第126話 シンシアとランドルフ

 街道は出撃の準備を急ぐ兵達の声でにわかに活気づいていた。

 ランドルフは先に出発する予定の歩兵長に声を掛ける。


「貴殿の部隊には損な役回りを押し付ける形となってしまったが……くれぐれも頼んだぞ」


「お任せください。必ずや期待に応えてみせます」


 歩兵長は一礼すると、部隊を率いて出発した。

 出発した歩兵部隊は六〇名で、残りは輸送部隊の護衛として残る。

 そして、ランドルフ自身は騎兵隊を率いて、この後すぐに発つ予定だった。


「留守は任せたぞ」


 ランドルフは背後にいるブルームにそう声を掛けた。

 ブルームはあきらかに不服そうな顔をしていた。彼とその配下の数名の騎士だけはシンシアの護衛の為、残ることになっていた。


「なんで俺が留守番なんだよ。あんな格好つけた物言いして留守番では、まるで道化ではないか」


「安心してお嬢様を任せられるのが貴殿しかいないからだ」


「ぬぅ……なら仕方ないな」


 真っ直ぐな目でそう言われては、さしものブルームもそれ以上文句は言えなかった。


「まぁ、たしかに上位妖魔二匹が相手ともなれば、おぬしが行かなければどうにもならんだろうからな、今回は仕方ないから譲ってやるよ。その代わりに帰ったら一杯奢れよ」


「約束しよう」


 ランドルフは生真面目な顔で頷く。


「留守は任せろ。お前さんは存分に暴れてこい」


 ブルームは後ろ手を振って立ち去っていった。


 その背を見送り、愛馬に跨ろうとしたところで、ランドルフは背中に視線を感じて振り返った。


「お嬢様……いかがなさいましたか?」


 少し離れたところで不安そうな表情をしたシンシアが立っていた。だが、近づいてこようとはしなかった。


「お嬢様?」


 もう一度声を掛けられ、ようやくシンシアは遠慮がちにランドルフに近づく。


「ランドルフ……行くのですね」


「はい」


 そこで会話が途切れる。ふたりのあいだには微妙な空気が流れていた。

 その空気を作り出した張本人であるランドルフが先に沈黙を破ることにした。


「このようなときにお嬢様のお傍を離れることになってしまい申し訳ございません」


「かまいません。……ランドルフの武運を祈っております」


「はっ、ありがたきお言葉」


 ランドルフは一礼して馬に跨ろうとしたが、シンシアがまだ何か言いたそうな顔をしていたので、あらためて声を掛ける。


「お嬢様、まだ何か?」


「……ランドルフは怒っていないのですか?」


「怒る?」


「その、先ほどは軍議の邪魔をしてしまいましたし、それに騎士のみなさんに随分と酷いことを言ってしまいました……」


 シンシアは俯きながら上目遣いにランドルフを見る。


「そのことですか……。そうですね、怒ってはおりませんが、あのような物言いは私の好むところではありません」


「そう、ですよね……」


 シンシアは細い肩をさらにすぼめて項垂れる。


「ですが、お嬢様が騎士達を前に臆することなく、ご自分の意見をはっきりと口に出されたことはとても嬉しく思っております」


 その一言でシンシアの表情はぱあっと明るくなる。

 ころころとよく変わるその表情を見て、ランドルフは思わず笑みを浮かべてしまう。

 普段は懸命に背伸びしているが、ときおり出てしまう年相応の愛らしい笑顔と、その成長を間近で見られることは、ランドルフにとってかけがえのない幸せだった。

 お嬢様はこの一年ほどでだいぶ変わられたとランドルフは思っていた。

 一番の影響はやはりアルフレッド様の死だろう。その悲しみを乗り越え、弟の分まで前向きに生きようという強い意志が彼女の原動力となっているのだ。

 そしてもうひとり。

 認めたくはなかったが、修介という男の存在も、お嬢様の変化に一役買っているのは間違いなかった。

 恋は良くも悪くも人を成長させる。はからずも、今回の出撃はその修介を救うための戦いでもあった。

 無論、お嬢様はそのことを知らない。

 先発隊に修介が参加していることを知らなくても、お嬢様が冒険者たちを救うべく行動したことは純粋に喜ばしい事ではあった。

 だが同時に、今回のお嬢様の取った行動が、決して手放しで褒められるようなものではないことも知っておいてもらう必要があった。


「お嬢様、差し出がましいことかもしれませんが、ひとつだけ、覚えておいていただきたいことがございます」


 急に態度を変えたランドルフに、シンシアは神妙な顔で頷く。


「辺境伯家の令嬢であるお嬢様の言葉には、市井の者にはない大きな力があります。人の上に立つ者の言葉には、下の者に対して、たとえそれが命令ではなくお願い事であったとしても、聞く者によってはそれを強制と感じさせてしまうだけの力があるのです。お嬢様の何気ない一言によって、多くの者の命が危険に晒されることもあるということを、どうか忘れないでください」


 今回、ランドルフはシンシアの発言に関係なく最初から出撃するつもりでいたから、影響はほとんどなかったと言えた。だが、場合によってはシンシアの発言で多くの兵が死地に赴くことになったかもしれないのだ。

 騎士は命令に従うことを受け入れているし、命懸けで戦う覚悟も持っている。

 だが、だからといってその命を軽く扱って良いわけではない。権力を持つ人間には、それに伴う責任があるということをお嬢様に知っておいてもらいたかった。


「……わたくしのせいで騎士のみなさんを危険に晒してしまうのですね」


 自身の言葉の重みをあらためて実感したのか、シンシアの声は震えていた。


「それが騎士の務めです。そして、お嬢様や民の為に戦うことが、我らの誇りでもあります」


「わたくしはどうすれば良かったのでしょうか?」


「それは誰にもわかりません。最良と思える答えを選んだとしても、望んだ結果が得られるとは限りません。ご自身の言葉に責任を持ち、その結果がどのようなものになろうとも逃げずに受け止めてください」


「受け止める……」


「これから先、お嬢様が民の為に何かをしようとすれば、いくつもの決断を強いられることになります。お嬢様のその決断が、多くの兵や民の運命を左右することになるかもしれません。ときには非情な決断をしなければならないこともあるでしょう。権力を持つということはそういうことなのです」


 シンシアの民を想う優しさは得難い資質ではあるが、優しさだけでは人々の生活を守ることはできない。

 グントラムがシンシアに実務的なことに関わらせないようにしているのも、その重責や苦しみを味わって欲しくないという親心からだとランドルフは思っていた。


「ですが、お嬢様が民のことを考え真剣に導き出した答えであれば、それがどのようなものであっても、私はどこまでもお供いたします」


 ランドルフはそう言うと、真面目くさった顔で恭しく片膝をついて臣下の礼を取った。


「……わかりました。あなたの主として相応しくなれるよう、わたくしも努力いたします」


 シンシアはランドルフに負けず劣らずの大真面目な顔で言った。


「それでこそお嬢様です」


 ランドルフは満足げに頷くと立ち上がって愛馬に跨った。


「ランドルフ!」


「はっ」


「絶対にわたくしの元へ帰ってきなさい。こ、これは命令です!」


「承知しました」


 ランドルフはしっかりと頷いた。

 お嬢様にとって「命令」という言葉が、今までとまったく違う重さを持つことになったからこそ、あえてそれを口にしたのだろう。仕える騎士として、その想いには応えねばならない。


「それよりもお嬢様。私が不在のあいだはブルームの指示に従ってください。いいですか、絶対に勝手な行動を取らないでください。わかってますね?」


「もう! わかっております!」


 まったく信用されてないことに不満を覚え、シンシアは頬を膨らませる。

 ランドルフは声を上げて笑うと、馬首を返し出発の合図を待つ騎兵隊の元へと向かうのだった。

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