第92話 新たなる冒険

 王国暦三一六年一月。

 ルセリア王国は新しい年を迎えていた。

 昨年、王国の南に位置するグラスター領では、いにしえの魔獣ヴァルラダンが出現するという大事件が起こり、人々を恐怖のどん底に陥れた。

 魔獣は騎士団と冒険者の活躍により討伐されたが、その爪痕はいまだに領内の各地に色濃く残っており、多くの領民が今年こそは平和で実り多き年になるよう厳粛な面持ちで天上の神々へ祈りを捧げていた。

 とはいえ新しい年を無事に迎えられたことへの喜びは、どこの世界でも違いはないようで、街の雰囲気はこころなしかいつもより浮かれているようだった。


 そんな浮かれた街の空気とは真逆に、重い足取りで街路を歩くひとりの青年がいた。革鎧を身に付け、長剣を腰に下げたその出で立ちは、彼が剣士であることを物語っていた。

 青年の名は宇田修介うだしゅうすけという。黒い瞳に黒い髪を持つ、人の良さそうな青年である。年齢は今年で一八歳だが、中身が四三歳の中年であることを知る者は、この世界には本人を除いて誰もいない。

 前の世界で不幸な事故で死亡した彼は、神を自称する老人によって、このヴァースと呼ばれる世界に若返って転移してきたのである。

 それから半年。この世界での生活にようやく馴染みつつある修介は、冒険者としていつも通り倉庫警備の仕事を終え、報告の為に疲れた身体を引きずるようにして冒険者ギルドに向かっていた。


 年が明けたからといって冒険者に正月休みなど存在しない。働くのも休むのも本人次第である。

 そもそも、この国では新年を盛大に祝う習慣がなかった。

 ルセリア王国が一番盛り上がるのは三月である。

 三月一日は魔神の王から世界を救った生命の神が地上に降臨した日とされていた。世界を救った神への感謝の意を込めて、国中をあげて盛大な祭りが二週間にわたって行われるのだ。それが降神祭こうじんさいと呼ばれる祭りである。

 さらに降神祭が終わったすぐ後――三月一五日はルセリア王国の建国記念日だった。祭りはその名称を建国祭に変え、さらに二週間継続される。つまり、ひと月丸々と祭りが行われるのがルセリア王国の三月なのである。

 半年前にこの世界に転移してきた修介は祭りを体験したことがないので、密かに三月を楽しみにしていた。




「お嬢様の護衛?!」


 ギルド内に修介の声が響き渡る。

 昼下がりということもあってギルド内は人がまばらにいるだけだったが、隣の受付の男が何事かと目を見張っていた。


「シーッ! そんな大きな声出さないで。まだ正式に募集を出してないんだから」


 受付嬢のハンナが口元に人差し指をあてながら修介を諫める。

 依頼完了の報告を終えた修介は、ハンナに何か良い仕事がないか相談したところ、彼女は「それならば」と新しい依頼を紹介してくれたのだが、その依頼内容を聞いて思わず大声を出してしまったのである。


「す、すんません……でも、そんな大事な話を俺なんかにしちゃっていいんですか?」


 修介は声を落としてハンナに問いかける。

 ギルドの職員が特定の冒険者を優遇することは禁止されている。いくら懇意にしているとはいえ、事前に依頼の内容を話すのは明らかなルール違反だった。


「大丈夫よ、今回の依頼は前の魔獣討伐の時と同じでかなり大きな案件だから、ギルドから実績のある冒険者に参加要請を出す予定なのよ。シュウスケさんは要請を出す冒険者に含まれているわ」


「そうなんですか?」


 たしかに、賞金首ジュードの討伐に加え、先日の魔獣ヴァルラダン討伐で活躍した修介は、新人冒険者とは思えないほどの実績を上げていた。

 名を上げたことで仕事の方が転がり込んでくるようになったことは冒険者として認められたようで嬉しかったが、その期待に応えられるだけの実力があるかと問われると、かなり怪しいところではある。


「……それに、シンシアお嬢様絡みの依頼なら、あなたは率先して受けたがるんじゃないかなって思ったんだけど?」


「……」


「あれ、違った?」


「いや違わないですけど……どうしてそう思うんです?」


「だってほら、シンシアお嬢様と仲が良いんでしょう?」


 ハンナは何でもない風を装っているが、その顔からはあきらかに興味津々といった気配が漏れ出ていた。


「仲が良いって……」


 修介は戸惑ったような表情を浮かべた。

 シンシアはこのグラスター領の領主、グントラム・ライセット辺境伯の一人娘で、修介がこの世界で初めて出会った女性だった。右も左もわからない修介の面倒を色々と見てくれた恩人でもある。

 そして、どうやらシンシアの方は修介のことを憎からず思っているようなのだが、修介には彼女と恋人になろうとか、そういった考えはなかった。無論、好意は抱いているし、大切に思っているのはたしかだが、それは恋愛感情というよりは、どちらかというと庇護欲に近い感情だった。

 ただ、討伐軍出陣前夜の宴での痴話喧嘩(?)の様子や、帰還後にシンシアが修介に抱き着いたりといった場面は、それなりに人目に触れられていたようで、今やシンシアと修介の関係は市井のちょっとした噂になっていた。

 大貴族のお嬢様と平民の冒険者……身分違いの恋というだけでも興味を引くだろうに、最近ではそこにアレサという謎の美女が加わって三角関係に発展したことで、若い女性を中心にさらなる盛り上がりを見せているようだった。

 すでに広まってしまった噂話を修介にどうこうできるはずもなく、興味本位で聞いてくる輩には徹底して黙秘を貫いていたが、こうして親しくしている人からも指摘されるとなると、あまり良い状況とは言えなかった。


「仲が良いかはさておき、とてもお世話になっていることは確かなので、その依頼についてはぜひ詳しく聞かせてほしいですね」


 いい歳して色恋話の中心人物になってしまっていることが面白くない修介は、少しつっけんどんな言い方をしてしまったが、ハンナは特に気にした様子もなく頷いた。


「わかったわ。でも他言無用でお願いね?」


 修介は「もちろんです」と答える。


「……さっきは護衛って言ったけど、正確には護衛じゃなくて妖魔の討伐依頼なの」


「妖魔討伐?」


「と言っても特定の妖魔を討伐するわけではなくて、妖魔が出てきそうな場所に赴いて片っ端から妖魔を討伐していってもらうのよ」


「どういうことです?」


「順を追って説明するわね」


 ハンナは机の引き出しから地図を取り出した。


「先日の魔獣騒ぎで領内の南西の村や集落がかなりの被害に遭ったことは知ってるわよね?」


「ええ」


「特に妖魔に畑を荒らされた村なんかは食糧が不足しているらしくて、領主様はそういった村や集落に冬を越す為の支援物資を届ける為に、大規模な輸送部隊の派遣を決定されたの。それで、その輸送部隊にシンシアお嬢様が領民達を励ます為に付いて行くと言い出されたらしいのよ」


「は? いやいや、さすがにそれは領主様がお許しにならないでしょう」


 魔獣ヴァルラダンが討伐されたからといって、妖魔がいなくなったわけではない。西のヴィクロー山脈から人の生活圏に下りてきた妖魔は一向に数が減らず、いまだに近隣の村や集落の生活を脅かしていた。

 娘を溺愛していることで有名な領主が、そんな危険な場所にシンシアを赴かせるようなことを許すとは修介には到底思えなかった。


「詳細は知らないけど、大揉めに揉めたっていう噂は耳にしたわね。……それで、なんだかんだでお嬢様の要望が通ったらしくて、近々大量の支援物資を抱えた輸送部隊とお嬢様の視察団がグラスターの街を出立することになったの。西の街道を進みながら付近の村や集落に立ち寄って、最終的にはヴィクロー山脈の麓のクルガリの街まで行く予定となってるわ」


 ハンナの指が地図に描かれた街道をなぞる。


「マジかー」


 修介は地図を見つめながら嘆息した。

 シンシアにはたしかに一度言い出したら退かない部分があるが、どうやら今回はそれが爆発してしまったようだった。どうやって領主を説得したのかは謎だが、相当なすったもんだがあったであろうことは想像に難くなかった。


「――でね、そこで問題になったのが護衛をどうするのかって話なのよ」


 これまでシンシアの護衛は専属の護衛である騎士ランドルフの隊が行っていたわけだが、それだけの規模の輸送部隊となると、もっと大掛かりな護衛が必要となる。それだけならまだしも、領主はシンシアが赴く予定の場所に騎士団を先行させて大規模な妖魔狩りを行うことでも有名だった。

 しかし、先日の魔獣ヴァルラダンとの戦いによって甚大な被害を受けた騎士団に、大規模な妖魔狩りを行うだけの余裕はない。ならば、足りない戦力は冒険者で補おう、ということになったのだという。


「まぁ今回の依頼とは関係なく、どのみち大規模な妖魔討伐は必要だったしね」


 ハンナの言葉に修介は頷いた。


「つまり、冒険者の一団を輸送部隊に先行させて、通り道の妖魔を掃討することで道中の安全を確保しようってことですね」


「そういうこと。出発は四日後。明日朝一で募集を出すわ。定員は四〇名程度で、応募が定員を超えた場合はギルドが実績等を加味して選抜することになるわ。もっとも、シュウスケさんは希望すればほぼ間違いなく参加できるけど、どうする?」


「やります」


 修介は即答した。

 先日の魔獣との戦いで色々と無茶をして死にかけたことを反省し、当面は身の丈にあった依頼だけを受けるつもりでいた修介だが、ことシンシアに関わる依頼を断るつもりはなかった。個人的にもシンシアのことを大切に思っているし、何よりも亡きアルフレッドに代わって彼女を守るという誓いを立てているからだ。

 もっとも、それ以外にも現実的な問題に直面しているということもあった。

 最近、修介のメインの仕事のひとつである薬草採集が行えなくなっていたのだ。

 理由は至極単純で、採取対象であるアプスラの花は五月から十一月の期間にしか花を咲かせないのだ。真冬の一月では採取などできようはずもない。そういった事情から、直近では倉庫警備や建材の運搬などの仕事しかしていなかった為、薬草採集をしていた頃に比べて収入が落ちていたのである。

 ハンナはそんな修介の状況を知っているからこそ、先んじて今回の依頼の情報を教えてくれたに違いなかった。


「シュウスケさんなら受けてくれると思ったわ。それじゃ参加の手続きはこっちでしておくわね」


「お願いします」


 修介は丁寧に頭を下げた。

 そんな修介の態度を見てハンナは目じりを下げると、「依頼、受けてくれてありがとうね」と礼を言った。


「ん? 別にハンナさんにお礼を言われるようなことじゃないと思いますけど?」


 修介は首を傾げる。


「……実はね、クルガリの街は私の生まれ故郷なの」


 ハンナは修介にだけ聞こえるような声で言った。


「だから、私の故郷の危機に信頼できる冒険者が協力してくれるというのは、やっぱり安心できるのよ。ギルドの職員としては失格だけどね」


「そうだったんですか……」


 事前にそのことを言わなかったのは、それを聞けば修介が断りづらくなると考えたからだろう。たしかに公私混同も甚だしい話だったが、故郷の危機ともなれば、多少の私情が入ってしまうのは修介にも理解できる心情だった。

 信頼を寄せてもらえることは素直に嬉しかったし、冒険者としても個人としても、彼女の期待に応えたいと修介は思った。


「こんなこと言われてもあなたを困らせるだけかもしれないけど、クルガリの街の人たちの為にも、よろしく頼むわね」


「全力を尽くしますよ」


 修介は力強く答えるのだった。




『……また考えなしに危険な依頼を受けて……本当に大丈夫なんですか?』


 帰りの道すがら、抑揚のない声で苦言を呈される。

 声の主は人ではなく腰に差した剣だった。

 アレサという名のその剣は、修介の生活を知識面でサポートしてくれる自称神の老人から与えられた剣である。何かと口やかましいところはあったが、この世界での修介の生活には欠かせない存在であり、大切な相棒でもあった。ちなみに、本体が柄に付いている宝石だという事実を知ったのはつい最近のことである。


「ま、まぁ、あのヴァルラダンよりやばい妖魔なんてそうそういないだろうから、なんとかなるだろ。やっぱり冒険者としてやっていくからには妖魔との戦いは避けては通れないし、経験を積むにはちょうどいいだろ?」


『経験の乏しいマスターが、いきなりそんな大掛かりな討伐依頼に参加するのは推奨できません』


 たしかに修介にとって先日の魔獣討伐を除けば初の大掛かりな妖魔討伐依頼である。しかも、修介が過去に受けたことのある妖魔討伐はリーズ村でのゴブリン退治だけで、圧倒的に経験が不足していることは否めない。勢いで依頼を受けてしまったが、アレサが心配するのはもっともだった。

 だが、その点に関しては修介にも考えがあった。


「足りない経験は別で補うことにするさ」


『どういうことですか?』


「すぐにわかる」


 修介はそう言うと街の北西にある市場へと足を向けた。

 訪れたのは小さな銀細工の店だった。

 市場の外れにあるこじんまりとした店だったが、店の看板には意匠をこらした銀の装飾が施されており、この店の職人が相当な腕の持ち主であることがわかる。

 店の主人はノルガドという名のドワーフだった。ノルガドは高名な銀細工師であり、ベテランの冒険者でもあった。修介にとっては師匠のような存在で、おやっさんと呼んで慕っている。


『……なるほど、髭樽ひげだるに助力を頼もうというわけですか』


「そうそう――って、髭樽ひげだるってもしかしておやっさんのことか?」


『そうですが?』


「前々から思ってたけど、シンシアを小娘呼ばわりしたり、エーベルトを小童呼ばわりしたり、なんで普通に名前で呼ばないのさ?」


『特に深い意味はありません』


「ちなみにサラのことはなんて呼ぶの?」


 興味本位で修介は聞いた。


『魔術娘です』


「ランドルフのことは?」


『堅物ですね』


「……そうか」


 その調子だとあっという間にレパートリーが尽きそうだな、と修介は思ったが、そうなるように多くの人たちと出会って信頼を勝ち取れ、とアレサから尻を叩かれているように感じるのは考え過ぎだろうか。

 そんなことを思いつつ、修介は店の入口へと向かう。営業していれば開けっ放しになってるはずの店の扉は珍しく閉ざされていた。

 何度かノルガドの店を訪問したことのある修介は、遠慮なく扉を叩く。

 いつもであれば不愛想な野太い声が返ってくるところだが、この日返ってきた声は予想に反して女性のものだった。

 思わずぎょっとした修介だったが、扉を開けて現れた女性の顔を見て、今度は「げっ」と声を上げた。

 店の中から現れたのは、不機嫌そうな顔をしたサラだった。

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