第142話 恋敵
前回のお茶会が開かれたあの日――アレサの存在を問い詰められた修介は、散々悩んだ末にシンシアに自分の持つ剣がアレサであると告げることを決めた。
最初はアレサを死んだ恋人ということにして、お涙頂戴話にすることで深く追及されないようにしようと考えたのだが、ヴァルラダンとの戦いでアレサを失いかけた修介にとって、たとえ嘘でもアレサを死んだことにしたり、存在を否定したりすることはできなかったのだ。
とはいえ、本人の了承を得ずに話すわけにもいかなかったので、中座してアレサにその意思を伝えた。
すると意外なことに、『マスターの好きにしてください』という答えがアレサから返ってきたのである。
『私のことを他人に伝えてはならない、というルールは存在しません。私のことをどう語ろうとも、それはマスターの自由です』
「でも、アレサは俺以外の人間と意思の疎通ができないんじゃなかったっけ?」
『少し違います。私の意志でマスター以外の人間に話しかけることがないということと、マスターが許可しない限り他人とは会話しない、という制限があるだけで、意思の疎通自体は可能です。私とマスターの会話をあの小童に聴かれたことからも、私の声が他人の耳に届くことはご存知でしょう?』
アレサのその言葉で、修介は改めてシンシアにアレサのことを話す決意を固めた。
さすがに自分が異世界から転移してきたことまで告げるつもりはなかったので、アレサは『古代魔法帝国時代の魔剣』ということにした。
人の言葉を操る魔剣――今まで聞いてきた古代魔法帝国の技術力ならば、そんな魔剣があったとしても不思議ではない、そう考えたのである。
最初に持っていた剣と違っていることや、どうやって入手したのかを問われると面倒なことになりそうだったが、そのあたりは記憶喪失の設定を使って適当にごまかすつもりだった。
はたして、談話室に戻った修介はアレサをテーブルの上に置いて、「これがアレサです」とシンシアに告げたのだった。
話を聞いたシンシアとメリッサは大いに驚いたが、アレサの存在は意外とすんなり受け入れられた。
メリッサによると、実際にそういう魔剣が存在するという噂があるのだという。
世にも珍しい言葉を操る魔剣を前にして、シンシアはそれまでの不機嫌さも忘れて興奮気味にアレサに話しかけていた。
時間がなかったせいで、どういうキャラで行くかを事前に打ち合わせできていなかったことから、アレサがシンシアに向かって『小娘』とか言い出すのではと修介は冷や冷やしたが、アレサは初めて修介に出会ったときのような訊かれたことに事務的に答えるという機械的な応対を見せ、無難にその場を乗り切ったのである。
修介が「このことは絶対に秘密にしてください」とお願いすると、ふたりは快くそれに応じてくれた。
特にシンシアは「シュウスケ様とふたりだけの秘密ですね」と嬉しそうだった。
「メリッサさんがいるからふたりだけではないのでは……」と野暮を言う修介に、メリッサは「私は何も聞いておりませんから」と妙に凄みのある顔で言ったものである。
なんにせよ、そういった顛末で修介は最大の危機を乗り越えたのである。
この判断が正しかったのか、修介は自信はなかったが、大きな秘密のひとつを明かすことができたことで心が軽くなったことは確かだった。
そして現在――修介は己の過去の判断を盛大に悔いていた。
シンシアとの会話の許可を得たアレサは、シンシアにとっては有能な、そして修介にとって最悪な諜報員となっていた。おまけにシンシアへの応対の仕方も前回のような機械的なものではなく、完全に主君にご注進する家来のそれだった。
「アイナリンド様?」
『はい、それはもうとても美しいエルフの娘です。マスターはそのエルフ娘と森の中で一夜を共にしておりました』
「誤解されるような言い方をするなっ!」
「シュウスケ様は黙っててください」
「は、はい……」
氷のように冷たい口調でシンシアに命令され、修介は口を閉ざす。
「報告にあったエルフの協力者というのが、やはりそのアイナリンド様だったのですね。そしてシュウスケ様とずっと行動を共にされていたと……」
シンシアの刺すような視線が修介に注がれる。
ここにきてようやく修介はシンシアの不機嫌の理由を悟った。彼女は最初から修介とアイナリンドの関係を疑っていたのだ。
よくよく考えてみれば、修介たちが滞在していた宿の手配をしたのはシンシアである。人数が合わないことくらいすぐに気付くだろう。それ以前にシンシアは修介たちとグイ・レンダーの戦いを遠目からとはいえ見ていたのだ。アイナリンドをパーティの一員だと思っていて当然だった。
ところが、修介がアイナリンドをパーティの一員として数えていなかったことから、シンシアは修介が意図的に彼女の存在を隠したのだと誤解したのである。無論、修介にそんなつもりはなかったのだが、結果的にそう思われても仕方のない状況に陥っていた。
その後もアレサの暴走は止まらなかった。
『他には、マスターが女剣士に向かって『俺にはヴァルしかいないんだ』と言って口説いてましたね』
ついには訊かれてもいないことまで喋り出す始末である。
「口説いてねぇ! あれはそういう意味で言ったんじゃないだろっ!」
「シュウスケ様うるさいです」
「あうっ」
容赦ないシンシアの一喝で修介は再び黙らされる。
すっかり蚊帳の外へと追いやられた修介は、止まらないアレサ主催の暴露大会を絶望の面持ちで観戦することしかできなかった。
アレサによって次々と白日の下に晒される事実によって、シンシアの機嫌はすこぶる悪くなっていた。
自業自得とはいえ、楽しいはずのお茶会が、ここ二回ばかりは針の筵のような状態になっていることに修介は密かにため息を吐いた。
もっとも、この状況はシンシアにとっても本意ではなかった。
本当は会いに来てくれなかったことに対してちょっとだけ文句を言ったら、その後はちゃんと助けてもらったお礼をするつもりでいたのだ。その為に最高級のお茶とお菓子をメリッサに買いに行かせたくらいなのだ。
ところが、いざ本人を前にしたら気持ちが舞い上がってしまい感情の制御がうまくできなくなり、逆に溜まっていた不満が爆発してしまったのだ。
会いに来てくれなかったことや、修介の周囲に女性が増えていたことはもちろん不満だったが、なにより修介の慇懃な態度が、ふたりの間に距離があるように感じられて悲しかった。
修介の性格を考えれば、それは仕方のないことだとわかっているのだが、シンシアはサラのように修介と気心知れた感じで喧嘩をしてみたかったのだ。そういう関係に憧れていた、と言ってもいいだろう。
そもそもサラだって伯爵夫人の孫であり貴族なのだから、修介が自分に対してサラと同じような態度を取っても別におかしくはないはず、とまで考えていた。
だからシンシアは自分の物言いが理不尽だとわかっていても、ついあのようなきつい態度を取ってしまったのである。
アレサの正体が修介の剣であることを知ったシンシアにとって、最大の恋敵はサラだった。
ふたりきりで冒険したという美しいエルフの娘や、相棒として共に戦ったという女剣士など、いつのまにか修介の周囲に魅力的な女性が増えていたことも大問題だったが、それでも最大の脅威はやはりサラだった。
サラが修介をどう思っているのかはわからなかったが、一緒にパーティを組んでいるのだから、嫌っているということはないだろう。命懸けの冒険を共にしていれば信頼関係が構築され、それがいずれ恋心に発展したとしてもおかしくない。
たまにしか修介と会うことができないシンシアにとって、それはあまりにも大きすぎるハンデだった。
だが、それでもまだシンシアには修介とふたりだけの秘密を共有しているという強みがあった。自分の方が優位に立っているという自信があった。
その自信が揺らいだのは、グイ・レンダーが現れた時だった。
シンシアの心の中にひとつの疑問が湧き起こった。
あの恐ろしい上位妖魔と戦っていたとき、修介は果たして何の為に戦っていたのか、という疑問。
(人々の為? 自分自身の名誉の為? わたくしを守る為? それとも――)
そこから先を考えるのが怖かった。答えを知るのが怖かった。
だが、たとえそれが何であろうとも、シンシアは立ち止まるつもりはなかった。
ライセット家の人間は負けることを善しとしない。
相手が誰であろうと負けるつもりはなかった。
だからこそ、数少ない機会であるお茶会で楽しい時間を過ごして、修介との距離を一気に縮めるつもりでいたのだ。
なのに、なぜ自分は不満気に頬を膨らませているのか――シンシアはこの状況に強い憤りを覚えていた。
(どうしてこうなった……)
(どうしてこんなことに……)
修介とシンシアの思考は皮肉にも見事なまでに
「……お嬢様、そろそろお時間です」
傍に控えていたメリッサがシンシアの耳元に顔を寄せてそう告げた。
「うそっ、もうそんな時間なの?」
シンシアがわかりやすく狼狽える。
「もう少し、なんとかなりませんか?」
「剣の稽古をしたいと言い出されたのはお嬢様でしょう。ランドルフ様はご多忙の中、お嬢様の為に時間を作ってくださっているのですよ」
「それはわかっておりますけど……」
メリッサの言葉にシンシアは項垂れた。
「剣の稽古?」
首を傾げる修介にメリッサは説明する。
「実はお嬢様はクルガリの街から戻られて以来、ランドルフ様から剣の手ほどきを受けておられるのです。ライセット家の娘たる者、自分の身は自分で守れるくらいにならなければ、とおっしゃられまして――」
「メリッサ! そのことはシュウスケ様には言わないでって言ったでしょう!」
「あら、失礼いたしました。シュウスケ様ばかり秘密をばらされては不公平かと思いましたもので、つい……」
「もうっ!」
シンシアは頬を膨らませてそっぽを向いたが、ちらちらと横目で反応を窺ってくる姿に修介は思わず苦笑する。
「とてもご立派なことだと思いますよ」
修介はお世辞ではなく本心からそう言った。
言われたシンシアは嬉しそうに頬を赤らめる。
――ゴブリンに襲われそうになっていたあの時、シンシアがメリッサと共に戦おうとしている姿を修介は見ていた。
シンシアはシンシアなりに、大切な人の為に強くあろうとしているのだ。
そして領主の娘として相応しくあろうと前を向いて努力するその姿は、とても眩しく見えた。
「そういうことでしたら邪魔しては悪いですし、俺はそろそろ失礼します」
そう言って修介は席を立った。
「あっ……」という寂しげなシンシアの声が耳に届く。
その声に修介は心苦しさを感じる。シンシアは自分の為にわざわざ時間を作ってくれたというのに、楽しい時間を過ごすどころか怒らせてばかりだったのだ。
(近いうちに埋め合わせしないとな……)
そんなことを考えながら修介はアレサを腰に付ける。
「また近いうちに顔を出します。シンシアお嬢様、剣の稽古、頑張ってください。俺もシンシアお嬢様に負けないよう頑張ります」
修介は一礼して踵を返すと、門までお送りします、と言うメリッサの後に続いて部屋を出た。
ふいに背後から袖を掴まれた。
修介が振り返るより早く、背中に温かい感触が広がった。
「……嫌なことばかり言ってごめんなさい。本当はお礼を言いたかったんです」
背中を掴む手に力が込められる。
「わたくしとメリッサを守ってくれて、ありがとう」
「と、当然のことをしただけですから……」
修介は必死に平静を装ってそう返したが、次のシンシアの一言で止めを刺された。
「あの時のシュウスケ様は、その……とても素敵、でした」
修介の心臓が跳ねた。
素敵、などという言葉を若い女性から言われたことなど、修介の四三年の人生で一度でもあっただろうか。あったかもしれないが、遥か昔のことなので耐性がすっかりなくなっていた。
少女からの純真無垢な好意を向けられ、その破壊力を前にして修介は不覚にも呆然と立ち竦むことしかできなかった。
そうこうしているうちに、背中の温もりは消え、背後からばたんと扉の閉まる音が聞こえた。
ようやく我に返ったときには、当然シンシアの姿はなかった。
修介は前にいるメリッサを見る。
メリッサは「私は何も見ておりませんし、何も聞いておりません」と態度で表していた。
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