第101話 輸送部隊

 先発隊が出発してから五日が経っていた。

 その日、グラスターの街の西門の前には大量の物資を積んだ荷馬車が列をなしていた。

 シンシアが率いる輸送部隊である。正確には南西の地を視察するシンシアの視察団と、支援物資を運ぶ輸送部隊、そしてそれらを護衛する騎士団という構成なのだが、ややこしいのでひとまとめにして輸送部隊と呼称されていた。

 シンシアはあくまでも視察に赴くだけということになっており、輸送部隊の指揮官はランドルフ騎士長が務めることになっている。

 輸送部隊には五〇名の騎士と一〇〇名の歩兵が護衛につき、それ以外にも従者、侍女、職人、薬師、神官といった多くの民間人が随行し、その数は総勢二〇〇名を超えていた。

 これだけの規模の部隊が西門に集結するのは魔獣討伐軍以来のことであった。


 当初、輸送部隊はもっと規模が小さいものだった。

 その理由は単純で、魔獣討伐の為に二度も大規模な派兵を行ったせいで領の財政がひっ迫していたからである。

 だが、輸送部隊の規模を知ったシンシアが、父であるグントラムに「それでは民があまりにも不憫です」と訴え出たことが今回の一連の騒動の始まりだった。

 グントラムはシンシアの「もっと大規模な輸送部隊を」という訴えを退けた。言われるがままに物資を用意していては領の財政が破綻してしまう。色々と手は尽くしているが、すぐに解決できるような問題ではないのだ、と娘を諭した。

 しかし、シンシアはグントラムの言葉に納得せず、ならばせめて自分が南西の地に視察に赴き民を励ましたい、と願い出た。

 グントラムはその願いも退けた。

 危険な南西の地に大事な娘を行かせたくない、というのが一番の理由だったが、現実的な問題として、今の騎士団では大規模な護衛を組織するだけの余力がなかったのである。輸送部隊の規模が小さいのもそれが一番の要因であり、代わりに冒険者を雇おうにも財政的な余裕がないのは先に言った通りである。

 それでもシンシアは言葉を尽くしてグントラムを説得しようとしたが、結局聞き入れてはもらえず、最後は泣きながら「お父様なんて大嫌い!」という捨て台詞と共に部屋を出て行き、グントラムの精神に大ダメージを与えたという。


 さて、失意のシンシアだったが、それで諦めたわけではなかった。

 彼女は泣きはらした顔のまま次兄のセオドニーの部屋へ向かうと、父とのやり取りをすべて話し助言を乞うた。

 周囲の者はセオドニーのことを「何を考えているのかよくわからない」という理由で距離を置こうとする節があったが、シンシアはそのように思ったことはなく、聡明な兄に色々と相談を持ち掛けることが多かった。

 シンシアの訴えに、セオドニーは「領主は領地全体のことを考えなければならないのだから、それは仕方のないことなんだよ。父上だってきっと辛いんだから、それを責めてはいけないよ」と優しく諭した。

 聡明な兄ならば何か良い解決策を持っていると思っていたシンシアは、セオドニーの言葉に肩を落とした。

 そんなシンシアを見て、セオドニーはいつもの能面のような笑みを浮かべながら、さらに言葉を続けた。


「でも、シンシアはとても運が良いね。その件についてちょうど良い解決方法が、つい先日転がり込んできたんだ」


 驚くシンシアに、セオドニーは事情を説明した。


 話は魔獣討伐軍が帰還した直後に遡る。

 魔獣ヴァルラダンとの決戦の地となったソルズリー平原には、魔獣の死体を調査する為に、ベラ・フィンドレイ率いる魔術師たちが残っていた。

 討伐した魔獣の死体を提供してもらうことは、事前に約束されていたことなのだから、ベラとしては当然の行動だった。

 魔獣ヴァルラダンは六〇〇年前に存在していたとされる、いわば伝説の魔獣である。その価値は死体と言えど計り知れず、巨大な魔獣の体から取れる素材は量も種類も豊富だった。

 眼球、牙、鱗、爪、骨、内臓、皮膜や体毛に至るまで、そのすべてが魔術師にとって垂涎ものの価値があった。

 ただ、すべての部位が必要かというとそういうわけではなかった。ベラの目的は魔獣討伐そのものにあり、魔獣の研究をするにしても、素材に関しては希少部位を除けばそれほどの量は必要としていなかった。

 無論、それらに金銭的な価値があることはわかっていたが、そもそもベラは自身が伯爵号を持つ裕福な貴族であることから、知識欲に比べて金銭欲はほとんどなかった。むしろ王都への運搬や売却の際の商人と交渉、さらに魔法学院との煩雑な手続きを面倒と感じて、その処分方法に困っていたくらいである。


 それに目を付けたのがセオドニーだった。

 北の視察から戻ったセオドニーは領内の状況を把握すると、危険を承知でソルズリー平原にいるベラの元へと赴いた。

 ベラの人柄をよく知るセオドニーは、一切の小細工をせず、これからグラスター領が陥るであろう財政的な窮状を訴えた。そして、不要な素材の運搬や売却といった手続きの一切を引き受ける代わりに、得た代価の一部を提供してもらうよう交渉を持ち掛けたのである。

 さらにセオドニーはベラにこうも伝えた。


「かの高名な白の魔術師ベラ・フィンドレイとその門下の魔術師が、魔獣の被害にあったグラスターの民の窮状を憂いて私財を投じてくれた、と大々的に宣伝することを約束しましょう」


 この提案にベラは飛びついた。

 労せずして素材が売却でき、さらに魔術師の評判まで良くなるというまさに一石二鳥の話だった。

 ベラは一部と言わず半分以上の素材をグラスター領に喜んで寄贈した。

 セオドニーはすぐさま自身の持つ人脈を駆使して、引き取った魔獣の素材を知り合いの商人や好事家に売却していった。商人相手には金銭ではなく物々交換を行うことで、効率よく食糧等の輸送物資を調達するという手際の良さだった。

 魔獣ヴァルラダンの素材はその希少性から破格の値段で取引され、グラスター領の財政は一気に回復した。

 そのうえで、セオドニーはシンシアに「もう一度、父上に視察の件をお願いしてごらん」と伝えた。

 冒険者を護衛に雇うだけの財政的な余裕ができたことで、グントラムはシンシアの視察の件を受け入れた。

 困窮する領民から領主に対する不満の声が上がっていたなどの状況が後押ししてのことだったが、一番の理由は下降の一途を辿っていた娘の好感度を取り戻したかったからだった。

 こうしてシンシアの視察が決定し、輸送部隊の規模は当初の五倍以上に膨れ上がったのである。




 輸送部隊の指揮官であるランドルフは、一台の豪奢な馬車の近くで馬を降りた。

 六人掛けの馬車の座席にはふたりの女性が座っていた。

 領主グントラムの娘シンシアと、その侍女メリッサである。

 ランドルフは「失礼します」と声を掛け、馬車の扉を開ける。


「お嬢様、まもなく出発いたします。ご準備の方はよろしいでしょうか?」


「いつでも大丈夫です」


 シンシアは静かに答える。その声は少し緊張しているようだった。つい先日まで恐ろしい魔獣がいた南西の地にこれから赴くのだ。緊張しないほうがおかしいだろう。

 今年で一七歳となるシンシアは、年齢相応の愛らしさと色気を併せ持った亜麻色の髪の美しい少女だった。

 この年頃の娘らしく、美しく着飾ることを好んでいたはずだったが、先日の視察の際に妖魔の襲撃を受けた経験から、この日はいつものドレス姿ではなく活動しやすい服装をしていた。遠目から見たら猟師にも見える格好だが、その程度でこの少女の美しさが損なわれることはなかった。

 彼女の美しさが外側だけではなく内側からくるものであることを、ランドルフはよく知っていた。

 シンシアは大貴族の令嬢でありながら、それを鼻にかけるようなこともなく、気さくで優しい性格は多くの領民から慕われている。そして武芸とは無縁な少女でありながら、領民の為にその身を危険に晒すことを厭わない勇気も持っていた。


「お嬢様、出発にあたりあらためて申し上げておきますが――」


「わかっております。ちゃんとランドルフの指示には従います」


 ランドルフの言葉を遮ってシンシアは答える。


「結構です。あと、領民からの陳情にはお嬢様は直接お答えにならないようお願いいたします。内務官が同行しておりますので、対応はその者が行います」


「……承知しております」


 シンシアは素直に頷いたが、やはりその表情は少し憮然としたものだった。

 ランドルフとてこんなことを言いたくはないのだが、今回の視察を許可するにあたってグントラムは細々とした条件を出しており、それを守らせるのもランドルフの務めであった。

 グントラムはシンシアが視察に赴くことを許しはしたが、実務的なことには一切触れさせないよう厳命していた。言葉は悪いが、ようはお飾りだった。

 魔獣や妖魔の被害に遭った村からは多くの陳情が寄せられており、その多くは今年の税に関するものだった。そういった重要案件について、グントラムがシンシアを関わらせないようにするのは当然のことであった。

 だが、税に関すること以外にも困窮する村々の現状を訴える声は多く、現状ではそのすべてに対応するのは困難である。そのせいで領民のなかには領主に見捨てられたと思う者も少なくない。

 そういった領民達の元へ領主の娘であるシンシアが赴き、魔獣の危険は去った、領主は決して民を見捨ててはいない、そう伝えることが今回の視察でのシンシアの役目であった。


「護衛に関してですが、我ら騎士団以外に冒険者の一団が先行して道中の安全を確保すべく活動しております。我ら輸送部隊とはクルガリの街の手前で合流する予定となっております」


 その説明を受けてシンシアは何か言いたそうな顔をしたが、ランドルフはあえてそれを無視して続ける。


「先発隊との連絡は同行している魔術師の使い魔を通じて定期的に行う予定となっております。道中で不測の事態が発生した場合、状況によっては視察の中止もありえますので、ご承知おきください」


「不測の事態って?」


 シンシアは不安そうに問いかける。


「可能性として考えられるのは、先発隊では対処できないような危険な妖魔が出現した場合でしょうか。その場合、我々はお嬢様と物資の安全を最優先に対処します」


「……冒険者の方々はどうなるのですか?」


「速やかに我らと合流するよう伝えてはおりますが、冒険者は命令されることを嫌います。どうなるかは状況によるとしか申し上げられません」


 ランドルフは明言を避けたが、もし先日のヴァルラダンのような魔獣が出現したら、先発隊を見捨てるという選択肢は当然あった。


「お嬢様は我ら騎士団が命に代えてもお守りいたしますので、どうかご安心ください」


 ランドルフの言葉にシンシアは「頼りにしております」と言ったが、その表情には不安の影が色濃く残っているように見えた。


「お嬢様、どうかなさいましたか?」


 隣に座るメリッサが気遣うように声を掛けると、シンシアはためらいがちに口を開いた。


「ランドルフ。えっと……先発隊の冒険者には、その、どういった方々がいらっしゃるのですか?」


 探りを入れるようなシンシアの態度に、ランドルフの脳内に修介の顔が浮かんだが、口に出したのは別の人物の名前だった。


「……ダドリアスという経験豊富な冒険者をリーダーに、ギルドから実績のある冒険者を選抜した、とオルダス殿は申しておりました」


「そうですか……わかりました」


「それでは出発前の最終確認がありますので、私はこれで失礼いたします」


 ランドルフは一礼すると足早にその場を立ち去った。

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