第134話 弔い
激戦から二日が過ぎていた。
修介はクルガリの街の、とある宿の一室にいた。
目の前のベッドではサラが静かに寝息を立てている。
グイ・レンダーの襲撃で大怪我を負ったサラは、ブルームの懸命な治療によってなんとか一命をとりとめることができた。
治療したブルームが言うには、サラが致命傷を負わずに済んだのは、ローブの下に
ただ、滅多に採掘されることがない希少な金属の為、一般的な冒険者が手に入れる機会は滅多にない。
サラはその希少な
出発前にサラが着ぶくれしているように見えたのは、まさにこの
ブルームから治療を引き継いだノルガドが、テーブルの上に置かれたその
ノルガドによると、その
ただ、普段のサラは金属製の防具を身に付けることを好まないらしく、ノルガドが一緒にいるときは、よほどのことがない限り
「それって俺が護衛じゃ頼りないからそうしたってことだよな……」
絶対的な守護者であるノルガドと、駆け出しの冒険者である自分を比べること自体がおこがましいとわかってはいるが、自身の力のなさをあらためて思い知らされ修介は肩を落とした。
「そう落ち込むことでもあるまい。おぬしの負担にならないようにと、この娘なりに考えてのことじゃろうて」
ノルガドはそう言って修介の背中をぽんと叩いた。
「そっか……」
修介はサラの顔を見る。
命は助かったとはいえ、サラの傷は決して浅くはなく、彼女の意識はいまだに回復していなかった。
ノルガドによると、今のサラは癒しの術の治療によって体力もマナも底をついている状態とのことだった。しばらく休めばいずれ目覚めるらしいが、その寝顔はまるで
「おぬしがそこでそうしておっても意味がなかろう。わしが代わりに看ていてやるから、おぬしは少し外の空気でも吸ってこい」
見かねたノルガドがそう声を掛けてくれたが、修介は生返事を返すだけで、その場から動こうとはしなかった。
この二日間、修介はサラの傍に付きっきりで、ほとんど部屋から出ていない。
この場に自分が居てもなんの意味もないことはわかっていた。
わかっていても動けなかった。
目の前でグイ・レンダーに吹き飛ばされたサラの姿が目に焼き付いて離れない。
自分が勝手な行動を取らずに傍にいれば、自分がもっと早く駆け付けていれば、自分がもっとうまく立ち回っていれば、そんな後悔や自責の念が次々と湧いては修介の心を責め立てていた。
「おぬしが自分を責める気持ちはわからんでもないがな、それを言うたらわしも同罪じゃよ。肝心なときにおぬしらの傍に居てやれなんだ……。むしろおぬしはよくやってくれた。サラがこうして生きているのは、おぬしのおかげでもあるんじゃからな」
ノルガドは髭をしごきながら修介を気遣うように言った。
そうじゃない、と修介は思った。
よくやってなどいない。
たしかにサラは助かった。
パーティメンバーも全員生き残った。
そして、シンシアも無事だった。
結果だけを見れば、今回の依頼は成功と言って良かった。
だが、修介の心は晴れない。
ノルガドの気遣いは嬉しかったが、今の修介には到底受け入れられなかった。いっそのこと「お前のせいだ」と責められた方がずっと楽だった。
修介の心を占めていたのは、弱い自分に対する怒りだった。
今回の旅で多くの実戦を経験して強くなった気でいたが、蓋を開けてみればバルゴブリンに負け、グイ・レンダーとの戦いでは肝心なところで体力が尽きて動くことすらできなかったのだ。アレサがいなければ最初のグイ・レンダーとの戦いで死んでいたし、最後の奇襲も失敗していただろう。結局、自分の力では何も成し遂げていないのだ。
唯一、シンシアを守ることだけはできたが、それさえも後先考えずに暴れまわって体力を使い果たし、結果的にパーティに大きな迷惑を掛けたのだ。
どれもこれも、弱い自分が悪い――そういう結論にたどり着く。
妖魔という明確な敵が存在するこの世界で、何かを守る為、何かを得る為に剣を手にしたならば、弱いということは、もはやそれ自体が罪だった。
強くなければ何も守れないし、何も得られない。単純な話だった。
ならばどうすればよいのか。
答えは簡単だった。
強くなればいいのだ。
ランドルフのように単騎で上位妖魔を討ち取れるくらいに強くなれば、こんなみじめな思いをしなくて済む。オーガから逃げ回る必要もなければ、バルゴブリンに負けて悔し涙を流す必要もなくなる。
強くなる以外に自分自身へ向けられた怒りを払拭する術はないのだ。
だが、それがわかっていながら修介は動けなかった。
心が得体の知れない闇に覆われていて、前に踏み出すことができなかった。
この二日間、修介はずっと考えていたが、心を覆う闇の正体がわからず、同じ場所で足踏みを続けていた。
気が付けば、ノルガドは部屋からいなくなっていた。
部屋には修介とサラだけが残され、静寂が部屋の主となる。
静かに時が過ぎていく。
扉を叩く音で、修介ははっと顔を上げた。
どうやら気付かぬうちにうとうとしていたらしい。この二日間まともに眠っていなかったのだから仕方がないとはいえ、怪我人を前に呑気に居眠りをしていた自分自身に腹が立った。
そんな感情が表に出ないよう注意しながら、修介は「どうぞ」と返事をした。
扉を開けて入ってきたのはシーアだった。
シーアは修介の顔を見るなり大きくため息を吐いた。
「そんな辛気臭い顔した人が傍にいたらサラさんも安心して休めませんよ?」
「そうですかね……」
気のない返事をする修介に、シーアはもう一度ため息を吐くと、修介の背中を押して強引に部屋の外へ追い出した。
「ちょ、ちょっと!?」
「ずっと同じ服を着たままでは彼女が可哀そうでしょう? 着替えをしますから、あなたはしばらく外に行っててください」
そう言われては何も言い返すこともできず、修介はあきらめて宿の外へ出た。
二日ぶりに見る太陽は、すでに西の稜線に沈もうとしていた。
外の新鮮な空気を吸って少しだけ気分が晴れたような気がしたが、それでもどこかへ行こうという気にはなれなかった。
そんな途方に暮れる修介を待ち構えていたかのようなタイミングで捕まえたのはヴァレイラだった。
ヴァレイラは「ちょっと付き合え」と言うや否や、そのまま修介の腕を掴んで強引に歩き出す。
「ちょ、どこへ行くんだよ?」
「決まってるだろ、飲みに行くんだよ」
修介は「そんな気分じゃない」と断ろうとしたが、ヴァレイラは訊く耳を持たず、街の通りにある酒場へと修介を引きずるようにして連れていった。
輸送部隊が到着したことで街の食糧事情が改善されたからか、店内はそこそこ活気があるようだった。
元々、酒好きのドワーフが多いこの街では、食糧事情が悪化しても酒だけは潤沢に在庫があったようで、こんな情勢下でも酒場だけは開いていたのだという。妖魔の軍勢が滅んだという話が広まれば再び多くの商人が訪れるようになり、いずれ元の活気を取り戻すことだろう。
ヴァレイラは店の奥へ行くと、空いているテーブル席に座った。
そして頼んだ酒と料理が運ばれてくると、満面の笑顔で景気よく杯を打ち付けてきた。
修介は仕方なく形だけそれに付き合う。
「しけた
そう言ってヴァレイラは一杯目を豪快に飲み干した。
修介は曖昧な顔で頷く。
ちなみに、ヴァレイラはサラが大丈夫だとわかってからは、イニアーやデーヴァン、そして他の先発隊の冒険者達と連れだって連日酒場で大騒ぎしているようだった。依頼を終えた冒険者が酒盛りをするのは恒例行事だが、今の修介はやはりそんな気分にはとてもなれなかった。
そんな修介を見てヴァレイラが鼻で嗤う。
「はんっ、どうせサラが怪我したのは自分のせいだ、なんてつまんねーこと考えてるんだろ?」
「……悪いかよ?」
修介は挑むように言う。
「別に悪くはないさ。あんたが責任を感じて勝手に落ち込むのはあんたの自由さ」
「ならそうさせてもらう」
そう言って修介は席を立とうとした。
「まぁ待てって。あんたがいじけるのは自由だが、その前に冒険者としてやるべきことがあるんだよ」
「やるべきこと?」
「そうだ。だからとりあえず座れ」ヴァレイラは顎で椅子を指し示す。
仕方なく修介は椅子に座りなおした。
「よし、そしたら杯を持て」
言われるがまま杯を持つと、ヴァレイラはその杯に自分の杯を思い切りぶつけて中身を一気に飲み干した。そして、ぷはーっと満足そうに息を吐きだす。
「それはさっきやっただろうが」
呆れたように言う修介に、ヴァレイラは空になった杯を突き付ける。
「いいからお前も飲め。んでもって笑え。楽しめ。そうやって生き残った喜びをかみしめろ」
「なんだよそれは……」
わけがわからないという顔をする修介に、ヴァレイラは「周りをよく見てみろ」と言った。
修介は店内を見渡す。
よく見ると店内には見知った顔の者が何人もいた。
先発隊の冒険者たちだった。
彼らは笑い声をあげ、肩を組み、楽しそうに酒を酌み交わしていた。
「……少なくなったと思わねぇか?」
その言葉に修介ははっとする。
修介の脳裏に、救えなかったギーガンのパーティメンバーや、グイ・レンダーに殺された冒険者達の顔が浮かんだ。
出発前に四三人いた先発隊の冒険者は、グイ・レンダーとの戦闘や、その後の妖魔との戦いでその数を二五人にまで減らしていた。
つまり、あそこで楽しそうに酒を飲んでいる冒険者のほとんどが大切な仲間を失っているということだった。にもかかわらず、なぜ彼らはあんな馬鹿騒ぎをしているのか。それが修介には理解できなかった。
そんな修介の胸の内を見透かしたかのようにヴァレイラは問いかける。
「シュウは依頼中にパーティの仲間を失ったことはあるかい?」
「……ない」
「ま、そうだろうな」
ヴァレイラは口元をわずかに歪める。
「冒険者なんていつ死んでもおかしくない職業さ。おまけに死んでも騎士様と違って立派な墓が立つわけじゃない。場合によっちゃ死体はその辺に野ざらしさ。ほとんどの奴が死んだらそれっきりで誰の記憶にも残らない」
ヴァレイラはそこで一旦言葉を区切って修介を見つめる。
その目は修介を見ているようで、遠くにある別の何かを見ているようでもあった。
「――だったら、せめて生き残った奴が死んだ奴の分まで目一杯人生を楽しんで、そいつのことを語ってやらなきゃ、あまりにも不憫だろ? だからあいつらはああやって酒飲んで馬鹿騒ぎをすることで、死んでいった仲間を弔っているのさ」
「仲間を、弔う……」
修介には彼らが仲間の死と向き合わず、ああやって馬鹿騒ぎをすることで現実から逃げているようにしか見えなかった。日常的に死が身近にあるからこそ、そういうやり方で自分の心を守っているのだと、そう思った。
だが、修介はヴァレイラの言葉で「人が完全に死ぬのは、誰からも忘れ去られた時だ」というどこかで聞いた言葉を思い出していた。
たとえ自分が死んだとしても、残った者がふとした拍子にこの日のことを思い出してくれれば、その記憶とともに自分のことも一緒に思い出してくれる。忘れられさえしなければ、誰かの心の中で生き続けことができる――。
「もっとも、あたしは別にあいつらと仲良くしてたわけじゃねぇから、そんな気はさらさらないんだけどな。ま、そうは言っても一応は同じ依頼を受けて同じ敵と戦った仲間であることに変わりはねぇ。なら、付き合うくらいはしてやるさ」
ヴァレイラはそう言って杯を掲げてみせた。
「……」
修介は自分の杯を見つめる。
情けなかった。
自分が悲劇に酔っているだけの道化に思えた。
自分のことばかり考えていて、そういったことに全く気が回らなかった。サラが怪我で苦しんでいるのに、それを気にもかけずに毎晩飲み歩いているヴァレイラたちを薄情だとさえ思っていた。
だが、薄情なのは自分の方だった。
「だからほら、お前も飲め。参加できないサラの分までお前が代わりに飲め」
ヴァレイラが再び杯をぶつけてくる。
修介は頷くと、手にした杯を一気に飲み干した。
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