第145話 謎の襲撃者

 修介たちとトロルの追走劇は思わぬ形で終わりを迎えた。

 突然、前方の茂みから何者かが飛び出してきて、手にした二本の小剣を閃かせてトロルの足を斬り飛ばしたのだ。

 さしものトロルも足を失っては走ることはできない。

 トロルは派手に地面を転がると、悲鳴をあげながらじたばたと残った手足をばたつかせる。

 戦士は倒れたトロルの心臓に容赦なく剣を突き立てて止めを刺した。

 そして、ようやく追いついた修介とヴァレイラに向かって、「何をやってるんだ」と呆れたように声を掛けた。


「エーベルト……てめぇ、なにあたしの獲物を横取りしてんだよ!」


 ヴァレイラが食って掛かる。


「あんたらがこいつを仕留め損ねたのが悪いんだろう」


 エーベルトと呼ばれた戦士は何食わぬ顔でそう応じた。


「なんだとてめぇ……」


 掴みかからんばかりにエーベルトを睨みつけるヴァレイラ。

 修介は慌ててその肩を掴んだ。


「ヴァル、落ち着けって。誰が倒したって別にいいだろう。中位妖魔の討伐報酬はパーティのみんなで分け合うって決めてるんだし」


「そういう問題じゃねぇ! あたしはお前のことなんざ歯牙にもかけてねぇって感じのこいつの澄ました態度が気に食わないんだよ!」


 ヴァレイラがエーベルトを指さしながら叫ぶ。

 子供かよ、と修介は思ったが口には出さなかった。

 パーティ結成以来、ヴァレイラはエーベルトに対して露骨に対抗心をむき出しにしていた。初日の手合わせでエーベルトに負けたことが尾を引いているのかもしれない。

 目を付けられたエーベルトには同情を禁じ得ないが、彼自身はまったく意に介していないようで、それもまたヴァレイラの機嫌を損ねている要因だった。


「……とにかく、まだトロルは三体残ってるはずだろ。さっさとおやっさん達と合流して残りを討伐しよう」


 修介は宥めるようにヴァレイラの肩を叩いた。

 ヴァレイラは「ちっ」と舌打ちしつつも大人しく引き下がった。


「いや、もう終わってる」


 エーベルトが両手の小剣を鞘に収めながらそう言った。


「は? 終わってる?」


「残りが三体だというなら、今のが最後の一体のはずだ」


「もう五体全部倒したってことか?」


「あんたらが何体倒したかは知らないが、ノルガドが一体、俺がこいつを含めて三体倒してる」


「……ってことは俺が一体倒してるから、たしかに合計すると五体になるな。でも、そうなるとヴァルは……」


 修介はわざとらしく指折り数えつつヴァレイラの方へと視線を向ける。


「……」


「ヴァル?」


「わかってんなら聞くんじゃねぇよくそがっ!」


 ヴァレイラが修介の脛に蹴りを入れた。


「いってぇな! 俺に八つ当たりすんなよ、大人げないぞ!」


「うるさいっ! なんであたしがゼロなんだよ!」


「そんなこと言っても、こういうのはめぐり合わせだろうが!」


 修介はそう言い返しつつも、ヴァレイラが一体も倒せていない原因が自分にあることを理解していた。


 トロルの襲撃を受けた際に、修介を庇ってヴァレイラは負傷したのだ。癒しの術による治療を受けていて出遅れた分、エーベルトよりも討伐数が少なくなるのは当然だった。

 とはいえ、そのことに責任を感じて謝ろうものなら、ヴァレイラが烈火のごとく怒ることは短い付き合いながらも修介はよくわかっていた。

 ヴァレイラにとって誰かを庇って負傷した場合、「そいつの実力を把握した上で上手く立ち回れなかった自分が悪い」ということになるらしい。戦いの最中に自分の身に起こった出来事は全て自分の責任だと、そう考えているのだ。

 現に彼女とコンビを組んでからいくつかの妖魔討伐の依頼を一緒にこなしてきたが、ミスをして足を引っ張った時でも、怒られたことはあっても責められたことは一度もなかった。

 そんな不器用な性格のヴァレイラを修介は好ましく思う反面、気に入らないことがあると先ほどのように他人に当たり散らすので、相棒として一番身近にいる身としてはいささか納得のいかないところではあった。


「それにしても、エーベルトはこの短時間で三体も倒してたのか……」


「別に大したことじゃないだろう」


 エーベルトの態度は相変わらずそっけない。実際、彼の中では本当に大したことではないのだろう。先ほどのトロルの足を斬り飛ばした動きも、修介にはとても真似できそうもなかった。


(やっぱすげぇな、こいつは……)


 修介はあらためてエーベルトを見る。

 眉目秀麗と評して差し支えのない顔立ちと、ヴァレイラのそれと違ってさらさらな金髪とが相まって貴公子のような容姿をしているが、高い技量を誇る二刀流の剣士である。

 ヴァレイラも一流の戦士だが、やはりエーベルトの実力はパーティの中でも抜きん出ていた。剣技においてはランドルフやハジュマにも匹敵するのではないか、というのが修介の分析である。

 年齢は自分とほとんど変わらないはずなのに、実力は天と地ほどの差があるだろう。

 少し前までは、それは仕方のないことだと受け入れていたが、最近の修介はその差を少しでも縮めたいと思うようになっていた。

 ヴァレイラと違って表には出さないが、修介もエーベルトのことをライバル視しているのである。


 そうこうしていると、ふたりの人影が近づいてくるのが見えた。

 酒樽のような体形の男と、白いローブを纏った女だった。

 その姿を見て修介はほっと息を吐きだす。

 ふたりとも修介のパーティの仲間だった。


「おやっさん、サラ!」


 修介は手を振ってふたりを出迎えた。


「どうやら全員無事のようじゃの」


 男がしゃがれた声でそれに応える。

 彼は大地の妖精と言われるドワーフ族だった。名をノルガドといい、ベテランの冒険者であり、修介にとっては師匠のような存在でもある。そして鍛冶の神を信仰する神聖魔法の使い手でもあった。


「随分と男前に仕上がってるじゃない」


 もうひとりの白いローブの女――サラが泥だらけの修介の顔を見て悪戯っぽく笑う。

 赤みがかった艶やかな長い髪が印象的な美人だが、若くして古代語魔法を操る魔術師である。


「ほっとけ」


 そう言って修介は袖口で顔を拭うも、ただ汚れが広がっただけだった。


「それじゃ余計に汚れちゃうでしょ」


 サラは鞄から手拭いを取り出して修介の顔を拭おうとする。


「いいって、自分でやるから」


 修介は強引にサラから手拭いを奪い取ると顔や手に付いた泥を拭いた。


「怪我は?」


 今度は心配そうに修介の身体のあちこちを確認し始めるサラ。


「大丈夫だって」


 修介はぶっきらぼうに答える。まるで母親に面倒を見てもらう子供になったような気分だった。

 サラの方が年上ということもあって、最近の彼女はことあるごとに姉貴風を吹かせてくる傾向があった。気に掛けてもらえること自体はありがたいのだが、中身が中年の修介としてはその都度なんともむず痒い気分にさせられるのである。

 そんな修介の内心などどこ吹く風で、サラは修介の鎧や服に付いた泥を手で叩いて落としていた。

 修介は気恥ずかしさをごまかすようにパーティメンバーに視線を向ける。

 ガラは悪いが腕の立つ女戦士ヴァレイラ。

 二刀を操るクールな戦士エーベルト。

 屈強なドワーフの神官戦士ノルガド。

 そして、古代語魔法を操る女魔術師サラ。

 この四人が今回の依頼で修介がパーティを組んだ仲間達だった。




「全員が無事であることが確認できたところで、おぬしらに見てもらいたいものがあるんじゃ」


 ノルガドは皆を見渡してそう言うと、ついてくるよう促した。


「なんだい、地下遺跡への入口でも見つけたのかい?」


 ヴァレイラが茶化すように言う。

 ノルガドはそれには答えず森の奥まった方へとずんずんと歩いていく。

 仕方なく修介たちは黙ってノルガドの後へと付いていった。

 この森はそれほど樹々が密生していないので歩くのにはそれほど苦労しないが、戦闘の直後で疲れているということもあって皆の足取りはやや重かった。


 しばらく歩くと少し開けた場所に出た。


「おぬしらとはぐれてから、わしとサラのふたりで発見したんじゃがな……あれじゃ」

 ノルガドがその場所を指さした。


「うっ!」


 修介は思わず口元を手で押さえた。

 そこには、ばらばらになった複数の妖魔の死体が転がっていた。



「……おやっさんがやったってわけじゃないよな?」


 修介の問いにノルガドは黙って首を横に振った。

 修介は見たくないという感情を押し殺し、二、三歩だけ死体に近づく。

 血と腐臭の入り混じった匂いに吐き気を催す。

 死体の多くはオーガだった。ゴブリンの死体も混じってるように見える。そのほとんどが原型を留めていなかった。


「……俺達がやったトロルと争ってやられたのかな?」


「妖魔同士は滅多に争わん。あるとしても上位の妖魔が下位妖魔を捕食するときくらいじゃろう」


「なら、こいつらをやったのは誰だろう?」


「見た感じ昨日今日殺されたわけでもなさそうだし、あたしたちじゃない他の冒険者がやったのかもしれねぇな」


 いつのまにか隣に来ていたヴァレイラが答える。


「そうかな……なんか違うような気がするんだよな」


 修介は首を傾げる。

 発言したヴァレイラ自身も本気でそう思ってはいないようだった。

 冒険者が倒したのなら、死体から討伐の証を剥ぎ取っているはずである。だが、死体には討伐の証を剥ぎ取った形跡はない。

 そもそも、死体の損壊具合は明らかに人の手によるものには見えなかった。オーガの死体には鋭い爪で引き裂かれたような跡や先の尖った物で突き刺されたような跡がある。さらに、あきらかに喰いちぎられたような跡もあった。

 もっと別の恐ろしい何か、想像も付かないような化け物の仕業のように思えてならなかった。


「……ここであれこれ考えていても仕方ねぇだろ。依頼であるトロルの退治は終わったんだから、さっさと村に戻ろうぜ。これをやった奴が近くにいるっていうなら、それこそ村に知らせてやる必要があるだろ」


 ヴァレイラがそう提案する。

 妖魔を殺した何者かの正体は気になったが、その正体の究明は今回の依頼には含まれていない。

 修介はパーティメンバーを見回した。

 ノルガドは手で髭をしごきながら頷いた。

 サラは妖魔の死体には興味ないと言わんばかりに少し離れた木の根元に座っている。

 エーベルトは死体には目もくれず、しきりに周辺の地面を見ている。おそらく襲撃者の足跡を探しているのだろう。だが、昨日降った雪のせいで痕跡を見つけるのは難しそうに思えた。


 その後、修介たちは先ほど倒したトロルの死体と合わせて妖魔の死体を焼き払うと、すっきりしない気分のまま帰路についたのであった。


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