第85話 喪失

 目が覚めると薄暗い天幕の中だった。

 天幕の外から複数の人間の話し声や忙しない足音が聞こえてくる。

 軽く手を動かすと手のひらに布地の感触が伝わってきて、修介は自分が毛布の上に寝かされているのだということに気付いた。

 それにしても、目覚めたばかりだというのに恐ろしいほどに体が怠く、そして疲れ果てていた。

 試しに体を起こそうと両腕に力を入れた瞬間、左腕に激痛が走った。


「――ッッ!」


 声にならない悲鳴が上がる。

 視線を下げると全身は包帯まみれで、左腕に至っては添え木が当てられ三角巾のような布で肩から吊るされていた。先ほどの激痛といい、この包帯だらけの体といい、どうやら生きてはいるようだった。

 あの魔獣の尾の一撃ををまともに受けて撥ね飛ばされたというのによく生きていられたものだと、修介は他人事のように感心した。


「――どうやら目が覚めたようだな」


 突然の声に修介はびくっと体を震わせる。薄暗いので気付かなかったがすぐ近くに人がいたらしい。

 視線だけを声の方に向けると、そこにはエーベルトが腕を組んだまま立っていた。


(またこのパターンか……)


 修介はそう思ったが、それならそれで話が早かった。


「……俺、今回はどのくらい意識を失ってた?」


「丸一日といったところだ」


「そっか……。それで魔獣はどうなった?」


「死んだ」


 その一言に修介は長い息を吐きだした。

 死に物狂いで槍を突き刺したというのに、討伐に失敗したなどと言われた日にはしばらくは立ち直れなかっただろう。無事に討伐できたというのであれば、頑張った甲斐があったというものである。

 だが、エーベルトによると討伐軍の最終的な犠牲者の数は五〇名を超えているとのことだった。

 修介が意識を失う直前までは、魔獣の咆哮によって戦闘不能になった者こそいたが、炎のブレス攻撃以外では犠牲者は出ていなかったはずだ。つまり、その後の戦闘でそれだけの犠牲者が出たという事になる。

 魔力を封じられて尚、それだけの被害をもたらした魔獣の恐ろしさを修介はあらためて思い知らされた。


「――そ、そうだ! ノルガドやサラは無事なのか!?」


 修介のその問いにエーベルトは黙って視線を天幕の隅の方へと向けた。

 視線の先を追うと、そこには修介と同じように毛布の上で眠っている三人の人影があった。そのうちのふたりはサラとノルガドであった。

 その姿を見て修介は安堵のため息を吐く。


「……もしかしなくても、また俺の治療でマナを使い果たしたのか?」


「そうだ。あんたが生きているのは間違いなくそいつらのおかげだ」


「そうか……。また借りができちゃったな」


 修介はまたしてもふたりに無茶な治療をさせてしまったことに申し訳ない気持ちになって天井を見つめる。

 だが、すぐに床で寝ている人数が三人であったことに気付いて視線を戻す。そこにはもうひとり、サラと似たような白いローブを纏った男が横になっていた。


「……なんか知らない奴がいるんだけど?」


「俺も知らん。だが、あんたの治療に協力していたようだから、きっとそいつらのうちのどちらかの知り合いだろう」


「なら、起きたら礼を言わないといけないな……」


 修介はゆっくりと右腕の力だけで身体を起こそうとした。


「無理に起き上がらないほうがいい」


 エーベルトがそっけなく言う。

 そう言われたからというわけではなかったが、全身が軋むように痛かったので修介は早々に起き上がることを諦めた。


「……それにしても、あの魔獣の一撃をまともにくらったはずなのに、俺よく死ななかったよなぁ……」


 再び横になりながら修介は半ば独り言のように呟く。


「……ノルガドが言うには、激突の瞬間、あんたの剣が偶然あいだに割って入ったことで即死を免れたらしい」


「はぁ?」


 修介には咄嗟にエーベルトの言っている言葉の意味が理解できなかった。

 自分はアレサを抜かずに間抜けにもガッツポーズしていたはずだった。

 偶然剣が抜ける……そんなことがあるはずがない。

 そういえば、激突の直前にアレサの声を聞いたような気がした。

 嫌な予感がどんどん膨らんでいく。


「アレサ――いや俺の剣はっ!?」


 修介は傷の痛みも忘れて勢いよく身体を起こす。

 エーベルトはその勢いに戸惑いながらも、顎をしゃくって修介のすぐ後ろを指した。

 修介が振り返ると、そこには鞘に納められたアレサが立て掛けられてあった。

 ほっと胸を撫でおろす修介。


「戦場に転がっていたから拾っておいた。ただ――」そこまで言ってエーベルトは一瞬だけ躊躇するような表情を浮かべた。


「ただ、なんだよ?」


 その修介の問いに、エーベルトは「見た方が早い」とだけ言った。

 エーベルトの態度を不審に思いつつも、修介はアレサを手に取り鞘からゆっくりと引き抜いた。

 そして絶句した。

 アレサの刀身は中程から先が折れてなくなっていた。


「お、折れて、る……? うそだろ……?」


 修介にとってアレサが折れるという事態は想像の埒外らちがいにあった。本人に直接確認したわけでもないのに、人知を超えた存在によって生み出されたアレサが壊れるはずがないと勝手に思い込んでいたのだ。

 だが、修介の手の中にある折れた剣がこれでもかと現実を突きつけていた。

 アレサを握る手が小刻みに震え出す。それはいつものアレサの振動ではなく、恐怖から生み出される自分自身の手の震えだった。

 アレサには元々生体反応があるわけではない。しゃべらなければただの剣と何も変わらない。そんなことはわかっている。それでも、修介はいつもアレサからただの物とは違う別の何かを感じ取っていたのだ。

 だが、今の折れたアレサからは何も感じなかった。

 手に握ったそれは、ただの鉄の塊にしか見えなかった。


「そ、そうだ、コマンドワード……」


 修介は柄をしっかりと握りしめて「オッケーアレサ」と言った。

 アレサはぴくりとも反応しなかった。


「……そんなわけないだろう? 冗談はよせよ……おい……」


 修介は何かに取り憑かれたようにコマンドワードを繰り返す。

 だが、何度繰り返してもアレサは答えなかった。


「うああぁ……」


 胃のあたりを万力で締め付けられたような痛みが襲う。息苦しくなり、視界が狭く暗くなる。周囲の音が幾重にもフィルターが掛かったかのように遠くに聞こえる。

 こんな苦しみを以前にも味わったことがある。

 そう、母親から父親の死を告げられた時……そして愛犬が目の前で事故にあった時……あの時とまったく同じだった。


「――ふざけんなッ! オッケーアレサ! オッケーアレサ! おい目を覚ませよッ! オッケーアレサ! なんで、なんでだよ!? オッケーアレサァッ!!」


 最後の方はほとんど悲鳴に近かった。

 それでも修介は狂ったようにアレサの名を叫び続けた。


 エーベルトは突然の修介の豹変ぶりに戸惑っていた。

 修介が自分の剣を大切にしていることは短い間ながらも一緒に旅をしたことで知っていたが、今の彼の取り乱しようは常軌を逸していた。ただの剣に対する態度ではない。もっと大切な、家族や恋人に対するそれであった。


「おい、どうした!? しっかりしろ!」


 エーベルトは修介の肩を掴んで止めようとした。


「邪魔すんなッ!」


 修介は怪我をしているはずの左手でエーベルトの手を払いのける。

 その目は明らかに正気を失っていた。


「落ち着け。それはただの剣だぞ!?」


「黙れぇッ! アレサはただの剣じゃねぇ! 俺の大事な相棒だッ!」


 どんっ、と修介はエーベルトを突き飛ばした。

 予想以上に強い力で突き飛ばされ、エーベルトはたたらを踏んだ。

 修介の体は無理に動かしたせいで傷口が開き、包帯のあちこちから血が滲み出ていた。このまま無理をすれば死ぬ可能性すらあった。

 だが、あまりの修介の異常な取り乱しようにエーベルトは混乱し、それ以上は近づくことすらできず、黙って見ていることしかできなかった。


 修介はそんなエーベルトには目もくれず、ひたすらアレサの名を叫び続ける。


「頼む、頼むから目を覚ましてくれ、アレサぁ……」


 修介の目からは涙が溢れていた。

 アレサが折れたのは間違いなく自分のせいだった。

 自分が調子乗ってガッツポーズなんてして油断したからこうなったのだ。

 悔やんでも悔やみきれなかった。後悔で身体が引き裂かれそうだった。

 あの場面で死ぬのは完全に自業自得なのに!

 こんな間抜け野郎の命を守る必要なんてないのに!

 罪悪感と、もう二度とアレサと会話ができないという喪失感。そして、この世界で唯一自分を理解してくれる存在を失うことへの恐怖で、修介は全身の震えが止まらなかった。

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