第89話 友
「おやっさん、本当にありがとな」
修介はそう言ってノルガドの店を後にした。
その手には真新しい剣が握られていた。
当初は折れた剣を修復してもらうつもりだったのだが、ノルガド曰く、一度折れた剣はもう元には戻せないとのことで、仕方なく新しく剣を購入したのである。
ちなみに修介が購入したのは前の剣と同じような長さと重さのごく普通の長剣だった。修介は剣の目利きなんて当然できないので、ノルガドに信頼できる武具屋を紹介してもらい、そこで購入したのである。
武具屋の主人は相手にしている客が魔獣討伐で活躍したあのシュウスケだと知ると、剣の価格を大幅に値引いてくれた。
修介としてはそんなつもりはなかったので遠慮しようとしたのだが、主人は「いいんだよ。その代わり討伐軍を救った英雄が買い物をした店だって宣伝させてもらうからさ」と言って半ば強引に修介に剣を押し付けたのである。修介は戸惑うばかりだったが、これも自分の成し遂げた仕事の成果なのだと考えて受け入れることにした。そう思える程度には心の整理もできていた。
そうして手に入れた新しい剣にアレサを取り付けてもらう為、ここ数日ノルガドに預けていたのを、たったいま引き取ってきたという次第である。
いくら信頼するノルガドとはいえ、アレサを他人の手に預けることにはかなりの抵抗があった。アレサは『絶対に大丈夫ですから』と言っていたが、アレサがただの宝石ではないことがバレたらと思うと不安は尽きなかった。
それ以上に、万が一にも加工に失敗してアレサが壊れたりしようものなら修介は自分がどうなってしまうのか想像もできなかった。
ノルガドに頼む際に「命よりも大切な宝石なんで、絶対に壊さないでね」とあまりにもしつこく言いすぎたせいで「わかっておると言うとろうが!」と怒鳴られたくらいである。
結局、その心配は杞憂だったわけで、こうして新しい
さすがはドワーフの職人というべきか、アレサは最初からそこにあったのではないかと思えるほど剣に馴染んでいた。
「新しい
修介は歩きながら小声で話しかける。
『問題はないですが、以前の剣の方が品質は良かったですね。せっかく魔獣討伐の報酬も得たのですから、もっと良い剣を購入しても良かったのではないですか?』
「いやぁ、前の剣は見た目も品質も良すぎて目立ち過ぎていたからなぁ。これくらいの普通の剣でいいんだよ。……それに、剣ばかりが良くても、肝心の腕が追い付いていないと宝の持ち腐れになっちまうからな。良い剣は俺の腕がそれなりになった時のお楽しみにしておくよ」
『なるほど、わかりました。私もその時を楽しみにしておきます』
アレサがあっさりと納得したことを意外に思いつつも、修介は自分の腰に再びアレサが戻ってきたことに言いようのない安心感を抱いていた。
「明日からまた仕事に復帰だな」
『しばらくはずっとサボってましたからね』
「サボってたんじゃねぇ、療養してたんだよ」
口ではそう言ったが、サボっていたような後ろめたさがあるのは事実なので、修介の言葉にもキレはなかった。
『次はどのような依頼を受ける予定ですか?』
「いつも通り、薬草採集か倉庫番かなぁ……」
『妖魔討伐はしないんですか?』
「……まぁ機会があればいずれな……。い、言っておくがびびってるんじゃないぞ? しばらくは身の丈にあった依頼をこなそうと思っているだけだからな?」
先日の魔獣ヴァルラダンといい、賞金首ジュードといい、本来の実力なら死んでいて当然の戦いだった。こうして生きていられるのは幸運と仲間と、そしてアレサのおかげであることを修介は誰よりも理解しているつもりだった。
先日の大怪我で修介はあらためてこの世界で自分が怪我をすることのリスクを思い知らされていた。
この世界は前の世界と違って生活保護などなく、冒険者が大怪我を負うことは、そのまま失業に繋がり、生活そのものが脅かされるのだ。特に癒しの術の効きが悪い修介の体質は、冒険者を続けるにはあまりにも大きなデメリットであった。
今後はそのことを理解したうえで、慎重に行動するよう心掛けねばならないだろう。
今まではあまりにも生き急ぎ過ぎていたと修介は反省していた。
そう思えるようになったのも、この世界でひとつ大きな事を成し遂げることができたからであった。
そういう意味では、修介は魔獣との戦いを経て、たしかに変わることができたのかもしれない。あるいは元の臆病者に戻っただけなのかもしれないが。
「俺は冒険者になってまだ日が浅い初心者だからな、ちょっと手柄を立てたからって調子に乗っているとまた大怪我するに違いないんだ。冒険者なんてヤクザな仕事を選んだが、それでも地に足を付けて生きていくのが俺の性分なんだよ、文句あるか?」
自分でも情けないことを言っている自覚はあったので、つい挑むような口調になってしまっていた。
『いいえ。それで良いと私も思います』
アレサは否定も馬鹿にもせず、真面目にそう答えた。元々修介には安全確実に生きて欲しいと願っているのだから当然の反応であった。
『――それで、この後はどうするご予定ですか?』
「……実はな、シンシアの屋敷に呼ばれているんだ」
『……』
「い、いや、隠していたわけじゃないんだぞ? だいたいお前はここ数日おやっさんの家にいたんだから伝えようがないだろ?」
『なぜ小娘の屋敷に呼ばれているのですか?』
「えっと、俺の怪我が治った快気祝いだって。……まぁ魔獣討伐に出発する前にお茶会の約束もしてたしな……」
『ほう、そんな約束をしていたのですか』
「あ、あれ? 言ってなかったっけ?」
『少なくとも私のメモリーには記録されてませんね』
「言いそびれていたのかなぁ」
修介はわざとらしく惚けた。
『……領主の娘に快気祝いをしてもらえるとか、ずいぶんと良いご身分ですね。すっかり英雄気取りですか』
「そ、そんな言い方はやめろ」
なぜ責められているのか腑に落ちない修介だったが、旗色の悪さだけははっきりと理解できた。
「と、とにかく領主の娘に招かれて行かないわけにもいかないだろ。……それでな、行くにあたって何か手土産とかを用意したほうがいいかと思うんだが、正直何を持っていけばいいのかわからんのだ」
『鍋の蓋でも持っていけばいいんじゃないですか』
「なんで鍋の蓋?」
『もしくはフレムンデの花束などがお薦めです』
フレムンデの花はアプスラの花のように薬草としても重宝されている花なのだが、とにかく臭いことで有名だった。その匂いとおどろおどろしい見た目が相まって、特に女性からは圧倒的に嫌われている花である。
「……お前にアドバイスするつもりがないことだけはよくわかったよ」
修介はやれやれとため息を吐いた。
訓練場にいた頃に修介は何度かシンシアにお茶会に招待されていた。その当時はいわゆるヒモみたいな状態だったので、手土産を持っていくという発想すらなかったのだが、修介も一応は冒険者として独り立ちしていることから、今回は手土産のひとつでも持っていった方がいいのではないかと思ったのである。
だが、この世界の常識に疎い修介には、こういった場合に何を持っていったらいいのかなんて知識は当然なかった。
「……仕方ない。約束の時間までまだ余裕があるから、適当にその辺の店を物色してみるか……」
修介は店が集まる北のメインストリートへと足を向けた。
市場を歩きながら適当な店に入ってそれらしいものがないか探してみたが、特にこれといった物は見つけられなかった。最後に女性に贈り物をしたのなんてもう一〇年以上前の話で、ましてやこの世界の若い女性の好みなんて知るはずもない修介には難易度が高すぎるミッションだった。
そもそも貴族の屋敷に平民が招待されるという状況がレアなのだ。もしかしたら手土産を持っていくという発想自体がナンセンスなのではないか、修介はそんなことまで考えていた。頼みのアレサは相変わらずへそを曲げた状態である。
ようするに修介はわかりやすく途方に暮れていた。
「あら、シュウスケ君じゃない」
後ろから唐突に若い女性に声を掛けられた。
振り向くと買い物中と思しきローレアが立っていた。
その背中からは後光がさして見えたと後に修介は語ったという。
「いやぁ本当に助かりました。ありがとうございます」
修介の手には菓子の入った包みがあった。
「いいのよ。買い物のついでだったんだし」
頭を下げる修介に、ローレアは手を振りながら笑顔を見せた。
修介は偶然出会ったローレアに、固有名詞だけはしっかり隠して事情を説明し、何か良い手土産がないかを相談したのである。
ローレアは「ふぅん、シュウスケ君も隅に置けないのねぇ」とからかいながらも、こうして土産物選びを手伝ってくれたのだ。
ローレア曰く「その女の子は貴族である前にひとりの女の子なんだから、あなたがそれを気にし過ぎては駄目よ。こういうのは普通に女の子が喜びそうな物を持っていけばいいのよ」だそうで、今グラスターの街で若い女性に特に人気だという菓子のことを教えてくれたのである。
実際に修介も食べてみたが、おそらく材料に小麦粉とかバターとかそういう系統の物を使っていると思われ、サクサクとした食感はビスケットのようで予想していたよりもちゃんと
ちなみにローレアの手にも同じ包みがあった。お礼ということで修介がローレアにも同じ菓子を贈ったのである。「なんか催促したみたいで悪いわね」と言いながらもローレアは上機嫌であった。
それからなんとなく、ふたりはそのまま並んで歩いていた。
「そういえば、この間の魔獣討伐では大活躍だったんですって? ずいぶんと噂になってるわよ」
「い、いえ、そんな大活躍だなんて大層なもんじゃないです……」
「そんな活躍したら、そりゃあ女の子も放っておかないわよねー」
ローレアは修介の手にある包みを見ながら意味ありげな笑顔を浮かべる。
「ははは……」
修介としては乾いた笑いで誤魔化すしかなかった。
笑顔を浮かべながらも、修介は頭の中でまったく別の事を考えていた。
ロイのことを訊こうかどうかずっと迷っていたのだ。
街に戻ってきてからもロイのことはずっと気になっていた。何度か家を訪ねようかとも思ったのだが、前に会った時のロイの様子を思い返すと、どうしても勇気が出なかった。
ローレアもそんな修介の胸の内がわかっているからか、ロイのことは話題に出してこなかった。
とはいえ、このままで良いわけがないことは修介にもよくわかっていた。
修介は意を決すると、隣を歩くローレアの行く手を塞ぐように前に出て口を開いた。
「あ、あのっ……ロ、ロイのことなんですが……その、げ、元気にしてますか?」
緊張のあまり自分でも変な訊き方をしてしまったと修介は思ったが、ローレアは気にした様子もなく、じっと顔を見つめ返してきた。
「あ、あの……?」
戸惑う修介に、ローレアは優しく微笑んだ。
「シュウスケ君、このあとまだ時間ある?」
「えっ? 大丈夫ですけど……」
ローレアのおかげで予定よりも早く土産物が決まったので時間にはまだ余裕があった。
「じゃあ、付いてきて」
そう言うとローレアは何の説明もなしにさっさと歩き出した。
修介にはわけがわからないまま後に付いていくことしかできなかった。
向かった先はロイの実家である鍛冶屋の工房だった。
工房では作業の真っ最中らしく複数の職人が忙しそうに動き回っており、一番年配の職人が金床にハンマーを打ち付けていた。
鍛冶の仕事を見るのは初めてだった修介は興味をそそられて近づこうとしたが、ローレアは修介の肩に手を置いてそれを引き止めた。そして「ほら、あれ見て」と言って金床の近くにある炉を指さした。
そこにいる人物を見て修介は固まった。
そこには汗を流しながら懸命にふいごを操るロイの姿があった。ロイが取っ手を動かすたびに、かまどの炎はまるで命が吹き込まれたかのように勢いづく。
「ロイ……」
修介はロイの姿から目が離せなかった。
ロイの目は以前に会った時のような光が失われた目ではなかった。その目は炉の炎のように熱く輝いているように見えた。
「……あなたのおかげよ」
「えっ?」
修介は思わず振り返ってローレアを見た。
「私ね、あなたが大活躍したって話をロイにしたの。そうしたらあの子、次の日に急に部屋から出てきて工房に出るって言い出したの」
ローレアは視線をロイに向ける。
「嬉しかったんでしょうね。それと、悔しかったんだと思う。あの子、前に言っていたわ、最近新しいライバルが出来たって。あいつには負けたくないって。だからあなたが頑張ったと知って、きっと負けられないって思ったんだと思うの」
「マジ、かよ……」
修介は自分の目頭が熱くなるのを感じた。
心が温かい感情で満たされていく。
友がまた前を向いてくれたことが嬉しかった。
あれほどの目に遭いながら、ロイは自力で立ち上がったのだ。そのきっかけに自分の頑張りがあったのだとしたら、これほど誇らしいことはなかった。
修介はかつて経験したことがないほどの達成感に浸りながら、しばらくのあいだロイの働きぶりを眺めていた。
「どうする? せっかくだから呼んでこようか?」
ローレアの問いに修介は首を横に振った。
「……いえ、結構です。集中しているところを邪魔したら悪いですから」
それにこんな顔とてもじゃないけど見せられないです、と付け加えた。
ローレアは優しく微笑みながら頷いた。
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