第163話 絶体絶命
マンティコアは邪魔をした女戦士を無視して視線をドワーフの方へと向ける。
ドワーフが魔法を使って倒れた仲間を回復させていた。
「……あのドワーフ、神聖魔法の使い手か」
マンティコアは忌々しそうに口元を歪める。
「どうやら、先にあやつを潰す必要がありそうじゃな」
言うと同時にマンティコアは後方に大きく飛び退り、ノルガドを対象にして魔法の詠唱を開始した。
「――させるかよッ!」ヴァレイラがマンティコアとの距離を一気に詰める。
その予想外の速さにマンティコアは慌てて詠唱を中断すると、巨体を起こして覆いかぶさるようにヴァレイラに飛び掛かった。
ヴァレイラは左に跳んでそれを躱し、すれ違いざまに剣を一閃させる。
マンティコアは空中で全身を捻るようにしてそれを躱した。
だが、そこへすかさず修介が斬りかかり、胴体部分に傷を負わせた。
「貴様……っ!」マンティコアの顔が憤怒に染まる。
「この程度の傷で寝てられるかよッ!」
修介は吼える。肩からは止めどなく血が流れているが、アドレナリンが出ているおかげか痛みはほとんどなかった。魔力の矢が一番頑丈な肩当てに当たったことも幸いしただろう。
「いくぞ、シュウ!」
「おうっ!」
修介とヴァレイラはマンティコアを挟み込むように走り出す。そしてマンティコアに的を絞らせないように時間差を付けて攻撃する。
いくつもの戦いを潜り抜けてきたふたりの連携は、デーヴァンとイニアーのそれには及ばないものの、中位妖魔であれば圧倒できるだけの練度を誇っていた。
だが、マンティコアは左右に素早く動いてふたりの攻撃に空を切らせた。
「顔はあれでも、さすがは獣といったところか……」
マンティコアの俊敏な動きにヴァレイラは舌を巻いた。それでもふたり掛かりであれば倒せない相手ではないと冷静に分析する。
ヴァレイラは視線で修介に合図を送ると、タイミングを合わせて再びマンティコアに攻撃を仕掛けた。
マンティコアはこのまま二人を同時に相手をするのは不利だと判断し、一撃をもらう覚悟で正面からヴァレイラに向かって体当たりを敢行した。
不意を突かれたヴァレイラは躱すことができずにそれをまともに喰らった。
「ぐはっ!?」
吹き飛ばされたヴァレイラが地面を転がる。
「ヴァルッ!」
修介はすかさず斬りかかるも、素早く反転したマンティコアに飛び掛かられ、両肩を押さえつけられたまま背中から床に叩きつけられた。
後頭部を強打して目の奥に火花が散る。
視力が戻ると眼前にマンティコアの醜悪な顔があった。
自身の勝利を確信した、愉悦に満ちた表情だった。
「てめぇ……ッ!」
恐怖よりも怒りが勝った。
修介はマンティコアの鼻先に容赦なく頭突きを喰らわせた。
「ふぬおおっ!」マンティコアは鼻血を吹き出しながらのけぞる。
前足の力が緩んだ隙を突いて強引に抜け出すと、そのまま怯んでいるマンティコアに斬りかかる。
だが、その行動はマンティコアに読まれていた。鼻血で濡れた口元に薄ら笑いが浮かぶ。
(しまった――)
修介の動きに合わせるようにマンティコアの尻尾が弧を描いた。
勢いに乗った修介にそれを躱す術はなかった。
「シュウッ!」
横から飛び込んできたヴァレイラが修介を突き飛ばした。
その背中にマンティコアの尾が突き刺さる。
「かはっ!」
ヴァレイラは力なくその場に崩れ落ちた。
修介には咄嗟に何が起こったのかわからなかった。
ただ、地面に倒れ伏したヴァレイラの姿を見て、自分が庇われたのだと理解した。
「ヴァルッ!」
「人間らしい実に愚かな行動じゃの」
マンティコアは嘲るようにそう言うと、前足で倒れているヴァレイラの体を蹴り飛ばした。
「――このッ!!」修介は怒りに任せて斬りかかる。
「そうカッカせんでも、すぐに貴様も同じ目に遭わせてやるわ」
そう言ってマンティコアは尻尾を振り回した。
「くっ!」
修介は反射的に距離を取った。
この人面獣はおそろしく戦いに慣れていた。こちらがふたり掛かりで戦っていた時にはあえて尻尾を使わず、警戒が薄れた瞬間をきっちりと狙っていた。そして今度はこれ見よがしに見せつけることで間合いを詰められないようにしているのだ。
「やろう……」修介は憎しみを込めた目でマンティコアを睨みつける。
「来ないのなら、こちらから行くぞ」
マンティコアは宣言と同時に魔法の詠唱を開始する。
詠唱が進むにつれ、頭上に特大の魔力の矢が生成されていく。
「今度のはそう簡単には躱せんぞ?」
「くそっ!」
間に合わないと知りつつ、修介は全力で突っ込んだ。
完成した魔力の矢が修介に向かって放たれる。
「うおおおぉぉっ!」
修介は正面から魔力の矢をアレサで受けた。
次の瞬間、凄まじい衝撃音と共に魔力の矢が破裂し、その衝撃波で修介も後方に吹き飛ばされた。
地面を派手に転がった修介は全身の痛みも忘れてアレサを見る。アレサの刀身は半ばから先が折れてなくなっていた。
「アレサッ!?」
修介の脳裏に魔獣ヴァルラダンとの戦いで折れた時のトラウマが蘇る。
『――大丈夫です。本体は無傷です』
間髪容れずにアレサから返答があり、修介は安堵の息を吐きだす。
だが、アレサが折れたということは、マンティコアと戦う為の武器がなくなったということだった。
修介の剣が折れたのを見て、マンティコアは咆哮を上げて飛び掛かる。
その前足の爪が修介の身体を切り裂こうとする直前、轟音と共に飛来した白い雷撃がその巨体を弾き飛ばした。
「グオオオオォォッ!」
強力な雷撃に体を焼かれたマンティコアは地面をのたうち回る。
やったのはサラだった。
彼女の唱えた雷撃の術がマンティコアに直撃したのだ。
「おのれ……次から次へと……!」
傷口からぶすぶすと煙をあげながらマンティコアがゆっくりと体を起こす。
その表情は憤怒に歪んでいた。
相手が非力な魔術師であると知って、マンティコアは躊躇うことなく地面を蹴ってサラへと突進する。
「いかんッ!」
エーベルトの回復に向かおうとしていたノルガドはそれを見て慌てて反転する。
そして、突進するマンティコアの前にその身を躍らせると、繰り出された前足の爪を戦斧で受け止めた。
「ぬうぅぅッ!」
圧し掛かる巨体を支えきれず、ノルガドは片膝をつく。
それを見たマンティコアはにやりと笑うと、動けないノルガドの無防備なわき腹に尻尾を突き刺した。
「――ぬおぉっ!?」
ノルガドの手から戦斧が零れ落ちる。次いで繰り出された前足の一撃をまともに喰らい派手に地面を転がった。
「ノルガドッ!」
サラは悲鳴をあげてノルガドの元へ駆け寄ろうとしたが、マンティコアにその行く手を遮られる。その顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
「杖持ちの低級魔術師風情がよくもやってくれたな。きさまは深き眠りの世界へと
マンティコアはサラの目を覗き込みながら魔法を詠唱する。
「――ッ!?」
サラは咄嗟に魔力を高めて抵抗しようとしたが、押し寄せてくる強大な魔力の波に飲み込まれ、そのまま意識を失った。
「サラッ!! おやっさんッ!!」
「……さて、また貴様ひとりになったの。その折れた剣で最後まで抵抗するか?」
勝利を確信したのか、マンティコアは余裕の表情でゆっくりと近づいてくる。
「くそっ!」
修介はアレサの柄を強く握りしめる。
だが、その刀身は半ばから先が失われていた。このままマンティコアに挑んでも間違いなく返り討ちに遭うだろう。そして頼みの仲間は全員が戦闘不能。
まさに絶体絶命の状況だった。
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