第87話 報酬

「なんか申し訳ないな……」


 抜けるような青空を見上げながら、修介はそう呟いた。


「遠慮する必要なんてないわよ。一応は討伐軍の窮地を救った英雄ってことになってるんだから」


 サラはからかうようにそう言うと、ずれた毛布を掛け直してくれた。

 魔獣との戦いの後、討伐軍は丸一日を費やして戦いの後始末や負傷者の手当などを終えると、魔獣の死体を調査する魔術師達とその護衛の為に残った一部の騎士を除いて帰還の途に就いた。


 修介は荷台に敷かれた毛布の上に寝かされ、荷物の一部として運搬されていた。

 サラとノルガドが怪我で満足に動けない修介をどうやって運搬するか相談していたところにランドルフが現れ、荷馬車の空いたスペースを提供してくれたのだ。

 馬車が揺れるたびに傷に響いて快適とは程遠いが、多くの兵士が負傷したまま移動していることを考えると贅沢は言えなかった。


「結局、治療を手伝ってくれたっていう魔術師にお礼を言えなかったなぁ……」


「あなたが寝ている間に、魔獣の死体を調査するって言い出したおばあさまに呼び出されちゃってたからねぇ……。まだマナも完全に回復してないだろうに、気の毒な話ね」


 サラはまるで自分には責がないと言わんばかりの態度だったが、元を正せば修介の命を救う為だったので、修介にそれを咎める権利があろうはずもなかった。


「なんか、今回も盛大に迷惑をかけちまったなぁ……」


「そう思っているのならあんまり無茶しないでほしいわね」


「……反省はしている。だが後悔はしていない!」


 修介がそう言うと、サラは間髪容れずにその頭を叩いた。


「あのねぇ! 今回はあたしもマナがほとんどなくて本当に危なかったんだからね!? あのマナ貯蔵庫がいなかったらあなた間違いなく死んでたんだから!」


「お、おう……」


 聞いたところによると、その魔術師はサラの祖母の弟子のひとりとのことで、細かい事情を聞くこともなく治療に手を貸そうとしてくれたとのことだった。

 ただ、結局のところ治療に際して修介の体質について説明せざるを得なかったようで、珍しく殊勝な態度で謝罪してきたサラに、修介は軽く手を振って「気にしなくていいよ」と告げた。

 サラの祖母に体質のことを知られるリスクが高まったことを考えると、実はとんでもないミスを犯したような気がしなくもないが、これについては「大丈夫、一応口止めはしておいたから」というサラの頼りない言葉を信じるしかなさそうだった。

 ちなみに、後日アレサが『後々のことを考えて消しますか?』と聞いてきたので修介は「消さない」とだけ答えたのだった。


 修介はてっきりサラは祖母と一緒に魔獣の死体の調査する為に残るのだとばかり思っていたのだが、当然のように修介やノルガドと行動を共にしていた。

 そのことについて修介が触れると、「そりゃ興味はあるけど、さすがに死んだ魔獣よりも生きている人間の方が大事でしょ」と言って、怪我で満足に動けない修介の面倒を見てくれていた。

 さらに当初は癒しの術が使える神聖騎士や冒険者がこぞって修介の治療に協力しようと申し出てくれたのだが、マナがないという体質を知られたくない修介がそれを断るのに四苦八苦していたところを「体力の消耗が著しいから」というもっともらしい理由でサラがすべて断ってくれたりと、随分と助けられていた。

 修介としては対応してくれたサラに感謝はしているのだが、ひとり断るごとに「貸しがどんどん増えていくわねー」と嬉しそうに言うので、今後実験と称して何を要求されるのか気が気ではなかった。


「……そういえばふたりにはちゃんとお礼を言ってなかったよな」


 修介は少し前を歩いているノルガドにも聞こえるような声で言った。


「いきなりどうしたの?」


 サラが妙な物を見るような目つきで修介を見る。


「いや、今回も色々と世話になったし、こうして治療までしてもらったし……だから、ありがとうな」


「何を言うとるんじゃ。礼を言うべきはむしろわしらの方じゃろう。こうしてわしらが生きていられるのも、おぬしのおかげなんじゃからな。さっきやってきた連中もそう思ったからこそ、おぬしの治療を申し出たのじゃろう」


 ノルガドは前を向いたままそう返す。

 たしかに治療を申し出た人たちは、魔獣の咆哮を耐え抜いた修介の精神力や勇気を口々に称賛していた。それどころか、最前線にいた兵士達の間では修介はハジュマやランドルフと並んでちょっとした英雄扱いとなっていた。


「おやっさんも俺の体質は知ってるでしょ。そんな大層なもんじゃないよ」


 修介のその言葉にノルガドは振り返る。


「そう自分を卑下することはないぞ? たしかに魔獣の咆哮が効かんかったのは体質のおかげかもしれんがな、魔獣に向かっていったのはおぬし自身の勇気じゃ。そいつは十分に誇ってよいことだと思うがの」


「そうかな……」


 礼を言うつもりが逆に慰められていることに気付いて修介は苦笑する。


「それでもやっぱりお礼は言わせてよ。おやっさん、俺を担いで魔獣から逃げてくれたんでしょ? サラから聞いた」


「ふん、当然のことをしたまでじゃ」


「そんなことないわよ。ノルガドの短い脚であのでっかい魔獣から逃げ切るのがどれだけ大変だったことか……」


 サラが横からからかうように口を挟んだ。


「余計なお世話じゃ!」


「とにかく、それも含めてありがとうな、おやっさん」


「ふん、くだらん!」


 そう言って鼻を鳴らすとノルガドは足を速めて前に行ってしまった。


「……サラが余計なこと言うから、おやっさん怒っちゃったじゃん」


「違うわよ、あれは照れてるのよ」


 幼い頃からノルガドを知るサラは彼のぶっきらぼうな態度が照れ隠しであることをよく知っていた。ノルガドの方をちらっと見ながら「昔からちっとも変わらないわね」と嬉しそうに呟いた。




「サラも色々とありがとうな」


「なによ、あらたまって……気味が悪いわね」


「治療のこともそうだけど、俺が魔獣のブレスにやられそうになった時、魔法を使って助けてくれたの、あれサラなんだろ?」


「あら、珍しく察しがいいじゃない」


 サラは驚いたように修介の顔を見る。

 修介は「フッ、当然だろ?」とドヤ顔で返したが、実のところアレサに教えてもらうまで、あの時何が起こっていたのかまったく理解できていなかった。なんか知らんが炎が勝手に逸れた、という認識でいたくらいである。

 とはいえ、それをわざわざ口にしてせっかく上がった株を下げる必要もないだろう。修介は真実をそのまま闇に葬ることにした。


「でも、礼なんて不要よ」


「仲間を助けるのは当然だから、だろ?」


「そうよ。……でも、本当に大変だったんだからね。あなたには魔法が効かないから、直接魔法で援護できないでしょ? だから咄嗟に領域魔法に切り替えたんだけど、あんな離れたところに領域魔法なんて使ったことなかったし、マナの消耗も激しいし、おまけにあの魔法は発動場所を調整するのが凄く難しいのよ。それに――」


 サラは魔法の話題とあって、大変だったと言う割には実に楽しそうに早口で捲し立てていた。


「ようするに苦労かけたんだな」


「そうよ、感謝しなさいよね」


「礼は不要なんじゃなかったっけ?」


「礼はいらないけど感謝はしてほしいのよ!」


「あ、そう」


 修介は苦笑しながらも感謝の言葉を口にしようとして、ふいに込み上げてきた不安によって思わず固まってしまった。

 先ほどのサラの言葉で、今まであまり真剣に考えてこなかった自分の抱える大きな欠点についてあらためて強く認識させられたからだった。


「……やっぱりそうなんだよな」


 修介の声に憂いが帯びる。


「え?」


「やっぱり、マナがないって体質は欠点の方がでかいよな。普通に考えたら回復魔法が効きづらかったり、味方の支援魔法も受けられなかったりと問題だらけだよな……」


 今回はたまたまその体質のおかげで活躍できたが、毎回そんな都合よく事が運ぶはずがない。今後、冒険者として誰かとパーティを組んで活動するには、修介の体質はあまりにもデメリットが大きすぎた。


「こんな厄介な体質の奴とパーティを組もうと考える奴はやっぱりいないよな……」


 修介は自嘲気味にそう呟く。

 単にサラに礼を言うだけのつもりだったのに、なぜこんな愚痴みたいなことを言ってしまっているのだろう。修介は己の堪え性のなさに呆れていた。




「それは……」


 サラは咄嗟の事で言葉に詰まる。

 修介の言っていることは間違っていない。

 たしかに修介には眠りの術や麻痺の術といった妨害魔法の類は一切効かないが、それは同時に強化魔法や対抗魔法といった支援魔法が効かないことも意味していた。

 まだ試してはいないが、仮に修介が攻撃魔法すら効かない体だったとしても、総合的に判断してマナのない体質はメリットよりもデメリットの方が大きかった。特に修介が剣士として生きていくならば、味方の支援魔法が受けられないというのは致命的だった。そのことはいずれ修介も身をもって知ることになるだろう。

 冒険者は命懸けの仕事であるが故に、実力のある者とパーティを組もうとするのは当然のことだ。そういった意味では修介のような欠点を持った者を忌避する者は間違いなくいるはずだ。


 でも、そうじゃない――とサラは思う。

 互いに命を預け合うからこそ、実力よりも信頼が大事なのだ。

 街でゴルゾに絡まれた時、修介は弱いくせに止めようとしてくれた。

 リーズ村でジュードに狙われた時、迷わず立ちはだかってくれた。

 そして、回復魔法の効果が薄く、致命傷を負えば助からないとわかっていながら、果敢に魔獣に立ち向かっていった。

 修介は損得を超えて人の為に戦える……戦ってしまう人間だった。

 ただの女好きなのか、それとも底抜けのお人好しなのかはわからないが、この先もきっと身の程も弁えずに様々な無茶をするに違いない。

 そんな修介をサラには放っておくことなどできるはずがなかった。


「……もしパーティを組む必要がある時は、私に声を掛けなさいよ」


「へ?」


 咄嗟に意味がわからず修介は首を傾げる。


「へ? じゃないわよ! もう、なんでこんなに察しが悪い奴なの! だからっ、必要な時は仕方がないから私がパーティを組んであげるって言ってるの!」


「マジで? ……いいの?」


「なに? 嫌なの!?」


「嫌じゃないです……」


「ノルガドも結構あなたのこと気に入っているから、声を掛ければきっと付いてきてくれるわよ。だから――ってちょっとどうしたのよ!?」


 サラに問われて、修介は自分が泣いていることに気付いた。

 デメリットがあることを承知でパーティを組んでもいいと言ってくれたのだ。サラの言葉はまさに自分が求めていた理想の回答そのままで、嬉しくないわけがなかった。思わず涙が出るくらいに感激していた。

 だが、それと同時に心に迷いが生じる。

 先ほど零した愚痴の裏には「こんな自分でも受け入れてほしい」という身勝手な願望があることを修介は自覚していた。

 自身のわがままに他人を巻き込んでいいのか。

 この体質のせいで仲間を危険に晒してしまうのではないか。

 自分は果たしてサラと共に戦うに相応しい人間なのか。

 そんな思いが口をついて出そうになる。

 だが、修介は自分を見つめるサラの真っ直ぐで迷いのない瞳を見て、自分が間違っているということに気付いた。

 これはサラが自分で考えて判断した事で、他人がどうこう言うのはお門違いだった。

 迷惑だから、なんて考えは甘え以外の何物でもなく、そう思うのならば、自分がパーティを組むに相応しい戦士になるべく努力すれば良いだけの話だった。

 サラがどんな思いでその言葉を言ってくれたのか……それを考えればこれ以上情けない姿を見せるわけにはいかなかった。

 これは命を懸けて戦ったことで勝ち取った信頼という名の報酬なのだ。

 ならば、堂々と受け取ろう――修介はそう考え直した。


「すげー嬉しい……ありがとうな」


「だ、だから、お礼を言われるようなことじゃないってば」


 サラはそっぽを向きながらも、ハンカチを修介に差し出した。

 それは以前にも借りたことがあるあの白いハンカチだった。

 修介はそれを受け取って涙をぬぐう。

 前の世界で最後に泣いたのはいつだったか。少なくとも三〇歳を過ぎてからは泣いた記憶がない。この世界に来てから随分と涙もろくなっているような気がした。それが若返りの影響なのか、それともこの世界に来て自分が変わったからなのかは、今の修介には判断がつかなかった。

 ただ、それまでアバターに過ぎなかった自分が、本当の意味でこの世界の人間になれたような、そんな気分だった。


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