第125話 奮起
突然、領主の娘が登場したことで騎士達は慌てて姿勢を正す。
「……お嬢様、このようなところに何用でございますか?」
ランドルフはそう問いかけながらシンシアの背後に控えているメリッサを睨みつけた。なぜお止めしなかった、と目で非難するも、彼女は素知らぬ顔で佇んでいる。
「クルガリの街まであとわずかというところまで来ているにもかかわらず、この場にずっと留まっているのです。わたくしでなくとも不審に思うのは当然でしょう。それよりも先ほどの発言についてです。あれは本気で言っているのですか?」
「先ほどの発言と言いますと?」
「冒険者の方々を見殺しにするという趣旨の発言についてです」
そう言ってシンシアは先ほどの発言をした若い騎士を睨む。
「あ、あれはその……」
淑やかで大人しい印象のシンシアが初めて見せる怒りに、若い騎士は狼狽える。
見かねたランドルフが代わりに口を開く。
「お嬢様、今は軍議中です。どうか馬車へお戻りください」
「そうはまいりません。先ほどの発言はこの地を統べるライセット家の娘として聞き流すことはできません」
「恐れながら、お嬢様にはこの軍議に参加する資格も、内容について口出しをする権限もございません」
「ですが――」
「私はお嬢様のお父君より輸送部隊の全権を任されております。これ以上は私の権限をもってお嬢様を強制的にお連れすることになります。どうかお戻りください」
ランドルフはあえて突き放すような口調で言った。
おそらくお嬢様はずっと近くで聞き耳を立てていたのだ。緊急時とはいえ天幕も張らずに堂々と話し合いをしていた自分たちが迂闊なのは間違いないが、誰よりも公私の別をわきまえているはずのお嬢様が我慢できずに口出ししてきたということは、それだけ先ほどの発言が我慢ならなかったということだろう。気持ちはわかるが、お嬢様を政治的な物ごとには関わらせるな、というのは主命であり、違えるわけにはいかなかった。
シンシアはランドルフに突き放されたことであきらかに動揺していたが、それでもこの場から立ち去ろうとはしなかった。
「……軍議の内容に口を出すつもりはありません。言われた通り、すぐにこの場を立ち去ります。ですが、その前にどうしても騎士の方々にお伺いしたいことがあります」
そう言いながら、シンシアは先ほどの若い騎士に視線を向ける。
若い騎士は予想外の展開に戸惑いながらも「なんでございましょうか」と応じた。
「あなたがた騎士の役目はなんですか?」
シンシアの問いに若い騎士は胸を張って答える。
「無論、閣下に忠誠を誓い、領地と、そこに住まう民を守ることであります」
その答えにシンシアは頷くと、ゆっくりとその場にいる騎士全員を見回してから再び口を開いた。
「では、あなた方の言う守るべき民の中に、ドワーフ族や冒険者の方々は含まれてはいないのですか?」
「そ、それは……」若い騎士は言い淀む。
「父グントラムはいつもわたくしに誇らしげに語ってくれます。我がグラスターの騎士団はルセリア王国最強の騎士団だと。わたくしもその通りだと思っております」
シンシアはそこで一瞬だけ躊躇うような素振りを見せたが、小さく息を吸って挑むように言い放つ。
「その誇るべきグラスターの騎士が、民を見捨てるかのごとき言葉を口にするなど、わたくしは残念でなりません! 冒険者やドワーフ族は守るに値しないのですか!? あなた方の騎士の誇りとはその程度のものなのですか!?」
「恐れながら、お嬢様をお守りするには我らがここを離れるわけには……」
「あなた方が噂に違わぬ最強の騎士団だと言うのならば、わたくしも、輸送部隊も、先発隊も、全部守ってみせてください! それとも最初からできないと諦めるのですか!? それが父の言う最強の騎士団なのですか!?」
その言葉にさすがの騎士達も気色ばむ。
ランドルフは本来ならばシンシアの行き過ぎた発言を諫めるべきだったが、その辛辣な言葉とは裏腹に、彼女の足が震えているのを見て躊躇した。
元々、シンシアは人見知りの内気な性格で、ランドルフやメリッサといった気心の知れた者以外には素の表情を見せることはなく、こういった場で積極的に発言するようなことも、今まではなかったのだ。
いくら領主の娘とはいえ、まだ少女ともいえる年齢の女性がひとりで屈強な騎士達を相手にして怖くないわけがない。
それでも、こうして気丈に振舞い、自分の意見を堂々と口にするシンシアの姿に、ランドルフは己の立場を忘れるほどに心を打たれていた。
「ランドルフ卿のおっしゃるとおり、わたくしはこの場で命令できる立場にはありません。ですから、わたくしには騎士の皆さんにお願いすることしかできません」
そう言うと、シンシアは騎士達に向かって深々と頭を下げた。
「これは領主の娘としてではなく、この地に住まう一人の人間としてのお願いです。どうか、ドワーフ族や冒険者の方々を守ってください」
ランドルフは自分の心に熱くせり上がってくる何かを感じた。
領主の娘が自分の事を守れと命令せずに、冒険者やドワーフ族を守ってくれとお願いしたのだ。妖魔の軍勢が迫ってきているこの状況で、そんなことを口に出来る貴族の令嬢が果たしてどれだけいるだろうか。しかも、お嬢様は以前に妖魔に殺されかけたことがあるのだ。あのときの恐怖は未だに心の奥深くにこびり付いているに違いない。
だが、それでも自らの危険を顧みずに、民の為に戦おうとしているのだ。
その気概に応えられず、何が騎士だろうか。
「……メリッサ、お嬢様を馬車へお連れしろ」
ランドルフに言われ、メリッサはシンシアの肩に優しく手を置く。シンシアは顔を上げないままメリッサに抱えられるようにしてその場を後にした。
「さてと……」
ブルームが立ち去ろうとする。
「どこへ行く?」
そう問いかけるランドルフに、ブルームは心外そうな顔をする。
「おいおい、野暮なことを聞くな。俺はな、この世で大嫌いな物がふたつある。ひとつは妖魔。そしてもうひとつは、美しいご婦人の悲しむ顔だ」
「そんなことは知らん。勝手に行動するな」
ランドルフは冷たく言い放つと、今度は周囲の騎士達を見渡す。
先ほどまでとは明らかに纏う空気が変わっていた。
騎士達の目には、はっきりそれとわかるほどの闘志が宿っていた。
自らが剣を捧げ、守ると誓ったお嬢様にあそこまで言われて何も感じない者がこの場にいるはずがなかった。
(だが、まだ足りない)
この危機的状況で「守る」などという温い考えでは話にならない。妖魔どもを皆殺しにするくらいの気迫がなければ勝利など到底おぼつかない。
「どうやら貴殿らと私とでは考えが根本的に異なっているようだな。貴殿らは端から妖魔の軍勢に勝てる見込みがないと考え、クルガリの街へと逃げ込もうとしているようだが――」
ランドルフはそこで一旦言葉を区切り、鋭い眼光で騎士たちを睨みつける。
「――私は妖魔どもを殲滅するつもりでいる」
シンシアに言われるまでもなく、ランドルフは最初から騎兵隊を出すつもりでいた。
理由は至極単純で、それ以外に道がないからだった。
輸送部隊の護衛の数は騎士五〇名と歩兵一〇〇名の計一五〇名であり、その数では千を超える妖魔からすべての荷馬車を守ることは不可能である。そして守りながらでは騎兵隊の機動力を生かせず、妖魔の数の暴力の前にじり貧になるだけだろう。それは自らの勝機を手放す行為だった。
そしてもうひとつ。
先日の魔獣ヴァルラダンでの合同作戦をきっかけに、騎士団と冒険者の関係にわずかな変化が生じていると、ランドルフは感じていた。
魔獣ヴァルラダンとの戦いは文字通り死闘だった。
戦場で倒れた騎士を冒険者が命懸けで庇いながら後退し、魔獣に狙われた冒険者を騎士が身を挺して守った。それまで反目し合うだけだった騎士団と冒険者の間に、あの凄惨な戦いを通じて少なからず信頼関係が芽生えたのは確かだった。
現に、あの戦いに参加していた古参の騎士達は、最初から先発隊の救援に赴きたいという雰囲気を出していた。
ランドルフ自身も、あの戦いで冒険者のことを少なからず認めるようになったからこそ、今回の妖魔狩りを冒険者に託すことを領主に進言したのである。
騎士団だけで領内の治安を維持するのが難しい現状で、騎士と冒険者の信頼関係の構築は必要不可欠であり、今ここで冒険者を見捨てるようなことをすれば、せっかく芽生えた信頼の芽を摘んでしまうことになる。それはなんとしても避けたかった。
「し、しかし、我らだけで妖魔の軍勢を打ち破ることなどできるのですか?」
ひとりの若い騎士が遠慮がちに声を上げる。
「なんだ、私と同じように妖魔を殲滅するつもりの者は誰もいないのか」
「そ、そのようなことは……。ただ、こちらの騎兵隊はわずか五〇騎です。その数で千を超える妖魔と戦うというのは……」
「数に惑わされるな。厳しい修練を積んだ己の力を信じろ。共に戦う仲間を信じろ。そして我らグラスター騎士団の強さを信じろ。大丈夫だ。あの恐るべき魔獣すら打ち倒した我々の力をもってすれば、たかが千の妖魔ごとき恐れるに足らん」
本来であれば、ランドルフはこのような詭弁を好まない。だが、それで士気が高まるのであれば、それを利用するのになんら躊躇いはなかった。
「妖魔どもを蹴散らして、我らグラスター騎士団が最強であることを、お嬢様に、そして国中に証明するのだ!」
ランドルフは力強く拳を突き上げた。
決して大きな声ではなかったが、魔獣討伐の英雄であり、最強の騎士との誉れ高いランドルフのその言葉は騎士達の心に響いた。
「うおおおおおおおっ!」
若い騎士達が雄叫びを上げて応える。
シンシアの言葉で灯った闘志の火は、いまや大炎となっていた。
「――それでは作戦を説明する」
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