第143話 春はまだ遠く
メリッサに見送られ屋敷を後にした修介は、彼女の姿が見えなくなったところで大きく息を吐きだした。
『なにやら浮かないご様子ですが、いかがされましたか?』
「諸悪の根源がいけしゃあしゃあとよく言えたもんだな……」
小声で問いかけてくるアレサに修介は忌々しげに答える。
『なんのことでしょう?』アレサは平然とうそぶいた。
「あそこまで全部正直に言う必要ないだろうが」
『マスター、私は嘘をつけません。質問されたら、それはもうありのままの真実を伝えねばならないのです』
「情報の取捨選択にずいぶんと悪意があるように思えたぞ」
『それは心外ですね。私はマスターは魔術娘を好いていると判断したので、これ以上他の娘の好感度が上がらないよう配慮した結果です』
「その配慮マジでいらねぇ……」修介は再び盛大にため息を吐く。「そういや前に人間の恋愛感情について学習しているとか言ってたっけか……」
その学習の成果が今発揮されているのだとしたら、その成長を喜べばいいのか、迷惑がればいいのか、判断の難しいところだった。
『マスターは魔術娘を好いているのですよね? それなのに、なぜ他の娘の好感度を上げようとするのですか? 私にはとても無意味な行動に思えるのですが』
「いいかね、よく聞きたまえアレサくん。この世の全ての美しい女性から好かれたいと思うのは男の本能なのだよ」
我ながら最低なことを言っているな、と修介は口にしながら思ったが、間違ったことは言ってないつもりだった。
シンシアを守ることができたのも、極論を言ってしまえば『モテたい』という思いがベースにあったからだった。それが恋愛の成就に繋がるかはまた別の話だが、修介にとってはそれも戦う為の大事なモチベーションのひとつだと思っていた。
もっとも、だからといってそれで人を傷つけていいわけではない。
修介の気を重くしているのは、シンシアに女性関係を誤解されたからではない。
別れ際の彼女のあの態度、あの口調は、遠い昔、学生時代に人生で初めて女の子から告白を受けた時と同じだったからだ。
つまり、それだけ修介に向けられた好意が純粋で真剣なものであるということだった。
無論、嬉しくないわけではない。少し前までならば「好感度が上がった」と浮かれていただろう。
だが、今回の旅を経て多くの人の生き死にに触れ、この世界と本気で向き合って生きていく覚悟を決めたことで、好感度云々と騒いでいた以前の自分が、いかに他人事のような感覚でこの世界と関わっていたのかを思い知ったのである。
そして、真剣な想いを向けられれば向けられるほど、歪な存在である自分自身に対する嫌悪感もより強く感じるようになっていた。
最初の頃は自分のことをアバターだとすら思っていたのだ。
命懸けの戦いをいくつも経験したことで、さすがに今はそんな風には思わなくなっていたが、そう簡単に全てを割り切れるようなものでもなかった。
「まったく、安易に若返りなんてするもんじゃねーな……」
修介は万感の思いを込めて呟く。
若返っていなければとっくに野垂れ死んでいたとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。
それでも、この世界と深くつながっていくにつれ、自分の価値観や心情が少しずつ変化していることには気付いていた。だから、もしかしたら今の自分を違和感なく受け入れられる日がくるのかもしれない。
シンシアやサラへの想い、そして自分自身への嫌悪、そういった諸々の感情とちゃんと向き合って、いつかは答えを出さなければならないのだろう。
修介はその為の第一歩を踏み出すことにした。
「ところでアレサ、俺がこの世界に来た時に持っていた金ってさ、まだ手つかずで残ってたっけ?」
『残っていますが、いきなりどうしたんですか?』
「いや、その金で家を買おうかなーって考えてるんだ」
それは修介がクルガリの街を出てからずっと考えていたことだった。
修介が宿暮しを続けていたことに特に深い理由はないはずだった。
ただ、今にして思えば、そうすることで自分の帰るべき場所はここではなく前の世界なんだと、必死にしがみ付いていたのかもしれない。前の世界こそが本当の世界で、この世界は仮の世界だと、そう思いたかったのだ。
だが、気が付けば自分はこの世界の人間だと自然に思えるようになっていた。
であるならば、自分の家を持つことで、よりグラスターの街を自分の帰るべき場所だと思えるようになるのではと考えたのだ。
家を買うという行為は、修介にとってこれから先この世界や自分自身と向き合っていく為に必要な、いわば儀式みたいなものだった。
『……なるほど、それで家の購入ですか』
「まぁ、この世界の住宅事情をよく知らないから、俺の手持ちで家が買えるのかはわからないんだけどな。借家って手もあるのかな?」
『それについては髭樽か魔術娘にでも相談されてはいかがですか?』
「……ああ、そうだな、そうしよう」
アレサが修介の疑問に直接答えず、あえて人に訊くことを勧めてきたのは意地悪をしたわけではなく、それが自然なことだからだった。修介もそれがわかっていたから、それ以上アレサに質問はしなかった。
「とにかく、まずは宿屋暮らしから卒業して衣食住の充実を図る。目指せリア充だな」
修介はそう言うと大きく伸びをした。ずっと座っていたからか、背中からばきばきと軽快な音が鳴った。
「……ちなみに、アレサはどんな家がいいとか希望はあるか?」
なんとなく、修介はアレサに問いかける。
『その質問は私にではなく、将来伴侶となる女性にされたほうがよろしいのではないですか?』
「そんな予定はない」
少なくとも今のところはな、心の中でそう付け加える。
『強いて言うならセキュリティのしっかりした家がよろしいかと思います』
「現実的だな」
『丘の上の愛らしい小さな白い家がいいです、とでも言えば良かったですか?』
「それもなんか違うな……」
『私たちふたりが静かに暮らせるのであれば、どんなに小さくてみすぼらしい家でも私は構いません』
「俺が甲斐性なしみたいに聞こえるからやめろ」
修介は苦笑しながらアレサの鞘を軽く叩いた。
すると、鼻先に冷たい何かが触れた。
見上げると、空から白い雪が舞い降りるのが見えた。
「とりあえず、冬を暖かく過ごせる家がいいかな……」
修介はそう呟くと、歩きなれた宿までの道のりを、ゆっくりとかみしめるように歩くのだった。
冬はなお長く、春の訪れを微塵も感じさせない。
王国暦三一六年はまだ始まったばかりである。
グラスター領を震撼させる事件が再び起こるのは、もう少し先のことであった。
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