第111話 デーヴァンとイニアー
修介たちがグイ・レンダーと遭遇してから、すでに半日以上が経過していた。
無事に森を抜けることができた一行は、そのまま本隊との合流地点へ向かい、今は野営地で焚火に当たって体を休めていた。
当初、森の入口付近で修介を待とうとしたのだが、重傷を負ったデーヴァンを抱えた状態で森の傍に居続けるのはあまりにも危険であり、一刻も早く本隊と合流すべきだ、という顎髭の戦士の主張によって断腸の思いで森を後にしたのである。
見上げる空はとっくに闇に覆われていたが、この先の自分たちの未来を暗示しているかのようにどんよりと曇っており、星はまったく見えなかった。
そんな面白みの一切ない空を眺めながら、イニアーは水袋に入れた酒をちびちびと飲んでいた。
元々それほど上等な酒ではない上に、気分も最悪とあって、まったくおいしく感じられなかった。仲間を置き去りにして飲む酒を不味いと感じられる程度には情が残っていたことにイニアーは口の端を吊り上げる。
少し離れた場所にはサラが座っていたが、こちらは戻ってきてからずっと膝に顔を埋めたまま、一度も顔をあげていない。
それが普通の反応なのだろう。
親しい人を失えば、誰だってそうなる。
修介とサラは、自分達と出会う前からの知り合いらしく、傍から見ていても二人が親しい間柄だというのがわかった。
自分が酒を不味いと思う程度で済んでいるのは、修介との関係がその程度のものだからというだけの話だった。無論、感謝はしているし、可哀そうだなと同情もしていたが、それだけだった。
傭兵として長年生きてきたイニアーにとって、親しくなった相手が翌日に死ぬなんてことは日常茶飯事だった。他人の死にいちいち心を動かされていては傭兵なんて務まらないというのがイニアーの自論だった。
荷馬車の近くでは、各パーティのリーダーが今後の対応について話し合っている真っ最中らしく、修介の代理としてヴァレイラが参加していた。
彼女が激しい口調で何かを訴えている声は、離れたこの場所にも聞こえていた。
おそらく修介を救う為の救出部隊の編成を希望しているのだろうが、その望みが叶えられることはないだろう、とイニアーは考えていた。
状況的に考えても修介の生存は絶望的だったし、今の先発隊の戦力であの上位妖魔を倒すことは難しい。よしんば倒せたとしても、多くの犠牲者が出る。
それならば、輸送部隊の騎士団と合流してから討伐に向かうべきだ。ダドリアスもそう考えているに違いない。自分が指揮官でもそうするだろう。
それでもヴァレイラが声を荒らげて食い下がっているのは、彼女が自分と違って薄情な人間ではないという証だった。
(愛されてるねぇ……)
イニアーは心の中でそう呟く。
修介は自分と違って若く、そこそこ男前だった。性格も温厚で善良。普段は臆病で頼りないが、いざという時に大胆な行動に出る度胸があることは、皮肉にも今日証明されたばかりだった。なかなかに母性をくすぐる逸材と言えるだろう。
だが、イニアーの修介に対する印象はもう少し複雑だった。
イニアーから見た修介は、どこかちぐはぐな印象を与える人物だった。
年齢相応の未熟さと危うさを持ちながら、その若さにそぐわない、どこか達観したような面も持っていた。戦闘においては、自身の実力がヴァレイラより劣っていることを素直に認めた上で、彼女が力を最大限発揮できるようにと常に配慮しながら戦っていた。
さらに、パーティ内での立ち回りを見ていても、自分の感情や都合を後回しにして、周囲との融和を最優先にして動いていた。
それが良いか悪いかは別として、どちらも頭で理解していたとしても、そうそう実践できることではない。
良く言えば老成しており、悪く言えば枯れている。血気盛んな若い冒険者や傭兵を数多く見てきたイニアーにとって、修介はあまりお目にかかったことのない類の人間だった。
巷では魔獣討伐で活躍し、賞金首のジュードを討ち取った英雄とまで言われているらしいが、本人を前にすると、その評判には違和感しか覚えなかった。
もっとも、そういったちぐはぐな部分が、修介という人間の魅力でもあるのだろう。
現にその魅力に取りつかれた人間が、パーティ内にもうひとりいた。
イニアーは視線を少し離れた小高い丘の上に向ける。
丘の上ではデーヴァンが遠くを見つめたままじっと佇んでいた。彼が見ているのは修介が取り残された森の方角だった。
デーヴァンは先の戦いで重傷を負ったが、シーアの癒しの術によってその傷は完治していた。体力の消耗が著しかったので先刻までずっと眠っていたのだが、起きてからはずっとあの調子で、何度か声を掛けたが決してその場から動こうとはしなかった。
デーヴァンは幼少の頃から滅多なことでは口を利かない大人しい人間だった。
彼が口を利かないのは極度の人見知りで、喋ることが苦手なせいで話をしようとするとどもってしまい、聞いている人が苛立ちを見せることから、自分は喋らない方がいいと考えるようになってしまったからである。それくらい気の弱い人間だった。
一方で、子供の頃から人並み外れた体格をしていたおかげで、剣術や格闘術で非凡な才能を発揮した。大の大人が束になっても勝てなかったほどである。
その強さといかつい顔、そしてまったく喋らないことから『オーガ』という渾名で呼ばれ、近所の子供達からは恐れられる存在だった。
そういった事情から、誰もデーヴァンには近寄ろうとせず、彼は孤独な幼少期を過ごしてきたのである。
その後、大人になったデーヴァンは、ある事件をきっかけに故郷を追われることになる。イニアーにとっても思い出したくもない忌々しい事件だった。
ひとり故郷を去ろうとするデーヴァンに、イニアーは付いていくことにした。
そしてふたりは傭兵となり、各地を転々とすることになる。
大人しい性格のデーヴァンは傭兵には向かないと思われたが、傭兵は彼の天職だった。
閉鎖された人間関係のなかで培われた彼の価値観はしごく単純だった。それは好意を向けてくる者は味方で、悪意を向けてくる者は敵。そして、敵と判断した相手には容赦しない、というものだった。
戦場はデーヴァンにとって実に心地の良い場所だった。殺意を向けてくる敵を殺していれば、周囲の味方が好意を寄せてくれるのだから。
だが、戦場を一歩でも離れると、やはり彼に近寄ってくる人間は皆無だった。
たまに寄ってくる人間は、彼の高い戦闘能力に興味を抱き、その力を私利私欲の為に利用しようとする輩ばかりだった。そして、そういった輩はイニアーが排除してきた。
当初、デーヴァンに近寄ろうとする修介を、イニアーはその力に擦り寄ろうとする輩と同一視していた。
実際、積極的にデーヴァンに話しかけようとする修介に、「兄貴に取り入ってどうするつもりですかい?」と問いただしもした。そういった輩は大抵は本心を隠し、言葉巧みに信用を勝ち取ろうとするものだ。
だが、その時の修介の回答はイニアーの予想とは少し異なっていた。
「だって、強い奴とは仲良くなっておいた方が安心じゃないか。それにデーヴァンって見た目はいかついけど中身は優しそうだしな」
そう臆面もなく言ってのけたのだ。
そして、修介はその言葉通りに戦闘では全力でデーヴァンを頼りにし、戦闘以外ではゲームを教えたりして距離を縮めていった。
滅多に他人と話さない兄が、ゲームとはいえ積極的に声を出している姿を見てイニアーは驚いた。これまで、あんなに楽しそうにしている兄の姿を見たことがなかった。
そもそも、ゲームはデーヴァンにとって良い思い出のない代物だった。
傭兵時代に仲間とカードゲームを興じたことは何度もあったが、そういう時は決まって賭け事になる。
根が素直なデーヴァンは手札が良いときは「あー」と笑い、逆に悪いときは「うー」と唸るのだ。いくら注意してもその癖は治らず、デーヴァンはいつも毟られる側だった。その都度、つまらなそうにする兄の顔をイニアーはよく覚えていた。
だから、最初に修介がデーヴァンにゲームの話を持ち掛けた時、彼がデーヴァンを毟ろうとしているのだと思いイニアーは止めようとした。
ところが、修介は一切賭けをせず、単純に遊びとしてデーヴァンを誘っていたのである。
純粋な遊びとして興じるゲームは、幼少期を孤独に過ごしたデーヴァンの心を掴んだようだった。ゲームのルールが単純だったことも幸いしただろう。飽きもせずにゲームの相手を要求するデーヴァンに、修介はよく付き合っていた。
よく延々と付き合えるな、とイニアーは半ば呆れていたが、その甲斐あってか、修介は短時間で随分とデーヴァンと親しくなっていた。
そして、ゲームを通じて他のパーティメンバーとも親交を深めたことが、わずかにではあるが、デーヴァンの人となりに変化を生じさせる切っ掛けとなったのである。
その変化は、つい先ほども感じた。
目覚めたデーヴァンが真っ先に向かったのは、治療をしてくれたシーアの元だった。そこで彼はシーアに向かって「あり、が、とう」と、たどたどしく礼を言ったのだ。
かつてのデーヴァンならば、それは考えられない行動だった。
礼を言われたシーアよりも、近くで見ていたイニアーの方が驚いたくらいである。
その変化をもたらしたのは間違いなく修介だった。
デーヴァンがずっと森の方角を見つめているのは、修介を助けに行きたいという意思の表れだった。
「なんだ、薄情者は俺だけか……」
イニアーは自嘲気味に笑う。
彼自身には修介を助けに行こうなんて考えはさらさらなかった。
だが、もし兄がそれを望むのならば、イニアーはそれに付き合うつもりだった。彼にとって兄は絶対であり、それに従うのは当たり前のことだからだ。
話し合いが終わったのか、ヴァレイラが肩を怒らせて戻ってきた。
その様子だけで、話し合いの結果が彼女の望んだものではなかったことがわかる。
「救出隊は編成しないってよ」
吐き捨てるようにそう言うと、ヴァレイラはどっかりと腰を下ろした。
(そりゃそうだろうよ)
イニアーは冷笑する。
明日には輸送部隊と合流する予定なのだ。普通に考えれば、先発隊だけで救出隊を編成しようと考える方がおかしいだろう。
上位妖魔は騎士団に任せて、先発隊はそのままクルガリの街に向かい、そこで報酬を得て帰る。上位妖魔が森から出てきて輸送部隊を襲撃でもしない限りは、おそらくそうなるはずだ。
無論、そう思っていても口にしたりはしない。言ったところで、ヴァレイラの機嫌をさらに悪くするだけだとわかっているからだ。
(可哀そうだが、これが現実ってもんだ)
イニアーは心の中でそう呟き、手にした酒を一気に呷った。
そのまま誰ひとり口を開くこともなく、重苦しい沈黙が場を包み込んでいた。
だが、その沈黙はひとりの男の登場によって破られた。
パーティの元を訪れたその男の放った一言は、状況を一変させるものだった。
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