第113話 救出へ

「兄貴……!」


 嫌な予感がイニアーの脳裏を過る。


「おれ、も、いく」


 デーヴァンはたどたどしい口調でそう言った。

 イニアーは心の中で天を仰ぐ。

 こうなることは丘の上での兄の様子から予想はついていたのだ。だからこそ、柄にもなく引き留めようと言葉を尽くしていたというのに、その苦労も水の泡だった。


「本気なの? 私と一緒に行くってことは、命令違反になるのよ? せっかくここまで来たのに、達成報酬が得られなくなるどころか、罪に問われる可能性だってあるかもしれないのよ?」


 無論、サラにその覚悟はあったが、それを他人に強要することができないからこそ、一人で行こうと考えていたのだ。

 だが、デーヴァンは何も言わずにただじっとサラの目を見つめているだけだった。

 サラが口を開きかけると、イニアーがそれを遮った。


「なにを言っても無駄だ。兄貴は一度決めたら考えを変えないからな」


 その言葉にデーヴァンはゆっくりと頷く。


「……ということなんで、さっさと支度するかね」


 イニアーはやれやれとため息を吐きながら、さっそく自分の荷物をまとめ始める。


「あなたも行くの!?」


 先ほどまで強硬に反対していたのに、兄の一言であっさりと同行することを決めたイニアーの変わり身の早さにサラは驚いた。


「兄貴が行くのに、俺が行かないわけないだろうが」


 不機嫌さを隠そうともせずイニアーが答える。


「でも、あなたたちにとって何の得にもならないでしょう?」


「ああ、むしろ大損だな」


「ならどうして!?」


「兄貴に聞けよって言いたいところだが、どうせ兄貴は答えないだろうから代わりに俺が答えるが……」


 イニアーはデーヴァンにちらりとだけ視線を向ける。


「一度仲間と認めたら絶対に見捨てない。兄貴はそういう奴なんだよ。こっちはいい迷惑だけどな――って、ちょっ、やめろよ、兄貴!」


 文句を言うイニアーの頭にデーヴァンは大きな手を置いて、わしわしと撫でまわした。


「……それにな、戦場で受けた恩は絶対に返すってのが傭兵の流儀なんだよ。俺は守った試しはないが、兄貴は律儀だからな」


 イニアーはデーヴァンの手を邪険に振り払いながらそう言った。

 サラはため息を吐くと、二人に向かって「後悔しても知らないから」と言ったが、心の中は暖かい感情で満たされていた。


「だああ、くそっ! ダドリアスの石頭が!」


 怒りを容赦なく巻き散らしながらヴァレイラが戻ってきた。

 そして、思いつく限りの罵詈雑言を口にしながら、乱暴な手つきで自分の荷物をまとめ始める。


「……ヴァル?」サラはためらいがちに声を掛ける。


「あ、なんだよ?」露骨に不機嫌な声で応じるヴァレイラ。


「何してるの?」


「は? 見りゃわかるだろ。荷物まとめてんだよ」


「なんで?」


「ダドリアスの野郎が、シュウが生きていようが救出隊の編成はしない、とかぬかすもんだからよ。頭に来て頭突きを食らわせたら、ものすげー石頭でよ」


 額をさすりながらヴァレイラは忌々しそうに言った。


「答えになってないわよ……それでどうして荷物をまとめる必要があるのよ?」


「あ? シュウを助けに行くんだろ? だったら荷物をまとめないとだろうが」


「ヴァル……」


「違うのか? まさかお前が行かないとか言わないよな?」


 ヴァレイラは薄目でサラを睨む。


「い、行くわよ。でも――」


「あいつはあたしの相棒だ。生きているなら助けに行く。それだけだ」


 サラの言葉を遮って、ヴァレイラははっきりとそう告げた。

 その決意が固いとわかって、サラはそれ以上は何も言わなかった。


 その後、ずっと放置されていた使い魔の魔術師が、「君たちに使い魔を預けるとはひとことも言ってないんだがね」と反抗したが、ヴァレイラの「嫌ならあんたをふん縛って連れて行くだけだが、それでもいいのかい?」という脅迫めいた説得によって、しぶしぶ使い魔をサラに預けることになった。

 預ける際に「エルネット、無事に帰ってくるんだよ……」とフクロウに頬ずりする様は、同じ魔術師であるサラですら若干引くほどの不気味さだった。


「……いいかね、彼女達を傷つけるようなことだけは絶対に許さんからな。ジョセフィーヌもエルネットも必ず無事に返してくれたまえよ」


 泣きそうな顔で尊大な口を利くという謎の器用さを発揮して魔術師は言った。

 エルネット、というのがサラに預けられたフクロウの名である。ちなみに、残りの一羽は輸送部隊の元へと向かっている最中らしく、名はオルタンスというらしい。


「任せておけって」


 ヴァレイラはさっそくデーヴァンの肩にとまるフクロウに手を伸ばしながら答える。


「間違っても食べないでくれたまえよ?」


「喰わねーよ!」


 あたしをなんだと思ってんだ、とヴァレイラは不貞腐れたように続ける。

 あるじの発言に感化されたわけではないだろうが、エルネットはヴァレイラの手を器用に避けながら、デーヴァンの肩や頭の上を行ったり来たりしていた。


 短い話し合いの結果、サラ達はすぐに出発することにした。

 夜間の移動はかなりの危険を伴うが、修介の置かれている状況を考えれば、のんびりしてはいられない。夜明けとともに捜索を開始する為にも、未明の内に森に到着しておく必要があった。

 本来であれば、夜明けを待たずに捜索を開始したいところだが、夜の森は妖魔の領域であり、足を踏み入れることは自殺行為である。当然、修介が生きているのなら、危険な森で一夜を明かすことになるわけだが、こればかりは彼の悪運を信じるしかなかった。

 サラ達は他のパーティが寝静まった頃合いを見計らって、静かに移動を開始した。

 この場にいる誰もが、一日も空けずに再び同じ森に赴くことになるとは考えてもいなかっただろう。


 結局、パーティメンバー全員が修介の救出に向かうことになったことに、サラは嬉しく思う反面、少し戸惑ってもいた。

 普通に考えれば、付いてこないのが当然だろう。いくら仲間だと言っても、たかだか十日程度行動を共にしたに過ぎない。命令違反を犯してまで付いてくるメリットなど彼らにはないのだ。

 だが、彼らは一緒に来てくれるという。

 これも修介の持つ悪運なのだろうか――そんな考えが脳裏に浮かんだが、サラはすぐにそれを否定した。

 これは、悪運などではない。

 修介が常にパーティのことを考えながら必死に行動した結果なのだ。彼の愚直なまでにパーティに貢献しようとする姿勢が、彼らの信頼を勝ち取ったのだ。

 このパーティは間違いなく修介を中心にまとまっていた。

 ならば、リーダーである修介には彼らに助けられる義務があるはずだった。


(勝手に死んだりしたら許さないんだから)


 修介の顔を思い浮かべながら、サラは心の中でそう語り掛けた。

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