第147話 交渉

「くぁあぁぁ……」


 修介は身体を伸ばしながら大きな欠伸をした。

 朝が早かったことやトロルとの死闘でかなり疲れていたところにアルコールを摂取したことで眠気が加速してしまったようだった。

 そのままぼんやりと聞くとはなしにサラとヴァレイラの野生動物――主にリスなどの小動物――についての会話を聞いていると、先ほどの丸い男が階段をきしませながら下りてきた。

 修介は横目でその姿を追う。

 男は少し離れたテーブル席に座ると、店主から出された肉料理に「うひょう」と奇声をあげてかぶりつく。

 ぱっと見の年齢は不詳だが、おそらく四十歳よりも下ということはなさそうだった。風呂にでも入ったのか、上気したつやつやの丸い顔は、パンの顔をした某国民的ヒーローに似てなくもない。いや、年齢と癖のある白髪交じりの頭髪から、どちらかというとその作り手のおじさんの方だろうか。

 そんなくだらないことを考えていると、横から袖をくいくいと引っ張られた。

 サラが、じろじろ見ないの、と咎めるような視線を送ってきていた。


 入口の扉が再び開いたのはちょうどその時だった。

 入ってきたのは客ではなく、この村の村長だった。

 村長は修介たちの姿を見つけると足早に近づいてきた。


「これはこれは村長殿、我々に何かご用ですかな?」


 ノルガドが普段よりも高いトーンの声で愛想よく村長に声を掛ける。

 経験豊富な冒険者であるノルガドは、グラスターの街で長年商売をしている商人でもあった。クルガリの街にいた愛想のないドワーフの職人たちと違って彼は必要に応じて社交的に振舞うこともできるのだ。

 それがわかっていても、修介は未だにその豹変ぶりに慣れずにいた。


「実はみなさんに折り入ってご相談したいことがありまして……」


 村長はハンカチで額の汗を拭きながら言った。


「もしや例の妖魔の死体の件についてですかな?」


「そ、そうです。村の者とも話し合ったのですが、やはり村の近くにオーガを殺すほどの何者かが潜んでいるのを放っておくのはまずいだろうという話になりまして……」


「それはそうでしょうな。このままでは安心して眠れんでしょう」


 ノルガドは深刻そうな顔で頷く。


「ですから、それをやった者の正体を突き止めていただき、できればその対処もお願いできればと……」


「なるほど……お話はわかりました。そういうことでしたら、わしらも協力するにやぶさかではありません」


「本当ですか! ありがとうございます!」


 村長はほっとしたように息を吐きだす。


「――ですが、わしらも慈善事業で冒険者をやっとるわけではありません。それ相応の対価が必要となります。それはおわかりいただけますな?」


「そ、それはもちろんですが……その、いかほど掛かるのでしょうか?」


 おそるおそるといった村長の問いに、ノルガドは具体的な金額を口にした。


「ちなみにこれは調査依頼の場合の金額です」


「調査依頼?」


 首を傾げる村長にノルガドは丁寧に説明する。


 冒険者ギルドが村などから討伐依頼を受ける場合、討伐対象の正体がわかっているかいないかで扱いが大きく異なる。

 正体がわかっていれば、ギルドは討伐可能な実力を持つ冒険者に依頼を引き受けてもらうことになるが、正体がわからない場合は、まず討伐対象の正体を突き止める為の冒険者を派遣することになる。

 正体がわからないまま冒険者を討伐に向かわせて万が一それが上位妖魔だったりしたら悲惨な結果になるのが目に見えているからである。

 それでなくとも実際に討伐に赴いたら事前に聞いていたのと違う妖魔が出現したという事例が後を絶たないのだから、ギルドとしてはそうせざるを得ないのである。

 同様に冒険者が直接依頼を受ける場合も、まず調査依頼として引き受けるのが常識だった。

 ちなみに、調査依頼を専門で扱う冒険者も存在しており、彼らは先行者と呼ばれ、年齢や怪我を理由に第一線から退いたベテランの冒険者が務めることが多く、専業としてギルドと契約している者もいる。


「よ、ようするに、正体を突き止めるのと、それを討伐するのとで別々に費用が発生するということですか?」


 ノルガドの説明を受けて村長の顔がみるみる青ざめていく。


「そういうことになりますな」


「調査して正体がわかっても、討伐はしていただけないのですか?」


「それは相手によるとしか言えませんな。相手がゴブリン程度であればそのままの流れで討伐することもあるでしょうが、もし上位妖魔だったりすれば、わしらの手には負えませんからな」


 ノルガドはそう言って討伐対象に応じて掛かる金額を事細かに説明した。いずれもギルドに依頼した場合に適正とされる金額で、むしろギルドへの仲介料が加味されていない分、割安なくらいだった。

 それでも決して裕福とはいえない村にとっては馬鹿にならない出費だろう。


 ほどなくして、ノルガドと村長は具体的な条件と報酬額の交渉に入った。

 修介は黙ってそのやり取りを眺める。

 このパーティでは交渉事は全てノルガドが担っていた。

 ノルガドのような神聖魔法を扱える神官のほうが信用を得られやすく、スムーズに事が運ぶからである。それがわかっているから魔術師であるサラはこういう場では決して出しゃばらない。無論、他のパーティメンバーも口は挟まない。

 村長は報酬額を下げようと必死に村の窮状を訴えたが、ノルガドは頑としてそれに応じようとはしなかった。

 理由は単純で、交渉すると報酬が安くなるという前例を作ってしまうと、今後他の冒険者がこの村で依頼を受ける時に迷惑が掛かるからである。

 なかには相手が素人だからと法外な報酬をふっかける冒険者もいるらしいが、ノルガドはそういったことは絶対にしない。その代わりに値引きにも応じない。そういう姿勢を貫いていた。

 とはいえ、村の財政に余裕がないのは村長の態度を見ていればよくわかる。おそらくトロルの討伐に掛かった費用もかなり無理して捻出したのだろう。いずれ返還される可能性があるとはいえ、それがいつになるかはわからないし、手続きに不備があれば戻ってこないかもしれないのだ。出来る限り安く済ませたいと思うのは当然だった。


「――別に無理にわしらに依頼しなくてもよいのですぞ。騎士団に訴えれば対処してくれるかもしれません。しかしこう言ってはなんですが、騎士団が派遣されてくるまでにはかなりの時間が掛かるでしょうな。そしてそれは冒険者ギルドに依頼しても同じですぞ。他の冒険者が派遣されてくるまでの間に村が襲われるかもしれません。それに派遣されてくる冒険者がわしらより腕が立つという保証もない。ついでに言うと、わしが提示した金額は冒険者ギルドに依頼するよりも割安ですぞ」


 そうノルガドに畳みかけられ村長は苦しそうに唸る。

 結局、長時間に渡る交渉の末、ノルガドは当初提示した金額を少し下げ、代わりに滞在中の宿代や食費を無料にしてもらうことで決着がついた。

 ヴァレイラが「もっとふんだくってやればいいのに」と小声で文句を言うと、それを聞き咎めたサラに肘でつつかれる。

 ヴァレイラの気持ちは修介にもわからなくはなかった。

 冒険者は命懸けで戦うのだ。報酬額を引き下げようというのは、こちらの命を安く見られているようでやはり良い気分はしない。

 困っている村人からさらに金を取ろうということに良心の呵責がないわけではなかったが、プロフェッショナルは自分の仕事を安売りしない、というのはどこの世界でも常識だろう。


 交渉を終えた村長は深いため息をつきながら酒場を出て行った。


「……というわけじゃ。明日は調査の為に森に行くからの。みな今夜はあまり飲み過ぎんようにしてさっさと休むんじゃぞ」


 ノルガドはそう言って締めくくったが、当の本人が酒のお代わりを店主に頼んでいたので説得力は皆無だった。

 値下げした報酬額とドワーフの飲み代のどちらが高くつくのかを考えると、はたして村長の下した判断が正しかったのか、修介は他人事ながら心配になった。


「私は先に休ませてもらうわ。夜更かしは美容の敵だしね」


 サラがあくびをしながら席を立った。

 その常識はこの世界でも共通なんだな、と修介が妙なところで感心していると、突然背後から「失礼、ちょっとよろしいですか?」と声を掛けられた。

 ぎょっとして振り返ると、先ほどの丸い男がいつのまにか傍に立っていた。


「な、なにか――」


 ご用ですか、と言おうとして修介は慌てて「なんだあんたは?」と少し乱暴な口調で言い直した。

 初対面の相手に横柄な口の利き方をするのを嫌う修介だが、冒険者は舐められたら終わりの商売である。

 素性の知れない相手には出会い頭が重要だからガツンといけ、とコンビを組んで早々にヴァレイラから言われていたので、それを実践したのである。


「いやぁ、邪魔をして申し訳ない。先ほどのあなた方と村長のお話を聞いてましてね、僕も少しはお役に立てるかもと思ったので、声を掛けさせてもらったのです」


 男はそう言うと、誰も許可していないのに勝手に空いている席に座った。

 エーベルトがさり気なく腰の剣に手をやる。

 それに気付いて男は慌てて両手を上げてみせる。


「おっと、別に怪しい者ではありません。僕の名はマッキオ。探索者です」


 男はにこやかな顔でそう名乗ったのだった。

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