第128話 最強の騎士

 砂塵を舞い上げ、騎兵隊が戦場を駆け抜ける。

 レギルゴブリンの周囲に残っていたゴブリンがそれを止めようと騎兵隊の進路に躍り出るが、ゴブリンごときでは勢いに乗った騎兵隊の突撃を止められるはずがなかった。

 騎兵隊の突撃によってゴブリンは次々と吹き飛ばされていく。


「狙うはレギルゴブリンの首だけだ! 他の雑魚は無視しろ!」


 ランドルフはそう叫びながらも、自身は馬を巧みに操り、すれ違いざまにゴブリンの首を斬り飛ばす。

 手にした剣の切れ味にランドルフは目を見張った。


 ランドルフが手にしている剣は、魔剣だった。

 一般的に魔力と金属は相性が悪いとされている。魔法によって金属に一時的に魔力を付与することはできても、永続的に魔力を付与する魔法技術は現代では失われていた。ゆえに、魔剣は古代魔法帝国時代の魔術師のみに作ることができた希少な人工遺物アーティファクトなのである。

 グラスター領で魔剣を所持しているのは、知られている限りでは現領主であるグントラムと、現役時代にその活躍を評価され前領主から魔剣を下賜されたハーヴァルのわずか二人だけとされていたが、ランドルフは三人目の魔剣持ちとなっていた。

 その魔剣は先の魔獣ヴァルラダン討伐戦での活躍に対する褒美として、グントラムから下賜された魔剣だった。

 ヴァルラダン討伐戦で活躍した王国最強の冒険者と呼ばれるハジュマが魔剣を所持しているのに、グラスター最強の騎士が魔剣を所持していないのはと考えたグントラムが、自らの貴重なコレクションのうちの一本をランドルフに与えたのである。

 そんなグントラムのささやかな虚栄心が、この戦いに大きな影響を及ぼすことになるとは当の本人ですら思いもしなかっただろう。


 ランドルフが剣を振るう度、魔力を帯びた刀身が流星のごとき青い軌跡を描く。彼が通った跡には首のないゴブリンの死体が大量に生み出されていた。

 この場に修介がいれば、鬼に金棒とはランドルフと魔剣の組み合わせだったと、認識を変えることになっただろう。それほどまでに魔剣を持ったランドルフは妖魔にとって災厄の象徴となっていた。

 残ったゴブリンは蜘蛛の子を散らしたかのように逃げていく。

 ランドルフの視線がレギルゴブリンの姿を捉えた。

 標的までの道のりに、もはや邪魔者は存在しなかった。


「いくぞッ!」


 ランドルフの掛け声で騎兵隊は一気にレギルゴブリンへと殺到する。

 それを見たレギルゴブリンはその巨体を近づいて来る騎兵隊の方へと向ける。そして、手にした錫杖のような物を高々と掲げた。

 ランドルフはレギルゴブリンの周囲に異様な魔力のうねりを感じて叫んだ。


「魔法がくる! 備えろッ!」


 体内の魔力を高め、魔法に備える。

 次の瞬間、レギルゴブリンの持つ錫杖から巨大な炎の塊が吐き出され、先頭を走るランドルフの目の前で爆発した。

 ランドルフを含め、数人の騎士がそれに巻き込まれる。

 爆風によってランドルフは馬から放り出され、派手に地面を転がった。咄嗟に受け身を取ったが、背中を強打して呼吸が止まる。


「ぐっ……」


 激痛に顔を歪めながらも、ランドルフはすかさず立ち上がる。

 爆発の瞬間、驚いた馬が体を起こしたこと、いち早く魔法に備えることができたこと、金属製の鎧を身に付けていたこと、それらが積み重なってランドルフは致命傷を受けずに済んだ。

 だが、爆発に巻き込まれた愛馬は酷い火傷を負って絶命していた。

 ランドルフは目を閉じ愛馬の死を悼む。

 他の騎士たちは命こそあるものの重傷を負っていた。

 上位妖魔のなかには魔法を使う種が存在していることを知っていながら、レギルゴブリンが魔法を使うことを想定していなかった自分の落ち度だった。


「やってくれたな……」


 ランドルフはレギルゴブリンを睨みつける。

 ちょうどその時、爆発から逃れたふたりの騎士が同時にレギルゴブリンに斬りかかった。

 レギルゴブリンは手にした錫杖を振りかぶると、大きく横に薙ぎ払った。

 その膂力はすさまじく、ふたりの騎士は馬ごと吹き飛ばされた。


「おのれッ!」


 後続の騎士たちが怒りもあらわにレギルゴブリンに向かおうとする。


「待てッ!」

 ランドルフは鋭く制止する。

 なぜ止めるのか、と訝しむ騎士たちに、ランドルフはぞっとするほど冷たい声で告げた。


「あれはがやる」


 ランドルフの全身からは凄まじい殺気が放たれていた。

 その迫力に騎士たちは思わず息を飲む。自分たちの隊長が妖魔との戦闘では人が変わったように獰猛になることを知っているのだ。

 隊長の一人称が「俺」になった時は絶対に逆らうな――それがランドルフの部下たちの不文律となっていた。

 本来であれば止めるべきなのだろう。上位妖魔と一騎打ちしようなど正気の沙汰ではない。だが、騎士たちはランドルフの実力を誰よりも知っていた。そして、ランドルフならばたとえ相手が上位妖魔であろうとも負けるはずがないと確信していた。

 騎士たちは素早く隊列を整えると、レギルゴブリンの周囲にいる妖魔が一騎打ちの邪魔をしないよう突撃を再開した。


 勝利を目前にしながらそれを邪魔した人間を、レギルゴブリンは憤怒の表情で睨みつけていた。

 だが、ランドルフはそれを意にも介さず、無言のまま距離を詰める。

 その体が間合いに入った瞬間、レギルゴブリンは咆哮を上げて錫杖を薙ぎ払った。

 ランドルフは最小限の動きでそれを躱す。

 レギルゴブリンはさらに前に出て立て続けに錫杖を振り回す。

 当たれば即死する威力を持った攻撃を、ランドルフは顔色一つ変えずに卓越した足さばきで避ける。

 レギルゴブリンが前に出れば、その分ランドルフは後ろへ下がる。

 剣を構えることすらせず、ランドルフはレギルゴブリンの攻撃を避け続けた。

 傍から見れば、レギルゴブリンがランドルフを圧倒しているように見えるだろうが、実際に追い詰められていたのはレギルゴブリンの方だった。

 攻撃がまったく当たらないことに苛立ちを募らせたレギルゴブリンは、大きく一歩踏み込むと、それまでの薙ぎ払い攻撃ではなく、ランドルフの頭を狙って縦に錫杖を振り下ろした。

 それこそがランドルフが待っていた攻撃だった。

 強烈な一撃を魔剣で受け、そのまま刀身を滑らせるようにして受け流す。並の剣であれば折れていただろうが、強力な魔力を帯びた魔剣は傷一つつくことなく、それをやってのけた。

 錫杖の先端が地面にめり込み、レギルゴブリンは勢い余って体勢を崩した。

 その隙を逃さず、ランドルフは流れるような動作でレギルゴブリンの右膝に魔剣を叩き込む。


「ギャアッ!」


 魔剣は容易く膝から下を斬り飛ばした。片足でその巨体を支えられるはずもなく、悲鳴をあげてレギルゴブリンは跪く。

 その姿はレギルゴブリンが自ら首を差し出したかのようだった。

 ランドルフは氷のように冷たい目でそれを見る。

 幼少の頃に家族を妖魔に殺された過去を持つランドルフの憎しみは、どれだけ妖魔を斬ろうと決して消えることはなかった。物静かで理知的なこの男の心には、常にどす黒く、暗い憎しみの炎が渦巻いているのだ。普段は抑制していても、妖魔を前にすればそれはいとも簡単に燃え上がる。復讐という名の炎に身を委ねたランドルフは、妖魔にとって最悪の狩人だった。

 レギルゴブリンはそのことを自らの命を代価にして知ることになった。

 ランドルフが剣を一閃させると、レギルゴブリンの首が胴体から勢いよく跳ねた。

 自分が首から上を失ったことに気付かぬまま、レギルゴブリンはランドルフに向けて腕を伸ばそうとする。

 ランドルフは表情ひとつ変えずにその腕を掻い潜ると、魔剣の切っ先を容赦なくレギルゴブリンの心臓へと突き刺した。

 レギルゴブリンは首と胸から血をふき出しながら、その巨体を大地に横たえた。




「ランドルフ騎士長がレギルゴブリンを討ち取ったぞーッ!」


「うおおーっ!」


 周囲で妖魔と戦っていた騎士たちが次々と歓声を上げる。

 その歓声は人間にとっては希望を、そして妖魔にとっては絶望を告げる音となり、戦場にいるすべての生ける者の耳に届いた。

 大仕事を終えたランドルフは浮かれることもなく、沸き起こる歓声をまるで他人事のように聞き流し、冷静に戦場を観察する。

 レギルゴブリンが死んだことで、ゴブリンのほとんどは戦意を喪失して逃げ始めていた。騎士たちには逃げるゴブリンは無視してオーガやバルゴブリンといった中位妖魔を狙うよう命令を徹底してあった。

 騎士たちはその命令に従い次々と中位妖魔を標的にして突撃していた。そしてそれに呼応するように防御陣の輪からドワーフたちが飛び出し、次々と妖魔を討ち取っていく。その様子はまるで潰れかけていた蕾が一気に花を開かせたかのようだった。

 依然として妖魔の数は多かったが、戦局は完全にこちらに傾いていると言えた。

 だが、予想以上に作戦が上手くいったことに、ランドルフは喜びよりも違和感を覚えていた。そして、すぐに自分が重要な事を見逃していることに気付く。


「騎士長! ご無事ですか!?」


 ひとりの騎士が馬を寄せてくる。ランドルフの部隊の副長のひとりだった。


「急ぎ手当をしなくては」


 酷い火傷を負ったランドルフを見て、副長は馬を降りようとした。

 ランドルフは片手を上げてそれを制する。


「後でいい。それよりも私の班の者をすぐに集めてくれ」


「どうかされたのですか?」


 敵の大将首を落としたというのに、まったく喜ぶ素振りを見せないランドルフに、副長は訝し気に問いかける。


「……戦場にグイ・レンダーの姿がない」


 その一言で副長の顔色が変わる。

 事前の報告では上位妖魔は二体いるはずだった。だが、戦場を見渡してもどこにもグイ・レンダーの姿はない。もしこの場にグイ・レンダーがいたのならば、こうも容易くレギルゴブリンを討ち取ることはできなかっただろう。

 この場にグイ・レンダーがいないということは、別の場所にいるということだ。森の中に残っている可能性もあったが、狡猾なレギルゴブリンがグイ・レンダーという貴重な戦力を遊ばせておくとは考えにくい。そうなると、もっとも狙われる可能性が高いのは輸送部隊だった。


「この場の指揮は卿に任せる。俺は先にお嬢様の元へ向かう。俺の班の者にはすぐに後を追うよう伝えてくれ」


「はっ、ただちに!」


 副長は慌てて馬首を巡らし去っていく。

 ランドルフは騎手を失い戦場をさまよっていた馬を捕まえ、その背に跨る。レギルゴブリンの魔法によって受けた傷が悲鳴をあげた。鎧で守られていなかった箇所にいくつもの火傷を負っていた。かなり酷い状態だったが、動くのに支障はないと判断する。


(――お嬢様!)


 ランドルフは輸送部隊に向かって全力で馬を走らせる。

 その胸中には嫌な予感が渦巻いていた。


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