第116話 借り

 先発隊の隊長であるダドリアスが野営地からサラたちがいなくなったことを知ったのは、深夜になってからだった。

 夜番についていた者がサラたちの不在に気付き、天幕の中で寝ているダドリアスを叩き起こして報告したのである。

 サラたちの勝手な行動を知ったダドリアスは当然憤慨したが、後を追いかけるようなことはしなかった。

 他の冒険者たちからは、すぐにでも追いかけて止めるべきだ、という声も上がったが、ダドリアスは決して首を縦には振らなかった。

 夜間の移動が危険だということもあったが、なにより輸送部隊の元へ赴いていた使い魔が「先発隊は予定通り合流地点に向かいその場で待機せよ」というランドルフの指示を携えて戻ってきていたからであった。


 ダドリアスは冒険者にしては珍しく規律を重んじる人間だった。

 彼は幼い頃から騎士になることを夢見ていた。

 騎士になって妖魔の脅威から人々を守り、法を守らぬ悪人を成敗する。そういう真っ直ぐな生き方に憧れていた。

 実家が貧乏で訓練場には入れなかったので、衛兵となって騎士を目指した。幼少の頃より騎士を目指して剣の鍛錬を積んできたダドリアスはすぐに頭角を現した。

 ところが、そのこと面白くないと感じていた上司から嫌がらせを受け、ついには不正を犯したその上司の濡れ衣を着せられてしまう。

 規律を重んじるべき衛兵が不正を犯し、あまつさえ部下に罪をなすりつけようとしたことにダドリアスは激昂し、その上司を半殺しにした。

 結果、彼は衛兵を首になった。

 夢破れたダドリアスは冒険者に身をやつすが、それでも騎士になる夢を諦めきれなかった。現に冒険者として実績を重ねることで騎士に取り立てられ、騎士長にまで出世した者もいるのだ。ダドリアスはその可能性を信じ、領主や騎士団からの依頼を積極的にこなしていった。

 それから数年、ついに千載一遇の好機が訪れる。

 輸送部隊の指揮官であるランドルフから、今回の依頼で冒険者達をまとめ上げ、無事に依頼を達成した暁には、過去の暴行事件のことは不問にし、騎士に推挙するという話があったのだ。

 魔獣ヴァルラダンとの戦いで多くの騎士が犠牲になったことから、騎士団が人員の補充に奔走していることは知っていた。他人の不幸に付け込んでいるようで良心が痛んだが、それでもダドリアスは歓喜した。

 この好機を物にすべく、彼は自身の能力の全てを費やし、ここまで見事に先発隊を率いて多くの戦果を挙げていた。このまま無事に輸送部隊と合流し、クルガリの街まで物資を届けることができれば、長年の夢である騎士になれるのだ。

 だからこそ、ここでランドルフからの指示を無視して、勝手に行方不明者の捜索に向かうなどありえないことだった。

 無論、彼とて行方不明となった修介の生存を願ってはいた。だが、現実的に考えて、「使い魔が戻らないから生きている」などという薄弱な根拠だけで部隊全体を危険に晒すことなどできるはずがなかった。

 自身の夢と、部隊の安全を守るという固い決意の元、ダドリアスはあらためて先発隊の冒険者達に待機を命じたのである。

 ……だが、その決意が崩れ去るのにそう時間はかからなかった。




 深夜にもかかわらず、クルガリの街に続く街道の向こうから、先発隊の野営地に向かって近づいてくる一団の姿を夜番の冒険者が発見した。

 野営地は一時騒然となり、冒険者たちは慌てて武器を構えたが、近づいてきた一団の正体は妖魔ではなかった。

 その一団の人数は三〇名ほどで、全員がドワーフ族だった。

 ドワーフの一団は先発隊から少し離れたところで止まると、代表者と思しきひとりのドワーフが野営地へとやってきた。

 ダドリアスは周囲の冒険者たちに念のため警戒を怠らないよう指示を出しつつ、シーアを伴ってそのドワーフと対峙する。

 篝火に照らし出されたドワーフの顔を見て、ダドリアスは驚いた。


「ノルガドじゃないか!」


「なんじゃ、ダドリアスか……なぜおぬしがこんなところにおるのじゃ?」


 ダドリアスは「それはこちらの台詞だ」と返しつつ、自分たちがクルガリの街へ物資を運ぶ輸送部隊の護衛の為に周辺の妖魔を討伐している最中であることを説明した。

 それを聞いたノルガドは嬉しそうに目を細める。


「クルガリの街は食糧が不足しておるでの。それは結構な話じゃわい」


「……それで、ノルガドはこんな夜更けに、しかもあれだけの数のドワーフ達を引き連れてどうしたんだ?」


 ダドリアスの問いに、ノルガドは表情を曇らせる。


「わしは鉱石の買い付けにたまたまクルガリの街を訪れていただけなんじゃが、どうやら同胞のひとりが行方不明らしくての。そやつの捜索の手伝いをしているんじゃ」


 ノルガドは詳しい事情を説明する。

 クルガリの街に住む狩人がデヴォン鉱山の麓の森でゴブリンの集団を目撃し、その報告を受けた町長が、たまたま訪れていた冒険者にゴブリンの討伐を依頼したところ、依頼を受けた冒険者が土地勘のある案内人を希望したので、町長はデヴォン鉱山に詳しいドワーフの職人をひとり同行させた。

 ところが、数日経っても冒険者もドワーフの職人も戻ってこないことから、心配した町長がノルガドが滞在していた職人仲間のところに相談に来たことで、こうして共に捜索に出ることになったのである。


「なるほどな……」


 ダドリアスは納得する。

 ドワーフ族は同胞への仲間意識が非常に強い種族として知られている。同胞が行方不明になったのなら、当然その捜索に向かうだろう。

 ダドリアスは離れた場所で待機しているドワーフ達にあらためて視線を向ける。

 全員が完全武装していた。

 同胞の捜索だけではなく、ゴブリンどもを殲滅するつもりなのは明らかだった。ドワーフ族にとってゴブリンは不倶戴天の敵ともいえる存在なのだ。


「そういうわけでな、わしらはこのままデヴォン鉱山に向かう。おぬしたちには無事にクルガリの街に物資を届けてくれることを期待しておるよ」


 そう言って踵を返そうとするノルガドを、ダドリアスは慌てて引き留めた。

 そして、デヴォン鉱山の麓の森で上位妖魔のグイ・レンダーと遭遇したこと、多くの犠牲者と行方不明者が出たこと、そして、行方不明者の捜索に一部の仲間が森へ向かってしまったことなど、すべてを話した。


「……そいつはやっかいじゃのう」


 ノルガドは片手で顔をこすりながら言った。


「上位妖魔が出現した以上、あんた達もデヴォン鉱山に向かうのはやめたほうがいい。後のことは騎士団に任せるべきだ」


 ダドリアスの言葉にノルガドは首を横に振る。


「上位妖魔のいる森で同胞が行方不明になったというのなら、なおさら放ってはおけんじゃろう。わしらは同胞を見捨てるような真似は絶対にせんからの」


「し、しかし、相手は上位妖魔――グイ・レンダーなんだぞ?」


「たしかにグイ・レンダーは恐るべき妖魔じゃが、それがなんだというのだ? 相手が誰であろうと、わしらには関係ない。邪魔をするなら殺し、仲間を見つけて連れ帰る。それだけじゃ。なんなら、おぬしらの行方不明になった仲間とやらも、わしらが連れ戻してやろうか?」


「なっ……!」


 ノルガドの言葉は鋭い刃となってダドリアスの胸に突き刺さった。修介の捜索に向かった者達を見捨てる決断をしたことを、暗に責められているような気がしたのだ。

 だが、ノルガドの発言に相手を揶揄する意図はなく、本気でこちらに気を使ってそう提案しているのだということは、彼を知る者ならば誰にでもわかることだった。

 ダドリアスが返答に窮していると、それまでずっと黙っていたシーアが口を開いた。


「ノルガドさん、私も一緒に付いていってよろしいでしょうか?」


「なっ、なにを言ってるんだ!」


 驚いたダドリアスが大声を上げる。


「……本気かの?」


 静かに問うノルガドに、シーアははっきりと頷き返す。


「この女子おなごは本気のようじゃが、どうするね?」


 水を向けられたダドリアスは大きく首を横に振った。


「駄目に決まってる! 輸送部隊からの指示は待機なんだ。そんな勝手なことが許されるはずないだろう!」


「私はあの場にいたのです。彼の勇気ある行動によって多くの命が救われました。その彼がまだ生きている可能性があるのなら、彼を救うために最善を尽くすことが、生命の神を信仰する者としての務めです」


 興奮するダドリアスとは対照的に、シーアは落ち着いた口調で自身の考えを口にした。その目には不退転の決意が滲んでいた。


「――そういうことなら、俺も行かせてもらうぜ」


 何か言い返そうとダドリアスが口を開きかけたところで、別の声がそれを阻んだ。近くで様子を窺っていた顎髭の戦士が、にやりと笑ってシーアの近くに立った。


「仲間を何人もやられてるんだ。このままじゃ腹の虫がおさまらねぇし、あいつには二度も命を救われたんだ。生きてるってんなら、やっぱり助けに行くべきだろう? それにドワーフの戦士団が一緒なら、あの上位妖魔にも勝てるかもしれねぇ。こいつは大きく稼ぐチャンスだぜ」


 その言葉をきっかけに、他の冒険者達も口々に「俺も行くぜ」「俺もだ!」と声を上げ始めた。

 気が付けば、先発隊のほぼ全員が声を上げていた。


「よくわからんが、その行方不明となった者は、随分と慕われとるようじゃのう」


 その様子を眺めていたノルガドは感心したように言った。


「……慕われているというより、ここにいる者のほとんどが、彼に大きな借りがあるんだよ。あんたもそのひとりのはずだ」


 ダドリアスが投げやり気味に答える。


「ほう……行方不明になった者の名を聞いてもいいかの?」


「シュウスケだよ」


 その名を聞いて、ノルガドの細い目が大きく開かれる。そして手で顔をこすりながら、

「そりゃあたしかに大きな借りがあるわい」と呟いた。


 そして何かに気付いたのか、少し声を潜めてダドリアスに問いかける。


「……もしかしてじゃが、そのシュウスケの捜索に向かったというパーティに、サラという名の魔術師はおらんかったか?」


 いる、というダドリアスの返答に、今度は盛大にため息を吐いた。


「……どうやら、おぬしに頼まれんでも、連れ戻さなきゃならん奴が増えてしまったようじゃの」


「どういうことだ?」


 ノルガドはその質問には答えず、シーアと顎髭の戦士に声を掛ける。


「一緒に来るというのなら、勝手に付いてくるといい。ただし、夜間の強行軍になるから、付いてこられればの話じゃがな。わしらはおぬしらを待たずに勝手に進むからの」


「上等だぜ」顎髭の戦士がそれに応じる。


「お、おい、勝手に話を進めるな」


 ダドリアスは慌てて口を挟むが、この流れがもう止められないことは彼自身にもわかっていた。

 ヴァレイラが救出隊を出せと要求した時と今とではあきらかに状況が異なる。顎髭の戦士が言う通り、屈強なドワーフ族の戦士たちと組めば、上位妖魔を討伐できる可能性は十分にあるだろう。そういった計算があったればこそ、今になって彼らも声を上げたに違いない。上位妖魔の討伐報酬ともなれば頭割りにしても相当な額になるからだ。

 だがそれ以上に、やはり修介の存在は、ここにいる冒険者たちにとってそれだけ大きなものなのだ。

 先発隊に参加している冒険者のほとんどが、あの魔獣ヴァルラダンとの戦いに参加していた。

 魔獣の咆哮を聴いた瞬間の、あの心を鋭利な刃物で引き裂かれるような恐怖と絶望感は、それを実際に聴いた者にしかわからないだろう。

 すでに英雄として名を馳せていたランドルフやハジュマと違い、新人の冒険者に過ぎなかった修介が、その咆哮に耐え抜き、果敢に魔獣に立ち向かい、戦いの神の槍を突き刺して討伐軍の窮地を救ったのだ。

 彼はまさしく命の恩人だった。

 その彼を救わんと名乗りを上げる冒険者がいたとしてもなんら不思議ではない。そして、彼らのその判断を責める気にはなれなかった。

 だが、ダドリアスにも立場がある。

 隊をまとめる者として、勝手な行動を黙って見過ごすわけにはいかなかった。


「シーア、考え直してくれ。これは明らかに命令違反だ。そもそも、上位妖魔のいる森に向かうなんて馬鹿げている」


 ダドリアスは同じパーティの仲間であるシーアの説得を試みたが、彼女は静かに首を横に振った。


「なぜだ!? 君はあの魔獣との戦いに参加していなかっただろう! そこまでする理由はないはずだ」


「理由は先ほど申し上げました。彼が英雄だからとか、命の恩人だからとか、そういったことは関係なく、救える命があるのなら、それに手を差し伸べるのが私の務めです」


「だが、俺は……俺はそんな危険な場所に君を行かせたくない」


 ダドリアスは真剣な眼差しでシーアを見つめる。ダドリアスはシーアのことを憎からず思っていた。その想いはだいぶ前に彼女に伝え、信仰を理由にはっきりと断られていた。だが、それでも彼女への想いが失われたわけではない。


「……ごめんなさい。私は行きます。それが私の選んだ道だから」


 その言葉に、ダドリアスは自分では彼女の意志を変えられないのだと悟った。

「あきらめろって。しつこい男は嫌われるぜ? それよりもあんたはどうするんだ、一緒に行くのか?」


 顎髭の戦士に問われ、ダドリアスは唸る。

 なぜ俺の人生はいつもこうなのだと心の中で叫ぶ。いつもあと一歩というところで邪魔をされる。

 騎士になるという夢がすぐ目の前に近づいていたというのに。

 夢も、恋も、いつもままならない。

 それもこれも、いきなり現れたグイ・レンダーが悪いのだ。

 抑えきれない怒りが濁流となって理性を押し流した。


「……もうどうなっても知るか! 俺も行くぞ! こうなれば上位妖魔の首を手土産にして騎士になり上がってやる!」


 ダドリアスはそう叫ぶと、周囲の冒険者達に出立の準備を指示した。

 それらのやりとりを興味深げに眺めていたノルガドは、話がまとまったのを見届けると、仲間の元へと戻るべく踵を返した。

 ノルガドは自身の幸運に感謝していた。

 もし、この野営地に立ち寄らなかったら、知らないうちに大切な存在をふたりも同時に失っていたかもしれないのだ。

 ノルガドにとって、サラは孫も同然だった。

 そして、修介は弟子であり、命の恩人であり、仲間だった。

 どちらも命を懸けてでも守りたい存在だった。


「……待っておれ、必ず迎えに行くからの」


 ノルガドはそう呟き、拳を固く握りしめた。

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