第102話 英雄の資質

 シンシアの馬車を離れたランドルフは愛馬に跨ると小さく息を吐きだした。

 そして荷馬車の隊列を確認すべく、ゆっくりと馬を歩かせる。

 すると、それを待っていたかのようにひとりの騎士が馬を寄せてきた。

 戦いの神の神官でもある騎士ブルームだった。彼もこの輸送部隊の護衛のひとりとして参加していた。


「おぬしも意地悪だな。シュウスケが先発隊に参加していることを、お嬢様に教えて差し上げてもいいだろうに」


 ブルームはそう言いながらランドルフに並んで馬を進ませる。


「……別に意地悪をしたつもりはない。お嬢様にとって不要な情報と判断したから、お伝えしなかっただけだ」


「その判断をされるのはお嬢様ご自身であるべきだろう」


 ブルームのその指摘は至極真っ当なので、ランドルフは思わず目をそらす。

 お嬢様が何を知りたがっていたのか、それがわかっていながらあえて教えなかったのだ。そこに私心がないと言えば嘘になるが、それでも教えないほうがお嬢様にとっては良いと判断してのことだった。


 郊外を巡回した騎士の報告や、冒険者ギルドからもたらされる情報によると、南西の地には未だ多くの妖魔が存在しているという。先発隊の冒険者達は多くの妖魔との戦いを強いられ、おそらくそれ相応の犠牲者を出すことになるだろう。

 つまり、件の修介が死ぬ可能性だって当然あるのだ。彼が先発隊に参加していることをお嬢様が知ろうが知るまいが、死ぬときは死ぬのである。だが、お嬢様の性格では下手に知っていることでその死に対してまで責任を負いかねない。

 ただでさえお嬢様は自身が視察に赴くことで、護衛の騎士達に多大な負担を強いていることを気に病んでいるのだ。そこに修介の存在まで加わってしまっては、精神的な負荷はいかほどになるだろうか。

 この世には知らないほうが良いことなどいくらでも存在するのである。余計なことは考えずに、お嬢様には視察に集中してもらいたい。そうランドルフは考えていた。


「まぁいい。おぬしにはおぬしの考えがあるのだろうからな」


 心の内を見透かすようなブルームの物言いに居心地の悪さを感じて、ランドルフは話題を変えることにする。


「それよりも先発隊のことだ。本当に大丈夫なんだろうか……」


「ん? どういう意味だ?」


「大規模な妖魔狩りを冒険者に任せるのは今回が初めてだろう。果たして彼らにその役目がちゃんと務まるのかどうか……」


 口にしてからランドルフは内心舌打ちをした。

 ランドルフは滅多に弱気な部分を他人に見せたりはしないのだが、なぜかこの年長の神聖騎士に対してだけは油断すると心の内を晒してしまうのだ。

 ブルームは「ふむ」と顎に手を当てる。


「お前さんの不安はわからんでもないがな、それでも妖魔討伐は彼らの領分でもあるだろう。しかも討伐した分だけ報酬を得られるわけだし、心配せずともちゃんとやってくれるだろうよ」


「……そう願いたいものだ」


 騎士と冒険者は犬猿の仲ではあるが、ランドルフ個人としては冒険者に対して悪感情を抱いているわけではない。現に冒険者を使うよう領主に進言したのも、実際に手配を行ったのも彼である。

 ただ、騎士団だけで護衛を行いたかった、というのが偽らざる本音でもあった。

 魔獣ヴァルラダンとの戦いで多くの騎士が命を落としたことで、騎士団の戦力は激減していた。衛兵から騎士への取り立てを増やしたり、騎士見習いを叙勲させたりして人員の補充を行ってはいるが、彼らがすぐに一人前の騎士になるわけではない。現実的に騎士団だけで護衛と妖魔狩りを同時に行うことは不可能だった。

 現状では冒険者に頼らなければ領内の治安を維持することもままならないのである。

 先発隊の参加者については、ギルド長オルダスが直々に人選したという話だから、それなりに実力のある冒険者が参加しているはずだった。

 ふいに、ランドルフの脳裏に修介の顔が浮かんだが、慌てて頭を振ってその顔を追い払う。


「どうした?」


 その様子を見てブルームが訝しげに問いただす。


「いや、なんでもない」


「そうか……ところで、お嬢様が気にされているそのシュウスケについてだがな。最近、お嬢様との仲がちょっとした噂になってるみたいじゃないか」


 ランドルフは思わず吹き出しそうになり、慌てて咳払いで誤魔化した。


「……そうなのか?」


「相変わらずその手の話には疎い奴だな。街では若い女性を中心に、領主の娘と冒険者との身分違いの恋ってことで、そこそこ話題になってるぞ。しかも最近ではそこに……なんだっけ? 名前は忘れたが謎の美女が加わって三角関係になっているらしいぞ」


「なんだそれは」


「まぁ、噂なんてのは決まって変に誇張されていくものだから、三角関係云々は冗談としておくとしても、護衛担当の騎士としてはもう少しお嬢様の周囲に目を向けるべきではないかね?」


 したり顔で言うブルームに適当に返事をしつつ、ランドルフは思案顔を浮かべる。

 シンシアの恋心を察しているランドルフとしては今さらな話ではあったが、市井で噂になっているとなると話は別であった。

 そこまで噂になっているということは、当然領主の耳にも入っている可能性がある。娘を溺愛する領主が、そのことを知って黙っていられるとは考えられなかった。

 何かとてつもなく面倒なことが起こりそうな予感がして、ランドルフは深いため息を吐いた。


 グラスター領では女子に領地の継承権はない。

 妖魔が跳梁するこの地においては、なによりも強い領主が求められる。その為、仮に領主の子が女子だけだった場合は、婿を取って領地を継がせるのが習わしだった。

 現在、グラスター領にはフェリアンとセオドニーというふたりの兄弟がおり、領地を継ぐのは長男であるフェリアンというのが既定路線となっている。

 つまり、ふたりの兄弟が事故死でもしない限りは、シンシアの婿が領地を継ぐようなことにはならない。そして、妖魔が蔓延るグラスターの地を望んで手中に収めようと野心を抱く者も皆無であった。

 そういった意味でシンシアは大貴族の娘としては珍しく政略結婚とはほぼ無縁の立場にいた。順当に行けば、王家の末端の者か、権力中枢とは程遠い地方領主と婚姻を結ぶことになるだろう。

 それは同時に、領主さえ許せば、シンシアが修介と結ばれる可能性もあるということだった。


「――で、お前さんはどう思ってるんだ?」


 ブルームの声で、ランドルフの思考は現実へと戻される。


「ん? なにがだ?」


「だから、お嬢様とシュウスケの関係についてだ。いくら鈍いお前さんだって、お嬢様のお気持ちくらいは知っているだろう?」


「知っていたところで干渉するつもりはない。騎士としてお嬢様をお守りする。それだけだ」


「まさに騎士の鑑だな」


 ブルームのその口調から、それが皮肉であることが伝わってくる。

 無論、ランドルフとて人の子である。内心では色々と思うところもあったが、立場的にそれを口に出せないというだけの話だった。

 お嬢様のことは妹のように大切に思っているし、幸せになってもらいたいという想いは当然ある。大切なお嬢様をどこの馬の骨ともわからない男に取られてたまるか、という気持ちもあった。

 そもそも、相手が得体の知れない修介であることが不満だった。せめて将来有望な若手騎士であればどれだけ良かったことか。

 ランドルフにも三歳になる娘がいるが、娘が年頃になって好きな男が出来た時に、その相手が冒険者だったら自分がどうするのか想像も付かない。妻からは「どうせあなたは鈍いから気付かないわよ」とからかい半分で言われたものである。

 お嬢様の恋心の行く末がどうなるのか、それはランドルフのあずかり知らぬことだった。

 だが、おそらくその恋が実ることはないだろうとランドルフは考えていた。確たる理由はないのだが、修介を見ているとなんとなくそう思えるのだ。


「……あえて言うなら、いくら冒険者に好意的な領主様であっても、大事な娘を冒険者に嫁にやるとは考えられない、ということだな」


 ランドルフは内心を悟られぬよう無表情でそう言った。


「ただの冒険者ならそうだろうな。だが、シュウスケは今や街ではちょっとした英雄扱いとなっていることはお前さんだって知ってるだろう?」


「……そうらしいな」


「そういえば、このあいだ久々にあいつと飲みに行ったんだが、そのせいで色々と苦労していると愚痴をこぼしていたぞ」


「それこそ私の知ったことではないな。一度や二度活躍した程度でのぼせ上がるようならその程度の男ということだ」


 ランドルフは冷たく言い放つ。


「お前さんも英雄と呼ばれている騎士だろう? 何か英雄としての心構えのひとつでも助言してやったらどうだ? 知らぬ仲ではあるまい」


「断る。そもそも私は英雄などではない。真の英雄とはハジュマ殿のように、驕らずに努力を続け、人々の為に長きにわたって実績を積み重ねてきた者を指すのだ」


 ランドルフは共に魔獣と戦ったハジュマのことを思い出す。彼は今までにランドルフが出会った戦士の中で、間違いなく最強の男だった。その剣筋は彼の人柄を表しているかのように真っすぐで、鮮烈だった。あらためてその強さに畏怖と敬意を抱く。


「お前さんも驕らずに実績を積み重ねてきた側の人間だろうに」


「騎士としての務めを果たしているだけだ」


「相変わらず面白みのない男だな」


「誉め言葉として受け取っておこう」


 ランドルフは生真面目な顔で答えた。

 たしかに、修介が剣を握ってほんの数カ月しか経っていないことを知っているランドルフからしてみたら、今の彼が名声と実力との差に苦悩しているであろうことは想像に難くなかった。

 それでも、あの恐るべき魔獣に単身向かっていくということは誰にでもできることではない。その勇気は称えられるべきものだった。

 ランドルフとしても、討伐軍の危機を救った修介に感謝の気持ちはあるのだが、お嬢様の周囲を飛び回る悪い虫、という扱いが変わったわけではないことから、護衛する立場上、どうしても厳しく見てしまうだけの話なのだ。


「……もし、彼に英雄としての資質があるのなら、ぜひとも今回の依頼でそれを発揮してもらいたいものだな」


 ランドルフはそう言って馬の速度を上げた。

 修介がどうなろうと知ったことではないのだが、少なくとも彼が死ぬことでお嬢様が悲しみに暮れる顔は見たくなかった。


(頼むから、お嬢様を悲しませるようなことだけはしてくれるなよ)


 ランドルフはこの場にいない男に向かって、無駄とは知りつつもそう願うのだった。

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