第156話 スライム
魔剣があった部屋を後にした一行は、再び薄暗い通路をまっすぐに進んでいた。
先ほどまでと違うのは、修介がノルガドと共にパーティの先頭に立っていることだった。
マナのない体質の修介には地下遺跡の罠のほとんどが発動しない、というマッキオの話を受けて隊列を変更したのである。
修介と入れ替わりでエーベルトが最後尾につき、テンションが下がったままのヴァレイラと並んだことで、パーティの後方は先ほどまでとは打って変わってお通夜のように静かになっていた。
「やっぱり先頭に立つと緊張感が違うもんだね……」
修介は固い表情で隣を歩くノルガドに声を掛ける。
目の前には薄暗い通路が延々と続いている。はるか先で待ち構えている闇は、まるで魔界に通じる入口のように思えて不気味だった。
「後ろにいる時も同じくらい緊張してもらわんと困るんじゃがの」
「ご、ごめん……」
それまでも決して気を抜いていたつもりはなかったのだが、前にノルガドやエーベルトがいるというのはそれだけで安心感があった。それは心のどこかで彼らに甘えていたという証拠でもあり、ノルガドに注意されるのは当然であった。
修介はあらためて気合を入れ直し、通路の先へと意識を集中して歩いた。
すると、進み始めてすぐのところで扉のない小さな部屋を発見した。
「なぁ、あれって――」
「代わるよ。マナ灯で後ろから照らしててくれるかい?」
修介が何かを言う前にマッキオが前に出て部屋の入口を調べ始める。
しばらくして、「たぶん大丈夫」と言うマッキオと再び入れ替わって、修介はマナ灯をかざしながら慎重に部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋の中は真っ暗だったが、先ほどの部屋と同様に入口のすぐ脇にスイッチがあった。案の定、修介が押しても反応がなかったので、背後のノルガドに代わりにスイッチを押してもらったところ、天井に薄っすらとした明かりが灯った。
狭いが、やたらと奥行きのある部屋だった。
部屋の中はさらに仕切りで分けられた小部屋がいくつも並んでいた。
こういった部屋をなんと呼ぶか、修介はよく知っていた。
「トイレじゃねーか……」
古代魔法帝国の地下遺跡といっても、その昔は当然人が住んでいたわけだからトイレはあって当然だが、やはりイメージにそぐわないというのが率直な感想だった。
念のため個室の中を見ようと足を踏み出そうとしたところで、ノルガドにベルトを掴まれ後ろに引っ張られた。
「な、なんだよ、おやっさん」
文句を言う修介に向かってノルガドは黙ったまま床を指さした。
「床がどうかしたの?」
見ると、床に小さな水溜りがあった。トイレの床に水溜りがあったところで不思議ではないと修介は思ったが、すぐにおかしな点に気付く。
ただの水溜りのはずが、小刻みに震えているのだ。
「おやっさん、これって……」
「スライムじゃ」
ノルガドは短く答えた。
「これがスライム……?」
修介のスライムのイメージはゲームに出てくるにへらと笑った愛嬌のあるモンスターだったが、目の前にいるそれはどう見てもただの水溜りにしか見えなかった。
「決して触れてはならんぞ。こいつは石以外のあらゆる物を溶かして取り込もうとするおそろしい奴じゃ」
「うげっ!」
修介は慌てて後ろに下がる。
「こういった地下遺跡ではゴミや排せつ物などを取り込ませる為に、よくトイレの下に生息させてたりするんじゃが、こいつはどうやら何かの拍子で下から這い出てきてしまったようじゃの」
「マジかよ……」
便器の下からスライムが這い出てくる姿を想像して修介は青ざめる。
「そ、それで、こいつはどうやって倒すの?」
「倒すのは無理じゃ。剣や斧では切れんからの。火で燃やすという手もあるが、こいつは燃やすと致死性のガスを出すでの。地下でそれをやるのは自殺行為じゃて」
「じゃあどうするのさ」
「無視する。こいつは見ての通りゆっくりとしか動けんから、避けて通ればいいだけの話じゃ」
「……わ、わかった」
修介は神妙に頷いた。
「うぅむ、外に出ていたということは、他にもいるかもしれんの。こいつは天井に張り付いて下を通る生き物めがけて落ちてくる習性があるから、天井にも注意しながら進んだ方が良さそうじゃの」
ノルガドの言葉に修介は思わず天井を見上げる。上からスライムが降りかかってくる姿を想像して背筋が寒くなった。
(ゆ、夢に見そうだ……)
個室を調べる気もすっかり失せ、修介は床でぷるぷると震えているスライムを見ながら後ずさりしてトイレを出たのだった。
トイレを出て再び先頭を歩く修介は、スライムのことが気になって天井ばかり見上げていた。
「ちょっと! 天井以外にもちゃんと気を配ってよね」
後ろのサラから苦情がくる。
「じゃあサラが俺の代わりに上を見ていてくれよ」
「別にいいけど、怖がり過ぎだってば」
「怖がってねぇ! 警戒してるんだよ!」
実際は滅茶苦茶怖いのだが、それを素直に認めることができない程度にはプライドが残っている修介だった。
取り込んだ物を溶かして吸収するというスライムに対する生理的な嫌悪感もあったが、それ以上に剣の腕を磨くことで戦う恐怖を乗り越えてきた修介にとって、剣で倒すことができない存在はまさに脅威そのものだった。抗う術がないということが、これほどまでに心細いものなのかと不安に陥っているのである。
そんな臆する修介とは対照的に、ノルガドの歩く速度は先ほどまでとは打って変わりかなり速くなっていた。
先ほどまでは通路に罠があるかもと警戒していたようだったが、トイレを出てからは明らかに罠の警戒をしていなかった。
そのことを指摘した修介に対し、ノルガドはこう返した。
「トイレがあったということは、この通路は日常的に人が往来していたということじゃ。ここがどういう施設だったのかは知らんが、人が往来する通路にわざわざ罠を設置する馬鹿はおるまい。扉を守っていたガーゴイルのように、侵入されて困る場所にこそ罠は設置されるものじゃ」
ノルガドの説明に修介は「なるほど」と納得した。
「それにしても随分と長い通路だよね。さっきの曲がり角のところまでも結構歩かされたし。掘る労力も相当なものだろうに」
修介は気を紛らわせる為にノルガドに話しかける。視線はもちろん天井である。
「地下遺跡はどこもこんなものじゃぞ。部屋と部屋との間の通路は長く作られておることがほとんどじゃ。なぜかは知らんがの」
「おやっさんってどのくらい地下遺跡を探索した経験があるの?」
「覚えとらんな。若い頃にベラ――サラの祖母に散々連れまわされたからのぅ……」
ノルガドは一瞬だけ遠い目をする。
「今でも地下遺跡探索ってわくわくするもんなの?」
「せんのう。そもそも、わしはこういった場所は好かん」
「ドワーフって洞窟とか地下が好きなんじゃないの?」
「地下ならなんでもいいってわけじゃない」
修介の発言にノルガドは顔をしかめる。
「自然にできた洞窟と違って、ここは人の手が入り過ぎとる。魔法を使って大地に無理やり大穴を開けてこねくり回したんじゃろうて」
ドワーフは手の込んだ工芸品を作るが、素材を活かすことを大事にするという。そういう点から見れば、たしかにこの地下遺跡には風情や赴きといった要素はなく、ひたすら機能性を重視して作られたような印象だった。
「地上に戻ったらさ、昔探索した地下遺跡の話も聞かせてよ」
修介の言葉にノルガドは驚いたように目を見開いた。
「構わんが、そんなに面白い話はないぞ?」
「別に面白さは求めてないよ。おやっさんの貴重な体験談が聞きたいだけだって」
「坊主も変わった奴じゃのう」
そう言いながらも、ノルガドは髭を揺らして笑った。
「そういうことなら僕の体験談を聞かせてあげようか?」
例のごとく後ろからマッキオが割り込んでくる。
「あ、間に合ってるんで大丈夫っす」
すっかりマッキオの扱いがぞんざいになっている修介であった。
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