第164話 ご武運を

 希望の光は意外な人物によってもたらされた。


「シュウスケくん!」


 突然、部屋の入口から声がした。

 そこには息を切らしたマッキオが立っていた。


「これを使えッ!」


 叫ぶと同時にマッキオは修介に向かって手にした剣を放り投げた。

 修介は慌ててそれを掴み取る。


「こ、これは――!?」


 手にした剣は、あの魔剣――狂戦士の剣だった。

 なぜマッキオが魔剣を持っているのか。なぜ彼には麻痺の術が効かなかったのか。そもそも、いつの間に姿を消していたのか。

 様々な疑問が頭に浮かんだが、修介は頭を振って雑念を追い払う。

 戦う為の武器があるのならば、戦士のやることはひとつだけだった。


 ここからは時間稼ぎの為の戦いではない。

 絶対に勝たなければならない戦いだった。


「アレサ、ちょっとだけ待っててくれ」


 修介はそう呟いて折れたアレサをそっと床に置いた。


『ご武運を』


 アレサからの返答に修介はしっかりと頷くと、勢いよく魔剣を鞘から抜き放った。

 紫の光を放っていたはずの刀身が、今は白い光を放っていた。

 あのとき頭に響いた怪しげな声も聞こえてこない。

 だが、今はそんなことどうでもよかった。


「うおおおおおおぉぉッ!」


 修介は気合の雄叫びを上げ、白く輝く魔剣を構えてマンティコアに突進した。

 マンティコアは後ろに大きく飛び退いて距離を取る。修介が新たな武器を手にしたのを見て接近戦を避けたのだ。

 魔法攻撃に晒される覚悟で、修介は真っ直ぐにマンティコアに突っ込む。動き回って魔力の矢を回避し続けるだけの体力が残っていないという情けない事情があったからだが、手にしているのが強力な魔剣であるというのも大きな理由だった。

 修介は魔剣に操られたヴァレイラが魔法の網を切り裂いたところを見ていた。

 マッキオがわざわざ魔剣を取りに行ったのも、相手が魔法を使うと知ってこの魔剣の力が有効だと考えたからに違いないと、そう思ったのだ。

 頼りない根拠だったが、今はマッキオの判断と魔剣の力を信じるしかなかった。


 マンティコアから魔力の矢が放たれる。


「でやぁッ!!」


 気合の声と共に修介は魔剣を振り抜く。

 魔剣に切り裂かれ、魔力の矢はあっさりと空中で霧散した。


「なっ――!?」


 マンティコアの目が驚愕に見開かれる。

 修介はそのままの勢いでマンティコアに斬りかかる――と見せかけて、剣を振るう直前で大きく右に跳んだ。

 一瞬前まで修介がいた場所に、マンティコアの尾が突き刺さっていた。


「そう何度も同じ手を喰らうかよッ!」


 驚くマンティコアを横目に、修介は魔剣を閃かせた。

 無理な体勢から強引に放った一撃だったが、魔剣の切っ先はマンティコアの脇腹を深々と切り裂いていた。


「グオオオオォォッ!」


 マンティコアが地面をのたうち回る。傷口から飛び散った血が周辺の床に赤いまだら模様を作っていく。


「こ、これが魔剣……」


 その予想以上の攻撃力に、修介は追撃することも忘れて、思わず手にした魔剣を見つめていた。

 アレサで斬ってもあそこまでの深手を負わせることはできなかっただろう。おまけにこの魔剣は相手の攻撃魔法を簡単に弾いてのけたのだ。

 わずか二回振っただけで、この魔剣がとてつもない力を持っていることがわかった。


「おのれ……おのれェ……」


 マンティコアが呪詛の声を漏らしながら起き上がる。

 だが、その足がふらついているのを修介は見逃さなかった。これまでの戦いで与えたダメージは間違いなくマンティコアの命を削っているのだ。


(これは……勝てる!)


 勝機を見出した修介は、それを掴み取るべくマンティコアに向かって突貫した。

 その直後、マンティコアの視線が近くで倒れているヴァレイラへと注がれた。その表情が愉悦に歪む。

 修介はその意図に気付いて全速力でヴァレイラの元へ走ったが、わずかにマンティコアの方が早かった。


「動くな! 動けばこの人間は死ぬぞ!」


 マンティコアの声に、修介は慌てて足を止める。

 ヴァレイラの首筋には尻尾の先端が突きつけられていた。


「わしの毒はな、二度目は確実に命を奪うぞ。なんなら、今試してやろうか?」


「てめぇ……」


「さぁ、その厄介な剣を捨ててもらおうかの」


 そう言いながら、マンティコアはこれ見よがしに尻尾の先端でヴァレイラの首筋を撫でてみせる。


「……くそッ!」


 修介は歯ぎしりする。

 このまま魔剣を手放せば殺される――それがわかっていながら、修介には魔剣を手放す以外の選択肢がなかった。

 ドラマや映画で似たようなシチュエーションを何度も見たことがあった。

 その度に「敵の言うことを聞いてしまったら、どの道みんな殺されるんだから一か八かで攻撃すればいいのに」と思っていた。

 だが、現実にそんな選択肢を突きつけられたら、とてもそんな思考には至れないのだと理解した。

 短い付き合いだが、ヴァレイラは剣の師であり、いくつもの戦いを共に潜り抜けてきたかけがえのない仲間だった。

 そのヴァレイラが、自分の選択ひとつで目の前で殺されるかもしれない。 

 もしそうなったら自分が彼女を殺したようなものだ。

 頭では違うとわかっていても、そうとしか考えられなくなっていた。

 人ひとりの命か、他の仲間全員の命か。数で言えば考えるまでもないはずなのに、修介にはヴァレイラを見捨てるという選択肢を選ぶことができなかった。


「ちくしょう……ッ!」


 修介は構えをといて魔剣を遠くに放ろうとした。

 その時、痺れて動けないはずのヴァレイラの体が動いた。

 ヴァレイラは震える手で短刀を取り出し、自らの首に刃を押し当てようとする。


「ヴァルッ!?」


 修介は思わず声を上げていた。

 その声でヴァレイラの動きに気付いたマンティコアが尻尾で短刀を弾き飛ばした。


「まったく、油断も隙もないの」


 そう言ってマンティコアは前足でヴァレイラの身体を踏みつけた。


「がはっ!」


 踏みつけられたヴァレイラは苦悶の表情を浮かべながらも、その目は修介を見据えたままだった。


「ヴァル……ッ!」


 ヴァレイラが何を訴えているのか。それは先ほどの行動がはっきりと物語っていた。

 あたしに構わずこいつを殺れ――そう言っているのだ。

 しかも、修介の甘い性格では口で言ってもその選択肢を選ばないことがわかっていたからこそ、彼女は何も言わずに自らの命を絶とうとしたのだ。

 その事実に修介は愕然とする。

 自分には自らの命を絶つ勇気なんて欠片もない。それどころか、パーティを組んで仲間と共に戦うにあたって、こういった事態に陥った時に自分がどうするのかさえ真剣に考えていなかった。

 自分が切り捨てられる覚悟も、仲間を見捨てる覚悟も、そのどちらも持っていなかったのだ。

 修介はあらためて自分とこの世界の戦士との差を思い知らされていた。

 そして、そんな決断を彼女にさせてしまったことに激しい怒りを覚えた。

 仲間の死に責任を負いたくない。

 罪の意識を背負いたくない。

 そんな甘い考えは通用しないのだ。パーティの全滅を避ける為に誰かの犠牲が必要ならば、自身の感情を押し殺してでも、その選択肢を選ばなければならない時がある。

 自分がここで腹を括らねば、ヴァレイラの覚悟が無駄になるのだ。


「ヴァル、俺は……ッ!!」


 修介は拳を強く握りしめる。

 そして、迷いを断ち切るように魔剣を正眼に構えた。


 だが、マンティコアはそれを見て不気味に笑う。


「ひひっ、正しい判断じゃ。だが所詮は人間よな。迷うた時点できさまの負けじゃ!」


 嘲るように言い放つと、マンティコアは密かに詠唱していた魔法を発動させた。その眼前に複数の魔法文字が現れ、一気に弾けた。


 直後に修介の後方頭上に魔法陣が現れる。

 魔法陣は瞬く間に銀色の網へと姿を変え、背後から覆いかぶさるようにして修介に襲い掛かった。

 虚を突かれた修介は躱すこともできずに銀色の網に絡みつかれる。


「うわぁッ!」


 倒れた拍子に魔剣が手から離れて甲高い音を立てて床を転がった。

 修介は懸命に手を伸ばして魔剣を拾おうとしたが、網に触れた腕や足に鋭い痛みが走って動くことができなかった。


「わしの捕縛の術は他とは一味違うぞ。無理に動こうとすれば魔法の網がきさまの肉体を容赦なく切り刻むじゃろう」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、マンティコアは倒れている修介の元へゆっくりと近づいていく。


(ちくしょう、まただ、また俺は……ッ!)


 グイ・レンダーとの戦いの時と同じだった。あとわずかというところまで追い詰めておきながら、勝利に手が届かない。

 情けなさと悔しさで眩暈がした。

 自分の覚悟のなさや甘さがこの結果を招いたのだ。

 心の弱さに付け込まれたのだ。


「ごめん、ヴァル……ごめん、みんな……」


 修介は床を見つめながら力なく呟いた。

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