第99話 オーガ

 ヴァレイラは戦斧を持ったオーガと対峙していた。

 オーガの繰り出す一撃は凄まじい威力を誇っていたが、そこには技術や駆け引きなどは存在せず、ただ力任せに振り回されるだけの攻撃を躱すことは豊富な戦闘経験を持つ彼女にとってそれほど難しいことではなかった。

 ヴァレイラは素早い動きでオーガを翻弄し、オーガの攻撃が空を切る度に正確に剣を振って傷を与えていった。多少の傷ではびくともしないオーガだが、このまま戦っていれば遠からず倒せると踏んでいた。

 オーガの攻撃をバックステップで躱し、距離を取ったところで、ヴァレイラは自身の体の変化に気付く。

 外からの魔力に体内のマナが反応しているのだ。

 ヴァレイラの体を淡い光が覆う。


「防護の術か、ありがてぇ!」


 それがサラの魔法であることをヴァレイラは瞬時に悟る。

 防護の術は魔力によって生み出された薄い膜を全身に張り巡らせ、その身を守る古代語魔法である。その目に見えぬ薄い膜はあらゆる攻撃のダメージを軽減することができる。効果時間は短いが、この戦いのあいだであれば十分に持つだろう。

 ヴァレイラは防護の術がお気に入りだった。この魔法の優秀なところは、体の動きを一切阻害しないところにある。防御をあまり考えずに動き回るヴァレイラにとっては非常に相性の良い魔法で、サラと組むときは必ずこの魔法を使うよう伝えているくらいだった。


 魔法の援護を受けたことで、ヴァレイラはさらに大胆に動く。オーガの攻撃をぎりぎりまで引き付けて躱し、先ほどよりも踏み込んで剣を振るう。

 ヴァレイラの剣がオーガの胸を切り裂き、傷口からどす黒い血が飛び散る。

 オーガは苦痛の呻き声を上げるが、倒れる気配はない。


「さすがにタフだね!」


 動きっぱなしで多少の疲労を感じていたが、ヴァレイラは攻撃の手を緩めない。危険を承知でオーガの懐に飛び込む。

 ヴァレイラは元々好戦的な性格で、ぎりぎりの戦いを好む性格の持ち主であったが、この日の彼女はいつにもまして無茶な戦い方をしていた。

 英雄と呼ばれる修介や、一目で強者とわかるデーヴァンの存在が、彼女に焦りにも似た感情を覚えさせていた。

 女の冒険者、しかも戦士というだけで周囲から好奇の目で見られ、見下されることも少なくない。彼女はそういった連中を自身の強さを見せつけることで黙らせてきたのだ。

 だからこそ、修介やデーヴァンの前で、自分の強さを示さねばならないというある種の強迫観念にとらわれていた。前日の手合わせで修介を追い詰めておきながら、一撃も入れることができなかったことも影響していただろう。


「――あたしを、舐めるなッ!」


 気迫のこもったヴァレイラの剣は、見事にオーガの胸を刺し貫いた。


「よしッ!」


 ヴァレイラは自分の勝利を確信した。

 だが次の瞬間、信じられない光景を目にした。

 胸に深々と突き刺さった剣を、オーガは空いている手で無造作に掴んだのだ。


「なっ!?」


 慌てて引き抜こうとしたが、オーガに握られた剣はぴくりとも動かない。

 直後に、オーガの戦斧が襲い掛かる。

 ヴァレイラは咄嗟に剣を手放して後ろに跳んだが、オーガの戦斧は彼女の伸びたままの右腕を捉える。

 凄まじい衝撃と痛みが全身を襲い、ヴァレイラは地面を転がった。

 オーガの強烈な一撃は防護魔法や鎖帷子チェインメイルでも防ぐことはできず、ヴァレイラの右腕を深々と切り裂いていた。


「ぐっ……!」


 激痛で意識が飛びそうになるが、ここで意識を失うわけにはいかないと歯を食いしばって耐える。

 右腕からは血が止めどなく溢れ出ており、完全に感覚がなくなっていた。防護魔法がなければ右腕は吹き飛んでいたに違いない。

 オーガは胸に突き刺さったままの剣を無造作に抜き取って投げ捨てた。

 ヴァレイラは舌打ちをすると、予備の短刀を引き抜いて構える。こんなものでオーガを倒せるわけないが、最後まで抵抗してやるという彼女なりの覚悟の表れだった。

 オーガが戦斧を大きく振りかぶって向かってくる。

 ヴァレイラは躱そうとしたが、足が鉛を付けたかのように重く、動けなかった。


「ヴァルッ!」


 サラの悲鳴が聞こえた、その直後だった――




「オラァッ!!」


 気合の声と共に修介は背後からオーガを斬りつけた。

 背中を斬られたオーガは悲鳴と共にのけぞる。


「てめぇの相手はこの俺だァッ!」


 修介は叫ぶと同時にもう一度オーガを斬りつける。

 二度も背中を斬られたオーガは怒りの雄叫びと共に手にした戦斧を振り回しながら振り返った。

 修介はそれを転がるようにして躱すと、素早く起き上がって、ちらりとヴァレイラの様子を窺う。酷い傷を負っているようだが、致命傷ではなさそうだった。

 なんとか間に合った――修介は大きく安堵の息を吐く。残りのゴブリンを全部イニアーに押し付けて駆け付けた甲斐があったというものだ。


 だが、問題はここからだった。

 修介は今回の依頼を受けるにあたって、遭遇する可能性がある妖魔について、あらためてアレサから色々と聞いて学んでいた。

 ゴブリンやオークといった下位妖魔と違い、オーガは中位妖魔である。その恐ろしさはゴブリンなどとは比較にならない。

 このグラスター領で最も多くの領民を殺している妖魔はゴブリンだが、それは単に領内に生息している数が圧倒的に多いからである。この犠牲者の数を冒険者という条件で絞り込むと、オーガが一番多くなるのだ。

 オーガは怪力にばかりに目が行きがちだが、真の脅威はその高い生命力にあった。多少剣で斬りつけた程度では死ぬことはないし、攻撃も止まることはない。死ぬまで暴れ続ける恐ろしい妖魔であった。

 はっきり言って、修介はオーガと正面から戦って勝てる自信がなかった。


 オーガは修介に向かって戦斧を大きく薙ぎ払う。

 修介は後ろに跳び退ってそれを躱した。掠ってすらいないのに、生み出された風圧でまるで殴られたかのような衝撃を受ける。下手に剣で受けたら腕ごともっていかれそうな威力だった。

 だが、その攻撃は単調で見切るのは容易だった。

 攻撃直後のオーガは隙だらけで、攻撃したいという欲求に駆られるが、修介は意志の力でそれをねじ伏せる。

 それで倒せるならヴァレイラがとっくに倒しているはずなのだ。彼女が勝てない相手に自分が挑んで勝てると思うほど己の実力を過信してはいなかった。

 修介はヴァレイラの援護に向かおうとする際にイニアーが放った一言を思い出す。

 イニアーは「兄貴を信じろ!」と言った。どういう意味かはよくわからなかったが、きっとデーヴァンがなんとかしてくれるということだろう。

 ならば、自分のやるべきことはひとつだけだった。


「信じてるからなッ!」


 修介はそう叫ぶと、オーガの気を引くためにアレサを高々と掲げてみせた。

 オーガはその挑発に応じるように再び修介へと襲い掛かった。




 五分後――修介は大の字になって地面に倒れ込んでいた。


「はぁはぁ……な、なんとか生き残ったぞ……」


 すぐ近くにはオーガの死体が横たわっていた。

 倒したのは修介ではなくデーヴァンだった。

 サラから身体強化の魔法の援護を受けたデーヴァンが対峙していたオーガを倒し、そのままオーガの攻撃からひたすら逃げ回る修介の元へと駆け付けて、背後から戦棍メイスをオーガの頭に叩き込んで倒したのである。

 いくら魔法で身体強化されていたとはいえ、まさか正面からオーガと殴り合って勝てる人間がいるなんて普通は思わないだろう。

 だが、デーヴァンなら単独でオーガに勝てるとわかっていたからこそ、イニアーは修介に「兄貴を信じろ」と言ったのだ。

 修介が下手にオーガと戦おうとせずに、ひたすら逃げに徹したことが、結果的に勝利に結びついたのである。なんとも情けない戦い方だったが、生き残れればなんだっていい、と修介は開き直っていた。


「デーヴァンありがとうな、助かったよ」


 修介は上半身を起こすと、近くにいるデーヴァンに向かって礼を言った。


「ああ」


 デーヴァンは表情を変えずに短くそう答えた。

 激しい戦闘の後だというのに、彼は疲れた様子も見せずに突っ立っており、勝利の後にもかかわらずその表情からは高揚感や喜びといった感情は見いだせなかった。

 変わった奴だな、という感想を修介はあらためて抱く。

 そんなデーヴァンの周りではイニアーが忙しなく倒した妖魔から討伐の証を剥ぎ取っていた。彼らは元傭兵のはずだが、その手際は慣れた者のそれだった。

 剥ぎ取りを行っているのがイニアーだけなのを見て、修介はヴァレイラが負傷したことを思い出した。

 地面に横たわったヴァレイラの傍にはすでにサラがやってきており、傷の具合を確認していた。

 仲間が負傷したというのに、イニアーもデーヴァンもそんなこと気にもしていないといった様子だった。

 薄情だなと思ったが、よく見るとイニアーは自分たちの分だけでなく、ヴァレイラや修介が倒した分の証も剥ぎ取っていた。デーヴァンもぼうっとしているようで、その視線は森に向けられている。もしかしたらさらなる妖魔の襲撃を警戒しているのかもしれない。全員でヴァレイラの心配しても仕方がないだろう、彼らの態度はそう主張しているかのようだった。

 修介は疲れた体に鞭打って起き上がった。そして、この状況で自分だけが休んでいたという事実に気付いてバツが悪くなる。


「もっとしっかりしなくちゃな」


 そう呟いて、怪我の具合を確認すべくヴァレイラの元へと向かうのだった。


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