主
通路に出た修介は少し離れた角を曲がったところで立ち止まると、アレサを鞘から引き抜いた。
アレサの刀身は半ばから先が折れてなくなっていた。わかっていてもその姿を見る度に胸が締め付けられる。
「どうした? なにか具合でも悪くなったのか?」
修介は気遣うように声を掛ける。
『いえ、そういうわけではありません』
「ならどうしたんだよ? いきなりびっくりするだろう」
『申し訳ありません。どうしてもマスターにお願いしたいことがありましたので』
「お願い?」
この世界に来てから、アレサから願い事をされたことなど一度もなかった。
これまで一方的に頼ってばかりいただけに、逆の立場になれるというのは修介にとって純粋に喜ばしいことだった。
「よしわかった、なんでも言ってくれ。ただ、あまり長いあいだ席を外しているとみんなに怪しまれるから手短にな」
『……では単刀直入に申し上げます。マスターが今お持ちになっている魔剣……その魔剣を私の新しい身体にしてください』
「え? この魔剣を?」
予想外の要求に、修介は思わず腰にある魔剣に手を伸ばした。
魔剣は戦闘終了後も修介がそのまま持ち歩いていたが、街に戻ったらサラを通じて然るべき方法で魔法学院に保管してもらう予定になっていた。
「いや、こいつは危険だから魔法学院に保管してもらおうって話になったのはお前だって知ってるだろ? 万が一、他人の手に渡ったら大変なことになるから、いくらなんでも俺が使うことにはみんな反対すると思うぞ?」
『大丈夫です。魔術娘が調べればすぐにわかることなので私から説明してしまいますが、その魔剣には狂戦士化する力はもう残っていません』
「え、そうなの?」
『魔剣に掛けられた狂戦士化の術は、持ち手の精神を支配すると同時に、次に術を発動させる為のマナを強制的に持ち手から奪うことで維持されていたのです。マナを持たないマスターが手に取った時点でそのサイクルは崩れているので、もう二度と術が発動することはありません』
「ってことは、もうこの魔剣には魔剣としての力は残ってないのか? その割には相当な切れ味だったけど……」
『狂戦士化の術は魔剣の作成時ではなく、後から別の術者によって掛けられた術です。なので今は本来の魔剣の姿に戻った、というのが正確な表現になります』
そう言われて修介は合点がいった。たしかにヴァレイラが操られていた時の魔剣は紫色の光を放っていたが、マンティコアとの戦いの時には白い光に変わっていた。狂戦士化の術が消えたことで、元々の魔剣としての色に戻ったということなのだろう。
「……で、この魔剣が危険な代物ではなくなったということは理解したけど、どうしてアレサはそこまでして俺に魔剣を持たせたいのさ?」
『その魔剣が今後マスターが冒険者を続けていくうえで必要不可欠な存在となるからです』
「そ、そこまで?」
『これも魔術娘が調べればわかることなので私から説明してしまいますが、この世界の人間は魔力を高めることで魔法のダメージを軽減させることができます。ですが、マナのないマスターにはそれができません。つまり、攻撃魔法を受けた場合、マスターだけ大ダメージを負う可能性が高いのです』
「……マジか」
修介は愕然とする。
攻撃魔法でダメージを受けることはマンティコアとの戦いではっきりしたが、受けるダメージがこの世界の人間よりも大きいというのは想定外の事実だった。
このことはさすがのサラも気付いていなかったに違いない。知っていれば、さすがに攻撃魔法を試そうとはしなかっただろう。いや、もしかしたら途中でその可能性に気付いたからこそ、あまり実験実験と騒がなくなったのかもしれない。
いずれにせよ、攻撃魔法のダメージ問題は今後冒険者として戦っていくなかで文字通り致命傷になりかねない大問題だった。
『――ですが、強力な魔剣は相手の攻撃魔法を弾くことができます』
アレサのその言葉はまさしく福音だった。
「そうか、それでこの魔剣が役に立つってわけか……」
修介は魔剣でマンティコアの魔法を弾いたときのことを思い出した。
いくら強力な魔法でも体に当たらなければダメージを負うことはない。
物理的な攻撃魔法を魔剣で弾き、状態異常系の魔法は体質によって封殺する。魔剣を持つことで今度こそ魔法に対する鉄壁の防御力を手に入れられるのだ。
『無論、広範囲の攻撃魔法は防げませんし、そもそもマスターが防ぎ損ねれば意味はありません。ただ、それでも何もないよりはマシでしょう』
「お、おう……」
鉄壁の防御力とやらは一瞬で崩れ去っていた。
『おそらくこの後パーティ内で財宝の分配が行われるでしょう。マスターはどのような手段を使ってでもその魔剣を手に入れてください』
「と言ってもなぁ、この魔剣に危険がないとわかったら、それはそれで取り合いになるんじゃないかな。この世界の魔剣って相当な価値があるらしいぜ?」
一口に魔剣といっても、性能や効果は個体によって異なる。当然その価値もピンキリになるわけだが、修介が手にしている魔剣は間違いなくピンの部類に入るだろう。それがわかっていて他人に譲るようなお人好しがいるとは修介には到底思えなかった。
『そこはマスターの頑張り次第としか言えませんね。長い人生経験とやらを活かして言葉巧みに説得してください』
「簡単に言ってくれるな……」
他人と争ってまで欲しい物を手に入れようとした経験がない修介にとって、説得はなかなか骨が折れる作業になりそうだった。
「……しかし、下手に魔剣持ちになんてなったら悪目立ちしそうだな」
『それはもう今更でしょう。すでにマスターは十分に注目を集める存在となってしまっています。目立つデメリットよりも魔剣を持つメリットの方が大きいと判断します』
「まぁ、たしかに今更感はあるわな……」
魔獣ヴァルラダン討伐戦で活躍した三英雄のひとりにして、妖魔の襲撃から領主の娘を守りきり、最強の騎士ランドルフと共に上位妖魔を討伐した新進気鋭の冒険者――それが最近のグラスターの街での修介の評判だった。
(すごいな、そのシュウスケとかいう奴は)
当の本人は、まるで他人事のように現状を捉えていた。
たしかに最近は街を歩いていて声を掛けられる回数も多くなっていた。黒髪が目立つということもあるだろう。
噂の英雄とやらの本当の実力を知っている本人からすれば、周囲の高評価は嬉しいというよりも戸惑いの方が大きかった。
だが、今はその名声すら利用できるようなしたたかさを持たねばならない。
はったりも通れば実力。
本当の実力は今後の努力で補っていくしかないのである。その為にも、魔剣の力は必要なものだと修介は考えた。
「……わかった。アレサの言う通り、この魔剣は俺が手に入れる」
修介はそう宣言して皆の待つ部屋へと戻った。
結論から言えば、修介の魔剣の所持はあっさりと認められた。
アレサの言葉が正しいことは、サラが魔剣を調べたことですぐに証明された。
狂戦士化の危険がなくなったことで、ノルガドは「なら別に構わんじゃろ」と事も無げに認め、サラは「後で詳しく調べさせてくれるなら」という条件を付けたものの、積極的に修介が魔剣を所持することに賛成してくれた。
てっきり魔剣を欲しがると思われたヴァレイラは、むしろ嫌そうな顔で「そいつとは二度と関わり合いになりたくないね」としっしっと手を振った。魔剣に操られたことがすっかりトラウマになってしまったようだったが、それでも「シュウも魔剣持ちになりゃ少しはマシになるだろ」と所持を認めてくれた。
エーベルトに至っては不愛想に頷いただけで、何も言わなかった。
唯一、マッキオだけは売却して金を分配することを希望したが、普段の行いのせいか、その意見に賛同する者は誰もおらず、最終的には「坊主の活躍のおかげでわしらはこうして財宝にありつけたんじゃから、坊主にはそれくらいの要求をする権利があるじゃろう」というノルガドの言葉によって渋々引き下がった。
「そいつはおぬしの剣じゃ。大切に使え」
ノルガドがそう宣言したことで、魔剣は正式に修介の物となった。
こうして、修介はグラスター領でも数人しかいないとされる『魔剣持ち』の冒険者となったのである。
その後、財宝の分配を行い、討伐の証拠としてマンティコアの首を回収した一行は、うんざりするような長い登り階段と洞窟を抜け地上へと戻った。
久々の外の世界は、すっかり夜の帳が下りていた。
修介はそんなに長時間地下に潜っていたのかと驚く。せっかく地上に戻ってきたのに、陽の光に当たれないことが少し残念だった。
一行はそのまま洞窟の入口付近で夜営を行う。
各々が焚火の周りで身体を休め、手に入れた財宝を嬉しそうに検分していた。
地下遺跡にあった財宝の数はそれほど多くはなかったが、魔法帝国時代の財宝の価値は計り知れず、どれかひとつでも売却すれば魔獣討伐依頼を複数回こなす以上の収入になるだろう。
依頼である獣の討伐も果たし、予想以上の財宝を手に入れることが出来た為、パーティの雰囲気は明るかった。
「それで、結局サラは何を手に入れたんだ?」
修介は杖の先端に光の術を掛けて手元を一心に見ているサラに声を掛けた。
「これよ」
サラの手にはソフトボールくらいの大きさの水晶玉が握られていた。
見た目は透明のガラス玉だったが、中ではプラズマボールのように色鮮やかな光が中心部から外縁部に向けて放射され続けており、ただ綺麗なだけということは絶対になさそうな雰囲気を醸し出していた。
「これってあの台座の上にあった黒い箱の中にあったやつ?」
「そうよ」
「何に使うの?」
「さぁ? わからないわ」サラはあっさりと言った。
「わかんないのにそれを選んだのか?」
「わからないからこそ、よ。これがなんなのかをじっくりと調べるのが楽しいんじゃない」
「そういうもんかね」
「だって魔法王サーヴィンの地下遺跡の、しかも隠し通路の奥のあんな魔法が掛けられた扉に守られた部屋にあった一番怪しげな物なのよ? きっと凄い物に違いないわ。見た目もそうだけど、一切魔力を感じないのが特に怪しいわね。材質も不明だし、これは調べ甲斐があるわ」
「……そうか、良かったな」
財宝のなかには女性が喜びそうな装飾品も色々あったはずなのに、そういった物には目もくれず用途不明な水晶玉を欲しがるあたりがいかにもサラらしいなと修介は思った。
むしろそういった装飾品の類はヴァレイラが喜々として手に取っていた。
ヴァレイラとてうら若い女性なのだから別におかしくはないのだが、装飾品を手に取り笑顔を浮かべる彼女の姿は、どう見てもお宝を前にした山賊の頭にしか見えなかった。本人の前で言ったら殺されるので絶対に口には出さないが。
ほくほく顔で水晶玉についての推論を語るサラに適当に相槌を打ちつつ、修介は未だに幻覚の術で隠されている洞窟の入口へと視線を向けた。
そしてふと疑問に思う。
なぜマンティコアは地下遺跡にいたのか。
そして、なぜ地下遺跡の奥深くまで妖魔を運ぶという手間をかけてまで、あの扉を開けようとしていたのか。
麻痺の術を使ってパーティを無力化しようとしたこともそうだ。マンティコアの目的はパーティの全滅ではなく、あきらかにあの扉を開けることにあった。
そして、死に瀕した際にマンティコアが見せたあの執念……。命を賭してでも手に入れたいと願う何かが、あの部屋にはあったのだろうか。
修介はサラの手にある水晶玉に視線を移す。
もしかしたらこの水晶玉がマンティコアの欲していた物なのかもしれない。そう考えた途端、水晶玉がとてつもなく危険な物に見えた。
ひょっとしたら、これは外に持ち出してはいけない物なのではないか。そんな考えが脳裏を過る。
もっとも、そんな根拠のないことをサラに言ったところで、彼女はこの水晶玉を手放したりはしないだろう。それに、答えを知る可能性を持った唯一の存在はすでに首だけになっており、いくら考えたところで真実を知る術はもうないのだ。
「ちょっと、聞いてる?」
袖を引っ張られたことで修介の思考は中断を余儀なくされた。
「もちろん聞いてるよ」
修介は取り繕うように笑顔を浮かべた。
「本当に? 心ここにあらずって感じの顔してたわよ」
「気のせいだろ。俺の心はいつだってサラと共にあるよ」
「ばっかじゃないの?」
冷ややかな言葉が返ってきたが、サラの表情は相変わらず上機嫌のままだった。鼻歌混じりに水晶玉を光にかざしたりしている。
修介はそんなサラの様子を見て、やめよう、と小さく首を振った。
色々と考え過ぎるのは悪い癖だった。それが建設的なものなら良いのだが、大抵は悪い事ばかり考えて負のスパイラルに陥るのだから始末に悪い。
大きな仕事を終えて、これ以上にないくらいの報酬も得た。古代魔法帝国の地下遺跡を探索するという夢も叶い、全員が無事に帰ってこられたのだ。
今はそのことを素直に喜ぼう。
心地よい疲労感に浸りながら、修介は夜空を見上げたのだった。
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