第146話 リワーフ村の宿にて
リワーフ村はグラスターの街から三日ほど東に行った山間にある人口二〇〇人程度の小さな村である。
村の近くにはなだらかな丘があり、春には色とりどりの花が咲き乱れ、冬になれば雪が積もって一面が銀世界となる。一年のほとんどを柔らかい草か雪に覆われている丘は子供たちにとっての絶好の遊び場である。
周辺に妖魔が生息している森もなく、グラスター領のなかでは比較的安全な土地としても知られていた。
そんなのどかで平和なリワーフ村からトロル討伐の依頼がグラスターの冒険者ギルドに舞い込んできたのが事の発端だった。
最初に依頼を受けたのは修介とヴァレイラだった。
妖魔討伐の依頼は四人以上が必要なことから、修介は以前パーティを組んだことのあるデーヴァンとイニアーに声を掛けようとしたのだが、残念ながら彼らは別の依頼を受けていて不在だった。
次にノルガドに声を掛けたところ、ノルガドは二つ返事で了承してくれた。
するとどこから依頼の話を聞きつけてきたのか、サラが「私も行くわ」と参加することとなった。
そして、「あとひとり戦士が欲しい」というノルガドの発言を受けて、修介はエーベルトに声を掛けることにしたのである。
エーベルトとは魔獣ヴァルラダン討伐以来ずっと会っていない。ただ、アレサの秘密を知られて以来、修介はずっとエーベルトの動向が気になっていた。
自分に関する変な噂が広まっていないことから、エーベルトがアレサのことを誰にも話していないことはわかっていたが、直接本人の顔を見て反応を確認しておきたいというのは人としての
とはいえ相手はあの孤高が服を着て歩いているようなエーベルトである。パーティに誘ったところで高確率で断られるだろうと予想していた修介だったが、意外なことにエーベルトはあっさりと承諾した。
予想外の展開に思わず「本気か!?」と叫んでしまい、エーベルトに「ならなんで声を掛けたんだ」と冷ややかに返される始末だった。
こうしてトロル討伐の為のパーティは結成され、即日のうちにグラスターの街を出発したのである。
そして現在――トロル討伐を終えた一行は、リワーフ村にある酒場で戦いの疲れを癒していた。
この酒場は宿屋も兼ねており、リワーフ村唯一の宿泊施設でもあった。修介達はこの宿の二階に部屋を取っている。
テーブルではパーティメンバーが食事を終えて一息ついているところだったが、大食漢のノルガドだけは未だに鶏の肉に一心にかじりついていた。
ノルガドは食事の邪魔をされることをとにかく嫌う。それがドワーフ族の習性なのかノルガド個人の主義なのかは不明だが、食べ終わるまでは話しかけられても返事をせず、会話にも参加しようとしない。おまけに人の三倍は食べるので、ノルガドの食事が終わるのは大抵最後だった。
「村長、不安そうにしてたよな……」
修介は椅子の背もたれに寄りかかりながらそう呟く。
「そりゃそうさ。近くの森に原因不明の妖魔の死体が大量に転がってた、なんて話を聞いて不安にならない奴はいないだろうさ」
言いながらヴァレイラはテーブルの上に足を乗せた。サラに「はしたないわよ」と注意されるもどこ吹く風である。
「結局、あれは誰の仕業だったんだろうな」
村長にトロルの討伐が完了したことを報告した際に、この村に自分たち以外の冒険者が来ていなかったかを確認してみたが、心当たりはないとのことだった。
「他の冒険者じゃないとするなら、あと可能性として考えられるのは、あの森に生息している野生動物とかかしら」
修介の疑問にサラが答える。
「野生動物?」
「例えば熊とか……」
「いくら野生の熊でもさすがにオーガは倒せないんじゃね?」
「そんなことないわよ。熊がオーガを倒したっていう事例はあるのよ」
「マジか、熊すげーな」
たしかにヒグマのような巨大な熊ならばそれも可能なのかもしれない。
修介はこの世界で熊と遭遇したことはなかったが、熊に襲われた人間がいかに無力であるかは前の世界でニュースなどで見聞きして知っていた。よくよく考えてみれば、人間にオーガが倒せるのならば熊がオーガを倒したとしてもなんら不思議ではなかった。
この世界に生息する野生動物にとっても妖魔は許されざる侵略者なのだ。
もっとも、野生動物が妖魔と敵対しているからといって人間の味方というわけではない。妖魔のせいで森を追われた熊が人間の集落を襲うといった事件は毎年のように起こっており、冒険者ギルドへの依頼にはそういった獰猛な野生動物の討伐も含まれているのである。
「けどあれは熊の仕業じゃないと思うぜ? 熊は狩った獲物を放置したりしねぇ。食べ残しは大抵は地面に埋めとくはずだ。まぁ、妖魔の肉は不味いからって放置した可能性もあるだろうけどな」
ヴァレイラが手にしたフォークを指先で弄びながらそう言った。
「妖魔の肉って食えるのか?」
「さあな。食ったことないから知らねぇよ。火を通せば大抵のもんは食えそうだけど、積極的に食いたいとはあたしは思わないね。腹を壊しそうだ」
その意見には修介も全面的に同意だった。
「でも、熊じゃないとしたらなんだろうな。ライオンとかかな?」
修介は単に自分が知っている強そうな動物の名前を適当に口にしただけだったが、返ってきたヴァレイラの反応は予想外のものだった。
「なんだい、そのライオンってのは?」
「は? ライオンはライオンだろ、知らないのか?」
「知らねぇな。サラは知ってるか?」
「えっ!? えーっと……たしか前に読んだ古代魔法帝国時代の書物に、そんな感じの名前の動物が別の大陸に生息しているって書いてあったのを見たような気がするけど……」
自信なさそうに答えるサラを見て、修介は己の失敗を悟った。
熊の話が出たことで、てっきり他の動物も普通に存在しているだろうと思い込んでいたが、この世界と前の世界とでは生態系が違っていて当然だった。特にこの世界は妖魔や魔獣が存在しており、さらに大陸間の交流が途絶えているのだから尚更だろう。自分の常識がこの世界の常識ではないことを修介は久々に思い知らされていた。
「それにしてもよくそんな珍しい動物のことを知ってるわね」
サラが感心したように修介を見る。
「ま、まぁな、こう見えて動物好きなんだ」
修介は愛想笑いを浮かべて誤魔化した。
「ま、正体がなんだろうとどうでもいいさ。あたしらが引き受けたのはトロル退治だ。もらえる報酬以上の仕事をするつもりはないね」
ヴァレイラはそっけなく言う。
「でも、やっぱり気になるじゃない」とサラ。
「そうか? あたしは金にならないことには関わりたくないね」
「じゃが、放っておいたらこの村が被害に遭うかもしれんぞ」
ようやく食事を終えたノルガドが口を挟んだ。
「やばいと思ってるならさっき報告したときに村長が何かしら言ってきたはずだろ。それがなかったってことは、あたしらは必要ないってことさ」
「案外そうでもないかもしれんぞ。おそらく村長はもう一度わしらのところへ来るじゃろうて」
予言者めいた発言をするノルガド。
「どうしてそう思うのさ」という修介の質問に、ノルガドは「なんとなくじゃ」と短く答えた。
「なんとなく、ねぇ」サラが意味深長な笑みを浮かべる。「あれだけ村長のことを脅かしておいてよく言えたものね」
サラの言葉にノルガドはわざとらしく咳払いする。
「……それはそうと、もし村長がわしらに調査を依頼してきたらどうするかの?」
「あたしは報酬さえもらえれば別に構わないよ」
ヴァレイラが気安く応じた。
「私もこのまま放置して帰るのはあまりいい気分がしないわね。シュウは?」
そう言ってサラは修介の方を見る。
「俺は――」
みんながやるっていうならやる、そう言おうとして修介は思い留まった。
そんな主体性のない考え方をしていては、いざというときに仲間に迷惑が掛かる。パーティの一員としてはっきりと自分の意志は示しておくべきだろう。
「俺は……そうだな、ちゃんと報酬がもらえるのなら引き受けてもいい」
修介は少し迷ってからはっきりとそう答えた。
本音を言えばそんな危険な獣と積極的に関わりたくなかったが、冒険者として依頼されたとなればそうも言ってはいられない。それに仲間が戦いに赴くのならばやはり自分も一緒に戦いたかった。
「エーベルトは?」
サラがずっと黙ったままのエーベルトに声を掛けた。
エーベルトは顔を上げると「仕事としてなら引き受ける」とだけ答えた。
いつもならば食事を終えると早々にいなくなるエーベルトだが、今日は珍しく残っていた。何やらずっと考え事をしているようにも見える。
エーベルトが顔を上げたことで、修介はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえば、エーベルトはずっと死体の周辺を調べてたみたいだけど、何か手掛かりになりそうなものはあったのか?」
「……」
エーベルトは露骨に修介を無視する。
「おーい、エーベルトー。エーベルトちゃーん」
「……聞こえている。何度も呼ぶな」
「で、どうなの?」
修介の気安い態度にエーベルトは軽く舌打ちする。
「……死体の周辺を調べてみたが、わずかにだが――」
エーベルトがそこまで言ったところで入口の扉が大きな音を立てて開いた。
全員の視線が一斉に入口へと注がれる。
すると、ひとりの男が「いやー疲れた疲れたー」と言いながら店の中に入ってきた。
玉のような男だった。
この場合の「玉のような」は美しいとか可愛いという意味ではなく、文字通り体型が丸いという意味だった。着ぶくれしているのか太っているのか、おそらく両方だろう。その大柄な体とほぼ同じ大きさの巨大な背負い袋を背負い、手には頑丈そうな木の棒を持っていて、見るからに探検家といった風体だった。
「マッキオさん! ずっと帰ってこられないから心配してたんですよ」
店主が入ってきた男を見てほっとしたように声を掛ける。
「いやーすまんすまん、色々とあってね」
マッキオと呼ばれた男は丸い顔に愛想の良い笑みを張り付かせて応じる。
「とりあえず腹が減ったから何か食事を用意してもらえるかい? 僕は部屋に荷物を置いて着替えてくるから」
「かしこまりました」
「あ、あとこの店で一番高いお酒を出してよ」
「おや、珍しいですね。何か良い成果が得られたのですかな?」
「まぁそんなところさ。それじゃ頼んだよ」
男はそう言うと軽快な足取りで二階へと上がっていった。
男がいなくなり店内に静けさが戻る。
「で、なんだったっけ?」
修介はあらためてエーベルトに問いかける。
「……いや、なんでもない」
話の腰を折られたせいかエーベルトは不機嫌そうに口を閉ざし、これ以上話を続ける気はないとばかりに目を閉じてしまった。
滅多にないエーベルトとの会話を邪魔された修介は腹立たしげに男が去っていった二階を睨みつけるのだった。
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