第120話 鬼に金棒

 アイナリンドの先導で一行は東へと向かう。

 東から森を抜け、その後北上して街道を目指すつもりだった。かなりの遠回りになってしまうが、道中でゴブリンとの遭遇を避ける為にそうせざるを得なかったのだ。

 ゴブリンの死体はそのまま放置したので、遅かれ早かれ追手はかかるだろう。そうなる前に可能な限り距離を稼いでおきたいと修介は考えていた。

 だが、そんな修介の思いもむなしく、前を行くアイナリンドがふいに足を止めた。そして両手を耳にあてる仕草のままじっと動かなくなる。

 嫌な予感が修介の胸中に渦巻く。

 案の定、アイナリンドは硬い表情で振り返ると、「どうやら追手がかかったようです」と告げた。


(思っていたよりも早い……)


 修介は内心舌打ちをする。

 怪我人がいるから仕方がないとはいえ、ほとんど距離は稼げていなかった。

 どの程度の数のゴブリンが追ってくるかはわからないが、今の状態では迎え撃ったところで勝ち目はない。ならば、採れる選択肢はひとつだけだった。


「とにかく急ごう」


 修介はそう言って再び歩き出す。


「……ぼ、僕のことは置いていってください。このままじゃ追い付かれてみんなやられてしまう……」


 意識を取り戻したのか、肩を貸している若い冒険者がか細い声で言った。


「それができるくらいなら、最初から助けになんて行かないって。いいから黙って足を動かしてくれ」


「……はい」


 修介の言葉に若い冒険者は泣きそうな顔で頷いた。


 しばらくすると、後背からゴブリン叫び声と草を揺らす音が聞こえてきた。その音は徐々に近づいてきており、どうやら追手はすぐそこまで迫って来ているようだった。

 修介は一つ息を吐くと、ギーガンに声を掛ける。


「すんませんが、あとは頼みます」


 そう言って若い冒険者をギーガンに任せて後ろに立つと、アレサを抜いた。


「何をするつもりだ?」


 驚くギーガンに、修介は背後の森を睨みつけたまま答える。


「ここでできる限り時間を稼ぎます。このまま後ろから襲われたら対処できないでしょう?」


「それなら俺が残る」


「あなたも怪我人でしょう。いいから、さっさと行ってください」


「だが――」


 ギーガンが何か言いかけたところで「シュウスケさん!」というアイナリンドの叫び声が聞こえた。

 振り返ると、複数のゴブリンが行く手を遮るように立っていた。それだけではない。左右の木々のあいだからもゴブリンがぞろぞろと姿を現す。


「くそっ、いつのまに……!」


 気が付けば修介たちは完全に包囲されていた。

 ゴブリンの数は目に見えるだけでも軽く二〇匹を超えていた。おそらく後続がまだいるに違いない。

 一斉に襲い掛かられたらひとたまりもなかったが、ゴブリンはやみくもに襲ってくるようなことはせず、真綿で首を締めるようにじわじわと距離を詰めてくる。この事実だけでも、ゴブリンがしっかりと統率されていることがわかった。


「……どうやらここまでのようだな」


 ギーガンは若い冒険者を近くの巨木の根元に座らせると、手にした剣を構えた。すでに覚悟を決めているのか、その表情はすっきりとしていた。

 アイナリンドも細身の剣を構えているが、その切っ先はわずかに震えていた。この状況で恐怖を覚えないほうがおかしいだろう。ゴブリンに捕まった女性がどうなるか、彼女がそれを知らないはずがない。

 なんとかアイナだけでも逃げてほしい――修介はそう思ったが、それを伝えたところで彼女は自分だけ逃げることを善しとしないだろう。

 ならば、死に物狂いでこの包囲網のどこかに穴を開けて全員で突破するしかない。


(上等だ……やってやる)


 修介はアレサを持つ両手に力を込める。

 だが、そんな修介の覚悟をあざ笑うかのように、包囲しているゴブリン達の背後から、あきらかに体格の違う大柄なゴブリンが姿を現した。


「マジかよ……」


 修介の口から絶望の声が漏れ出る。

 目の前に現れたのは、見たことのない巨漢のゴブリンだった。

 修介はこいつがバルゴブリンだと直感的に悟った。


 バルゴブリンの合図でゴブリンが一斉に襲い掛かる。

 修介たちは巨木を背に若い冒険者を囲うようにして迎え撃った。それぞれが互いを庇うように立ち位置を変えながら剣を振るう。

 修介は襲い掛かってくるゴブリンを容赦なく叩き斬る。

 斬られたゴブリンが悲鳴を上げて地面を転がった。その死体を踏み越えて別のゴブリンが跳び掛かってくるが、その胸を一突きして倒す。

 巨木を背にしたおかげで背後からの攻撃に気を使わなくていい分、修介は次々と襲い掛かってくるゴブリンを何も考えずにただひたすらに斬りまくった。殺し合いをしているはずなのに、まるで単純作業をしているような気分になる。

 修介はすでに十匹近いゴブリンを倒していたが、ゴブリンの数は一向に減る気配がなかった。倒しても倒しても、森の奥から次々と新手が現れるのだ。

 横目でアイナリンドの様子を窺うと、大きく肩で息をしていた。ただでさえ精霊魔法の使い過ぎで消耗しているのだ。立っているのがやっとに違いない。だが、次々と襲い掛かってくるゴブリンのせいでフォローに向かうこともままならなかった。

 唯一の救いはバルゴブリンが動こうとしないことだったが、その気まぐれもいつまで続くかわからない。おそらく獲物が弱るのを待っているのだろう。


「ぐあっ!」


 隣で戦っていたギーガンが苦痛の声をあげる。

 二匹のゴブリンに同時に襲われ、片方は斬り倒したものの、もう一匹の攻撃を避け損ねて腕を斬られたのだ。傍から見ても彼が限界なのは明白だった。むしろ、怪我を負った状態でここまで戦えたことが奇跡だった。

 自らの死を覚悟しながら、それでも背後にいる仲間の為に懸命に戦うギーガンの姿は修介の闘争心に火をつけた。


「うおおおおっ!」


 修介は雄叫びをあげながら、ギーガンを襲っていたゴブリンを横から蹴り飛ばし、倒れたところにアレサを突き立てて止めを刺す。そして、勢いに任せて一気に前に出ると、呆気にとられるゴブリンどもの群れに飛び込んだ。

 一匹、二匹、と頭の中で倒したゴブリンの数をかぞえる。

 その数が百を超えれば、きっとゴブリンは全滅しているに違いない、そんなことを漠然と考えながら剣を振るう。

 ゴブリンからの反撃を受けて腕や足にはいくつもの小さな傷が出来ていた。疲労で徐々に剣の振りが大きくなり、腕にも力が入らなくなってきていた。

 それでも修介は動くのをやめなかった。

 狂ったように雄叫びをあげながら戦う修介の姿に、ゴブリン達は恐怖に駆られて後ずさった。


(いけるッ!)


 修介はこの機を逃さず包囲網を突破しようとさらに前に出る。


「――ッ!?」


 横から飛び込んでくる影を視界の端に捉え、修介は反射的に後ろへ飛んだ。

 すぐ目の前を光る何かが通り過ぎる。

 一瞬前まで修介が立っていた地面に、大剣の刃が食い込んでいた。


「この、やろう……」


 修介は荒い息を吐きながら目の前に割って入った妖魔を睨みつける。

 バルゴブリンが残忍な笑みを浮かべながら立っていた。そして手にした大剣を見せびらかすように掲げてみせる。

 その剣に修介は見覚えがあった。

 それは、この森でグイ・レンダーに殺された、あの大剣を背負った戦士の剣だった。

 殺された戦士の剣を、目の前のバルゴブリンはさも自分の物だと言わんばかりに手にしているのだ。


「……てめぇ、誰の許しを得てその剣を使ってんだ」


 修介の声に怒気が含まれる。

 アレサを人一倍大事にしている修介には、自分の剣が妖魔ごときに使われることが剣士にとってどれだけ屈辱か、わかるつもりだった。

 そして、自分が死んだ後、目の前の妖魔が我が物顔でアレサを握っているところを想像してブチ切れた。


 修介は無言のまま全力でバルゴブリンにアレサを叩きつけた。

 ガキィン、という金属同士が激しくぶつかり合う音が響く。


「がはっ!」


 次の瞬間、修介は軽い浮遊感と共に背中から地面に叩きつけられた。

 修介の渾身の一撃はバルゴブリンの剣にあっさりとはじき返されていた。

 修介はすぐさま起き上がりアレサを構える。

 今度はバルゴブリンが前に出た。

 両手持ちのはずの大剣を軽々と片手で持ち上げ、鋭く振り下ろす。

 正面からそれを受けた修介は、予想以上に重い一撃に体を支え切れず後方に吹き飛ばされた。倒れることこそ免れたが、完全に体勢が崩れたところにバルゴブリンは立て続けに剣を繰り出してくる。

 その連撃をなんとか凌ぐも、とても反撃できるような隙が見当たらず、修介はあっという間に防戦一方に追いやられていた。


(つ、強え……)


 いくら中位妖魔とはいえ所詮はゴブリンだという侮りがあった。その実力はせいぜいホブゴブリンに毛が生えた程度だろうと舐めていた。

 だが、バルゴブリンの強さは予想以上だった。

 剣を合わせてみて、その理由が修介にははっきりとわかった。


 元々、妖魔には武器を扱うという概念がない。妖魔が武器を扱うようになったのは、皮肉にも人間との長い戦いの歴史の中でのことだった。殺した人間が持っていた武器を拾って使うようになったのである。

 だが、ゴブリンやオーガのような知能の低い妖魔は、人間の見よう見まねで武器を振り回すだけで、それは剣術とは到底呼べない代物だった。

 力や体格で劣る人間が、屈強な妖魔と互角以上に戦うことができるのは、長い年月によって研鑽された『技術』があるからだった。

 技術の有無こそが、人と妖魔の決定的な違いだった。

 だが、目の前のバルゴブリンにはあきらかに剣を扱う技術があった。

 どこかで学んだのか、それとも独自に生み出したのか、それはわからなかったが、剣をただ殴るだけの棒切れではなく、人を斬る為の武器として扱っているのだ。

 鬼に金棒――そんな言葉が修介の脳裏に過る。

 人を超える膂力りょりょくを持つ妖魔が、剣を扱う技術まで持っているのだ。

 その事実に修介は戦慄する。


「シュウスケさん!」


 心配するアイナリンドの声が背後から聞こえた。


(そういえば、初めてこの世界に来た日にも似たような状況に陥ったっけ……)


 あの時よりもはるかに強くなったはずなのに、相変わらず人に心配されてばかりの自分自身の不甲斐なさに修介は思わず舌打ちする。

 せめて、あの時の自分よりも成長したところを見せなければ、死んでも死にきれなかった。

 修介は残った体力をかき集め、決死の覚悟でバルゴブリンに挑む。

 剣と剣が激しくぶつかり合い火花を散らす。

 修介が矢継ぎ早に繰り出す剣を、バルゴブリンは余裕の表情ですべて受け流す。


(調子に乗んなよッ!)


 修介はわざとバランスを崩し相手の攻撃を誘う。危険な賭けだったが、バルゴブリンはそれに釣られた。

 相手が前のめりになったところへ、すかさずアレサを横なぎに払った。

 その一撃はバルゴブリンの肩を深く切り裂いていた。


「くそっ!」


 修介は顔をゆがめた。

 本当は首を狙ったのだ。だが、疲労のせいで腕が上がらず狙いが逸れたのだ。

 その失敗の代償は高くついた。

 反撃に出たバルゴブリンの剣が修介の太ももに食い込んでいた。


「ぐあっ!」


 痛みで頭が真っ白になる。

 蹲ったところに強烈な蹴りが入り、修介は派手に地面を転がった。

 必死に起き上がろうとしたが、すでに限界を超えていた身体は言うことをきいてくれなかった。

 全力で戦ったが力が及ばなかった。

 自分よりも相手の方が強かった。

 わかりきっていたことなのに、修介は悔しさのあまり涙すら浮かべていた。


(くそっ、くそっ!)


 涙で滲んだ視界に、近づいてくるバルゴブリンのつま先が映る。


「シュウスケさん、逃げてっ!」

 アイナリンドの悲痛な叫びが耳に届く。

 止めを刺そうとバルゴブリンが大剣を振り上げた。

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