第121話 温もり
「おらぁッ!」
気合の声と共にゴブリンが宙を舞った。
そして立て続けに剣戟が鳴り響き、周囲を取り囲んでいたゴブリンの包囲網が崩れた。
直後に何者かが躍り込んでくる。
その人物を見て修介は思わず叫んでいた。
「ヴァル!」
ヴァレイラは周囲のゴブリンには目もくれず、一直線にバルゴブリン目掛けて突進すると、鋭い一撃を放つ。
バルゴブリンは振り上げていた大剣でその一撃を辛うじて防いだが、勢いを殺しきれずにたたらをふんで後退を余儀なくされた。
「ヴァル……」修介は感極まってもう一度その名を呼ぶ。
「これであの時の借りは返したからな」
ヴァレイラはぶっきらぼうに言うと、修介を庇うように前に立ち、バルゴブリンを睨みつけた。
「てめぇ、よくも仲間をやってくれたな……」
ヴァレイラの全身から凄まじい怒気が放たれる。
それに呼応するようにバルゴブリンも低く唸りながら大剣を構えた。
そこへデーヴァンとイニアーが駆け付ける。
修介の姿を見てデーヴァンは歓喜の声をあげたが、修介が負傷していることに気付いた途端、怒りの咆哮を上げてバルゴブリンに向かって突撃した。
走るデーヴァンの全身からは淡い光が放たれていた。それが身体強化の魔法であることを修介は瞬時に悟る。その状態のデーヴァンなら、オーガをも打ち倒すことができるのだ。
「うおおおおやっちまえ、デーヴァン!」
デーヴァンの勇姿に修介は傷の痛みも忘れて歓声をあげた。
その声に応えるようにデーヴァンは
バルゴブリンも負けじと咆哮を上げて迎え撃つ。
勝負は一瞬だった。
上段から振り下ろされたデーヴァンの
金属同士が激しくぶつかる音が響き渡り、直後に骨が砕ける鈍い音が続いた。
怒れるデーヴァンの一撃はバルゴブリンの防御をものともせず、その頭蓋を打ち砕いていた。
バルゴブリンの手から大剣が零れ落ち、カラン、という乾いた音が響く。
止めとばかりにデーヴァンはもう一度
ぐしゃ、という嫌な音と共に、バルゴブリンは地面に倒れ伏した。
デーヴァンは両手で
「……どうやら、あいつは怒らせないほうがよさそうだな」
ヴァレイラは肩をすくめながらそう言うと、周囲に群がっているゴブリンに剣を向けた。
「さぁてめぇらの大将は死んだぞ! まだやるってんならあたしが相手になってやるから、死にたい奴からかかってこい!」
ゴブリンに人の言葉は理解できなかったが、バルゴブリンが死んだことに動揺したゴブリンどもは、ヴァレイラの怒声をきっかけに堰を切ったかのように逃げ出した。
あれだけいたゴブリンの姿が一瞬にしていなくなったのを見て、修介はようやく自分が生き残ったのだということを実感した。
「ヴァル、来てくれたんだな……」
「なに情けない声出してんだよ」
ヴァレイラは呆れたような表情を浮かべて手を差し伸べた。
修介はその手を掴んで立ち上がろうとしたが、太ももの傷は思ったよりも深いらしく、起き上がることができなかった。
「ってぇ……」
「ったく、ゴブリン相手にだらしねぇな」
「うるせぇ、こっちはこっちで色々と大変だったんだよ」
不貞腐れたようにそっぽを向く修介。
ヴァレイラは修介の足の負傷を見ると、顔を上げて「おい、サラ!」と声を張り上げた。
その声につられて視線を向けると、少し離れた場所にサラが立っていた。
「おせーぞ!」
「私が、デーヴァンにっ、魔法使ってたのっ、知ってるでしょ!」
文句を言うヴァレイラに、サラは息も絶え絶えといった体で言い返した。
「サラ……」
懸命に息を整えるサラの姿を見て、修介は無意識のうちに呟いていた。別れてからまだ丸一日と経っていないのに、数か月ぶりに再会したような気分だった。
ようやく息が整ったのか、サラは顔を上げると修介を睨みつける。その表情から離れていてもはっきりと彼女の怒りが伝わってきた。
「あ、あの、シュウスケさんの傷の手当てを……」
いつのまにか近くに来ていたアイナリンドが包帯を片手に遠慮がちにヴァレイラに声を掛ける。
「あん? 誰だいあんた?」
ヴァレイラが怪訝な顔をする。
「えっと、わたしは――」
「どいて」
ふたりを押しのけて、サラは倒れたままの修介の足元に座った。
「サ、サラ?」
サラは修介の呼びかけを無視して怪我の具合を確認すると、荷物の中から見たことのある小瓶を取り出した。
それは以前にヴァレイラに使ったのと同じポーションだった。
激痛のあまり気絶したかつてのヴァレイラの姿を思い出し、修介の顔は見事に引きつった。
「そ、それをどうするつもりだ? ポーションは俺には効果がないんだろ?」
修介は震える声でサラに問いかけるが、またしても無視される。どうやら徹底して無視する腹積もりのようだった。
サラはポーションをヴァレイラに手渡すと、「合図したら傷口にかけて。後は全力でシュウを押さえつけて」と指示を出した。
ヴァレイラは心得た、とばかりに大きく頷く。その顔がやたらと嬉しそうなのは気のせいではないだろう。あのとき押さえつけられた恨みをここで晴らすつもりなのだ。因果応報とはまさにこのことだった。
サラは近くで呆然と佇むアイナリンドにも声を掛ける。
「あなたも彼の肩を押さえて」
「は、はい!」
何が何だかわからないまま、アイナリンドは修介の肩を遠慮がちに押さえる。
「そんなんじゃ駄目よ。もっと力を入れて」
サラに言われ、肩を掴むアイナリンドの手に力が入る。
左右の肩を掴まれ動けなくされたことで、ようやく修介は覚悟を決めた。
サラが修介の足に触れながら詠唱を開始する。
それで修介はサラがマナ譲渡の術を使おうとしていることを悟る。たしかにこの方法を使えば、ポーションは癒しの術と同じ効果を発揮するに違いなかった。
サラに触れられている箇所から、暖かい何かが体に入ってくるような感覚を覚える。
「おお……」と感動を覚えたのもつかの間、サラの合図でヴァレイラが傷口に豪快にポーションを振りかけた。
傷口からしゅうしゅうと白い煙が立ち上る。
まるで白い雲煙を上げる火山のようだ――そんな感想を抱いた次の瞬間、修介の全身を激痛が支配した。
「ッぎゃあああああぁぁあぁぁぁっ!!」
予想の五倍は痛かった。むき出しになった神経に焼きごてを押し付けられたかのような激痛だった。この世界に来てから何度も大怪我を負ってきて、痛みにはある程度耐性がついたと思っていたが、そんなもの何の役にも立たなかった。
激痛に耐え切れず、修介は恥も外聞もなくヴァレイラにしがみ付く。
ヴァレイラは「お、おい」と戸惑いの声を上げるが、ポーション治療の激痛を知っているからか、無下に突き放したりはしなかった。
しばらくしてようやく痛みが治まる。
「はぁはぁ……」
想像を絶する激痛から解放されたものの、修介は息も絶え絶えといった状態だった。
しばらくのあいだは身体を動かすこともできずに呆然としていた。
ヴァレイラの咳払いで修介は彼女にしがみ付いたままであることを思い出し、慌てて身を離した。
そして、サラの冷たい視線から逃れるように傷口の具合を確認すると、薄く痕が残っている程度で傷はほとんど塞がっていた。多少の痛みは残っていたが、これなら動くのに支障はなさそうだった。
修介はゆっくりと立ち上がった。
ヴァレイラがそれを待っていたかのように修介の首に腕を回して強引に引き寄せると、「よく生きてたなこの野郎!」と嬉しそうに言った。
デーヴァンも傍に寄ってくると、「あーあーあー」と笑いながら、その大きな手で修介の頭を撫でまわした。
「お、おいデーヴァンやめろ! 髪の毛は触るなっ」
口ではそう言いつつも、修介はふたりの成すがままにされることにした。
ただ、サラだけは相変わらず仏頂面のままだった。
「サ、サラ?」
あらためて名を呼んでみたが、彼女は相変わらず何も言わないままゆっくりと修介の前に立つ。そして、キッと目を吊り上げて大きく息を吸った。
殴られる――修介はそう覚悟して目をつぶった。
だが、次にサラの取った行動は、修介の予想とは大きく異なっていた。
こつんと、胸に何かが押し付けられる。
そっと目を開けると、サラがしがみ付くように修介の胸に額を押し付けていた。
そして、小さな声で「ばか……」と呟いた。
(ああ……)
修介の心に暖かい感情が広がっていった。
その様子から、サラが本気で心配してくれていたんだということが伝わってきて、愛おしさが込み上げてくる。
修介は遠慮がちにサラの背中に手を回し、そっと抱きしめた。
サラの温もりが、自分が生きているのだということを教えてくれた。ヴァレイラの冷やかすような視線も、デーヴァンの変わった笑い声も、生きているからこそ、もう一度味わうことができたのだ。
修介はその幸せを存分に噛みしめていた。
しばらくのあいだサラの好きなようにさせていた修介だったが、によによとしか表現のしようがない笑みを浮かべているヴァレイラの視線に気付いて、咳ばらいをしながらサラの肩に手を置いてゆっくりと体を離した。
それでサラも自分の取った行動に気恥ずかしさを覚えたのか、気まずそうに視線を逸らした。その態度がさらに修介の心をかき乱す。
修介はそれを誤魔化すようにヴァレイラに声を掛けた。
「そ、それにしても、どうして俺の居場所がわかったんだ?」
「ん? ああ、あいつのおかげさ」
ヴァレイラはそう言って修介の頭上の木の枝を指さした。
そこには二羽のフクロウが寄り添うように枝にとまっていた。
「そういえばすっかり忘れてたけど、あいつずっと俺を監視してたんだっけ」
仲睦まじく寄り添う二羽の姿は、先ほどまでの自分とサラの姿を再現しているかのようで、むず痒い気分にさせられた。
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