第108話 修介の覚悟

 サラが狙われているとわかった瞬間、修介の身体は考える前に動いていた。

 グイ・レンダーの巨大な背中にアレサを叩きつける。それまでの腰が引けた攻撃ではなく、後のことを一切考えない捨て身の一撃だった。

 肉を切り裂くたしかな手応えがあった。


「グガァァッ!」


 それまでいくら攻撃を受けても平然としていたグイ・レンダーが初めて悲鳴をあげてのけぞった。 

 修介はそのままグイ・レンダーの膝の裏にアレサを突き刺す。

 グイ・レンダーはたまらずに片膝をつくも、そこから強引に上半身を捻って腕を薙ぎ払った。

 だが、その一撃はまったく見当違いの場所を狙っていた。

 その後もグイ・レンダーは幾度となく拳を振り下ろしたが、どの攻撃も修介の影すら捉えられてはいなかった。


(やっぱりだ……)


 修介はようやく確信した。


(こいつ、俺のことがんだ)


 これまでの攻防で、自分の攻撃だけがグイ・レンダーに当たっていたことに修介はずっと違和感を抱いていた。まるで自分だけが目の前の巨人からずっと無視されているような感覚だった。

 その証拠に、この巨人は他者の攻撃はきっちりと防ぐのに、自分の攻撃に対してだけはまったく反応しなかったのだ。

 自分の剣の腕が他の冒険者よりも優れているから、と思うほど自惚れてはいない。つまり、自分の攻撃だけが通用した明確な理由が存在しているということだった。

 自分と他の冒険者の違いは何か。

 行きつく答えはひとつだけだった。


(こいつは相手のマナを見ているんだ)


 だからマナのない自分の姿を捉えることができないのだ。確証はなかったが、それ以外には考えられなかった。

 グイ・レンダーからしてみれば、誰もいないはずの場所からいきなり斬りつけられたようなものだろう。だからこそ斬られる度に戸惑ったように動きを止めていたのだ。

 マナがないという体質がこのような形で再び役に立つとは……修介は出来すぎな状況に思わず笑みを浮かべた。そして、一瞬だけパーティメンバーに視線を向ける。

 ヴァレイラが皆を守ろうと限界を超えて戦っていた。

 イニアーは倒れたデーヴァンを庇いながら必死に剣を振るい、シーアは危険を顧みずに懸命に魔法の詠唱を続けていた。

 そして――サラと目が合った。

 彼女は強力な術を使った反動で肩で息をしていたが、その目は心配そうに修介を見つめていた。


 修介は覚悟を決めた。

 目の前の化け物に対する恐怖より、もっと大きな恐怖に修介は突き動かされた。

 仲間を失いたくないと思ったのだ。

 パーティを組んで十日足らずだったが、時間の長さなど関係なかった。自分が死ぬことよりも、同じ釜の飯を食い、互いに命を預け合った仲間を失うことのほうが怖かった。

 彼らにとっては自分の存在など、それほど価値はないのかもしれない。

 だが、全てを失いこの世界にやってきた修介にとって、仲間という存在は、まるで乾いた布が水を吸い込むように、あっという間に心の中に沁み込んでいったのだ。

 そしてなにより、サラを失いたくなかった。

 仕方がないから私がパーティを組んであげる――そうサラは言ってくれた。その言葉が自分の心をどれだけ救ってくれたか。

 その言葉通りに一緒についてきてくれた彼女を死なせるなんてことは、絶対にあってはならなかった。


(まさか俺が他人の為に命を懸けて戦う日がくるなんてな……)


 修介は自分自身の決断に驚きを隠せなかった。

 だが、その決断ができたことを誇りに思う。


 修介は大きく息を吸うと、アレサを正眼に構えて叫んだ。


「おい、亀頭野郎! てめぇの相手はこの俺だぁッッ!」


 叫ぶと同時に斬りかかる。

 深くは踏み込まない。あくまでも挑発の為の攻撃だった。

 攻撃を受けたグイ・レンダーはむやみやたらに腕を振り回した。


「どうした! 俺はこっちだッ!」


 その声に反応して再びグイ・レンダーが飛び掛かってくる。

 修介は大きく横に跳んでそれを躱した。

 グイ・レンダーは首を巡らせて必死に修介を探している。他の獲物のことなど眼中にないようだった。姿の見えない修介を一番の脅威だと認識したのだ。


(よし、喰いついてきてる! これなら――)


 修介は次の攻撃に備えて身体を低くしながら叫んだ。


「ヴァル! みんなを連れてここから逃げろッ! 俺がこいつを引き付ける!」


「馬鹿なこと言わないで!」サラが絶叫した。


 だが、修介はサラを無視して、さらにヴァレイラに向かって叫ぶ。


「お前ならわかるだろう! このまま戦っても全滅するだけだ!」


 修介の視線が一瞬だけヴァレイラのそれとぶつかる。


「俺だけならこいつから逃げ切れる! 信じてくれ! 頼む、ヴァル!」


 ヴァレイラは凄まじい怒気を漲らせながらも、小さく、だがはっきりと頷いた。そして、「全員、逃げろ! 森の外まで全力で走れぇッ!」と周囲に向かって叫んだ。

 使い魔の魔術師は一目散に逃げだした。

 顎髭の戦士は「すまねぇ」と小さく呟くと、残った仲間に「行くぞッ!」と声を掛けて走り出す。

 イニアーとシーアは一瞬ためらうような素振りを見せたが、動けないデーヴァンを両脇から抱えて移動を開始する。

 だが、サラだけはその場から動こうとしなかった。


「何してる、サラ! さっさと行くぞ!」


 ヴァレイラがサラに向かって怒鳴る。


「ふざけないでッ! シュウを置いていけるわけないッ!」


 サラは負けじと声を張り上げる。


「ふざけてんのはてめーだ! ここでぐずぐずしていれば、その分だけあいつが死ぬ可能性が高まるんだぞ! つべこべ言わずに走れッ!」


 死ぬ、という言葉にサラが怯えたようにびくっと体を震えさせた。

 卑怯な物言いだとヴァレイラは思ったが、今は言葉を選んでいる余裕などなかった。ヴァレイラはサラの手首を取ると、強引に引っ張って駆け出した。


「――嫌ッ、離してッ!」


 その手を振りほどこうとサラは懸命に抵抗したが、力でヴァレイラに敵うはずもなく、サラの姿はなかば引きずられるように森の中へと消えていった。


「シュウーーッ!!」


 サラの悲痛な叫びが響き渡った。




(これでいい……)


 グイ・レンダーの繰り出す拳を転がって躱しながら、修介は心の中で呟く。

 遠くからサラの叫び声が耳に届く。

 それで全員がこの場を去ったのだとわかり、修介は笑みを浮かべた。

 自分にとっての最悪の事態を免れることができたのだ。死んだ冒険者達には申し訳ないが、修介は心の底から安堵していた。

 あとは自分が生き残る為の戦いをするだけだった。

 もっとも、目の前で暴れまわる化け物を相手に、それが容易に成せるとは思えないのだが、それでも諦めるつもりはなかった。


「……悪いな、付き合わせて」


 修介は自分の手元に向かってそう呟いた。


『まったく、何を考えてるんですか、マスターは』


 いつも通りの平坦な声が返ってきた。

 こんな状況にもかかわらず、十日ぶりに聞くアレサの声に修介は安らぎを覚える。


「この状況をなんとかする方法ってない?」


『その質問には回答できかねます』


「――そう言わずにッ!」


 攻撃を避けながら、修介はアレサと会話を続ける。我ながら余裕だなと呆れるが、実際のところグイ・レンダーの攻撃は音を頼りに適当に飛び掛かってきているだけなので、躱すだけならそれほど難しくはなかった。もっとも、こちらの体力も無限ではないので、そう余裕をかましてもいられないのだが。


『……こんな開けた場所で避け続けても埒が明きません。森の木々に紛れてなんとかやり過ごすしかないでしょう』


「了解した!」


 たしかに、森の木々や野生動物が発する音に紛れることができれば、充分に逃げ切れる可能性はありそうだった。

 とはいえ、あまり早くに逃げ切ってしまうと、グイ・レンダーが逃げた皆の方へと向かう可能性があるので、もうしばらくは引き付けておく必要がある。

 口で言うのは簡単だが、失敗すれば即死である。

 即死、という言葉が凄まじい恐怖を伴って心を縛り付けようとしてくるが、手にしたアレサの存在が、それに打ち勝つ勇気を与えてくれていた。


「俺は絶対に生きて帰るッ!」


 修介はそう叫ぶと、皆が走り去ったのとは反対側の茂みへと身を躍らせた。

 それは、長く、絶望的な戦いの始まりだった。

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