第106話 灰色の巨人

 高い木々に囲まれた薄暗い森の中を、修介は一歩一歩慎重に歩く。

 なんてことはない普通の森のはずだが、妖魔がいるという先入観があるせいか、木々の作り出す影が時おり怪物の影に見えてドキッとさせられる。

 パーティの隊列は先頭をヴァレイラ。その後にデーヴァン、イニアー、シーア、サラと続き、最後尾を修介が受け持っていた。

 先頭を歩くヴァレイラがしばしば足を止めては地面を観察し、警戒するようにあたりの様子を窺っている。


 森に入ってすでに一時間は経過していた。

 森の入口付近でヴァレイラがゴブリンと思しき妖魔が出入りしている形跡を見つけたことから、かなり慎重にここまで進んできたが、今のところ妖魔とは遭遇していない。

 デーヴァンの肩にいるフクロウも大人しくしていることから、他のパーティにもトラブルは起こっていないようだった。


「だいぶ奥まで来たはずだけど……特に何にも出くわさないな」


 修介のその言葉は誰かに向けて言ったというよりは独り事に近かった。


「デヴォン鉱山跡までまだかなり距離があるし、この時間帯だと妖魔は巣穴で寝ているのかもしれないわね」


 修介の目の前を歩いているサラが振り返らずに言う。


「いずれにせよ、この先に何がいるかわからないから慎重に行こう」


 今度は全員に聞こえるように修介は言った。


「まーた旦那の慎重に行こうが始まっちまったか。その台詞はもう聞き飽きましたぜ」


「ったく相変わらずのびびりだな、シュウはよ」


 イニアーとヴァレイラからおどけた口調の返事が戻ってくる。


「……言ってろ。そういうことを言う奴が、油断して真っ先にやられるってのが物語なんかでは王道なんだぞ」


 修介はふたりを睨んだが、彼らはにやにやと笑って肩をすくめてみせた。


(くそっ、俺をからかうときだけは結託しやがって)


 修介は憮然とした表情を浮かべる。

 たしかに、パーティ内で「修介=慎重」という等式が出来てしまうくらいに、修介はパーティメンバーに慎重を求めていた。

 自分が慎重なのは、とかく戦闘で暴走しがちなヴァレイラと、戦闘以外での慎重さに欠けるイニアーのふたりとのバランスを取る為にそうせざるを得ないからであって、決して臆病だからじゃない、というのが修介の主張なのだが、ふたりともことあるごとにからかってくるので、修介はそれが面白くなかった。


「慎重であることは生命いのちを守る最良の盾となる、と教義にもあります。シュウスケさんの考え方は間違っていません。自信を持ってください」


 前を歩くシーアが気遣うように優しく言った。


「ど、どうも」


 修介を見るシーアの瞳はまるでこちらの内心を見透かしているかのようで、修介は気恥ずかしくなって俯いた。


「なに照れてんのよ」サラがからかうように言った。


「照れてねぇ」


 修介はサラの視線から逃れるように後ろを振り返る。

 鬱蒼とした森は不気味なくらいに静謐を保っており、まるで自分が異質な世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚える。地面に残る足跡だけが自分たちを日常に留める最後の欠片に思えた。


(油断していると帰り道がわからなくなりそうだな)


 一応、道中の至る所に目印を残してはいたが、ひとりになってしまったら森から出られる自信がない程度には修介は方向音痴だった。


 突然、デーヴァンの肩にとまっていた使い魔のフクロウが鳴き声を発しながら羽をばたつかせた。

 真っ先に反応したのは、ずっとフクロウを気にし続けていたヴァレイラだった。


「おい、この反応は!?」


 その声と同時にフクロウが宙へと羽ばたいた。

 デーヴァンが「あーっ」と叫びながらそれを追いかける。


「他のパーティに何かあったんだ! 俺達も行くぞ!」


 修介の掛け声に他のメンバーも一斉に駆け出した。

 足場の悪い森の中にもかかわらず、ヴァレイラはその健脚ぶりを発揮してあっさりとデーヴァンを追い越して先頭に立った。その後にイニアーが続く。

 修介は何度か木の根に足を取られそうになりながらも、その背に置いていかれないよう全力で走る。

 ふと気になって振り返ると、体力で劣るサラが完全に遅れていた。シーアが気遣うように並走してくれている。

 修介は一瞬迷ったが、サラのことはシーアに任せて大丈夫だと判断して、再び前を向いて速度を上げた。

 走りながら、これが使い魔の主である魔術師のいたずらであってほしいと願ったが、その願いを嘲笑うかのように前方から人の叫び声と、金属がぶつかるような物音が聞こえてきた。

 間違いなく誰かが戦っている音だった。

 前方のデーヴァンが足を止めて「オオオオォォ!」と雄叫びをあげた。


(あそこかっ!)


 アレサを抜き放つと、修介はデーヴァンの元へと駆け寄った。

 最初に目に飛び込んだのは、腰を抜かして座り込む使い魔の主の姿だった。

 ところが、先に到着していたヴァレイラ達は魔術師には見向きもせず、別の方角を見て呆然としていた。


 ……巨木と巨木のあいだにある広場のような場所に、それはいた。

 最初にそれを見たとき、修介は岩だと勘違いした。

 だが、すぐにそれが岩ではなく生き物であることに気付く。なぜなら、それはわずかに動いていたからだった。

 全身が灰色の巨大な生物がこちらに背を向けて一心不乱に何かを口に運んでいた。体長はおそらく修介の倍近くあるだろう。体には一切毛が生えておらず、そのシルエットはまるでゴリラのようだった。


「おい、一体何があった!? あれはなんだ!?」


 修介はへたり込んでいる魔術師に向かって怒鳴る。


「わ、わからない。森を歩いていたらいきなりあれが上から降ってきたんだ! 仲間はみんなあれにやられてしまった!」


 魔術師は蒼白な顔で答える。

 彼が何を言ってるのか、修介には理解できなかった。

 その言葉が本当なら、あの灰色の巨人は空を飛ぶか、木々の間を伝って移動していたことになる。


(ゴリラというよりはオランウータンだな……)


 緊迫した状況下にもかかわらず、修介はそんなことを考える。決して余裕があるわけではなく、どちらかというと現実逃避に近かった。


「おい、そっちのリーダーはどうした!?」


 ヴァレイラの問いに魔術師はおそるおそる灰色の巨人を指さした。

 あらためて灰色の巨人が手にしているものを見て修介は絶句した。

 それは、大剣の戦士の死体だった。

 彼は今回の先発隊のなかでも上位の実力の持ち主だったはずだ。その彼が殺されてしまったという事実が、目の前にいる灰色の巨人がとんでもない化け物であることをわかりやすく物語っていた。


「はぁはぁ、やっと……追いついた」


 遅れていたサラとシーアがようやく到着する。

 さらに反対側の茂みから、顎髭の戦士のパーティも姿を現した。そして灰色の巨人を見るなり「なんだありゃあ!?」と叫んだ。

 修介達を意にも介さず食事を続けていた灰色の巨人は、ようやく手にしていた死体を手放すと、ゆっくりと立ち上がって体を顎髭の戦士たちの方に向けた。

 その横顔を見て修介はたじろいだ。

 なんと、灰色の顔の上半分には、そこにあるべき目と鼻が存在しておらず、足りないパーツを補うかのように顔の下半分には耳元まで裂けた巨大な口があった。その口元はまるで笑っているかのように三日月の形に開かれていた。

 ヴァレイラが無言のまま剣を構えて一歩前に出る。


「待って! あれと戦っちゃ駄目ッ!」


「サラ、あれがなんなのか知ってるのか!?」


「……グイ・レンダーよ」


 修介の問いに、サラは絞り出すような声で答えた。

 その名前に修介は衝撃を受ける。

 グイ・レンダーの名は訓練場でのロイとレナードとの会話で耳にしていた。記憶に間違いがなければ、グイ・レンダーは最も危険度が高いとされる上位妖魔だった。


「おい、ヴァル! お前グイ・レンダーと戦ったことあるのかよ!?」


「ねぇよ! だが、味方がやられたのにこのまま黙って引き下がれるかよ! だいたいあれがそう簡単に逃がしてくれるとは思えねぇだろ!」


 ヴァレイラの言葉に同意するかのようにデーヴァンがその横に並んだ。

 修介はどうすべきか迷う。

 大剣の戦士のパーティは使い魔の魔術師を除いて全員がすでに殺されていた。

 十人程度の人数で、はたして倒せる相手なのか、判断がつかない。

 上位妖魔は数そのものが少なく、人前に姿を現すこともほとんどない為、それに比例して情報が少なく、能力や生態に関しては謎の部分が多い。

 はっきりしているのは、上位妖魔がとてつもなく危険な存在であるということだけだった。

 冒険者のパーティが遭遇した場合は、戦わずに逃げるのが鉄則とされているくらいである。過去に領内に上位妖魔が出現した時は、領主自らが騎士団を率いて討伐に赴き、多くの犠牲を出してなんとか討伐したということだった。

 ダドリアスからも事前に上位妖魔と遭遇した場合は戦わずに引くよう言われていた。その言葉に従うのなら、ここは退却してグイ・レンダーの存在を本隊に伝えるべきだろう。もっとも、ヴァレイラの言う通り、目の前の化け物が素直に逃がしてくれるとは到底思えなかった。

 そんな修介の逡巡を見透かしたかのように、なんの前触れもなく灰色の巨体が長く太い腕を地面に叩きつけて跳ねた。

 恐るべき跳躍力だった。

 ずぅん、という轟音と共にグイ・レンダーは顎髭の戦士のパーティの前に着地すると、その太い腕を振り上げた。


「避けろォ!!」


 言うと同時に顎髭の戦士は横に跳んだ。他の冒険者も慌てて飛び退る。

 だが、最後尾にいた暗灰色のローブの魔術師だけ反応が遅れた。

 グイ・レンダーの拳が魔術師の体を捉える。

 魔術師は、くの字に折れ曲がったまま吹き飛ばされ、背後の木に叩きつけられた。その体は血の跡を残してずるずると幹を滑り落ちる。

 確認するまでもなく即死だった。

 さらに、グイ・レンダーは近くで呆気にとられている戦士のひとりに飛び掛かる。

 その戦士は抵抗らしい抵抗もできずに撲殺された。


「ちっ、あれじゃ逃げるなんて無理だ! こうなったらやるしかねぇ!」


 グイ・レンダーの驚異的な跳躍力を見てヴァレイラはそう吐き捨てると、剣を構えて走り出した。


(ああくそっ! やるしかないのかよ!)


 修介は天を仰ぐ。今の妖魔の動きを見て、とても勝てる相手とは思えなかった。

 だが、ヴァレイラを見捨てて逃げるわけにもいかない。


「シーアさん! サラと、そこの魔術師をお願いします!」


 修介は振り返って背後に控えるシーアに告げると、彼女は「承知しました」と神妙な顔で頷いた。


「ヤバいと思ったら逃げてください。どのみち誰かが生き残ってこのことを本隊に伝えなきゃならないので!」


「シュウ、駄目よっ!」サラが悲痛な声を上げる。


「サラもやばいと思ったら絶対に逃げろよ!」


 修介はそう言い捨ててヴァレイラを追って走り出した。


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