第123話 先発隊
修介がパーティの仲間と再会を果たしていた頃、デヴォン鉱山を目指し移動していた先発隊とドワーフの一団は、森の出入口付近でゴブリンの一団と遭遇し、戦闘状態に突入していた。
先発隊とゴブリンが遭遇するのは、互いの目的を考えれば必然だった。
グイ・レンダーと遭遇することを想定していたドワーフたちにとって、ゴブリンはなんら恐れるべき相手ではなかった。
クルガリの街には百人近いドワーフが住んでおり、今回編成されたドワーフたちはその中でも選りすぐりの
ドワーフたちのあまりの強さに、先発隊の冒険者たちは呆然とその戦いぶりを見守っていただけだった。
三〇匹ほどいたゴブリンは、ものの数分で全滅していた。
森に入ると同時に妖魔と遭遇したことにきな臭さを感じつつも、先発隊は行方不明者を捜索すべくドワーフの後に続いて森の奥へと進んでいった。
そして、ほどなくして先ほどの一団とは比べ物にならない規模のゴブリンの軍勢と遭遇する。
ゴブリンの数の多さにダドリアスは尋常ならざる事態が発生していると考え、ドワーフたちに一旦森から出ることを提案したが、ドワーフたちはそれには応じなかった。
ドワーフ族にとっては、閉鎖されたとはいえかつて暮らしていた鉱山に天敵であるゴブリンが住み着いているなど見過ごせるはずがなかった。それが行方不明になっている同胞に関係しているかもしれないとなれば尚更である。
重戦車のごときドワーフの一団は真正面から妖魔の軍勢に挑みかかり、次々とゴブリンを血祭りにあげていった。
しばらくはドワーフたちの快進撃が続いたが、いくら底なしの体力を持つと言われるドワーフでも、本当に無限に体力があるわけではない。疲労によってドワーフたちの動きが鈍くなるのを見計らっていたかのように、妖魔どもは反撃に転じた。
そして、恐れていた事態が発生する。
突然、頭上からグイ・レンダーが現れたのである。
ドワーフたちとグイ・レンダーの戦いは壮絶だった。
ドワーフの鍛え抜かれた剛腕から繰り出される攻撃は、いかにグイ・レンダーといえど完全に防ぐことはできず、犠牲をいとわないドワーフたちの猛攻によって全身の至る所に傷を負い、追い詰められる。
だが、ドワーフたちも決して無傷ではなかった。グイ・レンダーの反撃によって、八人のドワーフが犠牲となり、生きているドワーフたちも無傷の者は誰もいなかった。
苛烈な戦闘はノルガドの戦斧の一撃によって深手を負わされたグイ・レンダーが森の奥へ逃走したことで唐突に終わりを迎えた。
無論、逃がすつもりのないドワーフたちは追撃を試みるが、そこへ森の奥からオーガの一団が殺到したことにより取り逃がしてしまう。
ダドリアスはこれ以上の戦闘継続は不可能だと判断して、いまだに戦い続けているドワーフとオーガのあいだに強引に割って入ると、ドワーフたちに向かって撤退するよう呼び掛けた。
さすがのドワーフたちもこの指示には大人しく従った。
冒険者たちの死に物狂いの反撃によって、妖魔の軍勢は一時的に退却。先発隊はドワーフたちを庇うように後退し、なんとか森の外へ出ることに成功したのだった。
森から出た先発隊はすぐに街道を目指さず、少し離れた丘の上へと移動して森の様子を窺っていた。
森に入ってすぐに妖魔の軍勢と遭遇したのは、妖魔どもが森の外へ出てどこかへ向かおうとしているからで、その行き先は見極める必要がある、というノルガドの主張を受け入れての事だった。
予期せぬ妖魔の軍勢との遭遇によって、すでに行方不明者の捜索どころではなくなっていた。いくら妖魔が森に多く生息すると言っても、街からさほど離れていない森にこれだけの妖魔がいるのは明らかに異常事態だった。
ダドリアスが先発隊のメンバーに捜索の中止を告げると、何人かの冒険者からは非難の声があがったが、行方不明者の生存が絶望的なことは、口には出さないが皆が思っていることでもあった。
(あながちそうでもないんだがね……)
遠見の術を使って森の入口を監視していた使い魔の魔術師はそう心の中で呟く。
修介とサラに預けた使い魔が生きていることは魔力的な繋がりでわかっていた。使い魔が自発的に戻ってこないということは、ふたりともまだ生きている可能性があるということだった。もっとも、それを伝えて万が一にも森に入ると言い出されては敵わないので、魔術師はそのことを皆に言うつもりはなかった。
ほどなくして、獣のような咆哮と大地を踏み鳴らす足音と共に、森の入口からおびただしい数の妖魔が次々と姿を現す。
魔術師は魔力を調節して、さらに遠くまで視線を飛ばす。その目が最後方にいるレギルゴブリンの姿を捉えた。
レギルゴブリンを見るのは初めてだったが、勉強家だった彼は魔法学院時代に妖魔に関する書物を読み漁ったおかげで、その存在自体は知っていた。
小山のような巨体を揺らしながら歩くその姿は、先ほど見たグイ・レンダーに匹敵する化け物だった。
レギルゴブリンに率いられた千を超える妖魔の軍勢……そんなものに襲い掛かられたら、自分達はおろか、クルガリの街も輸送部隊も無事では済まないだろう。
妖魔の軍勢は北上しており、その目的が街道を進む輸送部隊なのはもはや疑う余地がなかった。
「奴らの行き先の見当もついたことだし、我々もさっさと逃げないと危険だと思うがね?」
魔術師は近くにいるダドリアスとノルガドに声を掛ける。
だが、ふたりとも魔法にでもかかってしまったかのように固まっていた。
「……まさかとは思うが、あれと戦おうなどと愚かなことを考えてはいまいね?」
そう口にしながら、冗談ではない、と魔術師は考えていた。
彼が行方不明者の捜索に付いてきたのは、単に使い魔をいち早く回収したいが為であって、妖魔と戦う為ではない。そもそも、彼が今回の依頼を受けたのも、使い魔を持つ魔術師ということで連絡役として特別報酬を提示されたからであって、妖魔の軍勢と戦うなどもってのほかだった。
「……あの軍勢を我々だけでどうにかできるわけがないだろう」
ようやく返ってきたダドリアスの答えに魔術師はほっと息を吐きだす。
「君が愚か者ではないことが証明されたのはお互いにとって喜ばしいことだ。では、さっさとここから逃げ――」
「だが、あれをあのまま放っておくわけにもいかん」
「……我々だけではどうにもできないと言ったのは君ではないかね」
魔術師は苛立ちを隠そうともせずダドリアスを睨みつける。
「我々先発隊の仕事は道中に出現する妖魔の駆逐だ。あれを見過ごすことは依頼を放棄したとみなされる」
「あれはもはや依頼の範疇を超えていると思うがね」
「ノルガド、あんたたちはどうするんだ?」
ダドリアスは魔術師を無視して、ずっと黙っているドワーフに問いかけた。
ノルガドは森の方に視線を向けたまま答えない。その表情は苦悶に満ちていた。
行方不明になっている同胞を気にしているのだろう。彼らがここまで来た目的を考えれば致し方のないことだった。
「ノルガド?」
「……あれは放ってはおけんじゃろう。どこかで迎え撃つしかあるまい」
ノルガドは絞り出すように答えた。
その言葉に魔術師が反応する。
「本気かね? あんたたち全員ぼろぼろじゃないか。いくらなんでもあの軍勢に勝てるとは到底思えないがね」
「そんなことはわかっておるわい。じゃが、このまま奴らを放っておけば輸送部隊に大きな被害が出る。彼らが運んでいる物資はクルガリの街にとっての生命線なのじゃ。それを失うわけにはいかん。せめて輸送部隊が街に入るまでの時間を稼がなきゃならん」
「言いたいことは理解できるがね、こんな少数では足止めにすらならんよ」
「むろん、わしらだけでは不可能じゃ。護衛の騎士団にはこっちまで出向いてもらわんといかんじゃろう」
そう言うとノルガドは持っていた地図を広げた。
「ここで騎士団と合流して妖魔を食い止める。その間に輸送部隊には街に入ってもらうのじゃ」
ドワーフのごつい指で指し示されたのは、街道から少し離れた場所に位置するだだっ広い平原だった。
「そんな開けた場所では逃げ場などないではないか! 仮に足止めに成功したとしても、戦場から離脱するのは不可能だ!」
「こちらが数で劣る以上、騎兵隊の力が絶対に必要となる。開けた場所でこそ騎兵隊はその力を存分に発揮できる。この場所でないと勝ち目がないじゃろう」
「勝つつもりなのか!?」
「やるからには当然じゃろう」
大真面目な顔でノルガドは頷いた。
「くそっ、話にならん!」魔術師は大きく首を横に振った。「だいたい、我々がそこまでする必要はないではないか! 私の使い魔で騎士団にあの妖魔の軍勢のことを報告すれば、あとは彼らがなんとかするだろう」
「それでは駄目じゃ。わしらがあの軍勢を平原までおびき寄せる必要がある」
「だが、騎士団がこちらの要請を無視して動かなかったらどうするんだ?」
「そうなったら詰みじゃな」
ノルガドはなんてこともないように答える。
たしかに騎士団の目的はあくまでも物資をクルガリの街へ届けることであり、先発隊を捨て石にしてそのまま街を目指す可能性も大いに考えられた。下手に迎え撃つよりは、クルガリの街の守備隊と協力して決戦を挑んだほうが勝算も高いだろう。もしくは、強固な壁に囲まれた街に籠城してグラスターの街からの援軍を待ってもいい。なんといっても、それが可能なだけの物資を彼らは持っているのだ。
唯一の救いは、輸送部隊を率いているのがランドルフであることだった。
ノルガドの知る彼は、質実剛健、清廉潔白を絵に描いたような騎士だった。彼ならば無下に冒険者たちを見捨てるようなことはしないと信じられた。
「それにな、わしらドワーフは同胞を殺されたまま黙って引き下がることなどできんのじゃよ」
「しかしだね――」
「わしらが勝手にやると言っておるのじゃ。おぬしたちが無理に付き合う必要はないし、付いて来なくとも別に責めはせんよ。じゃが、わしらのことは騎士団に伝えておいてくれんかの。わしらには連絡する術がないからの」
なんの気負いもなく言うノルガドの態度に、魔術師は憮然とした表情で頷くことしかできなかった。
ふたりのやり取りを聞いていたダドリアスは周囲に視線を向ける。
満身創痍のはずのドワーフたちからはすさまじい怒気と殺気が放たれており、彼らを止めることが不可能なのは一目瞭然だった。
一方、先発隊の冒険者たちは状況が把握できておらず戸惑っている者が多かったが、ドワーフの怒気に当てられたからか、戦意を喪失している者はほとんどいなかった。
それを見てダドリアスの腹は決まった。
妖魔を倒し、人々を守る。たとえ騎士になれなくとも、自ら誓ったその想いに嘘を吐くわけにはいかなかった。
「ノルガド、俺も付き合う」
「……無理に付き合う必要はないぞ?」
「これでも騎士を志しているんだ。あの妖魔の軍勢を黙って見過ごすことはできん」
ダドリアスの真意を測るようにノルガドはその目をじっと見つめる。そして一言、「好きにせい」とだけ言った。
「正気かね!?」魔術師は声を荒らげる。
「さっきのノルガドの言葉じゃないが、無理に俺に付き合う必要はない」
ダドリアスは魔術師にそう言うと、周囲にいた先発隊のメンバーにも、逃げたい者はすぐに逃げろ、と伝えた。
さすがにここから先の戦いを強要するつもりはなかった。
だが、意外なことに去る者は誰もいなかった。
「ここで逃げるくらいなら、命令無視して行方不明者の捜索に志願したりしねぇし、そもそも最初から今回の依頼も受けてねぇよ。あいつらが仲間をやったってんなら、かたき討ちくらいはしてやらないとな」
顎髭の戦士が好戦的な顔で言った。その隣でシーアも頷く。
「くそっ、馬鹿ばっかりだ!」
魔術師はそう吐き捨てる。
だが、結局彼もその場を去ることはしなかった。正確にはできなかったのだ。こんなところに非力な魔術師がひとりで取り残されて、安全な場所まで逃げ切ることなど不可能に近いからだ。
それに、彼は他人を見下すような発言を繰り返すひねくれ者ながら、修介やサラに付けた使い魔を戻そうとしない程度にはお人好しだった。なんだかんだで共に戦ってきた仲間を見捨てて逃げるような真似はできなかったのである。
ダドリアスの号令で先発隊は輸送部隊と合流する為に移動を開始した。
同時に、魔術師は使い魔を輸送部隊の元へと飛ばす。
彼は使い魔に輸送部隊の元にたどり着いたら、そのまま領主の娘の近くに待機するよう命令しておいた。せめて、大切な使い魔だけは一番安全そうな場所へ逃がしておきたかったからである。
本当なら残りの二羽もそうしたかったのだが、今から呼び戻すほうがよほど危険なので断念した。今は修介とサラが生きて安全なところへ逃げ延びていることを祈るしかなかった。
(達者でな……)
大空を羽ばたくオルタンスの背に、魔術師は今生の別れを告げるのだった。
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