第96話 熱視線

 サラの言う通り、ヴァレイラの熱視線の理由はすぐに判明した。

 それは一行が街道から少し離れたところにある森の探索を終えて休憩を取っているときのことだった。

 修介が地面から突き出た岩に座って休んでいると、ヴァレイラが疲れを感じさせない軽やかな足取りで近づいてきた。


「シュウ、ちょっといいかい?」


「な、なんだ?」


 うきうきといった様子のヴァレイラに修介は警戒心を抱く。


「なに、たいした用事じゃないんだ。あたしと手合わせしよう!」


「は?」


 言葉の意味が咄嗟に理解できずに固まる修介に、ヴァレイラはもう我慢できないといった勢いで言葉を続ける。


「だから、あんたの腕前を見せてくれって言ってんのさ」


「きゅ、休憩中なんだが?」


 この世界の人間は人の休憩を邪魔しないと死んでしまう呪いにでもかかっているのか、と修介は心の中でぼやく。


「もったいぶらずに少しくらい付き合えよ。実戦を前にお互いの実力くらい把握しておいたほうがいいだろ?」


 なるほどそういうことか、と修介はヴァレイラの熱い視線の理由を理解した。

 修介にその自覚はないが、冒険者のあいだでは修介は魔獣討伐の英雄であり、一級賞金首を討ち取った一流の戦士ということになっていた。

 先ほどのイニアーとの会話で修介がジュードを討ち取ったという話を聞いて、ヴァレイラは修介と手合わせしたくてずっとうずうずしていたのだ。どうやらこの金髪女戦士は見た目の印象通り、強い戦士と戦うのが好きな戦闘民族のようだった。

 おそらく断ったところで絶対に引かないだろうと判断した修介は、「一本だけだからな」と言って重い腰を上げた。実際、ヴァレイラの実力がどの程度なのかは修介も知りたいと思ってはいたのだ。

 ヴァレイラは嬉しそうに頷くと、修介から少し離れた場所に立ち、腰の剣を抜いて無造作に構えた。

 修介もアレサを鞘から抜いて正眼に構える。


「おっ、面白そうなことしてるじゃないっすか」


 少し離れたところで休んでいたはずのイニアーが、目ざとく修介達のやろうとしていることに気付いて近くにやってきた。

 いつのまにやらサラも傍に来ており、修介を見るその目は「ね、すぐにわかったでしょ?」と言っていた。

 修介は小さくため息を吐くと、正面のヴァレイラに意識を集中した。

 思った以上に自分が緊張していることに気付く。

 手合わせをすることで、自分の実力が噂ほどではないことがバレてしまう可能性が高いからだ。自覚していても、相手に「なんだこの程度かよ」と失望されるのが嫌なのは当然だろう。実績だけが一人前となってしまった修介の直近の悩みがこれだった。

 そのおかげで、というわけではないが、相手が女性だという油断は修介には一切なかった。この世界の戦士はド素人でもない限り、みな自分よりも強いと思っていた。


「それじゃいくよ!」


 そう言うや否や、猛烈な速度でヴァレイラが突っ込んできた。そして躊躇も容赦もない一撃を修介の肩口に向かって放つ。

 修介はその一撃をすんでのところで受け流し、相手がバランスを崩したところへすかさずアレサを振るった。

 だが、ヴァレイラは体を捻ってなんなくそれを躱すと、予想以上の素早さで反撃に出た。

 修介はその攻撃もなんとかいなしたが、ヴァレイラは攻撃の手を緩めない。左右に素早く動きながら、修介に反撃する余裕を与えまいと矢継ぎ早に攻撃を繰り出してくる。

 よほど鍛えているのだろう、激しく動き回りながらも息を切らす様子はない。


(こいつマジで強い!)


 修介は懸命にアレサを操りながらそう思った。

 速さだけならレナードよりも上かもしれない。しかも、ただ速いだけではなく正確さも力強さも併せ持った剣だった。

 それでもなんとか捌くことができたのは、レナードよりも彼女の剣筋が正直だったからだ。おそらく人間よりも妖魔を多く相手にしてきたのだろう。駆け引きよりも、速度と威力で押し切ることに重点を置いた剣技だった。

 修介は訓練場で多くの模擬戦を行い、訓練場を出てからも剣の稽古を欠かしてはいなかったが、やはり実戦を数多く経験している戦士との差は歴然だった。

 修介はあっという間に防戦一方へと追いやられていた。

 それでも修介は落ち着いていた。冷静にヴァレイラの剣の軌道を見極め、正確にそれを弾き、受け流す。

 修介とて実戦経験は積んできたのだ。特にジュードと殺し合いをした経験はとてつもなく大きかった。良くも悪くも、あの経験のおかげで相手が誰であっても臆することなく対峙できるようになっていた。

 だが、それで技量の差が埋まるわけではない。修介は終始圧倒され、最終的には手数で押し切られて地面に尻もちをついたところで「参った」と降参した。




「旦那、次は俺とやりましょうぜ」


 ヴァレイラの手を取って立ち上がった修介に、イニアーがそう声を掛ける。

 そうなるであろう予感があった修介は、息を整えながら「わかった」と応じた。

 そんなふたりを横目に、ヴァレイラはサラの近くに腰を下ろした。

 その表情は憮然としたものだった。


「どう? シュウの実力はあなたのお眼鏡に適ったかしら?」


 サラはそう問いかける。


「話になんねーな。あのジュードを殺ったっていうから、期待してたんだけどな。あれで英雄だと言われても信じられないね」


 ヴァレイラの声には怒りすら滲んでいた。

 たしかに剣については素人のサラでもはっきりとわかるほど終始ヴァレイラが圧倒していた。期待していた分、裏切られたという思いがあるのかもしれない。

 ただ、ヴァレイラの怒りは修介にではなく、むしろ彼女自身に向けられているようにサラには感じられた。


「そんな怒らないであげてよ。噂ほど強くないわよってあらかじめ言っておいたじゃない」


「そうじゃねーんだ……期待していたほど強くなかったのはたしかなんだが、なんていうか、勝った気がしないんだよ」


 そう言うとヴァレイラは視線を前に向けた。その視線の先では修介とイニアーが剣を交えていたが、彼女の瞳にはふたりの戦いは映っていないように見えた。


「どういうこと? 私には一方的な勝負に見えたけど」


「あたしは最後のほう、本気で剣を振るったんだ。なのに全部いなされた。たいして強くないはずなのに、勝てなかった。こんなことは初めてさ……」


 今のヴァレイラの言葉で、サラはジュードとの戦いを思い出していた。

 あの時も修介は一方的にジュードにやられていた。

 だが、あれだけの実力差があったにもかかわらず、ジュードの剣は最後まで修介の命を奪うことができなかったのだ。最後は修介の剣が謎の発光現象を起こしたことで修介の勝利に終わったが、実力差を考えればあっさり殺されていてもおかしくない相手だった。無論、ジュードが修介を舐めて掛かっていたということもあるだろうが、最後のほうに至ってはあきらかにジュードは余裕を失い、本気で剣を振るっていた。

 それでも、修介は殺されなかったのだ。

 今のヴァレイラと修介の手合わせは、その時の状況に似ていた。

 それが修介の実力なのか悪運なのかはわからないが、謎の発光現象といい、マナのない体質といい、彼の周囲は多くの謎に満ち溢れ、サラの知的好奇心を刺激した。


(やっぱり興味深い研究対象だわ)


 サラはあらためてそう思った。

 そしてふいに、自分のその思いに違和感を覚える。

 なぜ今、そう思ったのだろうか。

 自分はずっと修介のことを研究対象として見てきたはずだ。そこをあらためる必要などないはずなのに、なぜ今そう思ったのか。

 サラは自分の胸に手を当てる。

 そこには、今まで様々な研究対象を観察してきた自分の中にはなかった、別種の感情があるように思えた。

 たしかに、修介との出会いは魔術師としての自分に少なからぬ影響をもたらしていた。特に彼のマナのない体質や、冒険者らしからぬ言動の数々は、長年の冒険者生活ですっかり感覚が麻痺してしまっていた『魔法』という力を扱う難しさや、その危険性を思い出させてくれた。その点については感謝すらしていた。

 だが、それだけではないようにサラは感じていた。

 それが何かはわからない。

 今までの戦いを通じて修介は信頼できる仲間になっていた。頼りないところは手のかかる弟のようでもあった。

 だが、今抱いているこの感情は、ノルガドやヴァレイラといった仲間や肉親に向けるものとは少し違っているような気がした。


(まさか、ね……)


 サラは否定するように首を振る。そして、何事もなかったかのように修介の方へ視線を向けた。

 だが、一度意識してしまったら、もう今までと同じように彼を見ることができなくなっていた。




「参ったっ! 俺の負けだぁ」


 尻もちをついたイニアーが両手を上げて降参のポーズを取った。

 修介が荒い息を吐きながら手を差し出すと、イニアーはその手を掴んで立ち上がる。


「いやーさすがは旦那、英雄と言われるだけあってお強い!」


 イニアーは手放しで修介の腕前を褒める。


「いや、そんなことないって……」


 修介は謙遜ではなく本気でそう思っていた。

 実力はほぼ互角と言ってよく、修介の方が上背があったので、最終的には体格差で押し切っての勝利だった。

 傭兵上がりということもあって、イニアーはもっとトリッキーな戦い方をしてくると修介は予想していたのだが、彼の剣は予想に反してだった。おそらくどこかで正規の剣術を学んでいるものと思われた。

 勝って嬉しくないわけではなかったが、修介は釈然としない思いを抱いていた。長年戦場を渡り歩いてきたという傭兵の実力がこの程度だとはとても思えなかった。かといってイニアーが手を抜いていたのかというと、そういう風にも見えない。

 ちらりと横目で様子を窺うと、イニアーは「いやーまいったまいった」と言いながら服に付いた土を払っていた。その表情には負けた悔しさを滲ませているといった様子は皆無であった。


「ところで、デーヴァンはやらないのか?」


 修介はデーヴァンに視線を向けつつ、イニアーに聞いた。

 イニアーは意味ありげな笑みを浮かべると「兄貴は手加減とかできないっすからね」とだけ言った。

 デーヴァンは身長が二メートル近い巨漢で、腕回りの筋肉も修介のふとももくらいありそうなほど鍛え上げられており、戦ってみるまでもなく強いというのがわかる。

 ようするに「やるまでもないだろう」とイニアーは言いたいのだ。

 その意見には修介も全面的に賛成だった。

 剣の腕前がどうこう以前に、生物としてデーヴァンには勝てる気がしなかった。

 そんなデーヴァンは皆の手合わせには興味がないのか、空を見上げたまま黙って座っていた。


 その後、ヴァレイラがデーヴァンとの手合わせを希望したが、その気がないデーヴァンにあっさりと無視される。仕方なしにイニアーに「あたしとやるかい?」と声を掛けるも、「シュウスケの旦那に負けた俺が、お前さんに勝てるわけないだろ」と、これまたあっさりと断られていた。

 ヴァレイラが「けっ、腰抜けどもが」と吐き捨てたところで手合わせはお開きとなった。

 修介は先ほどの岩の所に戻ってどかりと腰を下ろすと、大きく息を吐きだした。

 おそらく今の手合わせで自分の実力が噂ほどではないというのはバレてしまっただろう。ヴァレイラは露骨に失望したという顔をしていた。悔しいという思いはあったが、それが今の自分の実力なのだから仕方がない。

 まぁいい――修介は気持ちを切り替える。

 周囲の評価がどうであろうと、結局はその場その場で自分の全力を尽くすしかないのだ。そうやって戦い続けた先で信頼とは得られるものだと修介は考えていた。

 少なくともパーティの仲間が頼りになりそうな奴らだということはわかった。

 今はそれで十分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る