第135話 進むべき道

 それからどのくらい時間が経ったのか。

 すっかり酔いが回った修介はふらふらする頭で状況を把握しようと試みる。

 同じテーブルには、いつのまにやってきたのか、デーヴァンが顔色一つ変えずにずっと変わらぬペースで酒を飲み続けていた。

 イニアーは少し離れたテーブルで見知らぬ女性を口説いている。

 隣のテーブルではダドリアスと顎髭の戦士が何やら激しく言い争いをしており、ギーガンが横からしきりに茶々を入れていた。

 気が付けば、周辺のテーブルは先発隊の冒険者たちで占拠されていた。

 そして当の修介はというと、酔ったヴァレイラに延々と説教されていた。内容は主に修介の戦い方についての駄目出しだった。


「だからよぉ、シュウは動きに無駄が多すぎるんだっての。あと無駄に力が入りすぎだ。あれじゃすぐにへばっちまうだろうが。それと無駄にビビりすぎなんだよ」


 ヴァレイラは修介の鼻先に指を突きつけながら言う。

 修介の人生でこれほど面と向かって「無駄」を連呼されたことはなかった。


「無駄無駄うるせぇな、お前はデ〇オかよ」


 修介は聞こえないように小声で文句を言う。


「あん? なんか言ったか?」


「いえ何も言ってません」


「とにかくだ、シュウはもっと頭を使って冷静に状況判断ができるようにならないと駄目だ。デーヴァンもそう思うよな?」


 ヴァレイラは言いながら馴れ馴れしくデーヴァンの肩に手を置く。それに対しデーヴァンは真顔で「ああ」と頷いた。

 頭を使ってとか、何も考えずに真っ先に敵に突っ込んでいくヴァレイラにだけは言われたくないと修介は思ったが、口にすれば火に油なので黙っておく。


「それから、剣の振り方に変な癖がついているから、それも意識しないと駄目だ。妖魔相手ならいいが、手練れの戦士相手だとそういった癖は利用される。だよな、デーヴァン?」


「ああ」


 ヴァレイラの問いかけに毎度律儀に頷くデーヴァン。その反応にヴァレイラは満足そうに頷く。酒が入っているからなのか、それともこの二日間で散々一緒に飲み歩いたからなのか、ふたりはやたらと仲良くなっていた。


「お前な、デーヴァンが『ああ』しか言わないからって、いちいち相槌を求めるんじゃねぇよ!」


 修介はたまらずに文句を言う。


「そんなことないよな、デーヴァン?」


「ああ」


「デーヴァンもわざわざヴァルに付き合う必要ないんだぞ?」


「うう」


「そこは否定すんのかよ!」


 思わず修介は突っ込みを入れた。

 ヴァレイラが腹を抱えて笑っていた。


 そこからさらにヴァレイラに延々と駄目出しをされ続けた修介は、自棄になって煽られるがままにデーヴァンに飲み比べを挑んだ結果、あっさりと撃退され、気が付くと杯を手にしたままテーブルに突っ伏していた。

 いまだに周辺のテーブルでは冒険者たちが大騒ぎをしているようだったが、酔いのせいかその音はやたらと遠くに聞こえた。


(ちょうどいいや……)


 修介は目を閉じたまま考える。

 アルコールに浸食された脳は考えることを拒絶するかのようにぐわんぐわんと揺れ動いていたが、むしろそのくらいの方が今の修介には都合が良かった。

 素面しらふで二日間考えても出なかった答えが、今でははっきりとわかっていた。

 奇しくも、この場にいる冒険者たちの存在が修介を答えへと導いてくれたのだ。

 修介の心を覆っていた闇の正体――それは恐怖だった。

 戦いの中で自分が死ぬことへの恐怖ではない。

 自分のせいで人が死んでしまうことへの恐怖だった。


 強くなるためには、今までのようにひとりで薬草採集や倉庫警備の仕事をしているだけでは駄目だった。誰かとパーティを組んで実戦の中で本格的に戦い方を学び、経験を積む必要がある。

 今回の旅で、修介は先発隊という集団のなかで多くの冒険者とかかわりを持ち、パーティのリーダーとして常に仲間を気に掛け、様々な決断を下してきた。

 そして、ノルガドから先発隊の多くの冒険者が行方不明となった修介の捜索に向かう為にダドリアスを説得したという話を聞いて、自分の決断や行動によって、他人の命を危険に晒してしまうことがあるのだということを、あらためて思い知らされたのである。

 現に今回の依頼で先発隊の冒険者は十人以上が死んでいた。

 今まではただ自分のことだけを心配していれば良かった。自分が弱いだけなら、自分が死ぬだけで済む話だった。

 だが、パーティを組んで戦うということは、これまで以上に他の冒険者と関わっていくということであり、自分のせいで仲間を死なせてしまう可能性があるということだった。

 今この場にいる仲間を失った冒険者たちと同じ立場に置かれる日が自分に来ないという保証はないのだ。このまま冒険者を続けていけば、いずれ間違いなく仲間の死という現実に直面することになる。

 自分のせいで仲間が死ぬ――それは前の世界で人の死に直接関わることのなかった修介にとって、とてつもなく恐ろしいことだった。

 修介は怪我をしたサラの向こう側に『大切な仲間の死』という未来を見て恐怖したのだ。

 そして、その恐怖は仲間との絆が深まれば深まるほど濃さを増し、容赦なく心を侵食していく。


(冒険者をやめるか……)


 一瞬、そんな選択肢が修介の脳裏を過る。

 別に冒険者をやめなくても強くなることを諦めればそれで済む。今までのようにひとりで薬草採集をやりながら誰とも関わらずに孤独に生きていけば、そんな恐怖に怯える必要もなくなるだろう。

 だが、それは修介が望んだ生き方ではなかった。

 それでは前の世界で様々な嫌なことから目を背けていた自分と何も変わらない。

 どの世界だろうと、他人と関わらずに生きていくことなど不可能なのだ。

 冒険者を続けようが辞めようが、そんなことは関係なく、サラも、ヴァレイラも、ノルガドも、みな自分自身で道を選び戦いに赴くだろう。

 自分が目を背けているあいだにも、彼らは死ぬかもしれないのだ。

 想像しただけで背筋が凍るようだった。

 結局、その恐怖と向き合い、乗り越えるしかないのだと修介は気付く。

 そして、仲間の死という未来が訪れる可能性を少しでも低くする為にも、自分自身が強くならなければならない。

 答えは最初からひとつだけだったのだ。

 ならば、進むべき道も決まっていた。




「ヴァル、頼みがあるんだ」


 修介はおもむろに顔を上げると、目の前でデーヴァンにうざ絡みしているヴァレイラに声を掛けた。


「い、いきなりなんだよ……」


 酔いつぶれていたはずの修介が、いきなり真剣な眼差しを向けてきたことにヴァレイラは戸惑う。


「――俺に戦い方を教えてくれ」


「は?」


「今の弱いままの俺じゃ駄目なんだ。だから、俺に戦い方を教えてくれ、頼む!」


 修介は頭を下げる。勢いをつけすぎたせいでテーブルに額がぶつかり、ごん、という鈍い音が響く。


「……」


 ヴァレイラは修介の予想だにしない申し出に虚を突かれ、すっかり黙り込んでしまった。

 修介は頭を下げたまま微動だにせず、ヴァレイラの返事をじっと待った。


「……やだよ、めんどくせぇ」


 ヴァレイラは吐き捨てるように言った。


「ちょっ!? なんで?」


 修介は顔を上げてヴァレイラに詰め寄る。


「なんでって、それはあたしの台詞さ。なんであたしがそんなことをしなきゃなんねーのさ。そもそもあたしに何の得もないだろうが」


「う……」


 まったくもって正論だった。


「ちなみに金を積まれたってイヤだね。理由は面倒だからだ」


 ヴァレイラは杯に口をつけながらそう付け加える。

 取りつく島がないとはまさにこのことだった。


「そ、そんなことを言わずに頼むよ。俺にはヴァルしかいないんだ」


 他人が聞いたら誤解されそうな発言だったが、そんなことを気にしている余裕は修介にはなかった。


「んなこと知るかよ。他を当たれ。……そうだ、ノルガドに頼めよ。あの親父さんは面倒見がいいから断らないはずだ」


「ヴァルじゃなきゃ駄目なんだよ」


 たしかにノルガドは師匠のような存在だった。冒険者としての基礎はノルガドから学んだと言っていい。だが、ドワーフと人間では体格差があることから戦い方の根本が異なるのだ。剣の扱いに関してノルガドから学ぶことはできない。

 その点、ヴァレイラは違った。先ほどの修介への駄目出しはすべて的を射ていた。それは彼女が修介の戦いをよく見ていたという証拠だった。修介の戦い方の癖や欠点を誰よりも客観的に把握しているヴァレイラこそが、剣を学ぶ師として最適だと修介は思っていた。なにより、修介はヴァレイラを戦士として尊敬していた。

 戦い方を学ぶなら彼女しかいない、修介はずっとそう考えていたのだ。


 その後も修介は言葉の限りを尽くしてヴァレイラの説得を試みたが、彼女の態度は一向に変わる気配がなかった。


「……どうしても駄目か?」


「ああ」


「なら戦い方は教えてくれなくていいから、俺とコンビを組んでくれないか?」


 修介のその言葉にヴァレイラは眉を顰める。


「コンビ? ……本気で言ってるのかい?」


「ああ本気だ」


「……」


 ヴァレイラは思案顔をする。が、すぐに首を横に振った。


「いや駄目だな。あんたとのコンビは今回の依頼の間だけって話だろう。あたしには相棒は必要ない」


「そこをなんとか! 雑用とか全部俺がやるから! なんなら肩もお揉みします!」


「いらねーよ!」


「なぁ頼むよヴァル、このとおりっ!」


 修介は額をテーブルにこすりつける。説得する言葉を使い切った修介は、もはや態度で食い下がるくらいしか術がなかった。


「お前にプライドはねぇのかよ……」


「目的達成の為にプライドが邪魔になるなら躊躇なく捨てられるね!」


「口だけはいっちょ前だな」


 ヴァレイラは呆れたように首を振った。

 すると、それまでずっと黙って様子を見ていたデーヴァンが、おもむろに修介とヴァレイラの間にぬうっと顔を突き出した。


「ふたり、良い、コンビ、なれる、思う」


 デーヴァンはそれだけ言うと、すぐに元の姿勢に戻って何事もなかったかのように杯をあおった。


「デーヴァン……」


 思わぬデーヴァンの口添えに修介は感動に打ち震えた。


「ほら、デーヴァンもこう言っていることだしさ!」


「何がほら、だ! ったく適当なこと言いやがって……」


 ひとしきり愚痴をこぼすと、ヴァレイラは真顔に戻って修介を睨みつける。


「……本気であたしとコンビを組もうって考えてるんだな?」


「ああ」


 修介も負けじと表情を引き締める。


「念のために聞いておくが、なんでそんなに強くなりたいんだ?」


「戦士が強さを求めるのに理由なんていらないだろ?」


「はっ、言うじゃないか。けど、どうせあんたのことだから、強くなればサラを守れるとか考えてんだろ?」


 ヴァレイラの視線が鋭さを増した。


「そ、そりゃ、そういう気持ちがないと言えば嘘になるけど……」


「ならやめときな。はっきり言ってあんたは戦士には向いてないよ」


「……たしかに俺は戦士に向いてないかもしれないけど、向いてないからって仲間を守るのをやめるってわけにはいかないだろ?」


 修介自身、自分が戦士に向いているなんて思っていない。だが、この世界では向いていようがいまいが、そんなことはおかまいなしに妖魔は襲ってくるのだ。向いていないことが強くなることを諦める理由にはならない。


「あんたのそういった誰かの為にって考え方が、その誰かにとっては重荷になるかもしれないってことをわかってんのか?」


 ヴァレイラの声がわずかに震える。


「重荷?」


「もしあんたが誰かを守る為に無茶をして死ねば、守られた側は自分のせいであんたが死んだって思うだろうが。それがわかってんのかって聞いてんだよ」


「わ、わかってるつもりだ」


「いいや、わかってねぇ!」


 ヴァレイラは突然叫んで椅子から立ち上がる。そして襟首を掴んで修介を引き上げると、凄まじい怒気を漲らせて睨みつけた。


「てめぇが勝手な真似して森に残ったとき、あいつが――サラがどんな顔をしていたのか、てめぇは知らねぇだろうが!」


 修介は絶句する。

 たしかに、記憶にあるのは別れ際の心配そうな顔と、再会した時の怒っている顔だけだった。グイ・レンダーから皆を逃がすことが出来たとき、修介はひとり満足して笑みすら浮かべた。だが、その後にサラがどんな顔をしていたのかなんて考えすらしなかった。


「英雄気取りで誰かを守って勝手に満足して死のうとするような奴とコンビを組むなんてあたしはごめんだね! 強くなったところで、そんな甘い考えの奴はどうせすぐに死ぬ」


 ヴァレイラは修介を突き放すと乱暴に椅子に座った。そして、自分が熱くなってしまったことを恥じるようにそっぽを向いた。

 デーヴァンが険悪になった空気に戸惑って「ぅぅ」と小さく唸る。


「ヴァル……」


 常々思慮が足りないと自覚する修介だったが、それでもヴァレイラが何を言いたかったのかはなんとなくわかるつもりだった。

 命を懸けて戦う理由を他人に求めるな。仮に誰かを想って戦うのだとしても、それを表に出すな。悟られるな。そう彼女は言いたいのだ。

 ようするに悲壮感を漂わせて戦おうとする修介の態度が気に入らないのだ。

 現にヴァレイラは今回の旅で幾度となく体を張って修介やパーティの仲間を守り、もっとも危険な役割をさも当たり前のような顔をして引き受けていた。だが、それについて文句を言ったり恩を着せたりといったことはしていない。

 彼女は人に借りを作ることを嫌うが、同時に貸しも作らない。誰かを守るために戦ったとしても「あたしは自分の為に戦ったんだ」と平気で嘯く、そういう人間だった。

 修介はそんな不器用なヴァレイラを好ましく思った。そして、あらためてコンビを組むなら彼女しかいないと確信した。


「……俺は、自分が誰かの為に戦えるほど上等な人間だとは思ってないよ。単に仲間の死を直視したくないだけの臆病者だ。だから、この想いは誰かの為なんかでは決してないと思う」


 修介は周囲の冒険者達から英雄と呼ばれていたが、修介自身は自分のことを英雄だなんて思っていなかった。

 真の英雄とは、誰にでも分け隔てなく手を差し伸べられる人のことを指すのだ。

 だが、自分は違う。

 自分が命懸けで守ろうと思えるのは、自分にとって大切な人だけだった。

 そして、自分が大切な人を守ろうとするのは、自分がその人を失って悲しい思いをしたくないからだった。

 この考え方が自分本位なのかは修介にはわからなかったが、誰かの為にではなく、自分の為に強くなる。この気持ちだけは本物だという自信があった。


「それに、俺はもうあんな悔しい思いをしたくないんだ! もう負けるのは嫌なんだよ! バルゴブリンだろうがグイ・レンダーだろうが、立ち塞がる奴らを全員ぶっ倒して、俺はなりたい俺になるんだ!」


「……」


 ヴァレイラは修介を睨みつける。修介の真意を探るような目だった。

 修介はその目を正面から見据える。

 やがてヴァレイラは諦めたかのように大きくため息を吐いた。


「……六対四だ」


「え?」


「だから、取り分はあたしが六であんたが四。それでよければコンビを組んでやるって言ってるんだよ」


「ヴァル……」


「授業料だ。当然だろ?」


 ヴァレイラの言葉に修介は大きく頷いた。


「ああ、もちろんだ! それで構わない。ありがとうな、ヴァル!」


「はんっ。後悔しても知らねーからな」


 ヴァレイラは気恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 その隣で、デーヴァンが珍しくそれとわかるくらいに嬉しそうな顔で杯を掲げていた。

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