第117話 精霊魔法

 翌朝、修介とアイナリンドは夜明けとともに行動を開始した。

 アイナリンドが採ってきた木の実で簡単な朝食を済ませると、まだ薄暗い森の中を彼女の先導で奥へ奥へと進んでいく。

 鉱山に繋がる道が使えれば楽なのだが、そうすると妖魔と遭遇する可能性が高くなる為、必然的に道を避けて進むことになった。

 ギーガンのパーティがゴブリンに捕らわれてからすでに二日が経過している。

 当初、アイナリンドは弟を探してひとりで鉱山跡に向かっていたらしく、途中で倒れている修介を拾って介抱したことで、その分の時間を失っていた。そのおかげで修介は助かったわけだが、弟が捕らわれているかもしれない彼女の気持ちを考えれば、一刻も早く鉱山跡に向かうべきだろう。


 修介は一歩一歩慎重に森を歩く。

 朝靄が立ち込める森は静謐な空気に包まれており、木々の合間から差し込むわずかな陽の光が幻想的な景色を作り出していた。本来であれば見惚れそうなほどに美しいはずの景色も、これから妖魔の巣窟に赴くという緊張のせいでそれを楽しむ余裕などなかった。

 そんな修介の気を紛らわせるためか、道中ではアイナリンドが積極的に話しかけてきた。特に冒険者という職業に強い興味があるようで、修介の冒険譚をやたらと聞きたがった。

 とはいえ修介の冒険者としてのキャリアはわずか半年程度で、しかもそのほとんどが薬草採集と倉庫警備である。

 仕方なく修介は自分の数少ない冒険譚であるゴブリン討伐と魔獣ヴァルラダン討伐の話を、情けない部分は省き、活躍したところを多少脚色して語ってみせた。

 根が素直なのか、アイナリンドは目を輝かせながらその話に聞き入っていた。

 彼女の態度に気を良くした修介は、将来的にはこの大陸のあちこちを見て回ることが夢であることまで語っていた。

 それに対し、アイナリンドは「素敵な夢ですね」と柔らかい笑顔を見せた。

 その笑顔に癒されつつ、いい歳して自分語りが過ぎたことに気まずさを覚えた修介は、今度は自分が聞き役に回ろうと考えたところで、ふいにアイナリンドが足を止めた。


「どうかしたの?」


「そろそろゴブリンたちの領域に近づいているはずです。このまま進めば、おそらくすぐに見つかってしまうでしょう」


 その言葉で修介の緊張感がにわかに高まる。


「何か良い方法でもあるの?」


 小声で問いかける修介に向かってアイナリンドは黙って頷くと、おもむろに手を前にかざし、目を閉じて何かを呟き始めた。

 それが魔法の詠唱だと気付いた修介は慌ててその手を掴んで止める。


「ちょっと待った!」


「ど、どうかしましたか?」


 いきなり手を掴まれてアイナリンドはびくっと体を竦ませる。

 修介は一瞬だけ迷ったが、今後のことを考えれば自分の体質について話しておいたほうがいいと判断し、自分の体にマナがないことを説明した。

 それを聞いたアイナリンドの目が大きく開かれる。ただ、その表情は驚いているというよりは、何かに気付いて納得したといった表情だった。


「……精霊たちがあなたの周りでずっと戸惑っていたから、おかしいなとは思っていたんですが……なるほど、そういうことでしたか……」


「とにかく、なんの魔法を使うつもりかは知らないけど、マナの無駄遣いになるだけだからやめておいたほうがいい」


 その言葉にアイナリンドは少しだけ考え込む素振りを見せたが、すぐに「よし」と呟くと、修介の手を取り恋人繋ぎのように指を絡ませた。


「お、おい……」


 突然、手を握られて戸惑いの声を上げる修介だったが、アイナリンドは気にせず、「大丈夫です、任せてください」と言った。

 そして、再び魔法の詠唱を開始する。

 アイナリンドは空いた左手をかざし、宙に向かって言葉を紡ぐ。

 歌を歌っているようにも見えるが、彼女の口から発せられる声は、歌というよりは見えない何者かに語り掛けているようだった。

 詠唱を続けるアイナリンドの姿に見惚れていると、彼女の詠唱に合わせて、周囲の空気が目に見えない棒でかき回されているかのように乱れる。

 気づくと、すぐ目の前にいたはずのアイナリンドがいなくなっていた。


「は?」


 修介は何が起こったのかわからず、思わずアイナリンドがいたはずの場所に手を伸ばした。すると、見えない何かに手がぶつかり、「きゃっ」という悲鳴が聞こえた。


「あ、ごめん!」


 咄嗟に謝る修介だったが、自分が何に触れたのかもわからず、あるはずの自分の手が消えていることに気付きさらに混乱した。


「こ、これはいったい……」


「姿隠しの魔法です。精霊にお願いして、私たちの姿を見えなくしてもらいました」


「マジか……」修介は呆然と呟く。


 アイナリンドの声は何もない空間から聞こえ、その姿はたしかに見えない。だが、手袋越しに彼女の手の感触ははっきりと感じられた。

 修介は空いた手で自分の体のあちこちを触る。服の布地に触れた感触はあるが、手も服もどちらも見えない。

 間違いなく、姿が消えているのだ。

 人を透明にするという、いかにもな魔法体験に修介は興奮を覚えるが、すぐに自分の身体が消えているという事実に疑問を抱いた。


「でも、どうして? 俺には魔法が効かないはずなのに……」


 なにせ過去に効果があった魔法は神聖魔法の癒しの術くらいで、しかもその効果は限定的なものだったのだ。

 アイナリンドは答える代わりに、修介の手を離した。

 すると、次の瞬間には修介の姿だけがあらわになった。

 だが、相変わらずアイナリンドの姿は見えない。

 そして再び手を繋がれると、修介の姿は見えなくなった。

 混乱する修介にアイナリンドは説明した。


 精霊とはマナに寄り添う霊的な存在であり、その精霊と交信し、精霊が司る力を借りて奇跡を起こすのが精霊魔法である。

 精霊は目には見えず、世界のあらゆる事象に引き寄せられ、その事象の特性に強く影響される。例えば、火の傍にいる精霊は火の力が宿り、水の傍にいる精霊は水の力が宿る、といった具合である。

 魔力を使って対象のマナを変質させるのが古代語魔法の神髄ならば、精霊魔法は自然界に存在する精霊の力を借りる魔法であり、その本質は全く異なるのだ。

 つまり、マナを持たない修介には古代語魔法は効かないが、精霊の力そのものは修介に影響を及ぼすことができるということだった。


「……ただ、精霊にはマナを持たないあなたを人として認識することができません。だから、直接あなたに精霊魔法を使ってもほとんど効果はないでしょう。でも、こうして手をつなぐことで、あなたを私の持ち物として認識させてしまえば、効果を発動させることができるのです」


「な、なるほど……」


 たしかに、身に付けている鎧や服が消えているのだから、精霊が修介のことを手荷物か何かと認識してくれれば、当然姿は消えることになる。単純な話だが理屈は通っていた。

 物扱いされたことに思うところがないわけではなかったが、姿が消える、という非日常的な状況にあってはそれも些細なことだった。


「……それにしても、よくそんな方法を知ってたね?」


 アイナリンドがサラのように魔法に対して異常ともいえる研究熱心さを持っているのであれば納得もできるが、彼女の第一印象からはとてもそうは見えなかった。


「実はその……私は純粋なエルフではないんです……」


「純粋なエルフではない?」


「はい。私はハーフエルフ……なん、です」


 どこか怯えたような声でアイナリンドは言った。


「へぇ、そうなんだ」


 修介は素直に感心する。

 人間とエルフの間に生まれるのがハーフエルフである。つまりこの娘の父親か母親は人間ということになる。それならば彼女が人間に対して好意的なのも頷ける話だった。


「……あまり驚かれないんですね?」


 アイナリンドは意外そうな声を出す。


「驚く?」


 修介は首を捻る。未だにこの世界の常識に疎い修介には、アイナリンドがハーフエルフであるという事実のどの部分に驚けばいいのか咄嗟にわからなかった。


「ハーフエルフは、その……とても珍しいですから」


 ああ、と修介は納得した。

 人間とエルフの交流が盛んならばハーフエルフも珍しくはないのだろうが、この世界の両種族はほとんど交流していないのだ。出会いのきっかけがほとんどないのだから、ハーフエルフが生まれる下地はないに等しい。


「ちなみにハーフエルフって、普通のエルフと見た目とか違ったりするの?」


「いえ、見た目はほとんどエルフと変わらないと思います。人間の血が混じっている分、ちょっとだけハーフエルフの方がふっくらとしているかもしれませんが……」


 最後の方はほとんど消え入りそうな声だった。

 修介から見ればアイナリンドはかなり華奢な部類に入ると思ったが、その手の話題が女性にとって地雷であることはおそらくこの世界でも変わらないだろうと判断し、コメントは差し控えることにした。


「……で、アイナがハーフエルフだってことはわかったけど、それと俺の体質に何の関係があるの?」


「私の父は人間なんです。そして、父もあなたと同じでマナを持たない体質でした。以前、母が父に精霊魔法をかけるところを何度か見たことがあったので、それでその方法を知っていたんです」


「マジで!?」


 修介は思わず叫んでいた。

 その告白は彼女と出会ってから一番の衝撃だった。


「はい、本当です」


 アイナリンドははっきりと肯定した。

 修介は混乱する頭で必死に情報を整理する。

 ハーフエルフの片親が人間なのは当たり前である。そこはおかしくない。

 何がおかしいのかというと、その人間の父親がマナのない体質だったことだ。

 この世界の人間にはマナがあるのが常識であり、非常識なのは異世界から転移してきた修介だけのはずだった。


(いや待て――)


 もうひとりいる。

 マナを持たない体質の人間を修介はもうひとり知っていた。


(――ジュン!)


 以前、エーベルトから聞いたその名前を修介は思い出した。

 たしか冒険者だったエーベルトの父親の仲間だったはずだ。年齢は四〇過ぎだと言っていた。それならば目の前の少女の父親だったとしてもおかしくない。もっとも、ハーフエルフの少女の年齢なんて見た目通りなのかどうかわからないのだが。


「あの、シュウスケさん? どうかしましたか?」


 すっかり黙り込んでしまった修介に、アイナリンドは戸惑いがちに声を掛ける。


「あ、いや、すまん。ちょっとびっくりしちゃって」


 修介は慌てて取り繕いつつ、決定的な質問を口にした。


「……あのさ、お父さんの名前って、もしかしてジュンだったりする?」

 その名を告げた次の瞬間、繋がっていた手が離され、今度は強い力で両腕を掴まれた。傍から見れば修介の姿が出たり消えたりしていることだろう。


「ち、父を、父を知っているのですかっ!?」


 アイナリンドは修介の両腕を掴んだまま激しく前後に揺すった。


(やっぱりそうなのか……)


 修介は揺すられながら、かつてエーベルトから聞いた話を思い出していた。

 エーベルトの父親の仲間であり、マナを持たないという冒険者。その冒険者の名前が、ジュンだった。そして、アイナリンドの父親の名前も同じだという。

 そのふたりを別人だと考えるほうがおかしいだろう。

 今まで点と点でしかなかった情報が一本の線で繋がったことに、修介はある種のカタルシスを感じていた。


「――シュウスケさん!」


 アイナリンドの声で修介の意識は現実に引き戻される。


「どうして父の名を知ってるんですか!?」


「お、俺の知り合いから、俺と同じようにマナのない体質の人がいるって話を聞いたことがあって、その人の名前がジュンだったから、もしかしてって思ったんだ。だから、俺の直接の知り合いってわけじゃないんだ。その人が今どうしているかも知らないし……」


「そういうことでしたか……」


 アイナリンドはあからさまにがっかりしたような声を出した。

 先ほどからこの少女を度々失望させてしまっていることに、自分は悪くないとわかっていても修介はいいかげん良心の呵責を感じ始めていた。


「お父さんがどうかしたの?」


「いえ、なんでもないです……」


 その声はとてもなんでもないようには聞こえなかったが、修介は深くは詮索しないことにした。

 エーベルトの話では、ジュンはエーベルトの父親ともども一〇年前にどこかへ行ってしまい音沙汰がないとのことだった。つまり、アイナリンドは弟だけでなく父親も行方知れずということになる。ここまでくると母親の存在も気になったが、さすがにこれ以上突っ込んだことを訊くのは憚られた。


(それにしても、アイナと出会うよりも先に、弟だけでなく親父さんのことまで知っていたとは……)


 偶然とはいえ人の世は狭いということを実感させられる話である。

 同時に、出会ったばかりの少女と共通の知人がいたという事実は、自分がこの世界の人間として少しずつ繋がりができているという証拠だった。彼女の境遇を考えれば不謹慎だとわかってはいるが、修介はそのことが少し嬉しくもあった。


「とりあえず、この話はまた後にしよう。この姿隠しの魔法だってずっと効果があるわけじゃないんでしょ?」


「はい。たぶん途中で何度か掛け直す必要があると思います」


「……もしかして、俺がいるせいで負担が大きくなってたりする?」


 修介はおそるおそる問いかける。

 彼女がひとりで救出に向かおうとしていたのも、この姿隠しの魔法を使えば、ゴブリンに気付かれることなく容易に侵入が果たせると考えていたからだろう。むしろ人数が増えたことで負担が増えてしまうのならば、修介はただの足手まといだった。


「いえ、そんなことはありません。……その、シュウスケさんは精霊から人として認識されていないので、ひとり分のマナで済むので負担はそれほど変わらないです」


「そ、そう。それはよかった……」


 負担になっていないのは喜ばしいことだったが、人として認識されていないという一言は、悪意がないとはいえ修介の繊細なハートに突き刺さった。


「あ、でも、激しく動いたりすると魔法が解けてしまいますので注意してください。あと、精霊は強い感情に引き寄せられます。特に怒りや恐怖といった負の感情には敏感なので、なるべく心を平静に保ってください」


「怒ったりするとどうなるの?」


「姿隠しの魔法は羞恥心の感情を司る精霊の力を借りていますので、精霊が別の強い感情に引っ張られると、姿隠しの魔法が解けてしまいます」


「わ、わかった。気を付けるよ」


 修介は緊張の面持ちで頷いた。自分がビビリであるという自覚があるので、いきなり妖魔に出くわさないことを祈るばかりだった。

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