第127話 防御陣形

 黄金色に染まる美しい冬の草原を、無粋な人と妖魔の集団が踏み荒らしていく。

 輸送部隊との合流を目指して移動していた先発隊は、道中で妖魔の軍勢に捕捉され執拗な追撃を受けていた。

 特に先発隊を苦しめたのが、ディンガルという犬のような見た目をした四足の魔獣の背に乗ったゴブリンの部隊だった。

 ゴブリンの騎兵隊とも言えるその部隊に背後から幾度となく強襲され、先発隊の冒険者たちは肉体的にも精神的にも休む暇がなく、徐々に追い詰められていった。しかも反撃に出ようとすると、さっさと逃げ出すという質の悪さだった。

 元々、負傷者や離脱者、そして行方不明者によって数を減らしていた先発隊だったが、度重なる戦闘によって合流地点である平原に到着したときには、その人数は二〇人程度にまで減っていた。そしてドワーフの一団もグイ・レンダーとの戦いでかなりの犠牲者を出しており、ふたつの戦力を合わせても五〇人に満たない状況だった。

 それを追撃する妖魔の軍勢の数は二〇倍以上であり、まともにぶつかっては勝ち目などあるはずがなかった。


 平原に到着した先発隊はなし崩し的に妖魔との戦闘状態に突入した。

 それは、当初考えていた騎士団と合流して迎え撃つというものではなく、傍から見れば先発隊が敗走しているようにしか見えなかっただろう。

 輸送部隊からの救援が戦場に到着したのは、まさに間一髪の状況だった。

 駆け付けた歩兵隊が逃げる先発隊と入れ替わるように突撃を敢行する。

 歩兵隊の全員が盾を装備しており、その盾を前に翳したまま妖魔の軍勢と正面から激突した。何匹ものゴブリンが吹き飛ばされて宙を舞う。

 ほんのわずかだが妖魔の軍勢が押し戻された。


「防御陣形!」


 歩兵長が指示を飛ばすと、歩兵たちは素早く配置に着く。

 ほんのわずかな時間で、先発隊を囲うように円形の陣が出来上がっていた。

 大きな盾を構えて隙間なく並んだ兵士が妖魔の攻撃を受け止め、長槍を持った兵士がその後ろから攻撃を繰り出す。歩兵たちはよく訓練されており、一部の隙もない完成された防御陣形だった。


「来てくれたのはありがたいが、注文したのは騎兵隊なんだがな!」


 防御陣のなかでようやく一息つくことのできた顎髭の戦士が歩兵長に向かって声を張り上げた。


「贅沢言うな! 見捨てられなかっただけでもありがたいと思え!」


 歩兵長は負けじとやり返す。


「おいおい、まさか俺達を囮にして、騎兵隊はそのままクルガリの街へ向かったってんじゃねーだろうな?」


 顎髭の戦士が息巻いた。


「下らんことを言ってないでさっさと息を整えろ! 回復した奴から手を貸せ! 我らだけではそう長くはもたん!」


 歩兵長は叫びながら、手にした長槍で殺到するゴブリンの頭を突き刺した。


「我らが騎士長は決して味方を見捨てるようなことはしない! 信じろ!」


「くそがっ!」


 そう吐き捨てると、顎髭の戦士は剣を構えて防御陣に加わる。

 ただでさえ数で劣勢な上に、先発隊はこれまでの戦いでかなり消耗していた。歩兵隊の救援があったところで、勝ち目があるとは思えなかった。

 だが、見捨てられていようがいまいが、どのみち戦わなければ死ぬだけだった。

 顎髭の戦士は死に物狂いで剣を振るった。


 ――ふと、怒号と悲鳴で埋め尽くされる戦場に、不釣り合いな美しい歌声が響き渡る。

 防御陣の中心に、祈りを捧げるシーアの姿があった。

 シーアの全身から白く輝く魔力の光が放たれ、周囲にいる者達を優しく包み込んでいく。


「これは……『神の祝福』か!」


 ダドリアスが歓喜の声を上げる。

 疲労困憊で鉛のように重かった身体がふっと軽くなった。

 彼女が唱えた『神の祝福』は、生命の神を賛美する歌を捧げることで、周囲にいる者の体力と気力を回復させることができる高度な神聖魔法である。

 シーアの魔法によって回復した先発隊の面々は歓声を上げて次々と立ち上がる。

 一方で、詠唱を終えたシーアは力尽きてその場にへたり込んだ。これまでも怪我人の治療でかなりのマナを消耗していたのだ。彼女が無理をしているのはあきらかだった。


「シーア、よくやってくれた」


 ダドリアスはシーアに礼を言うと、周囲の冒険者に向かって声を張り上げる。


「よし、俺たちもやるぞ! 騎士団の奴らに後れを取るなッ!」


 冒険者たちは「おおっ」とそれに応える。

 体力を消耗した兵士の代わりに冒険者が前に出る。冒険者やドワーフが加わった防御陣は強固さを増し、次々と襲い掛かってくる妖魔どもをはじき返した。

 だが、すでに防御陣は妖魔によって全方位から囲まれており、退路は完全に断たれていた。

 妖魔の猛攻に晒され、ひとり、またひとりと力尽き倒れ、防御陣の輪は摺りつぶされるように徐々に小さくなっていく。

 本来、防御陣形は少数の兵で大将を守るための陣形である。言わば援軍が来ることを前提とした時間稼ぎの戦い方であり、このまま戦い続けても援軍が来なければその奮戦も無意味だった。


「おい! 本当に騎兵隊は来るんだろうなっ!?」


 我慢できずに顎髭の戦士が歩兵長に向かって叫ぶ。

 歩兵長がそれに答えようと口を開きかけたところで、別の兵士が声を上げた。


「歩兵長! 妖魔どもの本陣に動きが……オーガが来ます!」


 いつまで経っても防御陣を崩せないことに業を煮やしたのか、レギルゴブリンを守るように本陣に控えていた複数のオーガが防御陣へと移動を開始していた。


「オーガが来るぞ! ふたり掛かりで食い止めろ!」


 その指示でふたりの兵士が盾を構えてオーガの攻撃を正面から受け止める。吹き飛ばされそうになるのをさらに後ろの兵が支えるが、それでも完全に勢いを止めることができず、ついに陣形に綻びが生じた。

 その綻びへ目を血走らせたゴブリンどもが殺到する。


「踏ん張れ! ここが正念場だぞ!」


 歩兵長が自ら盾を構えて前に出る。

 陣の内部にゴブリンの侵入を許せば、その時点で全滅は必至だった。生き残っている者は、冒険者も歩兵もドワーフも関係なく力を合わせて懸命に抗う。それでも防御陣が崩れるのは時間の問題だった。

 レギルゴブリンは勝利を確信したのか、大声で喚き散らして周辺の妖魔をけしかけていた。

 気が付けば、ほぼすべての妖魔が防御陣に殺到していた。

 殺戮衝動に支配された妖魔の軍勢には、もはや統制などないに等しかった。


「――今だ、合図を送れッ!」


 歩兵長の命令で、歩兵のひとりが狼煙に火を付けた。

 広大な平原から空に向かって一筋の煙が立ち昇っていく。


 その馬蹄の轟きは妖魔の軍勢のから聞こえてきた。

 剣を高々と掲げたランドルフを先頭に、騎兵隊が颯爽と姿を現す。


「き、来た! 騎兵隊が来たぞっ!」


 兵士のひとりが叫ぶ。

 それに釣られるように他の兵士たちも、冒険者たちも歓声を上げた。


「行くぞ! 我らグラスター騎士団の力を妖魔どもに思い知らせてやれッ!」


 ランドルフは掲げていた剣を振り下ろした。

 騎兵隊が一斉に突撃を開始する。

 人間を殺すことに夢中になっていた妖魔の軍勢は、そのほとんどが防御陣に群がっており、レギルゴブリンの周囲にはわずかなゴブリンが残っているだけだった。

 妖魔は本来であれば千を超えるような集団で行動することはない。それが可能なのはレギルゴブリンという絶対的な支配者がいるからである。逆に言えば、レギルゴブリンがいなければ他のゴブリンはただの烏合の衆に過ぎない。勝機があるとすれば、その一点だけだった。

 輸送部隊の元を出発した騎兵隊は、歩兵隊とは行動を供にせず、全速力で戦場を大きく迂回して妖魔の軍勢の後背へと回り込み、近くの森で待機していたのである。

 歩兵隊にはひたすら耐えてもらい、勝ちに逸った妖魔どもがレギルゴブリンの周囲からいなくなるのを見計らって騎兵隊がその首を狙うという至極単純な作戦だった。

 とはいえ、歩兵隊が妖魔の総攻撃に耐えられなければ、作戦そのものが瓦解する危険な賭けでもあった。

 歩兵隊と先発隊の奮戦のおかげでランドルフは賭けに勝ったのである。

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