第133話 突風

「デーヴァンッ!」


 修介は思わず叫んでいた。

 いかに剛力無双のデーヴァンといえど、正面からやり合えば無事では済まないことは前回の戦いで証明されていた。ましてや今のデーヴァンには強化魔法は掛かっていない。あまりにも無謀な行為だった。

 グイ・レンダーはデーヴァンの存在を意にも介さず突進すると、邪魔だと言わんばかりに拳を繰り出す。

 デーヴァンは限界まで体勢を低くしてそれを躱すと、凄まじい速度でグイ・レンダーの懐に飛び込み戦棍メイスを振り上げた。

 戦棍メイスの先端が顎に入り、グイ・レンダーの頭が大きく跳ね上がった。

 デーヴァンはそのままの勢いで自分の体を軸に回転しながら振り上げた戦棍メイスをグイ・レンダーの足に叩きつける。

 片足で全体重を支えていたグイ・レンダーはその一撃に耐え切れず、地響きと共に横転した。

 グイ・レンダーはよろよろと起き上がると、怒りの咆哮を上げてデーヴァンに襲い掛かる。

 デーヴァンは巧みな足さばきでその攻撃を躱し、わずかな隙を突いてすでに砕けている膝にもう一度、戦棍メイスを叩き込んだ。

 悲痛なうめき声を上げてグイ・レンダーは再び倒れた。


「す、すげぇ……」


 修介はデーヴァンの戦いぶりに圧倒されていた。いくら手負いとはいえ、上位妖魔であるグイ・レンダーと互角以上にやり合っているのだ。

 デーヴァンの戦い方はあきらかに今までと違っていた。力で圧倒するのではなく、高い戦闘技術を駆使して戦っていた。今までそれをしなかったのは、単にそうする必要がなかっただけなのだ。


(これは……勝てるかもしれない!)


 修介の胸に希望の光が灯る。

 その期待に応えるかのように、デーヴァンは倒れたグイ・レンダーに止めを刺そうと戦棍メイスを振り下ろした。

 だが、グイ・レンダーは振り下ろされた戦棍メイスの先端を片手で掴むと、上半身の力だけで無理やり戦棍メイスごとデーヴァンを投げ飛ばそうとした。


「――ううッ!」


 デーヴァンは咄嗟に戦棍メイスを手放し難を逃れる。

 放り投げられた戦棍メイスが、がらんと音を立てて地面を転がった。


「ガアアアァッ!」


 素手となったデーヴァンにグイ・レンダーは容赦なく飛び掛かる。

 デーヴァンは咄嗟に近くに落ちていた騎士の剣を拾うと、その一撃を受け止めた。

 ガツッという凄まじい衝撃音が響き渡る。


 ――勝ったのはグイ・レンダーだった。


 グイ・レンダーの拳を弾こうとしたデーヴァンの剣が、その一撃に耐え切れずに半ばから折れてしまったのだ。

 デーヴァンは胸から血を流しながら仰向けにどうっと倒れた。


「デーヴァンッ!」


 修介の悲痛な叫び声を嘲笑うかのように、グイ・レンダーは倒れたデーヴァンに向かって片足を引きずりながらゆっくりと近づいていく。意識を失っているのか、それとも死んでしまったのか、デーヴァンは微動だにしない。


「くそっ、くそっ!」


 修介はアレサを杖にしてなんとか立ち上がるが、とても間に合いそうになかった。悔しさと情けなさで歯ぎしりする。

 その時、修介のすぐ傍を駆け抜ける人影があった。

 アイナリンドだった。

 その華奢な身体でグイ・レンダーを止めようというのだ。

 よせッ――そう叫ぼうとした瞬間、修介の脳裏に閃光がほとばしった。

 そして考える前に叫んでいた。


「アイナ! 俺に風の精霊の力を! 俺を奴の所へ全力で飛ばせッ!」


 アイナリンドは足を止めて振り返る。その表情は明らかに困惑していた。


「問答している暇はねぇ! 早くッ!」


 修介の必死の呼びかけにアイナリンドは迷いを振り払うように大きく頷くと、修介に向かって手をかざし、残ったマナの全てを使って風の精霊魔法を唱えた。

 突然、修介の背中を突風が襲う。

 暴風に煽られた修介の体は文字通り宙を舞った。

 まるで見えない巨人の手に掴まれて、ぶん投げられたようだった。

 暴風を纏った修介の体が猛烈な速度でグイ・レンダー目掛けて飛んでいく。

 その凄まじい速度に修介は悲鳴をあげそうになるのを必死に堪える。声を出せば気付かれる。このまま背後から音もなく一撃を加える。これはマナのない修介にしかできない奇襲だった。

 だが、修介はすぐに自分の考えが甘かったことに気付かされる。

 凄まじい風圧によって、身体が思うように動かせないのだ。


(くそがっ!)


 修介は懸命にアレサを構えようとするが、風圧でアレサを手放さないようにするだけで精一杯で、とてもグイ・レンダーを攻撃することなど不可能だった。

 このままでは攻撃するどころか、ただ後ろから無様に追突するだけだった。そうなれば、自分が死ぬだけでなく、仲間を、サラを守ることができない。


(頼むっ、アレサァッ!)


 修介は恥も外聞もなくアレサに縋った。

 その心の叫びが伝わったのか、アレサが軽く振動した。

 すると、風圧で動かすことすらできなかったアレサの刃が勝手にグイ・レンダーの方を向いた。まるでアレサが風を操っているかのようだった。

 修介は感謝の言葉の代わりに両手で柄を強く握りしめる。

 情けないことに、この場において修介の力はまったく必要なかった。アイナリンドの魔法の力で飛び、アレサの力でグイ・レンダーを倒す。言うなれば、アレサを支える為のただの台座だった。

 だが、それで構わなかった。この戦いに勝てるのなら、仲間を守れるのなら、自分がどれだけ不格好だろうと関係なかった。


(いっけぇええええッッ!)


 激突に備え、修介は全身に力を込める。

 次の瞬間、凄まじい衝撃と共にアレサの刀身は寸分たがわずグイ・レンダーの後頭部に突き刺さっていた。

 修介は激突の衝撃で宙に放り出されると、そのままの勢いでグイ・レンダーを飛び越え背中から地面に叩きつけられた。衝撃で頭の中が真っ白になるが、修介は仰向けに倒れたままグイ・レンダーを見上げた。

 恐るべき妖魔は腕を振り上げたまま固まっていた。

 あんぐりと開いた口からは後頭部を貫通したアレサの切っ先が飛び出ており、どう見ても致命傷だった。


「ざまぁ、みやがれ……」


 修介は勝利を確信し会心の笑みを浮かべた。

 直後にグイ・レンダーの体がびくんと痙攣した。

 笑みが一瞬で凍り付く。

 グイ・レンダーはもう一度大きく痙攣すると、ブルームとサラがいる場所に向かって再び前進を始めた。


「な、なんで――」


 死なないのか。あまりの出来事に言葉が続かない。頭に剣が突き刺さっても生きていられるなど常軌を逸していた。

 上位妖魔という存在の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、その場にいる誰もが氷漬けにされたかのように動くことができなかった。

 修介は必死に身体を転がしてうつ伏せになると、顔を上げてグイ・レンダーに向かって叫んだ。


「てめぇ、ふざけんなッ! 俺はここにいるぞッ!」


 グイ・レンダーはその声に反応した。修介の存在はこの妖魔にとって自らの生存を脅かす最大の脅威だった。致命傷を負ってなお、グイ・レンダーは生存本能に従いアレサが突き刺さったままの顔を修介が倒れている方へと向けた。

 グイ・レンダーの標的が自分に変わったことで修介は覚悟を決めた。


「そうだ、こっちにこいッ! 俺をるなら今しかチャンスはねぇぞ!」


 その声に導かれるようにグイ・レンダーはゆっくりと近づいてくる。

 もはやこうして時間を稼ぐことしかできなかった。この間にブルームが治療を終え、サラを連れて逃げてくれることを願う。

 グイ・レンダーの巨体が作り出す影が修介に覆いかぶさった。


(さすがにもうダメか……)


 ここまでやっても勝てなかったという現実に、修介の心は完全に折れていた。

 逃げたくても、身体が言うことをきかなかった。

 死ぬことよりも、痛いのが嫌だった。さっさと意識を失いたいとすら思った。

 この世で最期に見る物が醜い妖魔というのもぞっとしなかった。

 だから、修介は目を瞑った。


 ――馬蹄の響きが聞こえたのはこのときだった。


 思わず目を開く。

 次の瞬間、一騎の騎馬が撫でるようにグイ・レンダーの前を横切り、通り抜け様に長剣を一閃させた。

 グイ・レンダーの首が宙を舞った。

 切断面から噴水のように血が迸り、地面に小さな池を作りはじめる。自重を支えきれなくなった妖魔の巨体がゆっくりと崩れ落ちた。


「……」


 一体何が起こったのか、目の前の出来事を脳が上手く処理できずにいた。

 呆然とする修介の視界を別の影が覆った。


「生きているか?」


 視界に入ってきたのは、ランドルフだった。


「……ランドルフ……さん?」


「どうやら生きているようだな。すぐに人を寄こすからそのままじっとしてろ」


 ランドルフはそう言うと、すぐにその場を離れていった。

 修介は首だけを動かしてデーヴァンの方を見た。かすかに胸が上下していた。

 今度はグイ・レンダーを見る。首を失った妖魔の体はそれでも未練がましく痙攣を続けていたが、それも次第に収まり、やがて完全に動かなくなった。

 遠巻きに戦いを見守っていた輸送部隊の人たちから歓声が沸き起こった。

 そして、「助かったぞ!」というブルームの声が耳に届いたところで、ようやく修介は状況を理解した。

 グイ・レンダーは死に、自分は生き残った。

 そして、サラの命も助かったのだ。


「やった……」


 修介は小さく拳を握りしめる。

 勝利のガッツポーズは控えめだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る