第93話 旅は道連れ
「人の顔見ていきなり、げっ、て何よ! 相変わらず失礼なやつね」
サラは修介の反応に目じりを吊り上げる。なまじ美人なだけに怒ったときの迫力はなかなかのものだった。
「す、すまん、予想外の登場で、おまけに見慣れない恰好だったものでつい……」
店の中から現れたサラはいつもの白いローブ姿ではなく、ワンピースのような衣服を身に付けている。赤みがかった長い髪も珍しくひとつに結わえられており、頭の後ろで尻尾のように揺れていた。
どこにでもいる街娘といった感じの恰好だが、サラは修介の数少ない冒険者仲間のひとりであり、古代語魔法を操る優秀な魔術師だった。魔法の知識を活かして冒険者ギルドで相談役までこなす才媛である。
「べ、別に私だって四六時中ローブを着ているわけじゃないわよ。あれはギルドに常駐している時とか依頼を受けた時の、言わば仕事着みたいなものなんだから」
サラは少し気恥ずかしげな表情でそう言った。
「なるほどね。いや、そういった格好も新鮮でいいね。前のドレス姿も良かったけど、そういうシンプルな服装も清涼感があるというか……まぁサラは美人だから何着ても似合うってだけなんだろうけどな」
修介は流れるように褒めた。なんせ褒めるだけなら
「いちいち褒めなくていいから。そういう呪いにでもかかってるの?」
「……」
同じ相手に何度も通用しないのが、この手法の欠点だった。
サラの冷めた視線に晒されながらも、修介はめげずに店内の様子を窺う。
店内は薄暗く、サラ以外に人の気配はなかった。
「……もしかして、おやっさんいないの?」
「見てのとおりよ」
サラは不機嫌そうに応じる。
「サラもおやっさんに用事があったのか?」
「そうよ! 前々から頼みごとがあるからって伝えといたのに、ノルガドったらこんな書置きだけ残していなくなってるんだからホント頭にくるわ!」
そう言うとサラはノルガドが書いたと思しき書置きを修介に突きつけた。
内容は半分くらいしか判読できなかったが、わかる範囲で推測するに「しばらく留守にする」みたいなことが書かれているようだった。
「おやっさんは店の鍵もかけずに出かけたの?」
「そんなわけないでしょ。私は合鍵を持ってるから開けて入ったのよ」
ノルガドとサラの祖母はかつての冒険者仲間であり、ノルガドはサラの事を孫のように可愛がっていることから、合鍵を渡していたとしても別におかしくはない。
「鍵が閉まってたら留守だってわかるだろうに、なんでわざわざ開けて入るんだよ」
「ノルガドって一度作業に没頭すると平気で数日は籠ったきり出てこないことがあるからよ」
言われて修介は納得した。前に一度だけノルガドが作業中に店を訪れたことがあったが、修介が来たことにも気づかないくらい集中していて、二時間くらいほっとかれたことがあった。
なんにせよ、ノルガドがいないのであれば長居は無用だった。
「ま、留守じゃ仕方ないな……それじゃ行くわ。邪魔したな」
そう言って修介は回れ右して店を後にしようとしたが、「まぁ待ちなさいよ」とサラにむんずと襟首を掴まれて引き留められた。
「なにすんだよ!」
振り返って文句を言う修介に、サラは悪びれもせず「せっかく来たんだから、お茶くらい飲んでいきなさいよ」と言った。
「お茶って……ここお前の家じゃないだろうが」
「似たようなものよ」
サラは返事も待たずに店の奥へと入っていったので、修介は仕方なく後に続く。
奥は工房と居住スペースが八対二くらいの割合で一体となったような雑然とした部屋で、家具と呼べそうなのは木のテーブルと小さな収納棚とベッドだけだった。
快適さを犠牲にした部屋の床には、足の踏み場もないほどに色々な物が転がっていた。修介はそのひとつを適当に手に取る。粘土を焼いて作ったコースターみたいなそれは、とてつもなく精巧な装飾が施されており、不器用な修介にはとても作れそうにない代物だった。そんなものがその辺に乱雑に置かれているのだから、ドワーフ職人恐るべしである。
「その辺の物どかして適当に座って待ってて」
そう言うと、サラは勝手知ったる我が家と言わんばかりの手慣れた感じでお茶を入れてくれた。
他人様の家に勝手に上がり込んでお茶を飲むという訳の分からない状況に戸惑いつつも、修介は雑然としたこの部屋に妙な居心地の良さを感じて和んでいた。
「……それで、ノルガドになんの用だったの?」
一息ついたところで案の定サラが問いかけてきた。
「え? いや、そんな大層な用事じゃないんだけど……」
「本当に?」
サラの疑うような視線に修介は思わず目を逸らす。
どうも最近のサラには修介に対して姉貴風を吹かせてくるようなところがあり、何かに付けて行動に口出ししようとする傾向があった。それ自体は気遣ってくれているということなのでありがたいのだが、中身が四三歳の修介としてはその度になんとも言えない情けない気持ちになるのだ。
「まぁなんだ、ちょっとした依頼を受けたから、それについてのアドバイスをもらおうかなーって思って来ただけなんだ」
一緒に来てもらおうとしていた、とはさすがに言えなかった。
「依頼? どんな依頼なの?」
「それは……」
修介は返答に窮する。
正式に公示される前の依頼についてこの場で言うのはさすがに憚られた。
「しょ、詳細はまだ言えないんだけど、妖魔討伐の依頼なんだ」
「妖魔討伐? なに、ゴブリン?」
「だから詳細は言えないんだってば」
「ここで言わなくったって、どうせ私がギルドに行けば全部わかるんだから別に言っても問題ないわよ」
サラは追及の手を緩めなかった。
たしかに、ここで隠したとしてもギルドの相談役でもあるサラはギルドに行けば間違いなく修介が妖魔討伐の依頼を受けたことを知るだろう。そもそもノルガドに依頼の話を持っていくことも正確に言えばルール違反だった。
結局、修介は追及から逃れることができず、事の顛末を全部話す羽目になった。
「ふーん、シンシアお嬢様の護衛ね……」
心なしかサラの視線が冷たく感じられた。
「前から思ってたけど、シュウは間違いなく女で身を持ち崩すタイプね」
「……」
自覚があるだけに修介は何も言い返すことができなかった。
「で、大規模な妖魔討伐依頼は初めてで不安だからノルガドに一緒に来てもらおうと考えたわけね?」
「さようでございます……」
「はぁ……なるほどね」
ため息交じりにそう言うと、サラは目を閉じて考える素振りを見せる。
何を考えているのかわからなかったが、伏し目がちなその表情に修介は思わず見惚れる。普段は努めて考えないようにしているが、サラはまぎれもない美人だった。修介が本当の一七歳の少年だったら間違いなく憧れていただろう。
「よし、決めた」
サラはおもむろに目を開けてそう言った。
一瞬だけ目が合って、修介は慌てて目を逸らす。
「き、決めたって、何を?」
「私もその依頼受けることにするわ」
「はぁ!? マジで?」
いくら姉貴風を吹かせているからといって、まさか一緒について来るとまで言い出すとは考えていなかった修介は素で驚いた。
「お嬢様達の行き先って西のヴィクロー山脈の麓にあるクルガリの街なんでしょ?」
修介は戸惑いながらも頷く。
「だったらちょうどいいわ。元々私もそっちに行く予定だったから」
「ん? もしかしておやっさんに用事って……」
「そ、ノルガドに護衛を頼もうと思ってたの。さすがにひとりで行くにはちょっと遠いし危険な場所だからね」
サラの用事とは、ヴィクロー山脈で採れるというマナタイトという鉱石の買い付けだった。
この世界にあるすべての物質にはマナが宿っているが、人の持つマナの量に個人差があるように、物によって宿っているマナの量は千差万別だった。
マナタイトはマナの含有量が他の鉱石よりも圧倒的に多く、様々な魔道具の素材として重宝されているのだ。以前に修介がシンシアの屋敷で見た光を灯す魔道具の底面に付けられていた金属板もマナタイトを加工した物である。
「あの手の物は流通を通して入手しようとすると、値段は跳ね上がるし品質も落ちるから、できれば直接行って自分の目で見て買いたいのよね。ノルガドがいれば鉱石に詳しいから適任だったんだけど……」
たしかにノルガドなら護衛としても目利きとしても申し分ない人材である。ただ、納得はしつつも、護衛役の選択肢に自分が入ってなかったことに修介は若干の寂しさを覚えていた。
「ま、ちょうどいい機会だし、ほっとくと無茶しそうな誰かさんのお守も兼ねて、私も行くことにするわ。感謝しなさいよね」
「言っておくが、お嬢様をお守りするという超重要な依頼なんだからな。買い物気分で参加されても困るぞ」
「わかってるわよ。私だってあのお嬢様のことは好きだし、道中はちゃんと真面目にやるわよ」
「なら別にいいけど……」
そもそも修介にサラの行動を咎める権利があろうはずもない。それに、サラが同行してくれること自体は素直に嬉しかった。
「――あ、そうだ。もうひとり一緒に来てくれそうな人に心当たりがあるんだけど、その人にも声を掛けていい?」
「ん? 別にかまわんけど……誰だ? エーベルトか?」
「違うわよ。あいつはどうせ誘ったって来やしないわよ」
たしかに、と修介は納得する。
「じゃあ、誰だよ。俺の知ってる奴か?」
「たぶん知らないと思うわ。でも、すっごい頼りになる人よ。普段はあまりパーティを組まない人なんだけど、たぶんあなただったら大丈夫な気がするわ」
「なんだそりゃ?」
「まぁまぁ、会えばきっとわかるわよ。元々護衛の件もノルガドとその人のふたりにお願いするつもりだったの。ノルガドがいないとなると、あなただけじゃ頼りないからね」
「わるかったな、頼りなくて」
サラは修介と違ってそこそこ長い間冒険者をやっているのだ。ノルガド以外に仲間がいるのも当然だろう。
ただ、サラがノルガド以外で頼りにしている冒険者がいるという事に対して、修介はもやっとする感情を抱く。最近――特にヴァルラダンとの戦い以降、こうしてサラに心を乱されることが多いような気がしていた。いい歳して嫉妬かよと呆れつつ、修介は頭を振ってその感情を追い出した。
その後、修介はサラと当日の行動について軽く打ち合わせを終えると、ノルガドの店を後にした。
当初考えていた予定とはかなり違う結果となったが、サラが同行してくれるというのはありがたかった。なんだかんだで頼りになるし、なにより体質の事を知っている人が近くにいてくれると何かと助かるのは間違いない。
ゴブリン討伐以来の妖魔討伐の依頼である。上手くやれるかどうか不安はあったが、他の冒険者達と一緒に活動すること自体は少し楽しみでもあった。
この依頼はシンシアの為にと思って受けたが、自分自身にとっても冒険者としてレベルアップする良い機会になるかもしれない。
とはいえ、自分が調子に乗りやすい性格であることを自覚する修介は、そういうときが一番危ないということも経験上知っていた。
とにかく安全第一でいこう。そして、ノルガドの分もサラの事を全力で守ろう、そう心に誓う修介であった。
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