第103話 親指ゲーム

「なんとかここまでは無事に来ることができたな……」


 修介は夜空を見上げながらひとり呟く。

 空気が澄んでいるこの世界の星空は、いまだに見る度にはっとさせられるほど美しかった。

 修介達がグラスターの街を出発してから、すでに十日が経っていた。このまま順調にいけば、二日後に輸送部隊と合流してクルガリの街を目指すだけとなる。

 修介は軽い夕食をとり終えた後、ひとり野営地から少し離れた丘の上にやってきていた。

 パーティで行動していると、ひとりになれる時間はほとんどない。なんとなく気分転換を兼ねて散歩していたら、いつの間にか星空に誘われるように丘の上に座っていたのである。


 修介はアレサを鞘から引き抜くと、持ってきたやすりで汚れを落とし始める。欠かすことのできない日課だった。

 手入れを欠かすとアレサがうるさいから、というのもあるが、激しい戦闘が続く日々において、剣の手入れは自身の命に直結する大事な作業だった。

 パーティでの戦闘は日を追うごとに練度が上がっていた。経験豊富なヴァレイラの的確な指示と、圧倒的な戦闘力を誇るデーヴァンの活躍によって、修介達のパーティは先発隊のなかでは一番の戦果を挙げていた。

 他のパーティからは「さすが英雄殿が率いるパーティだ」と、若干やっかみの混じった視線と共に賛辞を貰ったが、英雄云々は別にして、パーティが評価されること自体は修介にとっても誇らしいことだった。

 もっとも、そうなるまでには様々な苦労があったのだが……。




 それは三日目のことだった。

 ある村に立ち寄ったパーティが妖魔に関する情報を入手した。その情報によると、村の近くにある森でトロルの一団を見かけたというのだ。

 トロルは底なしの胃袋を持つ妖魔と言われ、その異名とは裏腹に酷く痩せこけた見た目をしている。一見するとそれほど危険がなさそうにも見えるのだが、身長は二メートルを軽く超え、暗い黄緑色の表皮はゴムのようにしなやかで耐久力も高く、動きも俊敏で、人間を見ると容赦なく襲い掛かってくる危険な中位妖魔である。

 ダドリアスは情報のあった森に四つのパーティを派遣することを決め、そのパーティのひとつに修介達のパーティが選ばれた。


 翌日、修介達のパーティを含めた四つのパーティは、トロルが潜んでいるという森へと赴いた。

 修介は相手がオーガと同じ中位妖魔だと聞いて、がっつり稼ごうと逸る仲間を抑え、とにかく慎重に行動するよう指示を徹底した。

 だがその結果、他の三つのパーティがほとんどのトロルを倒してしまい、修介達のパーティはまったく戦果を挙げることができなかったのである。

 この結果にヴァレイラとイニアーが不満を爆発させた。

 妖魔討伐に来ているのに必要以上に慎重になっていては討伐できるものもできない、というのが彼らの主張だった。

 たしかに討伐数という結果だけを見れば、修介の判断は間違っていたことになるだろう。

 ただ、修介にも言い分はあった。

 功を焦った他のパーティではトロルとの戦闘で犠牲者が出ていたのだ。

 慎重も度が過ぎれば臆病者の誹りを免れないが、それでも犠牲者が出るよりはマシだと修介は考え、今後も方針を変えず慎重に行動するよう主張した。

 お互いの主張は平行線を辿り、口論が熱を帯びた結果、修介は思わず感情的になって「お前らが俺をリーダーにしたんだろうが! 文句言うならお前らが代わりにやれよ!」と怒鳴ってしまい、一時はパーティ内に険悪な空気が流れた。

 結局、サラがヴァレイラを、デーヴァンがイニアーをそれぞれ諫め、修介も「言い過ぎた」と頭を下げたことで、最悪の事態は免れたのである。

 修介は自らの実戦経験の少なさを正直に話し、あらためてパーティメンバーに協力を求めた。ヴァレイラとイニアーもそれなりに反省したのか、渋々ながらも協力を約束した。

 こういった衝突と和解を繰り返してパーティの結束は固くなっていくのだ――修介はそう自分に言い聞かせたが、現実はそれほど甘くはなかった。


 今度はヴァレイラとイニアーが諍いを起こしたのだ。

 このふたりはとにかく相性が悪かった。

 ふたり揃って好戦的な性格であり、一見すると似た者同士なのだが、その方向性の違いから頻繁に意見が衝突した。

 ヴァレイラは戦いに愉悦を見出す純粋な戦闘狂だが、冒険者として長い分、戦闘以外の事に関してはリスク管理ができる人間だった。

 それに対し、イニアーは傭兵稼業が長かった為、戦闘では常に冷静沈着だったが、それ以外での行動ではとにかく慎重さに欠けていた。

 ようするに考え方が真逆であったがゆえに、互いの駄目なところが必要以上に目に付いてしまったという話だった。

 イニアーはヴァレイラの事を「戦闘に性的興奮を覚える変態女」と蔑み、ヴァレイラはイニアーの事を「デーヴァンの腰巾着野郎」と罵った。

 どっちも軽々とラインオーバーしている発言だと修介は思ったが、意外なことに言われている当人達はまったく気にしていない様子だった。修介であれば「臆病者」と言われるだけで軽く二日は落ち込むだろう。

 腑に落ちない、という顔をする修介に、サラが「たぶんだけど、どっちも昔から言われ過ぎててとっくに耐性ができちゃってるんじゃない?」と自説を述べる。

 なるほど、と感心する修介だったが、それでふたりが仲直りするわけでもなく、ふたりの意見の衝突はことあるごとに発生し、修介を困らせた。

 たとえば休憩するタイミングひとつとっても、


「ここで休憩したら日が暮れる。夜の移動は危険だから、無理をしてでも合流地点に向かうべきだ」


 とヴァレイラが主張すれば、


「無理してへとへとの状態で妖魔が襲ってきたらどうするんだ。しっかり休んでおけば夜だろうと問題ない」


 とイニアーが言い返し、その後はお決まりの罵り合いが始まるという寸法だった。

 どちらの主張にも一理あるのだが、問題は修介が片方を選ぶと、選ばれなかったもう片方がへそを曲げることだった。「子供かっ!」と何度も叫びそうになったが、一度感情を爆発させて反省した修介は、我慢することの大切さを学んだ分、彼らよりも精神的に大人だった。

 結局、修介は「細かく休憩を挟みながら頑張って慎重に進もう」という決定を下したのだが、それはそれでふたりから「どっちつかずの中途半端」と文句を言われたので、リーダーとは本当に損な役回りだと嘆息した。

 これでふたりの不仲が戦闘に悪影響を及ぼすようなら本気で対策を考えねばならないところだったが、面白いことにいざ戦闘になるとふたりとも普通に協力し合うのである。

 それが冒険者や傭兵の流儀なのか、彼らのプロ意識の成せる業なのかはわからないが、とりあえず大事にはならないだろうと考え、修介はふたりの喧嘩に関してはあまり口を出さないことにした。


 これらの出来事からもわかる通り、修介は皆を引っ張っていくタイプのリーダーではなかった。

 自分はメンバー同士を繋げる接着剤のようなもの――修介は自分の役割をそういう風に捉えていた。

 なので、自分から積極的に皆に話しかけ、公平に意見を聞き、可能な限り自身の感情を排して、正しいと思える決断を下した。

 そうやって修介が調整役に徹したことで、パーティは日を追うごとに上手く回るようになっていった。

 そして、そんな修介を陰で支えたのがサラとデーヴァンだった。

 サラは修介の考えがわかっているからか、自分の意見はほとんど言わず、客観的な状況説明だけを口にすることが多かった。その代わり、修介がよほど間違ったことを言わない限り、常に修介の決断を支持した。

 デーヴァンも自分の意見こそ言わなかったが、修介の指示には率先的に従い、イニアーが言い過ぎると「うう」と唸って彼を諫めた。兄に頭が上がらないイニアーは不満そうに口を尖らせながらも、それで大人しくなるのである。


 このデーヴァンという大男に、修介は口では説明できない魅力を感じていた。

 戦闘以外での彼は寡黙で大人しく、いつも空を見上げてぼうっとしていた。ごつい見た目に反して一緒にいても威圧感はなく、逆にその大きな身体で守られているような安心感があった。

 そんなデーヴァンに、修介はことあるごとに話しかけた。

 圧倒的な戦闘力を持つデーヴァンと仲良くなっておいて損はないという打算もあったが、純粋に彼に興味を覚えていたということもあった。

 デーヴァンは話しかけても「ああ」とか「うう」しか言わないし、表情もまったく変わらないのだが、話を聞いていないのかというとそんなことはなく、しっかりと内容は理解しているようだった。

 イニアー曰く、「兄貴は喋るのが苦手なだけで、頭は悪くないっすよ」だそうで、それならばと修介はさらに積極的に話しかけるようになった。

 しばらくは修介の独り相撲のような状態が続いたが、ふたりの仲(?)が急速に進展するようなイベントが発生したのは、五日目の夜のことだった。


 修介があるゲームをデーヴァンに教えたのである。

 三〇〇年続くルセリア王国の治世は安定しており、この世界にも様々な娯楽が存在していた。冬が長いこの国では、遊戯盤やカードゲームなどの屋内で楽しめる娯楽が主に親しまれている。

 ただ、依頼中にそんな物を持ち歩いているはずもなく、修介が教えたのは俗にいう『親指ゲーム』だった。

 親指ゲームとは、互いの両手の拳を親指を上にして前に出して、「いっせーの」という掛け声と共に数字を宣言し、その宣言と同時に互いが親指を立てるかそのままにして、立っている親指の数と宣言した数字が一致すれば宣言した人が片手を引っ込める、というのを交互に繰り返し、両手を先に引っ込められた方が勝ちになるという単純なゲームである。

 これがなぜかデーヴァンに大うけしたのである。

 どうやらこの世界に親指ゲームは存在していなかったらしく、サラは「よくそんな遊び考えつくわねぇ」としきりに感心していたが、修介が考え出したわけではないので適当に誤魔化した。


 親指ゲームをお気に召したデーヴァンは、休憩や食事の度に相手をするよう修介に迫った。修介もデーヴァンと仲良くなれるならと喜んで相手をしたが、酷いときは一時間ぶっ続けで相手をさせられる羽目になって閉口もした。

 被害者は修介だけに留まらず、他のメンバーも相手をさせられていた。

 皆も最初のうちは物珍しさから参加してくれたが、所詮は子供の遊びである。すぐに飽きてしまい、そのうち食事が終わるとそそくさと姿を消すようになった。

 イニアーからは「なんてものを教えてくれたんすか」と恨めし気な目で見られた。この依頼が終了したら、おそらく自分が延々と兄の相手をさせられる羽目になることを想像したのだろう。そう考えると申し訳ないことをしたなと思う修介であった。

 とはいえ、親指ゲームのおかげでデーヴァンだけでなく、他のパーティメンバーとの距離が縮まったのもたしかだった。

 ちなみに、デーヴァンが表情を変えずに低い声で「あーあーあー」と言うのが、彼の笑い声であると知ることができたのは親指ゲームの手柄である。

 遊びを通じて友情を育む。

 人間関係の構築としては最良に近い結果になったと言えた。

 そんなこんなで紆余曲折を経ながら、修介達のパーティは互いに協力して、なんとか十日目まで無事に終えることができたのであった。




「……俺にしては頑張ってるほうだよな」


 まだ依頼は終わっていなかったが、この十日間を振り返ってみて、修介は手応えのようなものを感じていた。

 実際、今回の旅で修介はかなりの数の妖魔を討伐していた。

 その多くはゴブリンやオークといった下位妖魔だったが、オーガやトロルといった中位妖魔との実戦も経験したことで、間違いなく戦士として成長していた。

 特にヴァレイラやイニアーの戦う姿を間近で見ることができたのは大きな収穫だった。

 剣の扱い方はヴァレイラを、立ち回りはイニアーを参考にして、修介は実戦のなかでそれを積極的に自分の戦い方へ取り入れていった。

 今回の依頼は、ゲームでいうところのレベル上げの為に敵を求めてフィールドを徘徊するのに似ていた。ひたすら妖魔との戦闘を繰り返したおかげで、修介はどんどん実戦慣れしていったのである。

 最初の頃に感じていた怯えは戦いを重ねるごとに消えていき、日を追うごとに修介の剣は鋭さを増していった。例えるなら恐怖というデバフが消え、自信というバフが付与されたようなものだった。


(俺は間違いなく強くなってる……)


 修介は空いている自分の手のひらを見つめる。そして、「どうだ」と言わんばかりにアレサの柄を握りしめた。その行動は母親に百点の答案を見せようとウキウキしている子供のそれだった。

 アレサは軽く震えただけで何も言わなかった。

 修介もアレサが口を開かないことはわかっていた。

 パーティで行動するようになってから、アレサは一切口を利かなくなっていた。

 他人にアレサと会話しているところを見られると色々と面倒だから、というのがその理由だが、今のアレサからは修介が成長していく姿を黙って見守っていてくれているような、そんな暖かさが感じられた。

 とはいえ、先ほどの振動はおそらく、『調子に乗っていると痛い目をみますよ』という警告だと修介は受け取っていた。


「……わかってるって、昔から俺はこういう調子の良い時が一番危ないんだ。残りも最後まで油断せずに行くさ」


 修介がそう呟くと、


「何がわかってるって?」


 突然背後から声を掛けられ、修介は思わず「はえっ!」という変な声を出してしまった。

 振り返るとそこには不思議そうな顔をしたサラが立っていた。

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