第84話 決着

 魔獣との戦いが大詰めを迎えるなか、サラは自分の腕が掴まれたままだということも忘れて、必死になって戦場に視線を巡らせていた。

 途中まで逃げるノルガドの姿を捕捉できていたのだが、魔獣に追い付かれそうになったところで前線の騎士が殺到して乱戦になり、魔獣が炎のブレスを放ったことで完全にその姿を見失ってしまっていた。

 ノルガドが担いで逃げたということは修介は生きているということだった。

 ただ、生きていたとしても重傷なのは間違いないだろう。その状態で炎のブレスに巻き込まれたのだとしたら生存は絶望的だった。

 サラは不安で胸が押しつぶされそうになる。

 修介の治療には魔術師の協力が必要だということはノルガドも知っている。修介が生きているのなら必ず自分の元へ来ようとするはずだ。サラはそう自分に言い聞かせ、ふたりの姿を求めて戦場を凝視する。


「あ、いた」


 腕を掴んでいる魔術師が緊張感のない声を上げて戦場を指さした。

 魔術師からかすかな魔力が感じられた。どうやら遠見の術を使って見ていたようだった。そんな手があったということに気付かないくらい、サラは自分が動揺していたことに気付く。魔術師は常に冷静でなければならないという教えをまったく実践できていないことを思い知らされたが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。

 サラは魔術師が指し示す場所に視線を向ける。そこには魔獣に向かう兵士達の流れに逆らうように短い脚を懸命に動かすノルガドがいた。そしてその背には修介の姿もあった。

 サラの心に希望の光が灯される。

 彼が生きているのであれば、自分には成すべきことがある。

 サラは自分の腕を掴んでいた魔術師の手首を逆につかみ返すと、驚いた魔術師に向かって問いかける。


「あなた、マナはまだある?」


「え? そりゃまだ少しは余裕があるけど……」


 若い魔術師は困惑気味にそう答えた。

 あらためてその顔を見てサラはようやくこの若い魔術師のことを思い出した。

 サラとほぼ同時期に魔法学院に入り、当初はサラ以上にその将来を嘱望されていた魔術師だった。特にマナの保有量がとてつもなく、その量は師であるベラをも遥かに上回っていた。

 だが、保有しているマナこそ桁違いだったが、魔力が弱く、その制御も下手だったことから、高度な魔法はほとんど扱えないことがすぐに判明した。

 そうしてついた渾名が『マナ貯蔵庫』である。

 先ほどベラが捕獲の術を使った際に、この魔術師もマナを提供していたはずだが、それでもまだ余裕があると言うのだからマナ貯蔵庫の二つ名は伊達ではなかった。

 サラは自分の幸運に感謝した。いや、この場合は修介の悪運だろうか。


「一緒に来て!」


 そう言うや否や、サラは強引に魔術師の腕を引っ張って走り出した。




 戦場では人間と魔獣の死闘が続いていた。

 圧倒的な力を持った魔獣に対し、人間は組織力で立ち向かう。

 討伐軍は複数の小集団に分かれて魔獣を取り囲むと、巧みに連携して絶え間なく攻め立てた。

 それに対しヴァルラダンは鉤爪を縦横無尽に振るって攻撃を繰り返したが、その都度死角から攻撃を受けて邪魔をされた。尾を振り回して一掃しようとしても、攻撃を加えた直後に素早く離れていくので効果はほとんどなかった。

 一方で討伐軍の攻撃もほとんど魔獣に傷を与えられていなかった。ハジュマのような強力な魔剣を持っているならまだしも、非力な人間の力では魔獣の硬い鱗を貫くことはできなかった。鱗のない部分を狙って無理に近づこうとする人間を、ヴァルラダンは容赦なく鉤爪や顎の餌食にした。


「騎兵隊が来るまで無理をするなッ! 足止めに専念しろ!」


 カーティスは自らも剣を振るいながらそう叫ぶ。

 その時、右翼部隊の後方から騎兵隊の蹄の音が聞こえてきた。カーティスが目を向けると、グントラムを先頭に騎兵隊がランスを構えて猛然と向かってきている姿が見えた。


「来たぞ、右翼は道を空けろッ! 他の者は魔獣の注意を騎兵隊に向けさせるなッ! 総員かかれーッ!」


 魔獣を囲っていた部隊が一斉に攻撃を仕掛ける。魔獣は一斉に近づいてきた人間を一気に狩りつくそうとそれまで以上に激しく両腕の鉤爪を振り回した。運悪くそれに狙われた騎士や冒険者が血煙をあげながら吹き飛ばされる。

 だが、魔獣の抵抗もそこまでだった。

 殺到した騎兵隊のランスが次々と魔獣の体を刺し貫いた。

 ヴァルラダンは苦痛の咆哮をあげて身を捩る。振り返ろうとしたところに、騎兵隊の第二陣が容赦なくランスを突き刺していった。

「おおっ!」と前線の兵達から歓声があがる。

 一〇本以上のランスが深々と魔獣の体を刺し貫いていた。傷口からはどくどくと大量の血があふれ出ており、誰がどう見ても致命傷だった。

 それまで暴れまわっていた魔獣の動きが完全に止まった。


 誰もが魔獣はそのまま倒れると思った。

 だが、ヴァルラダンはぐるる、と低く唸ると、ゆっくりと顔を上に向けた。そして勢いよく前に突き出すと、炎のブレスを吐き出した。

 近くで様子を窺っていた騎士がそれに巻き込まれて絶命した。

 魔獣の凄まじい生命力を目の当たりにして兵士達の動きが一瞬だけ鈍った。

 その機を逃さず、ヴァルラダンは人間を遠ざけるかのように大きく尾を振り回し、炎のブレスを捲き散らした。

 体を動かす度に傷口から大量の血が流れ出るが、魔獣はそんなことはおかまいなしとばかりに滅茶苦茶に暴れまわった。

 カーティスにはそれが少しでも多くの人間を道連れにしようとする魔獣の最期の足掻きに見えた。あんな動きを続けていれば魔獣の体は長くはもたないはずだ。ならばそれに付き合う必要はない。そう判断した。


「全員、彼奴の傍から離れろッ! 無駄に危険を冒すなッ!」


 だが、その判断は誤りであった。

 ヴァルラダンはひとしきり暴れた後、人間が周囲から離れたのを見計らって、それまでずっと折りたたんでいた翼を一気に広げた。

 それを見たカーティスは絶句した。

 魔法によってズタズタに引き裂かれたはずの翼の皮膜が元に戻っていたのだ。

 魔獣が地に落ちてからまだそれほど時間が経ったわけではないというのに、翼の皮膜はほとんど無傷の状態にまで戻っていた。


 恐るべき再生能力であった。

 ヴァルラダンは嘲るように短く唸ると、翼を大きく動かしてゆっくりとその巨体を宙に浮かせた。翼の動きに合わせて突風が巻き起こる。砂埃から目を守るために腕で顔を覆ったことで、兵士達は咄嗟に動くことができなかった。


「誰でもいい、矢を放てェ! 奴を絶対に逃がすなァッ!」


 カーティスは絶叫していた。

 ここで逃がしてしまえば、もう二度と魔獣は人間の軍隊の前には姿を現さないかもしれない。仮に姿を現したとしても、兵器や魔法による攻撃を知ってしまったからには、もう同じ手は通用しないだろう。今が魔獣を討つ最初で最後の好機なのだ。

 そして、驚異的な再生能力を持つ魔獣は時間と共に傷が癒えるだろうが、失われた兵達の命は元には戻らない。つまりここで逃がせば彼らの犠牲がまったくの無駄となってしまうのだ。そんなことを認められるはずがなかった。

 カーティスの命令に応じて幾人かの兵が矢を放ったが、そのほとんどは魔獣に傷を負わせることすらできていなかった。

 その一方で、魔獣も致命傷に近い深手を負っているせいか、懸命に翼を羽ばたかせてはいるものの、その巨体を支えるのに精一杯でなかなか飛び去ることができずにいた。


「魔術師達は!? 魔法は使えんのかッ!?」


 カーティスが一縷の望みを託して丘の上の本陣を見やる。


 ――その視線の先を一本の太矢が横切った。


 矢はそのまま空を切り裂き魔獣の翼の根本に突き刺さった。

 矢を放ったのは中央部隊の後方に取り残されていた固定式大型弩砲バリスタだった。奇しくもそれは調査団の戦いで唯一破壊を免れた兵器であり、今回の戦いで魔獣の攻撃から逃れることのできた最後の一台であった。

 射手はレナードだった。

 予備戦力としてランドルフから後方待機を命じられていたレナードは、魔獣が空に浮かび上がるのを見て冷静に兵器を動かし、魔獣へ向けて矢を放ったのだ。

 本来であれば、いくら固定式大型弩砲バリスタといえど単体の矢の威力では魔獣が落ちることはなかっただろう。だが、すでに満身創痍の魔獣はその一撃に耐えることができなかった。


 ヴァルラダンは悲痛な声をあげると、糸の切れた操り人形のように突然浮力を失って落下する。そしてそのまま派手な音を立てて地面に激突した。

 誰もがその光景に釘付けになり、一歩も動くことができなかった。

 戦場に一瞬の静寂が訪れる。

 突然の出来事にカーティスでさえ言葉を発することができなかった。


「なにをしているッ! 今こそ魔獣に止めを刺すのだッ!」


 そう叫んだのはグントラムだった。最初の突撃後に一旦離脱して次の突撃に備えていたグントラムの騎兵隊が、再び戻ってきたのである。

 グントラムはそのまま突撃すると、新たに手にしたランスを無防備になっている魔獣の胴体部へと突き刺した。

 ヴァルラダンは弱々しいうめき声をあげる。

 それを機に全軍が雄叫びをあげて魔獣へと殺到した。兵士達はそれまでの怒りを全て叩きつけるかのように容赦なく魔獣の体に刃を突き立てる。

 もはや魔獣に抵抗する力は残されていなかった。

 最後は冒険者ゴルゾが汚名返上とばかりに果敢に魔獣の懐に飛び込むと、手に持った大剣を魔獣の喉に突き刺して止めを刺した。

 ヴァルラダンは最後に顔を上げ空を睨むと、呪詛のような長い咆哮を放ち、ゆっくりとその巨体を横たえた。


 魔獣ヴァルラダンの生命活動は永遠に停止した。




「魔獣は滅んだ! 我らの勝利だッ!」


 グントラムが高らかに宣言すると、兵士達は手にした武器を高々と掲げ、歓声を以ってそれに応えた。

 その様子を少し離れた場所から眺めているふたつの影があった。

 ランドルフとハジュマ……ふたりの戦士は互いに少し離れたところに腰を下ろし、倒れた魔獣の死体と、それを囲って勝鬨をあげる兵達の様子を眺めていた。

 彼らは魔獣の咆哮の効果が切れた後は戦いに参加せず、討伐軍の戦いぶりを少し離れた場所から見守っていた。最後まで戦いたいという意思は当然あったが、たったふたりで魔獣を相手に立ち回ったことで、疲労はとうに限界を超えており、ランドルフに至っては炎のブレスによって左腕に酷い火傷を負っていた。戦いに加わっても足を引っ張るだけだと判断して戦場から離脱していたのである。

 ランドルフとハジュマはそれまでお互いに面識はなかったし、戦いの最中も言葉を交わすことはなかった。今もまた、どちらも声を掛けようとはしなかった。

 命を預け合った戦士に言葉は不要だった。

 ふたりは黙したまま吹き抜ける草原の風に身を委ねていた。


 ――こうして、グラスター領を襲った魔獣ヴァルラダンと領主グントラム率いる討伐軍の戦いは、討伐軍の勝利で幕を閉じたのであった。

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