第140話 約束

 どこの世界、どこの国、どこの街にいようとも、朝はやってくる。

 朝日に照らされた街の防壁が地面に長い影を作りだしていた。

 クルガリの街を守る防壁と門は、長い年月を掛けてドワーフの職人の手によって作られた物だった。

 この街を訪れる多くの商人は、小さな街にそぐわない堅牢さと荘厳さを兼ね備えた防壁や門の造りを見て、ドワーフ職人の腕前に感嘆し、彼らが生み出す多くの物品を買いあさっていくのだという。

 そんな街の門に、修介とサラはアイナリンドの見送りの為にやってきていた。

 開け放たれた門の向こう側では、すでにモイラと護衛の冒険者たちが荷馬車と共に待っていた。馬車の荷台にはたくさんの鉱石とドワーフ製の工芸品が積み込まれてあった。

 昨晩、アイナリンドはモイラに同行を申し出るにあたって、自分と弟がエルフであることを告げていた。

 慌てる修介をよそに、モイラはたいした反応も見せず、「あんたの弟のように人助けをする奴もいれば、平気で人を傷つける糞みたいな奴もいる。そこにエルフも人間も関係ないさ。少なくともあたしの目にはあんたが糞みたいな奴には見えないね」とあっさりと受け入れた。

 モイラのその言葉で、修介とサラは安心してアイナリンドを見送る決意ができたのである。


「元気でね……」


 サラが名残惜しそうにアイナリンドを抱きしめる。


「弟さんが見つかることを願ってるわ」


「はい、ありがとうございます」


 そう答えるアイナリンドの手には何枚かの紙が握られていた。


「……それ、持っていくのか?」


 修介が紙を指さすと、アイナリンドは笑顔で頷いた。それは以前に修介たちが描いたアイナリンドの似顔絵だった。


「はい、大切な思い出ですから」


「そんな大層なもんじゃないだろう。俺やイニアーのはさておき、サラの絵はどう見ても落書きだろう」


「失礼ね!」


 アイナリンドから身体を離したサラが抗議の声をあげる。


「いえ、どれも素敵な絵です。みなさんが私の為に描いてくださったんですから……」


 アイナリンドはまるで宝物を手に入れた子供のように三枚の絵を胸元にそっと抱きしめた。

 この似顔絵は、ずっとひとりで旅をしてきた彼女にとって、初めて手に入れた人との絆の証だった。


 人間社会のエルフに対する偏見はアイナリンドの想像以上だった。

 エルフは精霊の力で人の心を操る。

 エルフは自在に姿を消して盗みを働く。

 エルフは人を呪い殺す。

 そんな噂によって、エルフというだけで警戒され、露骨に蔑むような態度を取られた。耳を出したままだとまともに宿に泊まることすらできなかった。

 いつしか、アイナリンドは街に入る時は布を頭に巻くようになり、街の外を歩くときも自然とフードを目深に被るようになっていた。

 そして、エルフである自分は父のように仲間を作ることはできないのだと、そう思うようになっていた。

 そんなときに修介と出会った。

 南の森を抜けてから、輸送部隊の元にたどり着くまでの数時間。アイナリンドはずっと修介とその仲間たちを見ていた。

 修介はアイナリンドがエルフであると知っても態度が変わらなかったが、それは彼の仲間たちも同様だった。

 パーティメンバーは変り者ばかりで最初こそ距離を感じたが、修介が積極的に橋渡しをしてくれたおかげですぐに打ち解けることができた。誰もエルフだからといって蔑むような態度をとらず、同じ宿に泊まるのを当たり前のことのように受け入れてくれた。短い間だったが、仲間として扱ってくれたのだ。

 サラに至っては、最初こそぎこちなかったが、いつの間にかまるで妹に接するかのように親身になってくれた。それがアイナリンドにはたまらなく嬉しかった。

 彼らと出会えたからこそ、もう一度、自分から人間と関わりを持とうという気持ちになれたのだ。

 そして、諦めかけていた仲間を作るという目標は、自分から手を伸ばせば掴めるのだということを知ることができたのだ。

 アイナリンドは修介とその仲間たちに深く感謝していた。




「なぁ、やっぱり俺も一緒に行ったほうがよくないか? なんなら今からでも付いていくぞ?」


 修介がおずおずと申し出る。

 当初から修介はアイナリンドに同行しようとしていたのだが、アイナリンドにきっぱりと断られていた。


「大丈夫ですよ。今までもひとりで旅してきたんですから。それに、シュウスケさんはこれからヴァレイラさんと一緒に冒険者のお仕事を頑張るんでしょう? せっかくコンビを組んだのですから、ヴァレイラさんを放っておくのは良くないと思います」


「それはそうだけどさ……」


 修介の態度は煮え切らない。アイナリンドの方が自分よりもよほどしっかり者だとわかってはいるのだが、すっかり彼女に情が移ってしまい、海外留学に行く娘を心配する父親のような心境に陥っていた。


「あなたが行ってもたいして役に立たないでしょ。情報屋にお金だけ騙し取られるようなお間抜けさんなんだから。あまりアイナを困らせるんじゃないわよ」


 サラの容赦ない一言で修介はぐうの音も出ずに項垂れた。それを横目に、サラはアイナリンドの手を握る。


「もしなにか困ったことがあったら、グラスターの冒険者ギルドに連絡して。すぐに飛んでいくから」


「はい!」


 アイナリンドは嬉しそうに頷いた。そして、いまだに浮かない顔の修介に向かって右手を差し出した。


「シュウスケさん、色々とありがとうございました」


「……」


 修介は差し出された彼女の手をじっと見つめる。その手を握り返したらアイナがいなくなってしまうのだと思うとどうしても躊躇ってしまう。ほんのわずかな時間を共に過ごしただけだったが、互いに命を預け合っただけにその時間はとてつもなく濃密なものだったのだ。寂しくないわけがなかった。

 そんな修介にアイナリンドは優しく微笑む。


「シュウスケさん、ちょっとだけ私の話を聞いてもらってもいいですか?」


「お、おう」


「……もし、キルクアムの街で弟が見つかっても、私はきっと無理に弟を故郷の森に連れ帰ることはしないと思います」


「えっ?」


 修介は思わずアイナリンドの顔を見る。


「弟には弟の人生があります。今までは無理にでも連れ帰ろうと思っていましたが、弟の生き方を私が無理やり変えることはできないんだと、そう思うようになりました。だから弟の顔を見て安心できたら、私は一度故郷の森に帰ろうと思います」


「アイナ……」


「その代わり、故郷の森に帰って色々と片づけたら、また新しい旅に出ようと思います。今度は私自身の旅です」


 アイナリンドは胸の前で小さく拳を握った。


「だからもし、もう一度シュウスケさんにお会いすることができたら、またパーティを組んで一緒に冒険をしてくれますか?」


 そう言ったアイナリンドの笑顔はこれまでで一番輝いて見えた。


「もちろん……もちろんだ!」


 修介は何度も頷きながら、アイナリンドの手を取った。

 その手にサラの手が重なる。


「シュウは頼りないから、その時は私も一緒に行ってあげるわ」


「おいっ!」


 修介は思わず突っ込む。

 それを見たアイナリンドがたまらずに噴き出した。

 釣られて修介とサラも笑った。

 三人の笑い声が吐き出される白い息と共に朝の空へと溶けていった。




「行っちゃったな……」


 修介はすでに馬車の見えなくなった街道を見つめながら呟く。


「そんな顔しなくても、あの子はしっかりしてるから大丈夫よ」


「……わかってるよ」


「それとも、可愛い女の子が傍にいなくなっちゃったから寂しいの?」


 サラが意地の悪い顔で言った。


「そう言うサラのほうが寂しいんじゃないのか? 随分と可愛がってたじゃないか」


「だってすごく素直でいい子なんだもの。エルフは高慢ちきで嫌な奴が多いっていう世間の風評に自分が踊らされてたんだと思うと情けなくなってくるわ」


「いや、アイナの場合はエルフ云々は関係なく、単にアイナが良い子だったってだけだと思うぞ。実際、弟の方はそんな感じだしな」


「へぇ、そうなんだ」サラは意外そうな顔をする。


「人の顔見てオークと間違えたとか言う失礼なヤツだったぞ」


「それは別に間違ってないじゃない」


「……」


 微妙に傷ついた心を抱えつつ、修介はアイナリンドの旅の無事と、彼女が弟と再会できることを祈った。

 アイナリンドは大人しいが芯が強くしっかりした子だ。面倒見も良いので、きっと故郷の森ではしっかりとお姉さんをしていたに違いない。あのクソ生意気な弟も、アイナには頭が上がらないのではないか。修介はイシルウェがアイナに長い耳を引っ張られている姿を想像して思わず口元が緩んだ。


 そうやってしばらくのあいだ二人並んで街道の景色を眺めていたが、やがてサラは大きく伸びをしながら修介に向かって言った。


「……私たちもそろそろ帰りましょっか」


「帰る……」


 その言葉に修介は違和感を覚えた。

 サラが言ったのは、宿に帰ろうという意味ではなく、グラスターの街に帰ろう、という意味であることはわかっていた。

 修介が覚えた違和感は、帰る、という単語そのものに対してだった。


(俺が帰る場所ってどこなんだろう……)


 ふと、そんなことを考える。

 修介の現在の住処はグラスターの街にある宿屋である。

 しかし、故郷は前の世界の、生まれ育った街にある家だった。

 だからグラスターの街に帰るという表現がしっくりこなかったのだ。

 この世界に来てから、日に日に前の世界の事を思い出すことは減っていたが、それでもふとしたきっかけに思い出すことがある。それは当然のことだった。異世界に転移しようが、前の世界での記憶が、生まれ育った街の記憶が消えたわけではない。

 修介にとって自分が帰りたいと思う場所は、やはり生まれ育ったあの街だった。

 だが、あの街にはもう二度と帰れない。

 そのことが無性に悲しく思えた。


「どうかしたの?」


 サラが首を傾げて問いかけてくる。


「いや、なんでもないよ」


 修介は首を振る。

 いつの日かグラスターの街を自分の帰るべき場所だと思える日が来るのだろうか。

 今はまだわからない。

 修介は目を閉じてグラスターの街並みを思い出す。

 街を囲う高い防壁。

 広々とした北の大通りとそこに並ぶ商店。

 美しい広場の噴水。そこから見える戦いの神の神殿の尖塔。

 冒険者ギルドの古びた入口の扉。

 それらの景色は修介にとって、あって当たり前の新しい日常の景色となっていた。

 そして、サラやノルガド、そしてシンシアが暮らすグラスターという街を、修介は好きになりつつあった。


(帰る場所なんていくつあってもいいよな)


 修介は心の中でそう呟くと、心配そうに覗き込むサラに向かって微笑んだ。


「そうだな、グラスターの街に帰ろう」




 翌日、修介たちはしばらくクルガリの街で活動するというデーヴァンとイニアーにグラスターの街での再会を約束し、クルガリの街を発った。

 一緒にいるのはサラとヴァレイラ、そしてノルガドだった。

 折よくグラスターの街に向かうという行商人から護衛を頼まれたので、荷馬車の護衛をしながらの旅路となった。

 レギルゴブリンがいなくなったからか、帰りの旅路は平穏そのものだった。行きと違い旅人とすれ違う回数も格段に増え、街道には徐々に活気が戻りつつあるように見えた。

 これも輸送部隊と先発隊の活躍があってのことだろう。

 そこに自分も加わっていたことを修介は誇らしく感じていた。

 そうして旅を続けること一週間。修介たちは無事にグラスターの街に帰還することができたのである。


 ……修介がとんでもない失敗を犯していたことに気付いたのは、街に着いてしばらく経ってからのことだった。

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