第104話 マジデ

「こんなところで風に当たってたら体冷えるわよ」


 サラはそう言って両手に持ったカップのうちのひとつを修介に差し出した。

 修介は礼を言ってそれを受け取る。カップからはかすかに湯気が立っていた。おそらく蒸留酒を湯で割ったものだろう。夜風で体温を奪われた体にはありがたい飲み物だった。

 昼間は動き回っているからそれほど気にならないが、夜になると冬の寒さは相当に堪える。当然、暖房器具などはないので、焚火と外套、そしてアルコールが寒さ対策の要だった。他にも支給された簡易的な天幕や毛布などもあったが、冬の野宿は慣れない修介にとって妖魔以上に厳しい相手だった。

 各パーティのルート決めにおいても、可能な限り野宿しなくて済むように、村や集落に立ち寄れるような配慮がなされていた。それでも、こうして野宿を強いられる日があるのは冒険者という職業の性質上、仕方のないことであった。


 サラは修介の隣に腰を下ろすと、カップを両手で包み込むように持って、ちびちびと中身に口をつける。そうやってしばらくのあいだ修介がアレサの手入れをするのを黙って眺めていた。

 ときおり遠くから別のパーティの笑い声が聞こえてくる。


「……その剣、前のと違ってるわね?」


 サラが修介の作業がひと段落着くのを待っていたかのように声を掛けてきた。


「ああ、前のは魔獣との戦いのときに折れちゃったからな……」


「随分と大事にしてたみたいだったから、残念だったわね」


「まぁ、形あるものはいつか壊れるっていうからな。そういう運命だったのさ」


 修介は平然と言ってのけたが、もしエーベルトがこの場にいたら「どの口が言うのか」と言ったことだろう。アレサが折れたときの取り乱しようを思い出すと、今でも枕に顔を埋めて足をバタバタさせたくなるほどだった。


「新しい剣も随分と大切にしてるのね」


「ある人に剣は持ち手を映す鏡だって教わったからな。今までの戦いだって、こいつのおかげで生き残れたようなものだし、そりゃ大切にするさ」


 そう言いながら修介はアレサを鞘に戻した。


「……実際、よくやってると思うわよ」


「ん? 何が?」


「リーダーとしても戦士としてもよくやってるって言ってるの」


「そりゃあ、どこかの誰かさんが前の時みたいに好き放題やらないでくれてるからね、大変助かっておりますよ」


 修介は冗談めいた口調でそう返す。

 以前のゴブリン退治でパーティを組んだ時は、サラはかなり好き放題やっていたのだが、あれはノルガドという絶対的な保護者がいたからこその態度だったのだろう。今回の旅では、彼女は徹底して修介をフォローするように動いてくれていた。

 違いはそれだけではない。出会ったばかりのサラは割と躊躇なく魔法を使っていたが、最近はむやみやたらに魔法を使わなくなっていた。

 以前のように「実験しよう」ともあまり言わなくなっていたし、何か心境の変化があったのかもしれないな、と修介はぼんやりと考える。


「あの面子で私まで好き放題したら、シュウがストレスで禿げちゃうからね」


「禿げないから!」


 突然修介が大声を出したことで、サラはびくっと体を竦ませる。


「――び、びっくりしたぁ。いきなり大きな声出さないでよ」


「す、すまん……」


 修介は素直に頭を下げた。前世で若干頭髪が薄くなっていた修介にとって、その単語に過敏に反応してしまうのは仕方のないことだった。転移前に自称神の老人にわざわざ毛根を強くするよう交渉したくらいなのだ。


「ち、ちなみにひとつ聞きたいんだが……」


「なによ?」


「魔法で、その、頭皮の状態を回復させるような術とか薬とかあったりするの?」


 自分でも何を聞いているのかと修介は思ったが、湧き起こる知的好奇心を抑えることはできなかった。


「禿げを治す薬ってこと?」


「ま、まぁそうだな」


 若い女性に面と向かってその単語を言われると心に突き刺さるものがあった。


「魔法帝国時代にはあったって話よ」


「マジで!?」


「もっとも、今はその製法も失われてしまっているからもう作れないんだけどね」


「そうなのかぁ……それなら、サラが頑張ってその作り方を発見してくれよ」


 修介のその言葉に、サラは呆れたと言わんばかりにため息を吐く。


「まったく、ヴァルといいあなたといい、随分と気軽に言ってくれるわよね。そんな簡単に作り方がわかるなら苦労しないわよ」


 やっぱり難しいのか、と修介はうなだれた。

 修介にとってこの世界の魔法は未知の能力であり、可能性の塊だった。癒しの術や身体強化の術などもそうだが、先日見たポーションのインパクトもすさまじかった。きっと全盛期の魔法技術はとんでもないものだったのだろう。今の話を聞いて、あらためてそう実感させられていた。

 もし古代魔法帝国の遺跡とかで禿げに効く薬の精製方法が記された書物とかを発見したら歴史に名を残せるのかもしれないな、などとくだらないことを考えていると、ふと視線を感じて修介は顔を上げた。

 サラが何か聞きたそうな顔をしていた。


「ん? どした?」


「前から気になってたんだけど、あなたがよく言う『マジデ』ってなに?」


 唐突な質問に修介はきょとんとする。そして、質問の意味を理解して、自分が無意識にその口癖を口にしていたことに気付く。

 いい加減に言語ツールも対応してくれて良さそうなものだが、一向にアップデートされる気配はなかった。

 いつもならば適当に誤魔化すところだが、この時の修介はそうしなかった。なんとなくサラには隠し事をしたくない、という思いがそれを許さなかったのだ。そう思える程度には今回の旅を通してサラとの絆も深まっているという実感があった。


「マジ、ってのは俺の生まれた国の言葉で『本気』とか『本当』って意味で、マジで、は『本当か?』という疑問形になるんだ」


 修介は、マジ、の部分を意識的に日本語で発音しながら説明した。


「なにそれ、そんな言葉聞いたことないわ。……そういえば、あなたってどこの国の出身なの?」


「へ? 出身?」


「そう、出身」


 会話の流れから訊かれることは十分に予測できただろうに、修介は内心慌てふためく。そして、ここまで来たらとことん行こう、と半ば自棄になった。


「俺の故郷はずーっと遠いところにあるんだ」


「大陸の端にあるウォルテア王国とか?」


「違う」


 修介は即座に否定する。そんな国は知らん、とはさすがに言えなかった。


「……まさか別の大陸とか?」


「それも違う」


「じゃあどこなのよ?」


「この空の向こうよりもずーっとずーっと遠くにある……異世界だ」


 修介は遠くの空を見つめ、そう言った。


「……それ本当?」


 サラはじっと修介の顔を見つめる。その目は疑っているというよりは、修介の表情の変化から真偽を見抜こうとしている目だった。

 もしここで本当だと告げたらどうなるのだろうか。

 好奇心旺盛なサラなら信じてくれるかもしれない。

 アレサ以外にも自分の正体を知ってもらえたら、どれだけ心が楽になるだろうか。

 全部話したい――そんな誘惑が心の中でむくむくと大きくなる。

 だが、すんでのところで修介は思いとどまった。

 話したところで、それを証明できるような証拠はない。

 それに、修介はもうこの世界の人間だった。サラを前の世界に連れていける手段があるわけでもなし、真実を告げることに意味があるとは思えなかった。


 修介はぶふっと噴き出すと、からかうように言った。


「冗談に決まってるだろう。なに本気にしてるんだよ! こんな冗談信じるなんてサラってば意外と純粋なんだなぁ」


「意外とは何よ、失礼ね! そもそも妖魔や魔神だって異世界から来たんだから、別におかしなことじゃないでしょ! それに、こことは違う別の世界に人が住んでるなんて夢があっていいじゃない!」


「おお、随分と可愛いこと言うじゃないか」


 実際はそんな夢のある話でもないんだけどなと思いつつも、修介は笑いを堪えることができなかった。笑ったのは馬鹿にしたからではなく、サラとの会話が純粋に楽しかったからなのだが、サラはそうとは受け取らなかったようだった。


「……いい度胸じゃない。明日はせいぜい背中に気を付けることね」


「サラがそれを言うとまったく冗談に聞こえないんだが……」


 修介の背中を冷たい汗が流れる。


「冗談はさておき、本当はどこの出身なのよ?」


「……実は、どうやら俺は記憶喪失らしくてな。自分のことについては名前以外についてはさっぱりで、マジでって言葉もたまたま記憶にあったってだけで、自分の故郷のことも覚えてないんだ」


 修介は嘘くさくならない程度に真面目な顔を作ってそう告白した。そして、自身が精霊の森付近で記憶を失って倒れていたという”設定”を話した。

 結局また嘘を吐いてしまったと罪悪感を覚えるが、それ以外に良い方法が思い浮かばないのだから仕方がなかった。


「は? 何それ聞いてないんだけど!?」


「そりゃ言ってないからな」


 憤慨するサラに、修介は平然と答える。


「なんで言わないのよ!」


「なんの前置きもなく、私は記憶喪失です、とか言い出すほうが変だろうが!」


 修介の言葉に、サラは「それはたしかにそうね」とあっさり納得した。


「……前から変な奴だとは思っていたけど、まさか記憶喪失とはねぇ……。それはそれでとっても興味深い話だわ」


 サラはまさに興味津々といった顔で修介を見つめる。


「い、言っておくが、無理に記憶を戻そうとかしなくていいからなっ! 俺は今の生活が結構気に入ってるんだから」


「でも、あなたの失われた記憶にはとても興味があるわ」


 案の定、記憶喪失の話はサラの好奇心を刺激してしまったようだった。


「あのな、もしかしたら俺がどっかの国の王子様っていう可能性だってあるんだぞ。超優良物件かもしれないんだぞ?」


「それはないわ。だってあなた、品性のかけらもないもの」


「ひどっ! 記憶が戻ったら不敬罪で投獄してやる!」


「でも、おかげであなたに対する違和感のひとつが解消されたわ。あなたってば、たまにびっくりするくらい常識に疎いんですもの。その理由がわかって少しすっきりしたわ」


「そいつは良かったな」


 修介は憮然とした表情で前を向いた。

 その横顔を見てサラはくすりと笑うと、おもむろに右手を伸ばし、風で乱れた修介の髪を優しく撫でた。


「……記憶、戻るといいわね」


「まぁな……ただ、さっきも言ったけど、別に戻らなくても困ってないからな。それに記憶云々よりも、とりあえず目の前の依頼を無事に終わらせることの方が今の俺にとっては重要だしな」


 サラのなすがままにされながら、修介は照れ隠しで早口に捲し立てた。サラのこういった姉貴風を吹かすところは、くすぐったくもあり、嬉しくもあるのだが、やはり男としては微妙な感情を抱かざるを得ない。

 中身が中年の修介は、恋愛に幻想を抱くような歳ではないし、相手を想って胸が苦しくなるような情熱もすでに失われていたが、それでも好いた惚れたといった感情が完全に死んだわけではなかった。

 サラに全てを打ち明けたいと思ったのも、「実は俺は中身四三歳の中年なんだ」という告白に対して、「それでもあなたが好き」と言ってもらいたいだけの、実にくだらない自分勝手な欲求だった。

 サラが自分のことをどう思っているかはわからない。ただ、そんなことをつらつらと考える程度には、彼女の存在が日増しに大きくなっているということだった。

 おそらく、自分が若返りの転移者でなければ、とっくにサラに惚れていたに違いない。いや、そう考えていること自体がすでに惚れているという証拠だった。

 だが、自分の想いを彼女に告げることは、やはりないだろう。

 自分自身の存在を”歪である”と思い続ける限り、この世界で誰かと結ばれようという気にはなれなかった。


「……このまま無事に終われるといいわね」


 サラは手を離すと、わずかに微笑んでそう言った。


「そうだな……」


 その笑顔を見て、修介の心に暖かい感情と鈍い痛みが同時に広がる。

 これから先、自分自身の考え方に変化が訪れるのかどうか、それはわからない。

 それでもサラが自分にとって大切な人であることは間違いなかった。

 だからこそ、彼女のことは何があっても絶対に守る。そう修介は誓うのだった。


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