第159話 ジュンとエーベルト

 エーベルトが修介の誘いを受けてパーティに参加した理由はふたつあった。

 ひとつ目はパーティでの活動実績を作る為である。

 エーベルトは普段パーティを組まずに単独で妖魔を狩っており、滅多なことでパーティに参加することはない。

 冒険者ギルドは個人で妖魔討伐を行うことを禁止してはいないので、本来であればエーベルトの行動は別段問題にはならないはずだった。

 ところが、エーベルトの妖魔討伐数が尋常ではなく、彼が討伐した妖魔がギルドが発行した討伐依頼の標的と被ってしまうという事態が頻発したことで、他の冒険者達から苦情が入りギルド内で問題視されるようになってしまったのである。

 その為、エーベルトは冒険者ギルドからパーティを組んで正式に討伐依頼を受けるようしつこく要請されていた。

 エーベルトからしてみれば知ったことではないのだが、ギルドに所属する冒険者という立場である以上、あまり邪険にするわけにもいかないので、こうして定期的にパーティに参加してギルドの討伐依頼を受けるようにしているのである。


 そしてもうひとつの理由。

 それは、パーティに誘いに来た修介の口から「ジュンの娘に会った」という話を聞いたからだった。

 修介にしてみれば、ジュンの存在はエーベルトとの数少ない共通の話題であり、世間話の延長程度のつもりだったのだろう。

 だが、エーベルトにとってジュンの名は無視できないものだった。

 修介の口からジュンの名が出たことで、エーベルトは修介とジュンにはやはり何かしらかの繋がりがあり、修介と行動を共にしていれば、いずれ行方不明となった父とジュンの元へたどり着けるのではないか、そう考えたのである。


 ジュンはエーベルトにとって憧れの存在だった。

 ――そして、エーベルトとその家族から父親を奪った男でもあった。




 エーベルトがジュンと出会ったのは、今からおよそ十年前だった。

 その日、エーベルトは仕事で不在の父と、生まれたばかりの妹の世話で忙しい母に代わって、村の外れにある森にひとりで木の実を取りにやってきていた。

 最近の母は妹の面倒ばかりを見ていて、エーベルトは放っておかれがちだった。

 たくさんの木の実を持ち帰れば、母はきっと驚き、たくさん褒めてくれるに違いない。そんな子供らしい理由だった。

 村では子供がひとりで森に入ることは禁じられていたが、物心ついた時から剣の鍛錬を積んできたエーベルトは才能に恵まれたこともあり、八歳という年齢にしてすでに大人顔負けの剣の腕を身に付けていた。たとえ妖魔と出くわしてもゴブリン程度なら退治できるという自信があった。


 両手に抱えきれないほどの木の実を採って、ほくほく顔で村へ帰ろうとしたエーベルトは、そこで生まれて初めて妖魔と遭遇した。

 だが、現れたのはゴブリンではなくオーガだった。

 オーガは柔らかい人間の子供という極上の餌を発見して狂ったように雄叫びを上げた。

 いくら才能があろうとも、子供がオーガに勝てるはずがない。

 エーベルトは恐怖のあまりその場にへたり込み、失禁した。

 初めて見るオーガの見上げるような巨躯を前に、修練で身に付けた剣技、学んだ戦い方、それらすべてが頭から吹き飛んでいた。

 代わりに思い浮かんだのは、母と生まれたばかりの妹の姿だった。

 このまま殺されてしまえば、このオーガは村へ向かうかもしれない。そうなったら母と妹が殺されてしまう。

 父が不在の今、家族を守れるのは自分しかいない――その想いに突き動かされ、エーベルトは立ち上がった。

 そして、オーガに背を向け全力で逃げ出した。

 村の方角ではなく、村から遠ざかるように逆の方角へと走る。

 そうする以外に家族を守る方法はないと思ったのだ。

 追いかけてくるオーガの気配を背中に感じながら、エーベルトは必死に走った。

 追い付かれたら殺される。きっと生きたまま手足をもがれ頭を丸のみにされる。その光景を想像して恐怖で腰が砕けそうになりながらも、懸命に足を動かした。顔は涙でぐちゃぐちゃだった。


 ――ふと、涙で滲む視界に黒い影が映った。


 それは黒髪の男だった。

 男はエーベルトに近づくと、「その辺に隠れていろ」と告げ、まるで散歩にでも行くかのような気安い足取りでオーガの前に立ちはだかった。

 そこから先は、あっという間の出来事だった。

 男は目にも留まらぬ速さで剣を操りオーガを圧倒した。

 その凄まじい剣技に、エーベルトは自分の置かれた状況も忘れて見入っていた。


 気が付くとオーガは地面に倒れ伏し、エーベルトは男のごつい手で頭を撫でまわされていた。


「あ、あの……」


「お前、わざと村とは逆の方に逃げただろ? ガキのくせに大したもんだ」


 男はおそらく父と同じくらいの年齢だろう。無精ひげの生えた顔は年相応に老けて見えたが、それでいて瞳だけは子供のように輝いている。そして、その瞳の色も髪の毛と同じ黒色だった。

 ふと男の視線が濡れたままの自分のズボンに注がれていることに気付き、エーベルトは自分が失禁したことを思い出して赤面する。

 男はそれを見てにやりと笑うと、「ついてこい」とエーベルトの手を引いて強引に歩き出した。

 エーベルトは状況を飲み込めずに成すがままにされる。

 向かったのは森の近くにある小川だった。

 男はエーベルトをその小川へと放り込むと、自身も鎧を脱いで飛び込んだ。

 エーベルトは混乱が収まらぬまま、見知らぬ男と水浴びをし、川べりに寝そべって服を乾かした。


「な、こうすればバレないだろ?」


 男は屈託のない笑顔を浮かべながらそう言った。

 これが、エーベルトとジュンの出会いだった。




 ジュンがエーベルトの住む村を訪れたのは、当たり前だがエーベルトの命を救う為ではなかった。

 ロティという冒険者に会いに村を訪ねてきたのだという。

 エーベルトは驚いてジュンの顔を見た。


「ロティ? それ僕の父さんだよ。おじさん、父さんの知り合いなの?」


「お前、ロティの息子だったのか!?」


 ジュンも負けじと驚いた顔をする。


「ちなみに母さんの名前は?」


「エリノーラだけど……」


「なんてこった……」


 ジュンは呆然自失といった体で立ちすくんだ。

 なんでそんなに驚くのだろう、とエーベルトは訝しんだが、それ以上に両親のことを知っている冒険者風の恰好をしたジュンという男に強い興味を抱いた。


 エーベルトの両親も冒険者だった。

 父ロティは剣士として、母エリノーラは魔術師として共にパーティを組み、ストラシア大陸各地を旅してまわったのだという。母はエーベルトを身ごもったのを機に引退したらしいが、父は剣の腕を買われて村の自警団をまとめながら、冒険者として時おり依頼を受けては旅に出ていた。

 ジュンはかつて両親と共に旅をしたパーティの仲間だという。


「……それにしても、あのロティとエリノーラが結婚して息子までいたとはな」


「妹もいるよ! マリーっていうんだ」


 エーベルトは生まれたばかりの妹の存在を主張する。


「そうか……そうだよな。十年も経ってればそうなっててもおかしくはないか」


 ジュンはそう言って下を向いた。その顔は強張っており、先ほどまでの快活さが嘘のように消えていた。まるでここに来たことを後悔しているかのようだった。


「おじさん、大丈夫?」


 エーベルトは遠慮がちに声を掛ける。


「……大丈夫だ。とりあえず、お前の家に案内してくれないか?」


「いいけど、父さんはお仕事で村の外に行ってるから、今はいないよ。帰ってくるまで二、三日は掛かると思う」


「なら宿屋に案内してくれ。そこで待つことにするよ」


 エーベルトは言われた通り村に唯一ある宿屋にジュンを案内した。


 ――それからロティが帰ってくるまでの数日間、エーベルトは足繁くジュンの元へ通い続けた。

 あっという間にオーガを倒したジュンの剣技に魅了され、あわよくば剣の稽古を付けてもらおうと考えたのである。

 妖魔に殺されそうになった恐怖よりも、真面目に訓練すれば、ジュンのように大きな妖魔を倒すことができるという事実の方がエーベルトにとっては大きかった。

 父のような強い剣士になる、それが物心ついた時からのエーベルトの夢だった。


 最初は面倒だと言って相手にしなかったジュンだったが、エーベルトがしつこくせがむとやがて根負けして剣の稽古に付き合うようになった。有り体に言うと暇だったのだ。

 最初エーベルトの素振りを黙って眺めていたジュンは、そのうち興が乗ったのかいくつかの剣技を披露してみせた。

 その技のひとつひとつにエーベルトは目を輝かせる。そして一挙手一投足を見逃すまいと真剣にジュンの姿を追いかけた。

 父の描く美しく洗練された剣の軌道とは異なり、ジュンの剣は無軌道だった。それでいて無駄がなく力強い。

 エーベルトはその豪快な剣技にただ魅了され、人間はこれほどまでに強くなれるのだと尊敬の念を抱いた。

 父のような剣士になるというエーベルトの夢に「ジュンを超える」という新たな項目が追加された瞬間でもあった。


 ジュンは変わった男だった。

 親子ほども歳の離れているエーベルトを子供扱いせず、まるで年の近い友人か弟に接するかのごとく扱った。

 エーベルトはそんなジュンの人柄に触れて、あっという間に彼に懐いた。気が付けば呼び方も「おじさん」ではなく「ジュン」と呼び捨てするようになっていた。そして、稽古の合間を縫ってたくさん会話をした。

 その会話の中でジュンがマナのない体質であることを知ったのである。


「マナがないってどんな感じなの?」


 エーベルトは素朴な疑問を口にする。


「逆に聞きたいんだが、マナがあるってのはどんな感じなんだ?」


「そんなの上手く説明できないよ」


「なら俺も同じさ」


 ジュンはしたり顔で言った。


「マナがないってことはジュンは魔法を使えないんだよね?」


「ああ、使えないな。この世界に来たばかりの頃はド派手な魔法をぶっ放してみたいって思ったもんだが、それは永遠に叶わぬ夢だったってわけさ……」


「この世界って?」


「なんでもない。気にすんな」


 ジュンはそう言ってエーベルトの額にデコピンをしようとした。エーベルトは咄嗟に手で額を隠す。

 その動きを予測していたジュンは標的を額から脇腹へと変更した。手をわきわきと動かして脇腹をくすぐる。エーベルトはたまらずに笑い転げた。


「――ところでエーベルトは母さんから魔法は教わってないのか?」


「基礎は教えてもらったけど、僕は父さんみたいな強い剣士になるって決めてるから本格的な魔法は教わってないよ。それに魔法は軽い気持ちで使っていい力じゃないって母さんよく言ってるし」


「あのお転婆エリノーラがそんなことを言うようになったのかぁ……」


 ジュンはエーベルトの反撃をいなしながら感慨深げに言った。


「そういえば、ジュンには家族はいないの?」


 その質問にジュンの表情が強張る。何か不味いことを聞いてしまったのかとエーベルトは焦ったが、ジュンの表情はすぐに元に戻った。


「……俺にもお前と同い年くらいの息子と娘がいるぞ。双子なんだ。でも息子は母親にべったりでちっとも俺に懐かないんだよなぁ……。娘の方はよく俺の膝の上に乗って冒険の話を聞かせてくれってせがんでくるんだけどな」


「ふぅん」


「いつか会う機会があったら、仲良くしてやってくれや」


「別にいいけど……」


 エーベルトはジュンの子供が羨ましいと思った。

 父ロティは寡黙な男で滅多なことでは口を開かず、エーベルトがせがんでも若い頃の冒険譚は決して話してくれなかった。

 剣の稽古もほとんどつけてもらったことがなく、一緒に素振りをしていても、時おり身体に手を伸ばして姿勢を正されるくらいで、具体的にああしろこうしろと言われたことは一度もなかった。

 遊んでもらった記憶もほとんどなく、黙々と鍛錬する父の隣で見よう見まねで剣を振るのが父と一緒に過ごせるわずかな時間だった。

 寂しいという気持ちはあったし、不満がないわけでもなかったが、父が家族や村のみんなの為に危険な仕事に赴いていることは知っていたし、尊敬もしていた。

 なにより、エーベルトは父の真っすぐな剣筋に憧れていた。


 そのことを口にすると、ジュンは「ロティは昔から不愛想な奴だったぞ。いつも不機嫌そうに黙っててな、何を考えているのかよくわからんのだが、正義感が強くて、真っ直ぐで気持ちの良い奴なんだ」と言って楽しそうに笑った。

 エーベルトはその笑顔を見て、父とジュンが親友と呼び合えるほどの仲なのだと知ったのだった。

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