第109話 ヴァレイラとサラ
グイ・レンダーの魔の手から逃れた一行は、森の外を目指して移動していた。
負傷したデーヴァンはシーアの癒しの術で傷は塞がっていたが、体力の消耗が激しく、イニアーとシーアに支えられていないとまともに歩けない状態だった。
ヴァレイラは先頭を顎髭の戦士に任せて、自身は最後尾で後背を警戒する。
幸い、今のところグイ・レンダーが追ってくる気配はない。それはつまり修介が上手く引き付けてくれているということだった。
逆に言えば、グイ・レンダーがここまで追ってきた時は、修介が死んだことを意味するのだ。その時が永遠に来ないことを祈ることしかできない自身の無力さに、ヴァレイラは唇を噛んだ。
前を歩く皆の息遣いは荒い。
疲労はとうに限界を超えているだろう。ヴァレイラの体も鉛でも背負っているのかと錯覚するくらい重かった。
だがそれ以上の重苦しい空気が、一行の足取りをさらに重くしていた。
多くの仲間を殺されただけでなく、まだ生きている仲間を囮にして逃げたのだ。その事実が自責の念となって彼らに重く圧し掛かっているに違いない。
全滅を避ける為にはそうせざるを得なかった。
だから、その選択は間違ってはいない。
ヴァレイラ自身もそう思っているが、だからといって、心がそれを受け入れられるかどうかはまったく別の問題だった。
それでも、パーティが全滅しなかった意味は大きい。
もしあのまま全滅していたら、本隊に上位妖魔の存在を知らせることができず、何も知らない輸送部隊がグイ・レンダーと遭遇する未来もありえたのだ。
(らしくねぇことしやがって……)
臆病な修介がとった大胆な行動に、ヴァレイラは呆れると同時に、そんな彼に命を捨てるような決断を強いてしまった自分自身の不甲斐なさに激しい怒りを覚えていた。
ヴァレイラにとって、修介はただ同じ依頼を受けただけの同業者ではなく、相棒とも呼べる存在になりつつあった。
最初はただの軟弱な男にしか見えなかった。
魔獣討伐の英雄だと聞いて期待したものの、その実力には失望させられた。
だが、オーガとの戦いで危ないところを救われ、その後もコンビとして一緒に戦っているうちに、いつしか安心して背中を任せられるようになっていた。
そして、ヴァレイラを女だからといって見下したりせず、むしろ戦士としての才能を称賛し、その力を頼りにしてくれたのだ。
そんな相手に情が湧かない方がどうかしているだろう。
すぐにでも引き返して共に戦いたい――ヴァレイラはその思いに何度も突き動かされそうになったが、それは彼の決意を無にする行為だと自分に言い聞かせ、必死にその衝動を抑えていた。
つい先ほどまで泣き叫びながらヴァレイラの手を振りほどこうと暴れていたサラも、ようやく大人しくなっていた。
腕を掴んでいるヴァレイラに向かって「もう大丈夫だから離して」と告げたときのサラの口調は、ぞっとするほど冷たかった。
それ以降、サラは一言も発せず、黙々と前を歩き続けている。
「大丈夫か?」
前を歩くサラにヴァレイラはそう声を掛けた。
だが、サラはその声に応えなかった。
無視されるだろうと予想はしていたが、声を掛けずにはいられないほど、彼女の足取りはおぼつかなかった。その後ろ姿にはいつものような快活さはなく、まるでやる気のない人形使いに操られている人形のようだった。
心配になって顔を覗き込むと、生気の抜けた顔をしており、表情豊かな普段の顔とのあまりの落差にヴァレイラは思わず息を飲んだ。
依頼の最中に妖魔と戦い命を落とす冒険者は少なくない。ヴァレイラもサラも、幾度となくそういった場面に遭遇しては悲しみを背負ってきた。
だが、サラのこんな表情を見るのは初めてだった。
ヴァレイラが最後尾にいるのも、目の前を歩くサラがふとした拍子に反転して修介の元へ向かってしまうのではないか、そう危惧したからであった。
それほどまでに彼女の纏う空気は危うかった。
サラが修介を大切に思っていることは、この数日間ずっと彼らのやり取りを見てきただけによくわかっていた。
自身の好奇心や知識欲を満たすことを最優先にし、他の事には興味すら示さないサラが、この旅のあいだはずっと修介を気遣い、支えていたのだ。
サラとの付き合いが長いヴァレイラにとって、それは信じられないことだった。
ヴァレイラがサラと出会ったのは三年前だった。
当時、ヴァレイラは駆け出しの冒険者として、ノルガドの元へ半ば押しかけるように弟子入りして一緒にパーティを組んでいた。
そこに王都の魔法学院からギルドに派遣されたサラがやってきたのである。
当初、勝気な性格のヴァレイラと、冷めた態度で接するサラの相性は最悪と言ってよく、ふたりはつまらないことでしょっちゅう口論していた。
ところが、会話を重ねるうちに、ひたすら強さを求めて努力し続けるヴァレイラと、好奇心と知識欲を満たすことに執着するサラとは、本質的には似た者同士であることにお互い気付いたのである。
そこからは、数少ない女性冒険者同士ということもあって、ふたりの関係が友人へと変化するのにさほど時間はかからなかった。
歯に衣着せぬ物言いをするサラの態度は、他の冒険者からよく陰口をたたかれていたヴァレイラにとっては、いっそ清々しいくらいであった。
ヴァレイラから見たサラは、他人にあまり関心を示さない人間だった。
他人、というより人間そのものにあまり興味がないのだろう。頭が良いので社交的に振舞ってはいたが、彼女の本質は魔法に関する知識欲と、未知に対する好奇心を満たすことにあった。
当然、異性に対する興味も同世代の他の者と比べても希薄だった。
その容姿の美しさからサラが多くの男から言い寄られていることをヴァレイラは知っていたが、特定の誰かと親密になったという話は聞いたことがなかった。
そんなサラから「ある人の手伝いで妖魔討伐の依頼を受けたから一緒に来てほしい」と話を持ち掛けられたとき、ヴァレイラは耳を疑った。
そして、その人物が男だと知って驚き、さらにその男と親しくするサラの姿を見て今度は目を疑った。
とある隊商の護衛依頼を受けて、ずっとグラスターの街を離れていたヴァレイラからしてみれば、数カ月ぶりに再会したサラの変貌ぶりは詐欺と言っても過言ではなかった。
ヴァレイラは数日前の野営中にイニアーがサラと修介の関係を冷やかしていた場面を思い出す。
「おふたりは随分と仲が良いみたいですが、そういうご関係なんで?」
いやらしい笑みを浮かべて問いかけるイニアーに、サラは「そんなんじゃないわよ。これは単なる私の護衛役よ」とあっさりと否定したが、修介はすかさず「違うぞ、正確には将来恋人になる可能性がわずかにでも存在している男、だ」と訂正した。
サラが顔を赤くして「なに適当なこと言ってるのよ!」と食って掛かれば、修介は「お前が最初にそう言ったんだろうが! あと人のことをこれって言うな!」と負けじとやり返す。
その後は延々と互いの悪口を言い合っていたが、その時のふたりの間には、間違いなく他者が容易に踏み込めないほどの親密な空気が流れていた。イニアーなどは訊いたことを後悔したと言わんばかりに閉口していたものだ。
色恋に疎いヴァレイラでさえ、ふたりがお互いを憎からず思っていることがわかるくらいだった。
とにかく、サラを変えてしまうほどの何かを、修介という人間が持っていたということだった。
修介のあの決断には、サラを守ろうという強い想いがあったのは間違いない。
彼のその想いを無駄にしない為にも、サラだけは絶対に無事に本隊に合流させる。
万が一、グイ・レンダーが追ってきた場合は、自分が盾となってでも皆を逃がすつもりだった。それが相棒から皆を託された自分の役割だと思っていた。
そして無事に本隊と合流した後は、どのような手を使ってでも、あの妖魔は必ずこの手で殺す。
ヴァレイラはそう固く誓うのだった。
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