第131話 絶望
輸送部隊を襲撃したゴブリンは、すでにそのほとんどが討ち取られていた。
戦意を喪失したゴブリンは逃げるに任せ、最後まで荷馬車に群がろうとするゴブリンを兵士たちは容赦なく斬り捨てていった。デーヴァンとヴァレイラも勝手にそれに参加している。
「元気だなぁ、あいつらは……」
自身の体力のなさを自覚しつつ、修介は座り込んだまま見るとはなしにその様子を眺めていた。
「大漁大漁」
近くではイニアーが嬉しそうにホブゴブリンの耳を剥ぎ取っていた。
修介はその背に向かって問いかける。
「イニアー、サラたちは?」
「ん? 少し離れたところで待機してもらってますぜ。こっちの戦いが終わったとわかれば、すぐにやってくるんじゃないっすかね」
イニアーは手を止めずにそう答える。
「そうか……」
修介たちは怪我人を連れていたし、魔術師は乱戦に巻き込まれるとあっさりと命を落としかねないことからも、その判断は間違っていないように思えた。
「旦那が真っ先に飛び出していっちまったもんだから、サラも、あのエルフの嬢ちゃんもかなり心配してましたぜ……。あ、いや、サラはどっちかっていうと怒ってたか? どっちにしろ、ちゃんと詫びは入れておいたほうがいいと思いますぜ」
「う……」
修介は言葉に詰まる。
たしかに、本来であればリーダーである修介が指示を出さなければならなかったはずなのに、昨日の今日でまたしても勝手な行動をとってしまったのだ。サラが激怒している姿は容易に想像できた。
「ま、健闘を祈ってますぜ」
イニアーは他人の不幸は蜜の味と言わんばかりの笑みを浮かべながら、別の妖魔の死体を剥ぎ取るべく離れていった。
入れ替わるようにして甲冑を鳴らしながらひとりの騎士が近づいてくる。
「おう、シュウスケ!」
振り返ると、ブルームが陽気な笑顔を浮かべて歩み寄ってきていた。
「ブルームさん!」
修介は慌てて起き上がろうとしたが、ふらついて尻もちをついてしまった。
「疲れてるんだろ? そのままでいい」
「……すんません」
修介はそのまま胡坐をかく。
「シンシアお嬢様はご無事ですか?」
「ああ、ご無事だ。これもお前たちの助力のおかげだ。このとおり、礼を言うよ」
ブルームはそう言って頭を下げた。
「そんな、当然のことをしたまでですから」
馬車の方に視線を向けると、護衛の兵士に周囲をがっちり囲まれながらも、戦いに巻き込まれた民間人に笑顔で声を掛けているシンシアの姿があった。
あわや妖魔に殺されそうになった直後にもかかわらず、他人を気遣う優しさを見せるシンシアの姿を見て、修介は彼女を守ることができたことを誇りに思った。
「そうだ、こいつをやろう」
ブルームは手にしていた何かを修介の足元に放った。
ごろごろと転がったそれは、バルゴブリンの首だった。
「……これは?」
「お嬢様を助けてもらったささやかな礼だ。さっき勢いで投げ捨ててしまったんだがな、ちょうどいいと思って拾って持ってきた」
妖魔の首とかいらねー、と修介は思ったが、中位妖魔であるバルゴブリンの討伐の証は、ギルドに提出すればかなり高額の報酬が貰えるはずである。
自分で討伐したわけでもないのに、それを自身の手柄として報告することは気が引けるが、断ったところで燃やされるだけだと考えて、ありがたくその厚意を受け取ることにした。
「これってブルームさんが倒したの?」
「まぁな。たまには仕事しないと昼間っから堂々と酒が飲めないからな」
ブルームはがはは、と豪快に笑う。
正直、修介はかなり驚いていた。ブルームはこの世界で初めてできた友人……正確には飲み友達であり、最も付き合いの長い人間でもある。にもかかわらず、修介は彼が剣を握っている姿を一度も見たことがなかった。ぶっちゃけ、飲んで酔いつぶれている姿しか知らないのだ。それが、修介が手も足もでなかったバルゴブリンを倒したというのだから、驚くなと言うほうが無理な話だった。
「……ブルームさんって、ちゃんと強かったんですね」
口に出してからしまったと思ったが、ブルームは気を悪くした様子もなく頷いてみせる。
「伊達に十年以上も騎士をやっておらんよ――っとそんなことよりもだ。なんでおぬしがここにいるんだ? 先発隊は南の平原で妖魔の軍勢とやりあってるはずじゃなかったのか?」
「は? 先発隊が妖魔の軍勢とやり合ってる!?」
「知らんのか?」
微妙に噛み合わない会話に修介とブルームは互いに持つ情報のすり合わせをした。
「……行方不明になった冒険者ってのは、おぬしだったのか」
修介の身に起こった出来事を聞いて、ブルームは呆れているのか感心しているのか判断のつかない顔でそう呟いた。
だが、修介はそれどころではなかった。
先発隊の冒険者と輸送部隊の兵士のほとんどが今まさに南の平原で妖魔の軍勢と戦っているという話は、少なからず修介を動揺させた。
先発隊が既定のルートを外れて南に向かったのは、やはり修介やギーガンのパーティを救出する為だったのだ。
すべてがすべて自分のせいではない、ということは頭では理解できていたが、それでも自分が現在の状況を作り出した原因の一つであることに違いはない。自分のせいで仲間たちが戦っているのに、こんなところでのんびりしていて良いわけがなかった。
修介は焦燥に駆られて立ち上がろうとしたが、強い力で肩を押さえられた。
いつの間にか戻ってきていたヴァレイラだった。
「いいから休んでろ。今のあんたじゃ行っても役に立たねぇだろ」
「だけど……」
「あんたが責任を感じる必要なんてない。あたしらは、そこの騎士様と違って冒険者だ。誰かに命令されてここにいるわけじゃない」
ヴァレイラが意味ありげにブルームに視線を向けると、ブルームは何も言わずに肩をすくめてみせた。
「自分の行動は自分で決める。先発隊の奴らだって同じさ。自分の意志で向かったんだ。自分のせいだ、なんて自惚れるのも大概にしな」
有無を言わさぬヴァレイラの口調に、修介は抵抗を諦めて大人しく座った。彼女が気を使ってそう言ってくれているのだということは理解できたが、それでも心の中は穏やかではないられなかった。
これが前の世界での仕事であれば、容易に納得もできただろう。失敗しても人が死ぬことなんてなかったからだ。だが、人の命が掛かっているとなれば話は別だった。
自分のせいで人が死ぬ、その現実を心が受け入れられない。戦って死ぬということを重く受け止め過ぎているのかもしれない。
(いつか俺も割り切れるようになるのだろうか……)
自分がそうなることを想像するのは今の修介には難しかった。
「それにしてもダドリアスの野郎……あたしがあれだけ言っても聞く耳持たなかったくせに、ドワーフが来た途端に手のひら返しやがって」
修介の肩を掴む手に力が込められる。肩当てがみしみしと音を立てて変形し、壊れるのではないかとひやひやさせられた。
だが、そんな荒ぶるヴァレイラを見て、修介はあらためて彼女が本気で心配してくれていたのだとわかり、少し落ち着くことができた。
先発隊の元へ向かうにしても、サラ達と合流してからだった。その間に少しでも体力を回復させておくべきだろう。
修介は息を吐きだして、全身を弛緩させた。
「それはそうと、お嬢様がおぬしにぜひ直接礼を言いたいとおっしゃられていてな。手間を取らせてなんだが、一緒に来てくれないか?」
ブルームがわざとらしいほどの明るい声で口を挟んできた。
「シンシアお嬢様が?」
「おお、領主の娘さんに直接礼を言われるなんてすげーじゃねぇか!」
ヴァレイラが興奮した様子で修介の肩をばんばんと叩く。
「ああ、いや……うん」
修介は曖昧に頷く。嬉しいし、シンシアに会いたい気持ちもあったが、先発隊のことが気になって、とても呑気に礼を言われるような気分にはなれなかった。
「……せっかくですが、やっぱり先発隊のことが気になるので、仲間と合流してすぐに南に向かうことにします。お嬢様にはクルガリの街に着いたらあらためて顔を出します、とお伝えください」
修介は立ちあがって頭を下げた。
「そうか……ランドルフがいない今しか機会はないかもしれんぞ?」
ブルームは意味深長な顔つきでそう告げる。
「は、はは……」
修介は引きつった笑いを浮かべて頭を掻いた。
「まぁ、そういうことなら仕方ないな。お嬢様はさぞがっかりされるだろうがな」
「すいません……。それで、申し訳ないついでにひとつお願いがあるのですが……」
「なんだ?」
「怪我をした冒険者をふたりほど連れているので、彼らも一緒に連れて行ってもらってもいいですか?」
「それくらいならお安い御用だ」
ブルームは胸を張って請け負った。
修介が頭を下げて礼を言ったのと同時に、遠くから自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返ると、サラが手に持った杖を大きく振ってこちらに向かってきていた。その隣にはアイナリンドとギーガンが若い冒険者に肩を貸しながらゆっくりと歩いている。
笑顔で手を振り返そうとして、修介は彼女たちの背後に凄まじい速度で迫る灰色の巨人の姿に気付いた。
背筋が一瞬で凍り付く。
「サラッ、後ろだーーッ!!」
修介は叫ぶと同時に走り出した。
あいつは南の森の中にいたはずだ。
それがなんでこんなところにいるのか。
わけがわからなかった。
ひとつだけはっきりとわかっていることは、このままではサラたちが殺されるということだった。
修介の叫び声で異変に気付いたサラは後ろを振り返る。
そして目を疑った。いつの間にか、すぐ後ろにまでグイ・レンダーが迫っていた。
グイ・レンダーは全身から血を流しながらも猛烈な勢いで近づいてくる。
サラのすぐ隣には怪我人を抱えたギーガンとアイナリンドがいる。今彼らが襲われればひとたまりもないだろう。
サラはアイナリンドに向かって「逃げて!」と叫ぶと、素早く彼女達から離れる。
そしてグイ・レンダーを挑発するように杖を掲げて魔法の詠唱を開始した。
詠唱が間に合わないことはわかっていた。魔力に反応したグイ・レンダーが自分を狙っているうちにアイナリンド達が逃げる時間を稼げればそれでよかった。
(おかしいな……)
サラは内心で首を傾げていた。
以前の自分ならこんな行動はとらなかったように思う。
他人がどうなろうとあまり関心を持たなかったはずなのに、今はこうすることが当然のように感じていた。
(これもあの馬鹿の影響なのかな……)
サラには修介が全力でこっちに向かってきてくれていることがわかっていた。相手が何だろうとおかまいなしに身体が先に動いてしまうような奴だからだ。
そして、彼が間に合わないこともわかっていた。
グイ・レンダーが眼前に迫る。
奇跡的に魔法の詠唱が間に合った。防護の術の淡い光がサラの全身を包む。
だが、剥き出しの殺意と共に振り下ろされたグイ・レンダーの爪は、魔法の防護を容易く切り裂き、サラを小枝のように吹き飛ばした。
「サラァーーッ!!」
目の前で吹き飛ばされたサラを見て修介は絶叫した。
サラは修介と違って鎧は身に付けていない。薄いローブだけでグイ・レンダーの攻撃に耐えられるはずがなかった。
絶望で目の前が真っ暗になる。
それでも、修介は無我夢中で倒れているサラに駆け寄る。
抱え起こそうとして、そのおびただしい出血量に思わず手が止まった。
サラはぐったりとしたまま微動だにしない。細い身体から止めどなく流れる血によって白いローブがどんどん赤く染まっていく。
「サラッ、しっかりしろ! サラッ!」
必死に声を掛けるもサラは応えない。
赤く染まっていくローブとは逆に、彼女の顔から生気がどんどん失われていく。まるでローブに生命力を吸い取られてしまっているかのようだった。
「嘘、だろ……」
修介の手が小刻みに震える。
俺が自分勝手な行動を取らずに近くにいれば、休んでないで早く迎えに行っていれば、もっと早くにグイ・レンダーの接近に気が付いていれば――激しい後悔の波が修介の心を飲み込んでいく。
修介は激しく首を振って余計な考えを頭から追い払う。
(クソッ、あきらめるな、考えるんだ!)
だが、その出血量から訓練場で身に付けた応急処置程度でどうにかなるような傷だとは思えなかった。
視線の先にサラの鞄があった。
(そうだっ、ポーション!)
修介は急いで鞄から小瓶を取り出し、蓋を開けようとした。
『ダメです、マスター!』
アレサの鋭い制止の声で修介の手が止まる。
「アレサ?!」
『マスター、今の状態でポーションを使えば、負荷に耐えられずにその娘は死にます』
「くっ……」
修介はポーション治療による激痛を思い出す。たしかに、ポーションの体に掛かる負荷は相当なものだった。瀕死のサラがそれに耐えられるとは思えなかった。
力なく下げられた手からポーションの小瓶が転がり落ちる。
「……アレサ、頼む……サラを、サラを助けてくれ……」
修介は嗚咽混じりに懇願する。
だが、返ってきたアレサの答えは非情だった。
『マスター、私に人を治癒する機能はありません。残念ながら私にはその娘を救うことはできません』
「そんな……そんな……」
修介の心を闇が覆う。
守ると誓ったのに、守れなかった。
手に入れたはずの大切な宝物が、砂のようにさらさらと手から零れ落ちていくようだった。
夢だと思いたかった。
だが、徐々に失われていく彼女の温もりが、これは現実だと告げていた。
無力感に打ちのめされ修介は項垂れる。
『マスター、しっかりしてください。その娘はまだ助かります』
「――ッ! マジか!?」
『はい。非常に危険な状態ですが、高度な癒しの術を使えば助かる可能性があります』
「癒しの術……」
『使える人間がすぐ近くにいるでしょう』
言われて修介は振り返った。
ブルームがこちらに向かって懸命に走ってきていた。
修介の心に小さな希望の火が灯る。
『マスターがここにいてもなんの役にも立ちません。マスターには他にやるべきことがあるはずです』
「やるべきこと……」
アレサを掴む手に力が入る。
『そうです。あの化け物は強い魔力に反応します。髭面が癒しの術を使っている最中にあの化け物に襲われたら、その娘もろとも殺されてしまうでしょう』
修介は顔を上げる。
すでにヴァレイラとイニアー、そして数人の騎士がグイ・レンダーと戦っていた。修介が呆けている間にも、彼らは自分の成すべきことをしていたのだ。
「シュウスケッ!」
ブルームが息せき切って駆け付けた。
「ブルームさん! サラを……サラをお願いします!」
ブルームは力強く頷くと、何も言わずにすぐさま魔法の詠唱に入る。その真剣な表情はいつもの飄々とした彼とはまるで別人だった。
後はサラの生命力とブルームの魔力を信じるしかなかった。
(俺は、俺のやるべきことをやる――)
修介は立ちあがると、グイ・レンダーを睨みつけた。
グイ・レンダーの恐ろしさは身に染みてわかっていたし、まともに戦っても勝ち目がないこともわかっていた。
だが、そんなものは関係ない。
破裂しそうなほどに膨れ上がった怒りと憎しみで頭の中が真っ赤に染まっていた。これほどまでに強烈な殺意を抱いたのは生まれて初めてのことだった。
「ぶっ殺すッ!」
修介はグイ・レンダーに向かって突撃した。
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