第132話 再戦

 グイ・レンダーの姿は初めて遭遇した時とは明らかに違っていた。

 全身には無数の切創せっそうがあり、灰色だった皮膚は大量の出血によるものか、どす黒く変色していた。

 この化け物の身に何が起こったのか、それを知る者はこの場にいなかったが、手負いでありながら、それを感じさせずに暴れまわる姿に誰もが戦慄を覚える。

 ヴァレイラとイニアー、そして数名の騎士が対大型魔獣戦のセオリーに従い周囲を囲うようにして戦っていた。

 グイ・レンダーは周囲を囲まれながらも、二本の腕を振り回してすべての斬撃を弾き、容赦なく反撃を加える。

 ひとりの騎士がその拳の餌食となり、血しぶきを上げて吹き飛んだ。この化け物の怪力の前ではいくら金属鎧で身を守っていようがまるで無意味だった。

 騎士たちは完全に攻めあぐねており、間合いの外から威嚇するように剣を振り回すことしかできずにいた。そしてそれはヴァレイラもイニアーも同様だった。


 そんな状況を一変させたのは修介だった。

 修介は凄まじい勢いでグイ・レンダーに突っ込むと、その無防備な背中にアレサを叩きつけた。

 想定外の斬撃にグイ・レンダーは苦痛の呻き声を漏らしながらも、すぐさま強引に腕を振り回して反撃してくる。


(そんなん当たるかよッ!)


 修介はその腕を掻い潜り、通り抜け様に脇腹に一撃を加えた。硬い皮膚を切り裂く感触が手に伝わってくる。

 グイ・レンダーは怒り狂って滅茶苦茶に腕を振り回すが、その時修介はすでに間合いの外に逃れていた。

 マナのない修介はグイ・レンダーにとって相性最悪の天敵だった。そのことを本能で察知したからこそ、あのとき執拗に修介を追いかけたのだ。

 だが、いくら姿が見えないといっても、気配や音で察知されることは以前の戦いでわかっていた。派手に動けば攻撃はあっさりと防がれてしまうだろう。

 修介は一転してその場から動かず、じっと隙を窺う。そしてヴァレイラたちの戦う音に紛れて接近し、一撃を見舞ってすぐに離脱する。前の戦いの時と同じ戦法だったが、自身の優位性をはっきりと理解できている分、修介の攻撃は鋭く、確実にグイ・レンダーに傷を負わせていった。


 本来ならば、上位妖魔であるグイ・レンダーにとって、この程度の数の人間はなんら脅威とならないはずだった。だが、修介というイレギュラーな存在によって、グイ・レンダーは完全に翻弄されていた。

 そして、遅れて到着したデーヴァンが戦闘に加わったことで、形勢は一気に修介たちに傾いた。

 デーヴァンの参戦を境に、修介は戦い方を変えた。

 今度はわざと大声を出してグイ・レンダーの気を引くことで相手の攻撃を誘って隙を作らせ、デーヴァンに攻撃役を担わせた。

 グイ・レンダーは咆哮をあげて拳を振り回すが、修介は素早いステップでその一撃に空を切らせる。

 勢い余って体勢を崩しかけたグイ・レンダーの膝にデーヴァンが戦鉾メイスを叩きつけた。仲間を傷つけられ怒り心頭だったデーヴァンの一撃は、容赦なくグイ・レンダーの膝の骨を打ち砕いた。

 グイ・レンダーはたまらず膝をつく。

 そこへすかさずイニアーが剣を突き立てた。刀身の半ば以上が身体に埋まり、手応えは十分だった。

 だが、グイ・レンダーは倒れない。それどころかイニアーを叩き潰そうと拳を振り上げた。


「こいつ不死身かよっ!?」


 イニアーは躊躇なく剣を手放し、慌ててグイ・レンダーから離れた。甲高い金属音が響き、刀身の半分をグイ・レンダーの体内に残したままイニアーの剣が折れる。

 刃が突き刺さり、片膝が砕けていてもグイ・レンダーは止まらない。獲物を狙う獣のように四つん這いの姿勢になると、標的をヴァレイラに定めて勢いよく跳んだ。


「くそがっ!」


 ヴァレイラは必死に躱そうとしたが、その肩を爪が掠めた。


「ぐあぁっ!」


 鮮血を巻き散らしてヴァレイラは地面に転がる。掠っただけだというのに、全身がばらばらになったかのような衝撃だった。

 グイ・レンダーは止めを刺そうと倒れているヴァレイラににじり寄る。

 それを阻止すべく騎士のひとりが果敢に斬りかかるが、グイ・レンダーはその身体を無造作に掴んで投げ飛ばした。

 投げられたその先にはデーヴァンがいた。

 デーヴァンはそれを躱そうとはせず、むしろ投げられた騎士を受け止めようと咄嗟に戦棍メイスを投げ捨て、両手を広げた。


「ぐおっ!」


 勢いを殺しきれずにデーヴァンは騎士を抱えるようにして倒れた。

 邪魔者を排除したグイ・レンダーは再びヴァレイラへと顔を向けた。


「ちくしょう、なんで俺がッ!」


 イニアーがグイ・レンダーの気を引こうと前に躍り出る。だが、武器を失っている彼にグイ・レンダーを止める術はなかった。


「ばかやろう、逃げろッ!」ヴァレイラが倒れたまま叫ぶ。


 グイ・レンダーはイニアーの頭を叩き潰そうと両腕を大きく振り上げた。

 その姿にイニアーは自分の死を覚悟した。


「精霊よ!」


 笛の音のような美しい声が戦場に響き渡る。

 突然、イニアーの目の前で巨大な空気のうねりが発生した。

 何の前触れもなく不自然に発生した竜巻が、風圧でイニアーを吹き飛ばし、そのままグイ・レンダーに襲い掛かった。

 見えない無数の刃がその身体を容赦なく斬りつける。

 グイ・レンダーは手足をばたつかせて逃れようとしたが、竜巻はまるで意志を持った生き物のように執拗にグイ・レンダーに纏わりつく。


「ガアアアァァッ!」


 全身を切り刻まれ地面をのたうち回ったグイ・レンダーは、やがて動かなくなった。

 少し離れた場所で、大きく肩で息をするアイナリンドの姿があった。

 彼女が風の精霊魔法を使ったのだと、修介はすぐに理解した。


(なんて威力だ……)


 その凄まじい威力を目の当たりにし、修介はあらためてこの世界の魔法という存在に畏怖を覚える。


「や、やったのか……」


 騎士のひとりがおそるおそるグイ・レンダーに近寄ろうとする。


「よせッ!」


 修介がそう叫ぶのと、グイ・レンダーが動いたのはほぼ同時だった。

 突然起き上がったグイ・レンダーが騎士を殴り飛ばす。騎士はなんの抵抗もできずに絶命した。

 グイ・レンダーが巨大な口を開けた。凄まじい咆哮が喉からほとばしり、戦場全体にとどろきわたる。その声は遠くから戦いを見守っていたシンシアやメリッサ、護衛の歩兵や民間人、全ての者の心に恐怖を植え付けた。


「これが上位妖魔……」修介は呆然と呟く。


 あれだけの傷を負いながら尽きることのないその生命力は、同じ世界に存在する生物とはとても思えなかった。

 それでも、本当に不死身だということはありえない。あの魔獣ヴァルラダンですら殺すことができたのだ。この妖魔の生命力にも必ず限界はあるはずだ。

 現にグイ・レンダーはかなり弱っていた。傷という傷から止めどなく血が溢れ、片足を引きずっていた。あと一息で倒せるところまで来ているという確信が修介にはあった。


 咆哮を終えたグイ・レンダーがおもむろに体の向きを変えた。その顔は癒しの術の詠唱を続けているブルームの方を向いていた。


(まずい!)


 その意図を一瞬で悟った修介は、それを止めるべく足を踏み出そうとしたが、ふいに力が抜けて崩れ落ちる。

 限界なのは修介も同じだった。立て続けの戦闘により体力は底をつき、もはや立っていることさえできなかった。


「くそっ! なんなんだよ俺はッ!」


 肝心な時に何の役にも立てない自分自身に憤り、修介は動けとばかりに拳を足に叩きつける。だが、その想いに反して足は動かなかった。

 グイ・レンダーが体勢を低くした。

 飛び出したら、もうあの巨体を止めることは不可能だろう。

 ほとんどの騎士が殺され、ヴァレイラは負傷し、イニアーは竜巻に吹き飛ばされて気を失っている。

 だが、そんな絶望的な状況の中で、ただひとり動ける戦士が残っていた。


「オオオオオォッ!」


 デーヴァンが雄叫びを上げてグイ・レンダーの前に立ちはだかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る