第130話 戦士

「げぇっほっ! ごほっごほっ!」


 シンシアの声に応えようとして、修介は盛大にむせていた。

 全力疾走とその後の派手な立ち回りのツケで、完全に呼吸困難に陥っていたのだ。

 もっとスマートに助けたかったが、そんな余裕はなかった。

 いきなり騒ぎ始めた使い魔のフクロウを追いかけたら、なぜかシンシアが複数の妖魔に囲まれている場面に遭遇したのだ。そこからは無我夢中で自分でも何をしたのかよく覚えていない。

 だが、振り返った視線の先には目に涙を浮かべているシンシアと、彼女を庇うように抱きしめているメリッサの姿があった。


(ふたりが無事で良かった……)


 修介は心の底から安堵していた。状況は掴めないままだったが、自分が大切な人の危機に間に合ったことだけはたしかだった。


「シュウスケ様、前っ!」


 悲鳴に近いシンシアの声で、修介は反射的に振り返る。

 ホブゴブリンが修介を狙ってまさに剣を振り下ろそうとしていた。


(やべっ!)


 間に合わないと思いつつ修介は咄嗟に腕で頭を庇おうとした。

 だが、ホブゴブリンは剣を振り下ろすことなく、口から大量の血を吐いて崩れ落ちた。

 遅れて到着したヴァレイラが背後からホブゴブリンを斬ったのだ。


「この馬鹿っ! 油断してんじゃねぇ!」


 ヴァレイラの怒声が響く。


「すまん、助かった……」


「ったく、いきなりひとりで突っ込みやがって、あまり無茶するんじゃねぇよ」


 そう文句を言うヴァレイラも大きく肩で息をしていた。必死に後を追いかけてきてくれたのだ。


「他のみんなは?」


 修介は周囲のゴブリンを牽制しつつヴァレイラに問いかける。


「あんたが勝手に飛び出したから、ついてこられたのはあたしだけだ。デーヴァンが怪我人を背負ってるの知ってるだろ!」


 咎めるように言うヴァレイラに、修介は咄嗟に返す言葉が見つからなかった。仲間の状態も考えずに勝手な行動を取ってしまったのだ。それだけ自分が我を失っていたのだとあらためて自覚する。戦いにおいては冷静さを失わないことが何よりも大事なことだと、訓練場で何度も言われていた。ハーヴァルがこの場に居たら間違いなく殴り飛ばされていたことだろう。

 だが、修介は反省はしても、後悔はしていなかった。同じ場面に遭遇すれば、次も自分は同じことをすると確信していた。


「ま、反省すんのは全部終わってからだ。まずはこいつらを始末するよ!」


 ヴァレイラは好戦的な笑みを浮かべて剣を構える。

 馬車の周囲にはゴブリンやホブゴブリンが続々と集まってきていた。

 それに対して応戦する護衛の兵の数は明らかに足りていない。そもそもランドルフの姿がないことも疑問だった。

 だが、その疑問の答えを確認する余裕はなさそうだった。


「馬車を背にしてそこから動かないでください!」


 修介は前を向いたまま背後のふたりにそう声を掛ける。

 他の仲間が到着するまで、ヴァレイラとふたりだけで妖魔どもからシンシアたちを守らなければならない。

 修介は懸命に息を整える。

 朝から動きっぱなしで、疲労の蓄積は相当なものだった。おまけにバルゴブリンにやられた足の傷も完全には癒えていない。全身ぼろぼろだったが、こんな状態にもかかわらず、修介の心はかつてないほどに熱く燃えたぎっていた。


 初めは自分の為だった。

 妖魔がいる危険なこの世界で、自分の身を守るために力を欲した。その為に努力をし、強くなることそのものにも価値を見出してきた。

 元々、戦うことが好きなわけではない。誰に指摘されるまでもなく、自分が臆病者であることは自覚していた。痛いのは嫌だし、死ぬのも怖かった。

 それでも、このグラスターの地で様々な人と出会い、交流を深めていくなかで、いつしか自分の中にある強くなる理由や戦う理由が少しずつ変わっていった。

 今、大切だと思っている人の危機に、自分が戦う力を持ってその場にいられたことが嬉しくてたまらなかった。

 ホブゴブリンに手も足も出なかった無力な自分はもういない。

 ここにいるのは、大切な人を守ることができる戦士だった。


「てめぇらごときにシンシアには指一本触れさせねぇ!」


 叫ぶと同時に修介は目の前のゴブリンに斬りかかる。

 それを合図に、ゴブリンどもが一斉に飛び掛かってくる。

 次々と襲い掛かってくるゴブリンを、修介は容赦なく叩き斬る。振り下ろされる小剣をアレサで受け流し、その顔面を柄で殴り飛ばす。横から襲い掛かってくるゴブリンの腹に強烈な蹴りを見舞う。

 今までの戦いで得た全ての技を駆使して、修介は存分に暴れまわった。


(……柄にもなく熱くなりやがって)


 ヴァレイラは修介の無謀な戦いぶりに呆れつつも、いつでもその背中を守れるように群がるゴブリンどもを牽制する。

 修介は完全に背中をヴァレイラを預けて戦っていた。絶対にヴァレイラが守ってくれると、信頼していなければできない戦い方だった。

 普段であればヴァレイラが猪突し、それを修介がフォローするのがお決まりのパターンだったが、今回に限っては完全にお株を奪われていた。

 だが、不思議と悪くない気分だった。


(ま、たまにならこういうのも悪くないか……)


 ヴァレイラは無意識のうちに笑み浮かべていた。




 シンシアは戦う修介の姿から目が離せなかった。

 周囲を妖魔に囲まれ、決して楽観できるような状況ではないにもかかわらず、不思議と安堵している自分に気付く。

 複数の妖魔に囲まれても臆することなく剣を振るう修介は、まさしく戦士だった。

 初めて出会った時の彼は穏やかで優しかったが、それ故に戦いとは無縁な力なき青年だった。

 彼が訓練場で必死に努力していたことは知っていたし、冒険者になって様々な戦いに身を投じていたことも、魔獣との戦いで活躍し巷では英雄として扱われていることも知っていた。

 それでも、シンシアの中で「修介」と「戦士」という二つの言葉を結びつけるのは困難だった。最初に会った時の印象が強いというのもあるが、シンシアの前にいるときの修介は、いつも穏やかで、包み込むような優しい笑顔を浮かべながら、愉しそうに話をする青年のままだったからだ。

 だが、今の修介はまるで別人だった。

 彼が初めて見せる荒々しい一面に、シンシアは自分の頬が熱くなっていることを自覚する。自らが想いを寄せる青年の戦う姿に完全に心を奪われていた。

 シンシアには指一本触れさせねぇ――そう呼び捨てにされ、心がざわついた。

 今の状況は、幼い頃に何度も何度も繰り返し読んだ絵本の内容にそっくりだった。

 邪悪な妖魔に襲われるお姫様を、正義の騎士が守る英雄譚。

 シンシアにとって今の修介はまさに物語に出てくる騎士の姿そのものだった。


「シュウスケ様、頑張ってっ!」


 無意識のうちにそう叫んでいた。




 守るべきものの存在が人を強くする――そんなのは物語の中だけの綺麗事だと思っていた。

 だが、今の修介を支えているのは、大切な人を守りたいという強い意志だった。

 シンシアの声援を受け、修介は肉体の限界を超えて戦い続けていた。

 ゴブリンを斬った数も十匹までは覚えていたが、それ以降は数えてすらいない。

 危うくなると必ずヴァレイラがカバーしてくれたことから、修介は一切後ろを気にせず、目の前にいる妖魔に集中して剣を振るい続けた。

 今の修介は妖魔にとっての災厄そのものだった。

 気が付けば修介の周りには無数のゴブリンの死体が転がっていた。

 ゴブリンどもは修介の気迫に圧倒され、距離を取って様子を窺うことしかできなくなっていた。

 ふいに足から力が抜け、修介は片膝をついた。ずっと続いていた戦闘状態が解け、集中力がぷっつりと途切れたのだ。


「ぜぇぜぇ……っ!」


 完全にガス欠だった。

 それを見たゴブリンが一斉に襲い掛かってくる。


「シュウッ!」


 ヴァレイラが叫びながら修介を庇おうと前に出る。

 だが、ゴブリンどもの襲撃は失敗に終わった。

 遅れて到着したデーヴァンとイニアーがゴブリンどもの背後から乱入してきたのだ。


「ガアアアッ!」


 オーガと見紛うばかりのデーヴァンの圧倒的な暴力の前に、ゴブリンどもは為す術なく吹き飛ばされていく。


「さすが旦那、ちゃんと俺達の分の獲物を残しといてくれるなんて気が利くねぇ」


 イニアーが逃げ惑うゴブリンの背中に容赦なく剣を突き立てながら嬉しそうに言った。

 呼吸が整わない修介は何も言い返すことができず、片手を上げて応えるのが精いっぱいだった。

 デーヴァンの登場によって戦況は完全に人間側に傾いた。

 ゴブリンにとっての災厄の中心は、いまや完全に修介からデーヴァンへと移り変わっていた。

 デーヴァンが戦棍メイスを一振りするごとにゴブリンが肉塊に変わっていく。

 一騎当千――デーヴァンはまさにそれだった。


 突然、離れた場所で大きな歓声が上がった。

 次いで、「バルゴブリンを討ち取ったぞーッ!」という叫び声が響き渡る。

 修介が顔を上げると、ブルームがバルゴブリンの首を高々と掲げていた。

 周囲の兵士たちから次々と歓声が沸き起こる。

 ゴブリンは臆病で力も弱い下位妖魔である。数で優勢だろうと、指揮する上位存在がいなくなれば戦意を失うのもあっという間だった。ゴブリンどもは我先にとばかりに逃げ始めた。


「もう大丈夫そうだな……」


 修介は安堵のため息をつくと、その場にへたり込んだ。

 振り返ると、シンシアは無事に護衛の兵士たちに保護されていた。


「お嬢様は!? シンシアお嬢様はご無事かっ!?」


 ブルームは役目を終えたバルゴブリンの首を投げ捨て、全速力でシンシアの元へと駆け寄った。


「わたくしならここです」


 シンシアは周囲を護衛の兵士達にがっちりと囲まれ、若干居心地が悪そうな顔を浮かべながらもそう答えた。


「お嬢様、よくご無事で……お怪我はございませんか?」


「はい。大丈夫です」


 そう微笑むシンシアの顔は少し赤かったが、それ以外は見たところ怪我をした様子もなさそうで、ブルームはほっと胸を撫でおろす。もし怪我などされていようものなら、激昂したランドルフに殺されかねないところだった。


「わたくしが無事だったのは、護衛のみなさんが必死に守ってくださったおかげです。それと、あちらにいらっしゃる冒険者の方々のおかげです」


 シンシアは少しはにかんだ表情でそう告げた。


「冒険者?」


 ブルームは首を傾げる。

 先発隊は南の平原で妖魔の軍勢と戦っているはずである。先発隊に同行しなかった冒険者か、クルガリの街に滞在している冒険者が偶然通りかかったのだろうか、そんなことを考えつつ、シンシアが指し示した場所に視線を向けた。

 そして、へたり込んでいる修介の姿を発見し、ブルームは驚愕した。


「なんてこった……」


 もし、彼に英雄としての資質があるのなら、ぜひとも今回の依頼でそれを発揮してもらいたいものだな――ブルームは出発前にランドルフが口にしたその台詞を思い出していた。

 ランドルフの言葉を借りるならば、お嬢様の危機に駆け付けた修介は、まさしく英雄としての資質を持った存在ということになる。


(こいつはどうやら本物かもしれんぞ)


 ブルームはこの場にいない男に向かってそう語り掛けるのだった。

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