第136話 悪戯

 深夜、修介はいまだ喧騒のさなかにある酒場を抜け出して、ひとり宿へと戻ってきていた。

 サラの様子が気になるから、と理由を口にする修介をヴァレイラとイニアーはここぞとばかりに冷やかしたが、さすがに引き留めるような無粋な真似はしなかった。

 かつて二度も重傷を負って意識を失ったことがある修介は、目覚めたときにエーベルトが傍にいてくれたことでかなり安心したことを覚えていた。

 もしサラが目覚めたときに誰もいなかったら、きっと心細いに違いない。だから傍にいてあげたいと思ったのだ。

 ちなみに、この宿はシンシアの指示によって修介たちの為に手配された宿だった。

 輸送部隊の危機に駆け付けてくれた冒険者パーティへのささやかな礼とのことで、宿屋が多いクルガリの街のなかでもかなり上等な宿を手配してくれたのだ。

 しかもそれぞれに個室が用意されており、おまけに修介と行動を供にしていたアイナリンドもパーティメンバーとして数えられていたようで、彼女の分まで部屋が用意されていた。

 アイナリンドは「私は冒険者でもパーティメンバーでもありませんから」と遠慮したのだが、「せっかくただで泊まれるんだからつまんねぇこと気にすんな」というヴァレイラの一言で、なかば強制的に宿泊させられていた。

 もっとも、そのアイナリンドも今は宿にはいないようだった。

 彼女は彼女で、弟の情報を求めて昼夜を問わず外に出ていることが多く、ほとんど部屋に帰ってくることはなかった。若い女性が夜に出歩くのはあまり感心できないと思う修介だったが、この世界では彼女も立派な大人である。行動に口出しするのは憚られた。


「そういや、アイナの弟を探すのを手伝う、なんて考えてたっけか……。ほんと、俺は自分のことばかりだよなぁ」


 この二日間、そのことを思い出そうとすらしなかった自分に、修介はあらためて情けなさを覚えていた。


 結局、宿にいるのは修介とサラのふたりだけだった。

 ヴァレイラたちはおそらく朝まで帰ってこないだろう。この街に到着してから、彼らは完全に昼夜が逆転する生活を送っていた。

 酒場の喧騒もさすがにここまでは届かないようで、部屋の中は静寂に包まれていた。

 かすかに聞こえてくる規則正しい寝息が、サラがちゃんと生きているのだということを教えてくれた。

 月明かりに照らされるだけの室内は薄暗く、サラの顔はよく見えない。かといって近づいてまじまじと寝顔を見るのも躊躇われ、修介は音をたてないように部屋の隅に移動すると、壁を背にして座った。

 そしておもむろにアレサを鞘から抜いて手入れを始める。

 あまりに静かなので手を動かしていないと眠ってしまいそうだったからだ。




 その後、黙々とアレサの刀身を磨いていた修介だったが、しばらくするとゆっくりと舟を漕ぎ始めた。

 腕がだらりと下がり、コン、という音を立ててアレサの刀身からだが床に触れる。それでも柄は相変わらず修介に握られたままだった。


『マスター?』


 周囲に人の気配がないことを確認してから、アレサは何度か小声で呼びかけた。


「うぅん……」


 修介は気だるげに身じろぎするだけで目を覚ます気配はない。

 アレサは仕方なく軽く振動してみたが、いよいよ反応が返ってこなくなった。どうやら本格的に眠りに落ちたようだった。


『まったく、まだ手入れの途中だというのに……』


 アレサは起きている者が誰もいなくなった部屋でひとり呟く。

 無理もない――。全力で身体を酷使したあの戦いからまだ二日しか経っていないのだ。修介の体には大きな傷こそなかったが、小さな傷はそれこそ無数にあった。おまけにこの二日間、彼はほとんど寝ていない。いい加減、体が悲鳴をあげる頃だった。

 戦いが終わってから修介が色々と悩んでいたことをアレサは当然知っていたが、それにある程度の解決策が見えたことで、一気に気が緩んだのだろう。むしろそんな状態でも欠かさずに手入れをしようとしたことが驚きだった。

「アレサの手入れは、なんていうか歯磨きみたいなもんだ。やらないと落ち着いて寝られないんだ」というのは本人の談である。にもかかわらず途中で寝てしまったということは、それだけ彼が限界だったということだった。

 眠る修介にせめて毛布を掛けてあげたい、そうアレサは考えたが、残念ながら自分にそういった機能はない。自分の身体が剣であることに不満も疑問もなかったが、こういう時に人間のように自由に動ける体が欲しいと思わなくもなかった。


 今回の旅のあいだ、アレサはずっと修介を見守ってきた。

 何度も危なっかしい場面はあったし、実際に何度か手を貸したが、それでもアレサが感じたのは、修介のたしかな成長だった。

 アレサが手を貸した場面も、力が及ばなかったところを少し補っただけで、前のように嘘を吐いてまで誘導する必要はなかった。もっとも、グイ・レンダーから逃がすために、修介の声真似をしてしまったのはかなり想定外の出来事だったが……。

 とにかく、今までなら「どうしたらいいと思う?」「こうした方がいいかな?」と自信なさげに聞いてくるような場面でも、彼は自分で行動を選択していた。

 自分のことばかりだった修介が、リーダーとして仲間の為に戦い、悩み、苦しみながらも自分自身で決断を下し前に進んできたのだ。

 そして、つい先ほどのヴァレイラとの会話である。

 あの決断はこの世界に来たばかりの頃の修介では考えられないことだった。

 身の丈に合った依頼を受けるという彼の考えは間違っていない。

 ただ、そこからさらに一歩進んで身の丈を伸ばすことを彼は選んだのだ。

 命を落とす危険のあるその道を、自分で選び、進む覚悟を決めたのだ。


 もはや自分の存在は修介にとって必要ではないのかもしれない――アレサはふとそんなことを思った。

 仮に自分が機能停止したとしても、今の修介ならきっと乗り越えられるに違いない。なにより、彼はもうひとりではなかった。周囲には頼もしい仲間が何人もできていた。

 修介の成長を誰よりも願い、それを見守ってきたアレサにとって、それは嬉しいことのはずだったが、同時に寂しさも感じていた。

 作られた人格の自分がそんなことを感じるのは滑稽だったが、自分を生み出した管理者たちはこの結果に満足しているのだろうか。

 それを確かめる術はないし、さほど興味もなかった。

 自分にあとどれくらいの時間が残されているのかわからないが、稼働し続けられる限りは彼を見守ろう――柄を掴む修介の手の温もりを感じながら、アレサはそんなことを思うのだった。


 ふと、ベッドで眠るサラの生体反応にわずかな変化が生じたのをセンサーが感知した。

 おそらくあと少しで目を覚ますだろう。

 アレサは無理やり刀身からだを動かして修介を引っ張った。

 眠っていながらも決して柄を放そうとしない修介は重力に逆らうことができず、そのまま床に倒れた。

 剣を握ったまま床に倒れている修介の姿は、傍から見れば戦いに敗れて死んだ者にしか見えないだろう。

 これを見たらあの魔術娘はさぞ驚くに違いない。

 手入れの途中で寝てしまった修介に対する、ちょっとした悪戯だった。

 あと、なんとなくだが、このままふたりに感動の再会を果たされることが、ちょっと癪だったのだ。


 ――それから数分後、目を覚ましたサラが剣を握ったまま床に倒れている修介の姿を発見して、悲鳴をあげたのは言うまでもない。


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