第115話 もう一つのパーティ

 少女はアイナリンドと名乗った。

 故郷の森から出て行った双子の弟を探す旅をしており、クルガリの街に立ち寄った際に、自分によく似た少年が数日前にこの森に向かったという話を聞いて、単身追いかけてきたのだという。

 結局、弟は見つからないまま、代わりに倒れている修介を発見したので、とりあえず安全な場所まで運んで介抱してくれたとのことだった。

 修介が助けてもらったことについて礼を言うと、アイナリンドは「当然のことをしただけですから」と微笑んだ。

 その笑顔はエルフ特有の完成された美しさに少女の物腰の柔らかさが加わったことで、かなり魅力的だった。最初に見たときは弟と同じ顔だと思ったが、こうして話をしてみるとまったくの別人に見えてくるのだから不思議なものだと、修介は妙なところに感心する。


「それにしても、あの野郎がアイナリンドさんの双子の弟とはね……」


 修介はハース村の近くの森で出会ったエルフの事を思い出して顔をしかめる。


「あの、弟とは、その……どういった関係なのですか?」


「え、関係?」


 問われて、修介は当時の記憶を掘り起こしながら、彼女の弟――名をイシルウェというらしい――との出会いの経緯を話した。


「――いきなり剣で斬りかかられるわ、魔法で眠らされそうになるわで、とても友好的な関係とは言えないなぁ」


 冗談めかしてそう締めくくると、アイナリンドは「ごめんなさい、弟は直情的で考えなしなところがあるので……」としきりに頭を下げた。

 今振り返ってみると、あの時のエルフからはそれほど殺意は感じなかったように思える。攻撃魔法ではなく、眠りの魔法でこちらを無力化しようとしていたことからもそのことは窺えた。それに、人間を蔑むような態度を取りながらも、子供を救うためにオークと戦ったのだ。悪人でないのは間違いないだろう。もっとも、いけ好かない生意気な小僧という第一印象は変わらないのだが。


「……ところで、シュウスケさんはどうしてひとりで森を歩くなんて危険な真似をしていたんですか?」


 真剣な表情でアイナリンドが尋ねてくる。


「そう言うアイナリンドさんだってひとりじゃないか」


「私たちエルフ族は森に住まう種族です。森の中でなら妖魔と遭遇したとしても、よほどのことがない限り捕まったりはしませんから」


 その言葉に修介はイシルウェの身軽さを思い出して納得した。

 たしかにあの身軽さならば、並の妖魔では動きを捉えることすらできないだろう。


「俺はひとりで森に入ったわけじゃないよ。仲間と一緒だったんだけど、妖魔との戦闘でばらばらになっちゃったんだ」


 修介は自分が冒険者であり、仲間と共に森で行方不明となった冒険者の捜索をしていたこと、その途中で上位妖魔のグイ・レンダーと遭遇し、命からがら逃げ延びたことなどを説明した。


「冒険者……ということは、もしかして昨日見たあの方たちが、シュウスケさんの探している人たちなのかも……」


「俺以外の冒険者を見たの!?」


「は、はい。でも……」


 思わず身を乗り出す修介に対し、アイナリンドは目を伏せた。


「何か知ってるのなら教えてほしい」


「……」


 アイナリンドは躊躇うような素振りを見せたが、すぐに思い直したのか、真っすぐに修介を目を見据えて言った。


「その冒険者の方たちは、妖魔に襲われてそのまま連れ去られました」


「連れ去られた? 殺されたのではなく?」


「はい」


「妖魔って、もしかしてグイ・レンダー?」


 アイナリンドは首を横に振った。


「いえ、ゴブリンです」


「ゴブリン?」


 修介は首を傾げる。

 行方不明になったギーガンのパーティは比較的若いメンバーで構成されていたとはいえ、この依頼に参加したくらいだからそれ相応の腕の持ち主なのは間違いない。ゴブリンごときに後れを取るとは思えなかった。


「……今、この森にはおびただしい数のゴブリンが生息しています。その数は百や二百ではききません。連れ去られた冒険者の方たちは何十という数のゴブリンに囲まれていました……」


 修介の表情から察して、アイナリンドはそう説明を付け加えた。


「そんな大量のゴブリンが……」


 修介はこの森に来てから一度もゴブリンには遭遇していない。にわかには信じられない話だったが、彼女が嘘を吐いているようには見えなかった。


「アイナリンドさんはその冒険者達がゴブリンに連れ去られるところを見ていたの?」


「は、はい。少し離れた木の上から見ていました。助けたいとは思ったのですが、ゴブリンの数が多すぎて、私一人ではとても……ごめんなさい」


 アイナリンドは申し訳なさそうに俯きながら言った。


「ああっ、ごめん、責めているんじゃないんだ。そのゴブリンどもがどこへ向かったのかを聞きたかっただけで……」


 修介は慌ててフォローを入れる。


「おそらく、この森の奥にある鉱山跡です。ゴブリンはそこを根城にしているようです。おそらく捕まった冒険者の方々もそこにいると思います」


「でも、どうしてゴブリンは彼らを殺さずに連れ去ったんだろう?」


 その疑問に、アイナリンドは「たぶんですが」と前置きしたうえで自分の考えを口にした。

 それによると、ゴブリンは人間の数倍の繁殖力があり、あっという間に数が増える一方で、慢性的に餌が不足し、最悪の場合は共食いにまで発展することから、群れが大きくなると捕えた人間はすぐには殺さず、餌が不足するまで生かしておく習性があるらしい。

 さらに、下位妖魔であるゴブリンはオーガやトロルといった中位妖魔に襲われて捕食されることもあり、そういった場合に、捕えた人間を差し出して見逃してもらう、といったこともやるのだそうだ。

 弱いなりの生き残るための知恵ともいえるが、人間側からしてみたら胸糞の悪い話であった。


「つまり、連れ去られた奴らはまだ生きている可能性がある……?」


 修介の言葉にアイナリンドは頷いた。


「あれだけの数のゴブリンがしっかりと統率されて動いていたところを見ると、おそらくそれなりに力を持った長が群れを率いているはずです。捕えた、ということはすぐに殺すつもりがないということだと思います」


「なるほど……」


 今の話から、おそらく群れを率いているのはバルゴブリンだと修介は推測した。

 バルゴブリンはゴブリンの王とも言われる中位妖魔だった。

 上位妖魔のグイ・レンダーほど恐ろしい相手ではないが、群れを率いるバルゴブリンは上位妖魔並みに厄介な存在である、と訓練場の座学で教わっていた。


(さてどうしたものか……)


 普通に考えれば、夜明けとともに森を出て、ゴブリンの群れの存在を先発隊に報告すべきだろう。だが、仲間の冒険者が生きているかもしれないと知って、それを放置して帰ることには抵抗があった。

 とはいえ、自分ひとりで大量のゴブリンがいる場所から仲間を無事に救い出せるとはとても思えない。やはり援軍を呼んで確実に対処すべきだ。修介はそう結論を出した。

 ところが、直後にエルフの少女が口にした言葉は修介の度肝を抜いた。


「……私は夜明けとともに鉱山跡に向かいます」


「はぁ?!」


 修介は思わず大声を上げてしまい、慌てて口を噤む。


「ほ、本気で言ってるのか? この森の奥にはゴブリンどもがうようよいるんだろ? それに上位妖魔のグイ・レンダーだってうろついてるんだぞ。そんなところにひとりで行くなんて危険すぎる!」


「でも、弟が見つからないということは、ゴブリンに捕まってる可能性だってあるんです。もしそうなら助け出さないと……」


「エルフは森の中では捕まることはないって言ったのはアイナリンドさんだろう?」


「よほどのことがない限り、とも言ったはずです。この森は今、そのよほどのことが起こっている状態です」


「そ、それはそうかもしれないけど……」


 たしかに、低いとはいえわずかにでも捕まっている可能性があるのなら確かめたいと思うのは当然だった。それが身内とあれば尚更だろう。


「それに、捕まっている冒険者の方々だって助け出さないといけません」


「助けるって……アイナリンドさんにとってそいつらは赤の他人じゃないか。見ず知らずの人間の為にそこまでする必要なんてないだろう?」


「でも、あなたの仲間なんですよね? だったらやっぱり助けないと……。冒険者にとって仲間はとても大切な存在だって、父が昔よく言ってました」


「う……」


 修介は言葉に詰まった。たしかに行方不明となったパーティは同じ先発隊の仲間と言えたが、リーダーであるギーガンと何度か言葉を交わした程度で、他のメンバーにいたっては名前すらまともに覚えていない。命懸けで救いに行くような関係ではない、というのが修介の本音だった。

 とはいえ、そんな事情を彼女が知ってるはずもなく、ましてや面と向かって「仲間といってもそんなに親しいわけじゃないから助けなくていい」などと言えるはずがなかった。

 修介は考える。

 彼女が本気なのは間違いないだろう。

 だが、いくら弟が心配だからと言っても、捕まったという確証があるわけではなく、無駄足になる可能性の方が高いのだ。

 仮に弟が捕まっているとするならば、それは俊敏なエルフですら捕まるほど危険な場所ということになる。そんなところにひとりで向かうのは、自分から捕まりに行くようなものだった。


「やっぱりだめだ。危険すぎる。一旦森を出て俺の仲間を呼んでから、あらためて向かった方がいい」


「なら、シュウスケさんは森を出て仲間を呼んできてください。私はひとりで向かいますから」


(そう言うと思ったよ)


 修介は内心の苛立ちを抑え、懇願するような声を出した。


「実を言うと、ひとりでこの森から出られる自信がないんだ。だから出来れば森の外まで道案内をしてほしいんだけど……」


 森を出るだけならアレサに聞けば迷うことなく出られるだろう。こういう言い方をすればもしかしたら彼女が鉱山跡に向かうのを阻止できるかと思って試しに言ってみただけだったが、返ってきた答えは修介の予想通りだった。


「そ、それは……私も本当ならあなたを森の外まで送って差し上げたいのですが、時間が経てば経つほど捕まっている人達の命が危うくなります。だから、ごめんなさい……」


 そう言ってアイナリンドはすまなさそうに頭を下げた。


「……本気で行くつもりなんだね?」


「はい」


 アイナリンドは修介の顔をまっすぐに見て答える。

 その迷いのない表情に、修介ははっとさせられた。


 小さな後悔をいくつも積み重ねてきた前の人生。ひょんなことからこの世界で新たに人生をやり直す機会を得て、今度こそ悔いのない人生を送ろうと色々と無茶をした。

 しかしその結果、何度も死にかけ、アレサを壊すという事態まで招いたのだ。

 なんでもかんでもがむしゃらにやればいいというものではない。これまで死なずに済んだのは運が良かったのと仲間やアレサがいたからであって、決して自分の実力ではない。そして、そんな幸運はいつまでも続かない。

 そう考えたからこそ、無茶をしないように身の丈にあった依頼だけを受けるという方針に変えたのだ。

 だから今回は行くべきではない。そんなことはわかりきっていた。

 だけど――修介は自分に問いかける。

 はたして今の自分はどんな顔をしているのか、と。

 きっと情けない顔をしているのだろう。目の前の困難から目を背けて生きてきた、あの時と同じ顔をしているに違いなかった。


(だめだろそれは……)


 弟を探している途中だというのに、貴重な時間を費やしてまで見ず知らずの自分を助けてくれた心優しき少女を放って、自分だけ逃げ帰るなんてダサい真似ができるわけなかった。


「……シュウスケさん、私のことは気にしなくていいですから、仲間の元へ戻ってあげてください。きっととても心配してるはずです」


 黙ったままの修介に、アイナリンドは少し寂しそうな笑顔を浮かべてそう言った。

 何がそこまでこの少女を駆り立てるのかわからなかったが、その笑顔を見て修介は腹を括った。


「……いや、俺も一緒に行くよ」


「えっ?」驚き固まるアイナリンド。


「自力で森を出られないんだから、君を手伝って、事が済んでから森の外まで案内してもらうことにするよ。それに、君が見ず知らずの人間まで助けに行こうとしてくれているのに、仲間である俺が行かないってのも寝覚めが悪いしな」


「で、でも、とても危ないですよ?」


「君がそれを言うのかよ……」


 修介は盛大にため息を吐いた。


(この娘はとんでもないお人好しだな……)


 今までのやり取りから少女の人柄の良さはわかっていたが、想像以上かもしれなかった。


「とにかく、俺も一緒に行く。足を引っ張っちゃうかもしれないけど……」


「足を引っ張るだなんてそんな……。実を言うと私もひとりだと心細かったですし、それに剣を扱える方が一緒にいてくれたほうが色々と助かりますから……」


「そりゃよかった。それじゃ、ふたりしかいないけど冒険者パーティの結成だな」


 修介はそう言って右手を差し出した。


「パーティ?」


 アイナリンドはきょとんとした顔をする。


「そう。冒険者はパーティを組んで仲間と協力し合うんだ」


「私は冒険者じゃありませんけど……」


「まぁまぁ、細かいことは気にしない。それとも俺とパーティを組むのは嫌か?」


「い、いえっ、そんなことはないです! こちらこそよろしくお願いします、シュウスケさん」


 アイナリンドは差し出された右手をしっかりと握り返した。


「呼び捨てでいいよ。呼びにくかったらシュウでもいいし」


「わかりました。では、私のこともアイナって呼んでください」


 そう言ってアイナリンドは嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 その笑顔はやはり魅力的だった。

 シュウは間違いなく女で身を持ち崩すタイプね――サラに言われた言葉が脳裏に蘇る。

 まさに自分がその状況に陥っていることに気付いて、修介は苦笑するのだった。


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