第165話 共闘
エーベルトは激しい怒りを覚えていた。
敵の存在に真っ先に気付いておきながら、ろくに抵抗もできずに麻痺の術によって戦闘不能にさせられたのだ。
これがひとりであったなら、とっくになぶり殺しにされていただろう。
いま自分の命を繋いでくれているのは、あろうことかその在り方を否定したばかりの修介だった。
(俺は……俺は何をやっているんだ……ッ!)
誰にも頼らない――そう誓ったはずなのに、結局は他人に助けられている。
しかも、助けられたのは今回が初めてではない。魔獣ヴァルラダンとの戦いでも修介に命を救われているのだ。
その事実が灼熱の炎となってエーベルトの心を容赦なく焼き尽くしていく。
だが、激情に駆られながらも、もうひとりの自分がどこか冷めた気持ちで魔獣ヴァルラダンとの戦いを思い出していた。
修介とノルガドが魔獣に追われていた時、自分ひとりで魔獣を止められないと判断したエーベルトは他の冒険者に檄を飛ばした。
それが答えだった。
口では偉そうに言っておきながら、無意識のうちに他人を頼っていたのだ。
「本当に困った時に誰かに助けを求められることこそ本当の強さなんだと、母さんは思うわ。父さんも母さんも、そしてジュンも……みんなそうやって互いに支え合ってきたのよ」
かつてエーベルトが父とジュンを罵った時に、母に言われた言葉が脳裏に蘇る。
父はなぜジュンを助けようとしたのか。
ジュンはなぜ父に助けを求めたのか。
それは、考えうるすべての手段を駆使して魔神に勝とうとしていたからだった。
人ひとりにできることには限界がある。
ひとりでは倒せない敵などいくらでもいる。
父は家族を捨てたのではない。ジュンを助け、彼の家族を取り戻し、そして自身も家族の元へ帰るつもりでいた。仲間と力を合わせれば魔神に打ち勝てると、そう信じて戦いに赴いたのだ。
自分たちの望んだ未来を勝ち取る為に、全力を尽くしたのだ。
――そんなことはとっくの昔にわかっていた。
わかっていて、エーベルトはそれを認めることができなかった。
そんな理屈を超越した高みに登り詰めたいと心から望んでいた。
その為に十年間、ひとりで戦い続けてきたのだ。
たとえ神々が修介の在り方を祝福したとしても……それでもエーベルトは己の在り方を変えるつもりはなかった。
だからこそ、これ以上あの男に守られることだけは絶対に許せなかった。
エーベルトは呼吸を整え、意識を集中する。
そして、侵入してきた魔力を自身の魔力で外へ押し流すイメージを頭の中に描く。
それが幼い頃に母から教わった魔法への対処法だった。
だが、マンティコアの魔力の強さは並ではなかった。中途半端な魔力では太刀打ちできないだろう。
エーベルトは目を閉じて全身のマナを体の一点に集中させる。
「エーベルトは剣よりも魔法のほうが向いているわよ」
父の傍らで剣の素振りをするエーベルトを見ながら、母はいつもそう言っていた。
その言葉を信じ、エーベルトは限界まで高めた魔力を一気に爆発させた。
全身がびくんと大きく跳ねる。
次の瞬間、エーベルトの身体を蝕んでいた麻痺の術が解けた。
凄まじい倦怠感が全身を襲うが、エーベルトは気合でそれを振り払った。
顔を上げると、まさにマンティコアが倒れている修介に止めを刺そうと尻尾を振り上げていた。
「させるかッ!」
借りを作ったまま死なれるなど、戦士としての矜持が許さなかった。
エーベルトは一瞬でマンティコアとの距離を詰めると、手にした二刀で振り下ろされる尻尾を横薙ぎに斬り飛ばした。
完全に不意を突かれたマンティコアは、苦痛に身を捩りながら半分の長さになった自身の尻尾を驚愕の眼差しで見た。
その目に向かってエーベルトは容赦なく剣を突き出す。
「ギャアアアァァッ!」
片目を抉られたマンティコアは絶叫して床を転げまわる。
エーベルトはその隙を突いて落ちている魔剣を修介に向けて蹴った。
修介はそれを掴むと、魔法の網を切り裂いて脱出に成功した。
「助かったよ……ありがとうエーベルト」
笑顔を向けてくる修介をエーベルトは露骨に無視したが、修介は特に気にした様子もなくエーベルトの横に並んで剣を構えた。
「……あんたは下がってろ」
エーベルトは前を向いたまま冷たく言い放つ。
「もしかして怪我の心配をしてくれてるのか? だったら大丈夫だ。まだやれる」
「……」
エーベルトが下がってろと言ったのは純粋に修介が邪魔だったからだが、当の本人はそんなエーベルトの意図には気付かず「おしっ!」と気合を入れていた。
やはりこいつは気に食わないと思ったが、今はこの男に構っている場合ではない。エーベルトはそのまま修介を無視して一歩前に出た。
それを見た修介が慌てて声を上げる。
「あいつはだいぶ弱ってる。ふたり掛かりでなら――」
だが、修介が言い終わるよりも先に、エーベルトは床を蹴っていた。
完全に出遅れた修介は、エーベルトの圧倒的な戦いぶりをただ茫然と見守るだけの存在となっていた。
エーベルトはマンティコアの周囲を舞を踊るかのように華麗に動き回り、攻撃しては離れるといった一撃離脱戦法を繰り返す。
蝶のように舞い、蜂のように刺す――エーベルトの戦い方はまさにその言葉を体現していた。
マンティコアはエーベルトの素早い動きに完全に翻弄されていた。懸命に前足の爪を振り回すも、その攻撃はエーベルトの影すら捉えられていなかった。斬りつけられる度に苦痛の悲鳴を漏らし、その動きが徐々に鈍くなっていく。
誰の目から見ても勝負は決しているように見えた。
だが、どれだけ傷つけられても抵抗を止めないマンティコアの鬼気迫る姿に、修介は言いようのない不安を感じていた。
完全に死に体のはずなのに、マンティコアの目はまだ輝きを失っていない。
このまま勝負を長引かせるのはまずい――修介はそう判断し、魔剣を構えて走り出す。
そして、前足を上げてエーベルトに圧し掛かろうとしているマンティコアの胴体に容赦なく魔剣を突き入れた。
凄まじい悲鳴が耳朶を打つ。
間髪容れずに、エーベルトも双剣をマンティコアの体内に埋め込んでいた。
三本の剣に刺し貫かれたマンティコアは、それでも死ななかった。それどころか修介とエーベルトを押しつぶそうとさらに体重をかけて圧し掛かってくる。
「――こいつッ!」
修介は負けじと全力で魔剣を押し込む。
マンティコアと目が合った。
血まみれのその顔には、笑みが張り付いていた。そして、ごぼごぼと血を吹き出すその口から魔法の詠唱が漏れ聞こえてきた。
この状況下で魔法を使おうとするマンティコアの凄まじい執念に背筋が凍り付く。なんの魔法であれ、それが良い効果をもたらすものではないことは確実だった。
修介は魔剣を捩じるようにさらに奥へと突き入れた。
しかし、マンティコアの詠唱は止まらない。
「くそがッ!」
やむなく飛び退ろうとしたその時、修介はマンティコアの背後にある扉の存在に気付いた。
あれが触れた者の命を奪うというのなら、このマンティコアとて例外ではないはず。
ならば――修介は瞬時に決断した。
「エーベルト、扉に押し込むぞッ!」
エーベルトも修介の意図にすぐに気付き、ふたり掛かりでマンティコアを扉に押し込もうとした。
だが、負傷した修介と小柄なエーベルトのふたりだけでは、マンティコアの巨体を押し込むにはあまりにも力不足だった。
せめてあともうひとりいれば――そう修介が思った直後、脳裏に閃光が走る。
五体満足な、それも相当な腕力を持った人間が、この場にひとり残っていることを思い出したのだ。
修介は迷わずその男の名を叫んだ。
「マッキオ、手を貸せッ!」
入口の影からこっそり様子を伺っていたマッキオは電撃に撃たれたかのように身体をびくっとさせた。
「は? 僕? じょ、冗談じゃない! 断るッ!」
「いいからッ! こいつを使えば、扉が開くかもしれねーんだぞッ!」
修介がそう叫んだ直後――遥か後方にいたはずのマッキオが、一瞬にして修介の背後に迫っていた。
「ふんぬううううぅぅぅッ!」
マッキオは額からマンティコアにぶつかった。その体型も相まって、まるで力士のぶちかましのようだった。
修介とエーベルトはマッキオの巨体に弾かれ左右に吹き飛ばされる。
だが、マッキオはそんなことおかまいなしとばかりにマンティコアを抱えたまま一直線に突き進み、勢いよくその身体を扉へ叩きつけた。
すると、扉からどす黒い瘴気を纏った不気味な触手が次々と現れ、マンティコアの身体を捕えた。
凄まじい咆哮が上がる。
マンティコアは触手から逃れようと必死にもがくも、強大な魔力で生み出された触手は決してマンティコアの身体を離すことはなかった。
マンティコアの身体がみるみる萎れていく。
その凄惨な光景を、修介は座り込んだまま呆然と見守った。
数秒後、地面には干からびたマンティコアの死体が横たわっていた。
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