第112話 可能性
「私の使い魔が戻らないんだ」
意気消沈するパーティの元を訪れた使い魔の魔術師は、開口一番そう告げた。
「はぁ? てめーの使い魔の事なんざ知るかよ!」
ヴァレイラは不機嫌さを隠そうともせず声を荒げた。
あの愛らしいフクロウを失ったことには同情するが、こっちは仲間のひとりを失っているというのに、わざわざその場にやって来て何を言ってるんだ、というのが彼女の率直な気持ちだった。
そもそも、この魔術師だってパーティの仲間を失っているはずなのに、なぜこうも平然としていられるのか。魔術師という人種が浮世離れしているという世間の評判が間違っていないことを、この魔術師は自ら証明していた。
「私の言葉の意味を理解できないとは、これだから学のない輩は困る……」
魔術師は憐みの視線をヴァレイラに向けた。
「ああん?」
ヴァレイラが凄むと、その迫力に圧倒されて魔術師はたじろいだが、すぐに気を取り直して言葉を続ける。
「私は君たちのリーダーに使い魔を付け、何か不測の事態が起こった際に知らせるように命令していた。それは知ってるだろう?」
「……それが何だっていうんだよ?」
他に誰も魔術師との会話に応じようとしないので、仕方なくヴァレイラが応じる。
「使い魔には監視対象が死ぬか、もしくは見失った場合に私の元へ戻ってくるよう命令していたのだよ。だが、使い魔はいまだに戻ってきていない。ここまで言えばいくらなんでもわかるだろう」
魔術師の言葉に、それまでずっと膝に顔を埋めていたサラがはっと顔を上げた。
「……どういうことだ?」
考えることが得意ではないヴァレイラはあっさりと思考を放棄してサラに尋ねる。
「……シュウは、まだ生きてる……?」
サラは宙を見つめたまま呟いた。
それを聞いたヴァレイラは瞬時に魔術師に詰め寄ると「本当か!? 適当なことぶっこいてんじゃねぇだろうな!?」とその襟首を締め上げた。
「あ、あくまでも可能性がある、という話だ!」
「単にあんたの使い魔が死んでるってだけじゃないのかい?」
イニアーが冷静に指摘する。
「つ、使い魔になにかあれば、主である私にはすぐにわかるのだよ! それよりも、く、苦しいから離してくれたまえっ!」
魔術師は顔を真っ赤にして叫ぶが、ヴァレイラは手を緩めない。
「今あいつがどうなってるのかわかんねーのかよ!」
「使い魔との感覚共有はとても高度な魔法なんだ。私と使い魔は魔力で繋がってはいるが、せいぜい使い魔の状態がわかる程度で、視覚や聴覚などの感覚器官が共有できているわけではないんだ!」
「もっとわかりやすく言え!」
「実力不足で旦那の様子は何もわからないって言ってるのさ、脳筋女」
苦しむ魔術師の代わりにイニアーが答えた。
「だいたい、なんでもっと早く言わねーんだよ!」
詰問するヴァレイラに対し、魔術師は気まずそうな表情を浮かべて視線を逸らすと、様々な言い訳の言葉を並べ立てた。要約すると、使い魔の帰還を待っている間に疲労のあまり眠ってしまい、つい先ほど目が覚めたということだった。
ヴァレイラは、ちっ、と舌打ちして乱暴に手を離した。
修介の置かれている状況を考えると致命的なミスとしか言いようがないが、ヴァレイラ達も戻ってきてからは疲労困憊でずっと休んでいたのだ。魔術師の事を責められるはずもなかった。
「シュウの野郎が生きてるってなら、話は早え。ダドリアスにそのことを伝えて、すぐに救出隊を出させようぜ!」
ヴァレイラはそう言うや否や、ダドリアスの元へと駆けていった。
「使い魔に帰還するよう命令は出してないの?」
サラは立ち上がって魔術師に声を掛ける。
修介が生きているかもしれない――その可能性を示唆されて、死者のように青ざめていた彼女の顔には生気が戻ってきていた。
「出していない。私だって一刻も早くジョセフィーヌをあの危険な森から離れさせたいんだ。だが、それで困るのは君達だろう?」
ジョセフィーヌ、というのは使い魔の名前だろう。
この魔術師が使い魔を道具として扱わず愛情をもって接していることは、見ていればわかる。彼の言う通り、本来であればさっさと使い魔を手元に戻したいはずなのに、あの状況であえて修介に使い魔を張りつかせたままにしたのは、彼なりに修介の安否を気にしていたからなのだろう。
「ありがとう……」
サラは魔術師の手を握って感謝の意を表した。彼のもたらしてくれた情報がなければ、修介は死んだものと決めつけて諦めてしまうところだったのだ。
「ふ、ふん、礼を言われるようなことではない。彼に命を救われたのは私も同じなのだからな……」
魔術師は照れたようにそっぽを向いた。
サラはくすりと笑うと、手を放して思考を巡らせ始める。
心に活力が戻ったことで、頭の回転はいつもの状態に戻りつつあった。
冷静になって考えれば、修介が生きている可能性を示唆するような情報を、自分は他にも持っていたということに気付く。
それは、グイ・レンダーという妖魔の特性と修介の体質である。
以前、サラは魔法学院の書庫でグイ・レンダーについて記載された書物を読んだことがあった。
グイ・レンダーはその見た目から腕力や生命力に目が行きがちだが、真に恐ろしいのは、灰色の表皮が持つ魔法に対する高い抵抗力と、目や鼻といった感覚器官がないことから幻術系の魔法がほとんど通用しないことだった。そして、目の代わりに人間のマナを感知する器官を持つことで、獲物をどこまでも追跡する。その為、古代魔法帝国時代の魔術師からは『魔術師殺し』とも呼ばれており、魔術師に対抗するために魔神によって生み出された妖魔だとさえ言われていた。
あの時、修介が「俺だけならこいつから逃げ切れる」と叫んだのは、彼がグイ・レンダーの特性に自力で気付き、自分の体質ならば逃げ切れると判断したからに他ならなかった。
(私があの時にそのことに思い至ってさえいれば、他に打つ手を考えられたかもしれないのに……)
初めて目にする上位妖魔の姿に冷静さを失い、たいして効果のない攻撃魔法を使ってしまったのだ。魔術師は常に冷静でなければならない、という教えをまたしても実践できなかったことに、サラは激しい後悔を覚えていた。
(でも、ここからは違う!)
サラは決意を込めた目で使い魔の主を見据える。
「お願いがあるの」
「な、なにかね?」
「あなたの使い魔を私に預けてくれないかしら?」
サラの言葉に魔術師は目を丸くした。
「私の使い魔を? 預かってどうしようというのかね?」
「もちろん、その子に案内してもらうのよ」
サラは魔術師の肩にとまっているフクロウを指さして言った。
使い魔同士が互いの位置を把握できることは、魔術師であるサラは当然知っていた。魔術師の手元にいる使い魔に道案内させれば、修介の元へとたどり着けるはずだ。
「ちょ、ちょっと待った。まさかシュウスケの旦那を探しにいくつもりか?」
黙って聞いていたイニアーが慌てて口を挟む。
当然でしょ、という顔でサラは頷いた。
「いやいや、ヴァレイラの奴がダドリアスを説得に行ってるだろう」
「どうせダドリアスの考えは変わらないわ。そんなことくらい、あなたにだってわかってるでしょう?」
そう言われて、イニアーは言葉に詰まる。
たとえ修介が生きていると聞かされても、ダドリアスが救出隊を派遣しないであろうことはイニアーにも予測できていた。ひとりの冒険者を救う為だけに、部隊全員の命を危険に晒すような選択を彼がするとは考えられなかった。
「明日になれば輸送部隊の騎士団と合流するんだぜ? 救出はそいつらに任せておけばいいじゃないか」
「そんなの悠長に待っていられないわ。もしかしたら怪我で満足に動けない状態かもしれないのよ。ぐずぐずしている時間はないわ。それに、騎士団の目的は妖魔討伐ではなく、物資をクルガリの街に届けることなのよ。冒険者の救出の為にわざわざ動いてくれるなんて期待する方がおかしいわ」
「だ、だけどな、あの上位妖魔とまた出くわすかもしれないんだぞ? あんな化け物がいる森にもう一度行くとか正気の沙汰じゃない」
イニアーは両手を広げて懸命に訴える。
だが、サラの決意は変わらなかった。
「勘違いしないで。私はあなたに付いてきてほしいって言ってるんじゃないの。私がいなくなることでみんなに迷惑が掛かると思ったから事前に伝えただけ。私はひとりでも彼を探しに行くつもりよ」
イニアーの言い分が正しいことはサラも十分に承知しているのだ。その上で、自分の気持ちが抑えられないというだけの話だった。それに、誰かに期待して待っているだけなのは性に合わない。自ら行動を起こしてこそ、最良の結果を手にすることができるのだと、そうサラは信じていた。
「……いいか、落ち着いて考えてみろ。そもそも生きてる可能性があるってだけで、確証があるわけじゃないんだろ? それで命を懸けるとか馬鹿げてるだろう!」
イニアーは頭を掻きむしりながら説得の言葉を続ける。
「そうね、私も馬鹿げてると思うわ」
「だったら――」
「あなたこそ考えてみて。もし、森に取り残されたのがデーヴァンだったとしても、あなたは同じことを言うの?」
サラのその言葉にイニアーは絶句した。
「……ごめんなさい、卑怯な言い方だったわね。でもね、そういうことなの」
すまなそうな表情を浮かべながらも、サラの言葉には揺るがぬ決意が込められていた。その口調から、彼女の決意を変えることは不可能だと、イニアーは悟った。
たしかに、森に取り残されたのがデーヴァンだったとしたら、自分は間違いなく救出に向かうだろう。イニアーにとって、デーヴァンは命を懸けるに値する存在だった。
サラにとっては修介がそういう存在なのだ。
(こいつは面倒なことになりそうだな……)
そう嘆息するイニアーの肩を、背後から大きな手が掴んだ。
振り返ると、そこにはいつのまにかデーヴァンが立っていた。
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