第88話 凱旋

 三日後、討伐軍は無事にグラスターの街へと帰還を果たした。

 早馬によってすでに討伐軍勝利の報がもたらされていたグラスターの街は歓喜の渦に包まれていた。

 魔獣の存在が明らかになってから閉ざされたままだった街の西門は再び開かれ、どんよりと重かった街の空気は一掃された。

 商店の店主が通り過ぎる騎士や冒険者に称賛の声を浴びせ、酒場の店主は景気よく酒を振舞う。子供達は木の棒を持って嬉しそうに騎士団の後ろを走り回り、恋人や夫の帰りを待っていた女達は脇目も振らずに駆け寄って熱い抱擁を交わしていた。建物の上階からは花吹雪が舞い、ちょっとしたパレードの様相を呈していた。

 だが、怪我で満足に動けない修介は馬車の荷台の上で寝かされていた為、微妙にその盛り上がりに乗り切れずに空を見上げていることしかできなかった。

 目立つことを望まない修介としてはそれで問題なかったのだが、目立たなかったせいでひとりの少女を不安のどん底に陥れていることなど知る由もないのであった。


 出迎えた群衆の中には当然、領主の娘であるシンシアもいた。

 討伐軍が出発して以来、シンシアは毎日欠かさずに生命の神の神殿に赴き、討伐軍の無事を祈っていた。この国ではたとえ謹慎中でも神に祈りを捧げる為に神殿に赴くことだけは禁じられることはない。それだけこの国では神々への信仰が人々の心に根付いているのだ。

 シンシアは無事に帰還したグントラムやランドルフとの再会をひとしきり喜んだ後、必死に修介の姿を探し求めていた。

 勝利の報をもたらした騎士は、グントラムやランドルフが無事であることは当然報告していたが、修介のことはそもそも存在すら知らなかったので、シンシアに聞かれても答えようがなかったのである。

 多くの人々が討伐軍の勝利に沸くなか、シンシアは大きな不安を抱えたまま修介の帰還を待たねばならなかったのだ。ここ数日は、修介の無事を祈る為だけにわざわざ神殿へと赴いていた為、周囲からはどうしたのかと心配されたくらいである。

 そしていざ討伐軍が帰還してみれば、探し人である修介の姿はどこにも見当たらなかった。まさか修介が荷馬車の荷台の上で寝ているなどとは夢にも思わず、シンシアは最悪の事態を想像して絶望していた。

 ふらふらと修介の姿を求めて彷徨うシンシアをメリッサは懸命に励ましたが、メリッサも正直修介の生存は絶望的だと考えていた。


 ふと、メリッサは討伐軍の隊列から離れて脇道に逸れようとしている荷馬車の存在に気付いた。その荷馬車の傍には見知った顔の女性がいた。

 サラ・フィンドレイである。

 メリッサは彼女なら修介のことを知っているのではと思い、絶望に瀕した顔で佇むシンシアにそのことを告げた。

 するとシンシアはメリッサですら見たこともないような速さで猛然と荷馬車へと駆け寄ると、のほほんと歩いているサラの腕を掴んだ。

「ななな、なにっ?」と突然のことに驚くサラに、シンシアは「シュウスケ様はっ!? シュウスケ様はどこですかっ!?」と掴みかからんばかりの勢いで問いただした。

 シンシアの迫力に圧倒されたサラは、持ち前のいたずら心を発揮する余裕さえなく、黙って荷馬車の荷台を指さした。

 シンシアの立ち位置からは荷台の様子はよく見えなかった。

 荷台の上には修介の死体が横たわっているのではないか――そんな最悪な想像がシンシアの脳裏をよぎる。

 シンシアはそれまでの勢いが嘘のようにおそるおそる荷台へと近づいた。


「や、やぁシンシアお嬢様、お元気そうでなによりです」


 修介は荷台の上に横たわったまま今できる最高の笑顔でシンシアを出迎えた。ズタボロになった自分を見てシンシアがショックを受けないようにとの配慮のつもりだったが、シンシアの顔を見て己の試みが失敗に終わったことを悟った。

 目に涙をいっぱいに溜め、怒っているのか泣いているのかわからないほどくしゃくしゃになったシンシアの顔は、民を憂う領主の娘ではなく、ただ大切な人を心配する普通の女の子の顔だった。

 この時のシンシアの顔を自分は一生忘れないだろう、と修介は思った。

 心に愛おしさが込み上げてくる。

 修介は上半身をなんとか起こすと、シンシアの顔に右手を伸ばし、溢れて頬を伝わる涙をそっと拭った。


「……ほら、ちゃんと約束通り生きて帰ってきましたよ。あんまり無事とは言えないですけ――どッ!?」


 最後まで言い切る前にシンシアは飛びつくように修介の首に縋りついた。


「よかった、本当によかった……」


 シンシアは一度だけ顔を上げてそう言うと、修介の胸に顔を埋めて声をあげて泣き始めた。

 修介はどうしていいかわからず、とりあえず宙に浮いていた右手をそっとシンシアの頭の上に置くと、幼子をあやすように綺麗な亜麻色の髪を撫でた。

 心に湧きあがった愛しさは男と女のそれとは少し違うような気がしたが、今はそんな細かいことはどうでもいいと思えた。

 来たばかりのこの異世界でも、ここまで自分のことを純粋に心配し、無事を喜んでくれる人がいるという事実がただひたすらに嬉しかった。


 一向に泣き止む気配のないシンシアに困った修介は、助けを求めるべく周囲に視線を巡らせると、サラやメリッサが周囲の視線から遮るようにさりげなく壁となってくれていることに気付いた。しかも、いつの間にか傍に来ていたノルガドまでもが同様に立ってくれていた。ノルガドは身長が圧倒的に足りていないので壁の役割を果たしているとは言い難かったが。


 修介の視線に気づいたメリッサがそっとシンシアの傍によると「お嬢様、シュウスケ様はお怪我をされているんですよ」と諭すように言った。

 メリッサの一言でシンシアははっと顔を上げる。その目は泣きはらして真っ赤になっていたが、頬まで赤いのは自分の取った大胆な行動に気付いて恥ずかしくなったからだろう。慌てて身だしなみを整える仕草に修介は思わず苦笑した。

 そこからシンシアは修介の怪我を心配する鬼と化し、やれお屋敷に連れて帰って看病するだの、やれ生命の神の神殿から一番偉い司祭様を呼ぶだのと大騒ぎをしたのだが、メリッサに「シュウスケ様が困っていらっしゃるでしょう!」と厳しく窘められると、渋々引き下がった。


 メリッサに半ば引きずられるようにしてシンシアが去った後、修介は微妙になった場の空気を払拭すべく、「いやー、モテる男はつらいね!」と冗談めかして言ってみたが、返ってきた反応は寒々しいものだった。


女子おなごを泣かすのはあまり感心せんのう」


 とノルガドに言われ、


「よかったわねー、色男さん」


 と冷めた目でサラに睨まれた。

 とどめに馬車が揺れてもいないのに荷物に立て掛けてあったアレサが倒れてきて修介の額を痛打した。


「あだっ!」


 修介は額を押さえて呻いた。

 それを見たサラは「いい気味ね」と少し怒ったように言うのだった。




 討伐軍が帰還してからグラスターの街は三日三晩のお祭り騒ぎが続いた。

 その後、街の郊外に今回の魔獣襲撃によって亡くなった領民や先の戦いでの戦死者を弔うための石碑が改めて作られ、街全体が三日間の喪に服された。

 そして、街が日常を取り戻し始めた頃、グントラムは魔獣討伐において特に戦功を挙げた者を屋敷に招き、それを称える為の式典を開いた。

 式典には魔獣と渡り合ったハジュマやランドルフを始め、魔獣にとどめを刺した冒険者ゴルゾや各部隊の指揮官などが呼ばれていた。

 ちなみに魔法で魔獣を落とした魔術師ベラ・フィンドレイも呼ばれていたが、いまだにソルズリー平原で魔獣の死体を調査しているとのことで、参加を辞退していた。

 そして、その式典には修介も魔獣に槍を突き刺して討伐軍を窮地から救った英雄として招かれた。

 だが、修介は負傷を理由に参加を辞退した。

 実際に負傷でまともに動くことができなかったのは事実なので、辞退したことを咎められることはなかったが、修介が辞退した本当の理由は別にあった。


 修介は自分が英雄として扱われることに耐えられなかったのだ。

 多くの騎士や冒険者が魔獣の咆哮に屈するなか、それを強靭な精神で耐え抜き、魔獣に果敢に立ち向かっていった勇者――というのが周囲の修介への評価であった。

 結果だけを見ればその通りなのだが、実際は耐えたのではなく効かなかっただけ……勇気ではなく単なる体質のおかげなのだ。

 ランドルフに槍を取れと言われた時、修介は恐怖で躊躇った。

 もし、あの状況に置かれたのが他の騎士や冒険者だったなら、彼らは躊躇せずに槍を手に取り魔獣に向かって行っただろう。

 アレサの言葉に縋らなければ動くことすらできなかった自分が、勇者だの英雄だのと祭り上げられ、ハジュマやランドルフといった本物の勇者と並び称されることを受け入れられるはずがなかった。


 実際、修介を称える声の陰では「運よく魔獣の咆哮に抵抗できただけで、後はどさくさに紛れて槍を刺しただけ」と揶揄する声もあった。

 ところが、戦闘に参加した多くの騎士や冒険者が、自身の名誉を守る為に魔獣の咆哮に抵抗することがいかに困難だったかを方々で懸命になって説明したことが、期せずして修介の名声をさらに高める結果となってしまったのである。

 前の世界では栄誉や名声などとは無縁の平凡なサラリーマンだった修介は、降って湧いた英雄扱いに戸惑い、実態がまるで追い付いていないのに名声ばかりが大きくなる状況に恐怖心すら抱いていた。

 その結果、修介はすっかり外に出ることが怖くなってしまい、外出したのは郊外の石碑にストルアンの冥福を祈りに行った時のみで、それ以外では怪我を理由に宿の部屋に引きこもるようになった。


 そんな修介を見かねたのか、ノルガドやサラはちょくちょく修介の部屋を訪れては話し相手になった。

 ノルガドは「体質だろうが運だろうが、おぬしが成し遂げたことが変わるわけではない。おぬしは堂々としておればいいんじゃよ」と言って背中を押し、サラも「大丈夫よ。みんな言うほどあなたに興味なんて持ってないから。ほっとけばそのうち誰もあなたの話題なんて口にしなくなるわよ」とフォローしているのか貶しているのかよくわからない言葉で励ました。

 ふたりの存在は修介にとって間違いなく救いとなっていた。

 そんなこんなで修介の傷が癒え、落ち着きを取り戻すことができた頃には季節は一二月に入り、本格的な冬を迎えようとしていた。

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